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ドラゴンとアロアー

 アルカディア歴1824年5月5日

 ルゼス王国シルヴィオ伯爵領アロアー近郊



 セクプト街を出たエレノアは南東方面に進んでいた。向かう先は王都ルーベリアである。最終的には、隣国クレイモスを目指しているのだが、それには王都ルーベリアを経由していくのが早い。

 また、エレノアの馬車は2頭仕立ての大型のもの。できるだけ広い道を進んでいきたかった。


 北の大都市セクプトからいくつかの街を経由して、王都へ向かう街道は商隊のルートとしては一般的。道もよく整備されている。

 クロウも気楽に馬車を進めることができた。


 よく晴れた青空の下、クロウは御者台に座り、ゆるやかに手綱を握っていた。

 つい先ほどまで、エレノアに軽口を叩いていた。少しばかり調子に乗ったせいで、エレノアが不機嫌になってしまった。今は車内で仏頂面で本を読んでいる。


 クロウは、ついついエレノアの反応が見たくてからかってしまう自分に、反省しつつも新鮮なものを感じていた。

 闇の神シャドーと契約して以来、ニーアのことばかり考えていた。彼女のためにだけ生きてきた。

 達観し、諦観し、必要なことだけをこなしてきた。


 だが、エレノアと旅をするようになり、自分自身でも知らなかった、新しい面を発見する。エレノアとのちょっとしたやりとりを楽しいと感じたり、エレノアの正義感に共感したり。


 このままずっと旅をしていたい。

 そんな風に思ってしまう時もある。


 もちろん、そんなわけにはいかない。旅にはちゃんと終着点があるものだし、クロウには人生の終着点がせまっていた。


 エレノアをクレイモス王国の王都に送り届けたら、あとはひとりで終わりの場所を探すことになるだろう。


 エレノアがその先どうなるかはわからない。できれば、幸せに生きて欲しいと思う。


 死。

 クロウは空を見上げ、自分がこの世界から消えてなくなることをあらためて実感した。


 空を何か黒いものが横切っていった。一見、鳥のようにも見えるが、ロディの目は、それが鳥の何十倍も巨大で、凶悪な存在であることを見抜いていた。


 最強の魔物ドラゴンだ。

 しかも、クロウの常人離れした視力は、ただのドラゴンではなく、灼熱の火炎を吐くレッドドラゴンだと視認していた。


 レッドドラゴンはドラゴンの中でもやっかいだ。ほかのドラゴンと違い、話が通じない。知性は高いが攻撃性も高いのだ。

 Aランクの冒険者パーティでも、一組では勝てないだろう。


 高度を下げないってことは巣穴に帰るところだろうな。


 恐らくは、どこかで大暴れした帰りなのだろう。もし行きに出会っていたら、問答無用で襲ってきたはずだ。連中はそれくらい気性が荒い。


 そういえば、このあたりに眠りから覚めたレッドドラゴンがいるって話があったな。

 そいつか。


 冒険者時代に聞いた噂話。どこかの冒険者がドラゴンの巣穴に入って起こしてしまったとかなんとか。休眠中、ドラゴンの魔力が結晶化するドラゴンジュエルを求めてのことだろうが、周辺住民にとっては災厄としか言いようがないだろう。


 噂話を聞いてから、もう半年以上は経っている。にも関わらず健在だということは、それだけ強力な個体だということだ。

 今頃、冒険者ギルドがAランク、Sランクパーティに声をかけて回っているところか。


「まあ、俺には関係ないか」

 ひとりつぶやく。


 コホン、と車内から声がした。エレノアが不機嫌さをアピールしているのだ。彼女にはそういう子供っぽいところがある。


「お嬢、ついさっき、ドラゴンが飛んでいきました。レッドドラゴンです」


「ドラゴン?」

 エレノアが本を閉じて、御者台の後ろの小窓に身を乗り出してきた。

「どこですか? もういってしまいましたの?」


 不機嫌さを吹き飛ばすほど、好奇心がうずいたらしい。


「速いですからね、連中。ドラゴンを見たことはないですか?」


「ありませんわ。この近辺にお住まいなのかしら?」


「お住まいなんでしょうね。まあ、近辺と言っていいかはわかりませんけどね。前に聞いた噂じゃあ、どっかの冒険者が休眠中のドラゴンの巣穴に潜って、起こしちまったとか。そいつかもしれませんね。アロアーの方から飛んできたし、酷いことになってなきゃあいいんですが」


 あら、とエレノアが少し小馬鹿にするような調子で言った。

「ご存じないの? ドラゴンは温厚な魔物ですのよ。よほどのことがなければ街を襲うような真似はいたしませんわ」


「ああ、それは長老種エルダーのことですね。ドラゴンといっても、いろんな種がいましてね。話して分かる奴もいれば、問答無用で暴れる奴もいるんですよ。今、飛んでったのはレッドドラゴン。はっきりいって凶暴な奴です。運よく見逃してもらえましたが、次に会った時は気づいた瞬間、殺されているかもしれませんよ」


「……それくらい存じておりますわ」

 ボソッとつぶやくように言うエレノアであった。



 クロウ……ロディの予感は当たっていた。

 アロアー街が遠くに見えたところで、彼は街の異変を察知した。

 立ち昇る黒煙。赤い炎もわずかに見える。


 ロディは背中の小窓を振り返った。エレノアは目を閉じて、壁にもたれている。眠っているようだ。


 迂回して進もうか。


 そんな考えが浮かぶ。

 アロアーに入れば、凄惨な光景を見ることになるだろう。エレノアがそれにショックを受けることは間違いない。

 そして彼女は言うだろう。


 わたくしがドラゴンを倒して差し上げます。


 よし、迂回しよう、ロディは決めた。ちょうど脇道が見えた。そちらに進路を変えて……。


「おっしゃりたいことがあるのでしたら、はっきりとおっしゃいなさい」

 エレノアが言った。


「おや、起きてたんですか。てっきり寝ているものだとばかり思ってましたよ」


「馬車の中で眠るなんて、そんなはしたない真似をするものですか」

 ツンツンした口調で言った。


「そうですかね。よく、後ろから可愛い寝息が聞こえてきますけどね」


 その言葉に赤面するエレノア。すぐに、馬蹄の音の中、自分の寝息が聞こえるわけがないと、気が付いた。

 だが、嘘ならば『虚言看破』の笛の音がするはず。


「ロディさんのお聞き間違いですわ」

 エレノアはそう結論付けた。


「まあ、そういうことにしときましょうか。でも、休めるときに休むのは大切ですよ。別にパーティに出席しようってわけじゃないんだし、眠くなったら眠ればいいんですよ。どこかで毛布とクッションも買っておきましょうか」


「不要なお気遣いです。第一、ロディさんがお働きになっているその後ろで、わたくしひとり眠っているわけにはまいりませんわ」


「それも違いますね。それぞれ役目があるんですから。俺は馬車を動かしたり、食事を用意したり、寝床を用意したり。お嬢は盗賊やら魔物やらが現れたら撃退する役目ですよ」


「なんだかわたくし、荒事にしか能のない粗暴な人間のように思えてきました」


「公爵令嬢が旅に役立つ人間なら、それはそれで問題があると思いますがね」


 ちょうど脇道に差し掛かったので、話しながらも、ロディは馬車を脇道へと向けた。

 

「なぜ、脇道へそれたのです? アロアーへ向かっているはずではなかったかしら」


「道をそれたのがよく分かりましたね」

 変なところで鋭いな、とロディは思った。それと分からないように、うまく進路を修正したのだ。

「どうも、アロアーはドラゴンの襲撃にあったようですよ。街の中は混乱しているでしょうし、避けた方が無難ですよ」


「ドラゴンに? それならば、なおさら行かなくてはなりませんわ。治癒魔術が使える者がひとりでも必要なはずですもの」


「お嬢が行ったところで、助けられる人間はたかが知れてますよ」


 ドンっとロディの座る後ろの壁が鳴った。エレノアが壁を蹴ったのだ。


「行儀が悪いですよ、お嬢」


「わたくし、あなたを見損ないましてよ、ロディさん。あなたは欠点だらけの方ですけれども、命を尊ぶそのご姿勢は素晴らしいと思っておりましたのに。わたくしは心底、失望いたしました」


 これにはロディ……クロウも参った。

 確かには命をむやみに摘み取ることを嫌っている。自分の命が限られているからか、命そのものを美しく尊く感じるのだ。

 それでも、クロウは、救うために自ら行動しようとはしない。例えば、彼には『闇治療』という魔術でいえば『中級治癒』相当のスキルがある。

 本来ならば生命力や肉体をつかさどる光属性の領域である。それを闇の神がから与えられたのだ。クロウがシャドーに70年もの寿命を差し出す必要があったのは、この『闇治療』のためだ。


 これを使えば多くの怪我人を治すことができるだろう。だが、同時に見たことも聞いたこともない治療の技に、不審を招くことだろう。それが分かっていたので、冒険者時代は『闇治療』を封印していた。

 闇の神シャドーは、邪神や魔王などと呼ばれ、恐れ、忌まわれる存在なのだ。


 だからこそ、ドラゴンに襲撃されたアロアーも迂回しようとした。優先順位の問題だ。今はエレノアを隣国へ送り届けるのがクロウにとっては最優先事項なのである。


「アロアーにはフレア教神殿があるし、そちらに任せればいいと思いますけどね」


「それこそ行ってみなくてはわからないことですわ。わたくしの手が必要でないのならば、それで良し。必要ならば魔力が続く限り治療を行います。それがわたくしにとって正しい行動ですもの」


「わかりました。引き返しますよ」

 クロウ……ロディは馬車をUターンさせた。


 すでに2頭の馬とは心を通じ合えている。ひょっとしたらエレノアよりも仲が良いかもしない。以心伝心とばかりに、馬たちは速やかにUターンして、Y字路へ戻り、アロアー方面へと進んでいった。


 アロアー街が近づくに連れて、その被害の甚大さがはっきりとわかった。

 風に乗って漂ってくる焼け焦げた臭い。煤で黒ずんだ外壁。街の外で座り込みうなだれる人々。


 門は開いており、門番による検閲もなかった。そもそも門番の姿もない。

 ロディは、ゆっくり馬車を街に乗り入れた。


「これはまた……」

 ロディはつぶやいた。


 アロアーは門をくぐると、広場もなく、すぐに目抜き通りになっている。馬車が2台すれ違える程度の大通り。それが一面、焦土と化していた。

 レッドドラゴンは、目抜き通り上空を一直線に飛行しながら炎を吐いたらしい、両側の家屋も石畳もすべて黒くなっていた。

 大半がレンガや石造りの家屋のために、形こそとどめているが、中からは今だ煙が吐き出され、炎がチロチロとのぞいている。

 黒焦げになった馬車。馬。そして人。

 およそ、火のつく物はすべて燃えたらしく、灰と炭が、こびりつき、あるいは転がっていた。


 生きている者も当然いる。

 建物の前で呆然と立ち尽くすもの。

 黒い人型の炭にすがりつき泣く者。


「ロディさん、馬車をお止めなさい」

 エレノアが言った。


 ロディはすぐに馬車を止めた。

 エレノアが馬車から降りて、生きた人の姿を求めるようにフラフラと歩いていく。


 いきなり、エレノアが走った。速い。まさに一陣の風のように、黒い通りを駆けていく。


 その先に、今まさに家屋から助け出された者がいた。肩を抱えられ、ボロボロになった衣服は体に張り付いている。全身火傷を負っている。


 助けた人物は、火傷を負った者の夫なのだろう。しきりに声をかけている。

 エレノアはそのかたわらに、膝をついた。


「わたくしは治癒魔術が使えます」


 男は祈るような目をエレノアに向けた。

 うまく、言葉が出てこないようだ。

 エレノアは気にせずに、治癒魔術の詠唱を始めた。


 横たわる女性にかざすエレノアの手の平の前に、魔法陣が現れる。それは白い光に変わり女性を包み込んだ。


 エレノアが女性の治療に集中している間に、ロディ……クロウは行動を起こしていた。

 姿を消したかと思えば、あちらの家屋から怪我人を連れ出し。また姿を消したかと思えば、別の通りに現れて、炎を消し。瓦礫をどかして救助し。

 そうかと思えば、怪我人を求めて、右往左往していた治癒魔術師ヒーラーを誘導する。

 あまりにもその動きは速く、神出鬼没だった。


 クロウの働きもあり、避難していた人々が、もっとも被害の多かった目抜き通りに戻ってきた。

 兵士が中心となり消火活動を行う。

 神殿関係者が中心となり治療を行う。


 エレノアも負けていなかった。

 ひとり、治したところで、あらたな怪我人が彼女の元へふたり運ばれ。ふたりを治し終えたら、5人が運ばれてくる。


 さすがに本職の治癒魔術師ヒーラーではないので、やがて魔力が切れた。

 エレノアは魔力切れの頭痛と虚脱感の中、収納魔法のかかった指輪から小瓶を出した。紫色の液体が入っている。

 魔力回復薬マジックポーションである。


 一気に飲み干し、その吐き気をもよおす苦みをこらえながらも、次の患者へと向き合う。

 もしものために、魔力回復薬マジックポーションはいくつも持っている。あまり飲み過ぎると体調を崩すのだが、そんなことを言っていられる状況ではない。


 冒険者や神殿関係者の治癒魔術師ヒーラーがいるが、とても手が足りないのだ。


『中級治癒』を立て続けに行い。魔力が切れたら、魔力回復薬マジックポーションを飲み、また治療に戻る。

 永延とそんな作業を続けた。


 エレノアの周りには自然に人が集まり、彼女のサポートをした。治療待ちの怪我人を整理し、優先順位をつけたり。エレノアが出した魔力回復薬マジックポーションの蓋を開けたり。ほかの治癒魔術師ヒーラーとの連絡を行ったり。


 やがて、エレノアの手持ちの魔力回復薬マジックポーションは無くなった。今度は、兵士たちが領主の指示で持ってきた魔力回復薬マジックポーションを飲んで、治療に当たる。

 いい加減に、エレノアの具合が悪くなり、顔色は魔力回復薬と似たような紫色。それでもエレノアは休まなかった。


 見かねた者が少し休憩をうながしても、エレノアは聞かなかった。


 ついに嘔吐した。両手を地について脂汗をしたたらせる。


 公爵令嬢として無様なことこの上ありませんわね。


 エレノアは心の中でそう自嘲した。

 それでも、これは悪を斬るのと同様に、やらなくてはならないことだ。

 エレノアの求める正しい道だ。


 エレノアは口を袖で拭うと、また治療を再開した。


 そんなエレノアをロディは見守っていた。救助作業の方はあらから片付いた。


 この街の領主の元には有能な騎士が多いらしく、兵士たちを統率して、後処理をしていった。

 むしろ手慣れているようにすら見えた。

 周辺の村や町でドラゴンの被害が続いているのかもしれない。


 やがてエレノアの治療も終わった。軽症者はまだ大量にいるが、そちらは後日神殿で治してもらうしかない。


 これで終わりです、と補助してくれていた中年女性に言われ、エレノアは大きく息を吐いた。

 結局、2回も嘔吐した。今も、眩暈めまいと胸の気持ち悪さと頭痛で、フラフラだ。しばらく立ち上がれそうにない。

 一刻も早くベッドの上に横になりたかった。


 そんなところへ、白い鎧を着た青年が人込みを割って現れた。立ち振る舞いからして、貴族だろう。


「貴殿の働きにより、多くの住民を助けることができました。当街を治めるシルヴィオ伯爵様は、ぜひとも貴殿の献身に報いたいとお考えです。城へおいでいただけますか?」


 エレノアは返事を返すのも大変だった。口を開けば、また吐瀉物が出てきてしまいそうだ。思案するようにそっと口元に手をやりながら、なんとか切り抜ける方法はないだろうかと考えていた。


「あっ、お嬢。こんなところで油を売ってたんですか」

 クロウ……ロディが現れた。

「いきなり凄い勢いで行ってしまうんだもの。探しましたよ」

 言って、今、気づいたとばかりに騎士を見る。

「ひょっとして、取り込み中でした?」


「君はこの方の従者かね」

 騎士が問う。


「従者っていうか、雇われの御者ですよ。とはいってもお嬢はひとりじゃなにもできないから、いろいろと世話を焼いていますけどね」


 ロディの言い草に、エレノアは彼を睨んだ。だが、まだ口を開けない。せめて、地面に尻餅をついたこの姿勢をどうにかしたいのだが、今は本当に僅かにでも動くことができない。


「領主のシルヴィオ伯爵は、君の主人を城へ招待したいとの仰せなのだが……」


「う~ん、ちょっと無理だと思いますよ。ほら、顔も青いし、これ、たぶん魔力切れを何度も起こして、回復薬ポーションを飲み過ぎたんですよ。そうですよね」

 最後はエレノアの補助をしていた中年女性に聞く。


 中年女性がせきを切ったように、エレノアの働きを話した。重傷者のために休みなく魔術を使い、薬を飲んで、魔術を使い。そして、何度も何度も吐いては、薬を飲み、魔術を使い。


「本当に、何度も何度も吐いたんですよ。それでも休まずに治療を続けたんです」

 目を潤ませて話す中年女性。

 うんうん、と周囲の者たちもうなずく。


 そんなに何度も吐いてませんわよ。

 とエレノアは抗議したかったが、興奮したせいか、また胃の奥からせり上がってくる感じがして、それを押しとどめるのに必死だった。


「まあ、そういうことなんで、今日は無理だと思いますよ。いや、それどころか、3日くらいは無理なんじゃないですかね」

 ロディが言った。


「なるほど、確かに。我が主には、招待を後日に伸ばすよう伝えよう」

 騎士はロディに言うと、エレノアの前に膝をついた。

「せめて名をお聞かせていただけませんか。高貴な方だとお見受けしますが」

 

 さすがに、ここで名乗らないのは非礼である。エレノアは口の手を剥がすと、青い顔に微笑を称え(引きつっている)、口を開いた。


「エレノア・ウィ……」


 惨事が起こった。


「エレノア・ウィンデア様です。ではこれで失礼しますね」

 ロディが素早くエレノアを衆人の目から隠し、着ていた上着をかけるとそのまま抱き上げた。


 街を駆けまわっている間に良さそうな宿の目星はつけてある。

 ロディはエレノアを両手に抱えたまま、さっさと歩き出した。

 ううう、とエレノアが両手で顔を隠して嗚咽おえつする。


「嘆く必要はありませんよ、お嬢。俺が今まで見てきたどんな人間よりも、あなたは気高かった」


 ロディは本心からそう思っていた。着飾り、振る舞い、そんなものは所詮は目くらましのようなもの。自分の価値を少しでも高く見せようとする行為だ。

 だがエレノアは行動で自分の真価を証明して見せた。


「『聖女』と呼ばれる人に会ったことがありますけどね。彼女よりもずっと、あなたは『聖女』らしかった」


 妹ニーア。彼女は今どうしているだろうか。『ホライズン』の凋落を知らないロディは、まあ、なんとかやっているんだろうが、と早々に思考を切り替えた。

 妹には出来る限りのことをした。

 残り少ない人生だが、あとは自分の人生を生きよう、そう思った。


 ロディが少しばかりセンチメンタルになっている頃、彼の腕に抱えられた少女は羞恥心で身もだえせんばかりの心地であった。

 ロディの言葉など耳に入らず、ただただ、自分の醜態を思い出しては、絶望感に浸るのだった。


 衆人環視の前で3度も嘔吐するなんて。

 しかも、最後は、名乗りながら……。


 追放されたとはいえ、公爵令嬢にあるまじき振る舞いである。いや、身分以前にひとりの少女として、まずい。

 もう、お嫁にいけない、という気分である。


「しかし、お嬢はどうも頑張りすぎてしまうところがありますね。なにも吐くまで魔力回復薬マジックポーションを飲まなくてもいいでしょうに。損をしますよ、そういう性分は」


 先ほどまでのロディの声は、耳を素通りしていたのに、今回はしっかり頭に入ってきた。

 カチンときた。

 わたくしが頑張っているときに、あなたはどこをフラフラしていたのです、と問いただしたい。


「それにしても、お嬢は思ったより重いですね。見た目は痩せて見えるのになあ」


 はあ?

 とエレノアは怒りが湧いた。

 わたくしの体調管理は完璧ですわ。太ることなどあるわけがありません。


「これはあれですかね。俺の作る飯がうますぎて、ついつい食べ過ぎてしまう、みたいなことですかね。お嬢は遠慮なくおかわりしますから」


 エレノアは顔をおおっていた手を引きはがし、ロディの胸をゲンコツで叩いた。


「痛い。お嬢、危ないじゃないですか。暴れると放り出してしてしまいますよ」


 バシバシバシとエレノアは、ロディの胸を叩き続けた。八つ当たりである。


「痛い、痛い。お嬢、安静にしてくださいよ。また吐いちまいますよ」


 痛い痛いと言いながらも、ロディは小動こゆるぎもしない。その上体は驚くほど安定しており、エレノアはまるでソファにでも、もたれかかっているように楽であった。

 おまけに、頭痛や眩暈が少し楽になった気がする。


「馬鹿、馬鹿、馬鹿」と子供のように罵りながらロディの腕で暴れるエレノア。そんな彼女を見ろす目は優しく、穏やかだった。


 八つ当たりしたせいか、宿についた時にはエレノアの気分も持ち直していた。

 自分はやるべきことをやったのだ。どこに恥じらう必要があるのか。

 ……ただ、今日はもう誰の顔も見たくはないが。

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