シルヴィオ伯爵
エレノアはその夜から高熱を出した。
魔力回復薬の飲み過ぎによるものだ。
体中が燃えるように熱く、ベッドの上で、うんうん、うなり続けた。
ロディは、ベッドの脇に座り、細々と世話を焼いた。額に、氷石で冷やした水で濡らしたタオルを当ててやったり、喉の渇きを訴えたら上体を支えて、コップを口にあてがってやったり。
闇の神シャドーと契約しているので、睡眠を必要としていない。ひと晩中どころか、翌日も世話を焼き続けた。
発熱して2日目の朝になると、エレノアの熱はだいぶ下がった。
ロディは厨房を借り、粥を作ってきて、それを食べさせた。
スプーンを近づけるとパクっと口を開く様が、小さい頃のニーアを思い出させ、ロディは微笑ましさを感じた。
一方のエレノアは、ロディに至れり尽くせりの世話をされ、なんだか複雑な気分であった。
そのくせ、安らぐのだ。
侍女たちの世話とは違う。なにか包み込むような優しさを感じた。安心感があった。
ロディがつきっきりで世話をしてくれたことを、ちゃんと覚えている。苦しい時に手を握ってくれたり、濡れタオルをまめに額にあてがってくれたり。献身的で細やかな介護。
ロディに、粥を食べさせてもらいながら、こういう人が良い夫になるのですわね、などと思った。
元婚約者ジークフリートの顔が思い浮かんだ。不思議と、悲しみも腹立たしさも感じなかった。
それどころか、冷静にジークフリートのことを考えることができた。
今頃、宰相の手の平で踊らされているのでしょうね、などと思う。
本当に顔以外良いところの思い浮かばない男であった。
いや、その顔とても、それほどエレノアの好みだったわけではない。祖父に理想の男性像を見ているエレノアは、優し気な美男子よりキリっとした鋭いタイプの顔立ちが好きだ。
そう、今、自分の口に粥をせっせと運んでくれている青年のような……。
「俺の顔になにかついてますか?」
ロディが言った。
エレノアは口の中の粥をしっかり噛んで、飲み込んだ後、ロディに少し顔を近づけた。
「顔だけは好みですわよ」
いきなりのことに、ロディが珍しく戸惑った。わずかに顔が紅潮する。
「あら、照れてしまいましたの? お可愛いですわよ」
ほほほっと口に手を当てる。
普段、言いたい放題言われているので、その仕返しである。
「まったく、寝込んでいる間は、しおらしくて可愛かったのになあ」
「ふふっ、ロディさん、あなた良い夫になりましてよ」
そんなことを言われて、またロディは、赤面した。今日はエレノアにやられてばかりである。
◇
アルカディア歴1824年5月8日
シルヴィオ伯爵領アロアー
エレノアが領主のシルヴィオ伯爵と会見したのは、発熱して3日後のことである。
すでに熱はすっかり下がりきり、体調は万全。精神的にもだいぶ持ち直した。
くだんの騎士が領主からの招待状を携えて宿にやってきた。
エレノアは今度は公爵令嬢としてりんとした振る舞いで対応。快く招待を受けた。
普段着用の簡単なドレスに着替え、身だしなみを整え、そのまま騎士に連れられて城へ。
ロディはその間に、必要な品々を買い揃えておくことになった。
ただ、実際はというと、ロディは気配を消して後をつけた。
不用意に城へ入ったところを騙し打ちされる、ということも十分考えられる。エレノアの立場はそれだけ危ういのだ。
城では多くの兵士や騎士とすれ違った。その際、エレノアは彼らから妙な視線を向けられているような気がした。
ひょっとしたら、3度も嘔吐したことが広まっているのかもしれない。
あれが、追放され嘔吐した公爵令嬢か、などと思われているのかもしれない。
別に構いませんわ、とエレノアは開き直っている。
自分にできることを精一杯やったのだ。ロディも立派だったと何度も褒めてくれた。
……もちろん、この街からは早々に立ち去りたいが。
通されたのは応接室。
ソファに腰を下ろし、飾られた調度品などを眺めていると、すぐに腰に剣を携えた騎士2人をともない領主らしき中年の男が入ってきた。
彫りの深い顔に豊かな口髭。麻色の髪を後ろになでつけている。白いシャツにベストと、さっぱりとしたかっこうながらどこか品が良い。
エレノアは見た目からして好感をもった。
「この街一帯を預かるカイル・シルヴィオです」
シルヴィオ伯爵カイルは名乗った後、エレノアの働きに対して、丁寧に礼を言った。
「いえ、当然のことをいたしたまでですわ」とエレノア。
カイルはあまり口が達者な方ではないらしい。しばらくの沈黙。
その間に、侍女が茶と菓子を運んできた。
「あなたのことを『聖女』などと呼ぶ住民もいるようです」
カイルが思い出したように言った。
「『聖女』? そんな大それた。それにこの国にはすでに『聖女』の名を持つ方がおいでのはずですわ」
「確かに、『聖女』ならばすでにいますな。『勇者』の二つ名を持つ第1王子アルベルト様とともに冒険者をやっておいでです」
言うカイルの顔はなにか苦みがある。
「ただ、あれは、アルベルト様がスムーズに王位を継ぐための準備のようなものですから」
エレノアもそのあたりの事情は知っている。ルゼス王国は冒険者がもっとも多い国。武勇というものをミッド大陸3ヵ国の中でもは、もっとも尊ぶ国である。
王位を継ぐ前に冒険者として活躍していたとあれば、人心を得やすい。
「優秀な加護技を持っていた少女を祭り上げただけ、とも言える」
言った後、カイルは咳払いした。
「失言でした。お聞き流しください」
「ともかく、わたくしが行ったのは重傷者の治療です。治癒魔術を使える者ならば当たり前のことですわ」
そこで会話は一度途切れた。
茶と菓子を勧められ、エレノアはカップに口をつけた。香りを存分に味わいながら飲む。
「貴殿のセクプトでのご活躍を耳にしました」
カイルがわずかに身を乗り出した。
「ヴァミリアン伯爵領については、私も以前から憂慮していました。王へ何度か進言はいたしましたが、隣領のこと。中々、取り合ってもらえず、苦い思いをしていたところです」
エレノアはカイルの立場ならば難しいだろうと思った。同じ伯爵。さらに隣領。下手な進言をすれば、ヴァミリアン伯爵の足を引っ張ろうとしていると取られるだろう。
思い切った行動も取りづらかったはずだ。
「誇りあるルゼス貴族が奴隷商売など、許されることではない」
淡々とした口調ながら、その言葉にはカイルの怒りが込められていた。
この方は信用できる、エレノアはそんな風に思った。もちろん、今までの言葉に、『虚言看破』はまったく反応していない。
嘘ひとつついていないのだ。
「選りすぐりの騎士を何人かセクプトへ送り込み、機を見ていましたが、そうこうするうちに今度は、自領に火が付きました」
シルヴィオ伯爵カイルが疲れたため息をついた。
「ドラゴンです」
「レッドドラゴンは凶暴だそうですわね」
先日、ロディから得たばかりの知識である。
「そう、まさに。どうも貴族にはドラゴンは知恵があり穏やかである、というような認識が広まっているようですが。それは、数百年を生き、長老種と呼ばれる進化をとげたドラゴンの話です。若いドラゴンは、獣と大して変わりません。中でもレッドドラゴンは危険極まりない。すでに、領内の村が10は焼かれ、そのうち8は潰滅しました。そして、奴はついにこの街へやってきた」
「ご討伐はなさりませんの?」
「もちろん、討伐隊は何度も出しました。冒険者ギルドに討伐依頼もかけている。だが……」
興奮のせいか、カイルの口調が速く荒くなった。
「そう、成果はあがりません。レッドドラゴンは脅威にすら思っていないことでしょう。例の『勇者』パーティなどは無視を決め込んでいますよ。まあ、お飾りの冒険者など、そんなものでしょうが」
「王に兵をお出しいただいたらいかがですか?」
「出兵を請願はしています。ですが、どうも我が主は……」
言いかけて、コホン、と咳払いする。
それからエレノアをまっすぐに見つめた。
中年男の渋みに、エレノアは少しドキドキした。
「エレノア・ウィンデア殿。あなたが我が国で一、二を争う猛者、『紅騎士』を破ったと聞きました。そんなあなたに、ぜひ、お願いしたい。どうか、レッドドラゴンの討伐隊に加わってもらえないでしょうか?」
「承りましたわ」
エレノアの即答にカイルが目を見開いた。
「願っておいて何ですが、よろしいのですか?」
「身軽な立場ですもの。心のままに動きますわ。そして、あの惨状を目にして、怪我人たちの手当てをして、怒りを覚えないほどわたくしは鈍くはありませんわ」
黒く煤けた街の惨状。炭のようになった亡骸にすがり付き泣く者。焼けた体の痛みにうめき続ける者。燃えた店の前で絶望のあまり両膝をつく者。
アロアー街上空に突如現れたレッドドラゴンは、空から炎を吹きかけ、通りを焼いて去っていったという。
ロディからその話を聞いたエレノアは途方もない怒りを覚えた。
生きるためというのならば分かる。
狩るためならば分かる。
だが、あれはただの一方的な虐殺だ。
「まあ、ただの暇つぶしというところじゃないですか。ほら、子供が虫を玩具にするみたいなものですよ。あるいはただ目ざわりだったのかも」
ロディはそう言っていた。
「羞恥心のない強者というのは、どこまでも傲慢になるものですからね」
エレノアはシルヴィオ伯爵カイルに自信に満ちた笑みを浮かべて言った。
「人間だろうとドラゴンだろうと、それが悪であるのならば、わたくしは排除いたします。エレノア・ウィンデアの名にかけて」
◇
エレノアからドラゴン討伐隊に加わる旨を聞いたロディは、さっそく文句を言った。
「なんだって引き受けるんですか。おかげで、この街から出られなくなったじゃないですか。お嬢は街を早く出たいんだとばかり思っていたんですがね」
「あのような虐殺者を放っておけるものですか」
テーブルで向かい合って食事をするふたり。
昼食時、落ちついた雰囲気の料理屋である。客層は中の上といったところで、きちんとした服装の者が多い。
エレノアは領主と会見した際に着たドレスのままである。
向かい合うはロディは、いつものシャツにベスト。
「しかし、シルヴィオ伯爵は討伐隊をいつ出すんですか。それまで、この街で立往生ですよ。お嬢が大評判のこの街でね」
ロディの言葉で、エレノアの元気が無くなった。
「やはり、あれなのでしょうか。その、評判になってますのね」
「それはもう。『正義令嬢』なるご立派な二つ名までいただいてしまったようですよ。身を削り、負傷者の手当てを続けた美しき公爵令嬢。冤罪を着せられ、追放された悲劇のお方。セクプトで悪を一掃した正義の剣士」
「『正義令嬢』。ものすごい名を付けられてしまいましたわね。もう少し、聞こえの良い、エレガントな二つ名が良かったのですけれど……」
『正義令嬢』とは、あまりにもひねりが無さすぎるのではないだろうか。気恥ずかしくてたまらない。
「まあ、それはすぐに『竜殺し令嬢』に変えてご覧に入れますわ。それより……わたくしが、その、治療中に、あんな風になった件は?」
「ああ、あれは血を吐いたことになってますよ。その方が話しとして盛り上がりますからね」
「あら、アロアー街の方々は気が利いてらっしゃいますのね。さすがはシルヴィオ伯爵のお膝元ですわ」
いきなり元気になった。満面の笑みである。
「お嬢はシルヴィオ伯爵を買ってますね。そんなに良い男だったんですか?」
「やはり、口のお上手な軽薄な殿方よりも、少し口下手で不器用そうな殿方の方が魅力的ですわね。ロディさんが20年後にあの域に達するとは思えませんもの」
「お嬢はおじさん好きでしたか。どうりで俺の魅力にまいらないわけですね」
「ロディさんの魅力というものがわたくし、よく存じませんけれど。お顔だけは好みですわよ。顔だけですけれど」
「俺もお嬢の顔だけは好きですよ。性格はともかくとして」
「わたくしを照れさせようとしても、そうはまいりませんわよ」
「その言葉、そっくりお返ししますよ」
とはいいつつ、お互い、やはり少し内心は照れ臭くなっているのである。ロディもエレノアも、まるっきり初心なのであった。




