ブラッディメテオの最後
『ブラッディメテオ』の統領ゴッツは怒鳴り散らしていた。不甲斐ない部下に怒鳴り、姿を現さない『影』に怒鳴る。
アジトの地下の奥にある豪華絢爛で悪趣味な彼の執務室。玉座を思わせる椅子に、真っ赤なカーペット。首輪をつけた女たちが彼の周りに並んでいる。
つい先ほど部下が部屋に駆け込んできた。
『紅騎士』レミー・ベラルルの奴隷の縛めが解け、エレノア・ウィンデアともども、攻め込んできた、と。
「くそっ、『メタリックベアー』はどうした」
ゴッツはひじ掛けを、ダンっ、と叩いた。
「まだ戻っていません」
「すぐリクサスにつけてる『サンシャイン』を呼び戻せ。すぐだ」
こんな時に『影』の野郎、どこに行きやがった、とゴッツは心の中で叫んだ。
『影』の基本任務はゴッツの護衛。密偵のような真似はさせていない。
それだというのに先ほどから呼びかけに答えない。いつもは姿は見えなくとも呼べば現れるというのに。
「『影』、緊急事態だ。答えろ、『影』」
ゴッツはもう一度、頼りの護衛を呼んだ。
だが黒装束の男は現れなかった。
ドアが吹き飛んだ。
女が現れた。真っ赤な髪の女。ビキニアーマーを着た肌もあらわな美女だ。
ドアを守っていた2人の巨漢が炎に包まれ、瞬く間に黒焦げになった。
「て、てめえ、レミー、なにしてやがる」
ゴッツはレミーに怒鳴った。
彼女が奴隷から解放されたことは首を見れば一目瞭然。虚勢である。
「これはこれは、ご主人様。よくぞご無事でいらっしゃいました。御身になにかあっては、悲嘆にくれていたことでしょう」
レミーはにこやかに笑いながら近づいた。
もちろん周囲にまき散らす殺気は抑えきれない。
「『影』、おい、『影』。俺が死んだらどうすんだよ。早く出てきて、こいつを始末しろ」
ゴッツは喚いた。
その間に部屋にいたほかの男たちが死んでいく。
レミーのあとに続いたエレノアが、『風の刃』で、『飛刃』で、容赦なく殺していった。
「長かったぞ。実に長かった。この2年間、一日一日が地獄だった」
レミーの足跡が焦げている。
「なあ、待てよ。あんなに、愛し合ったじゃねえか。お前も楽しんでたんだろ」
レミーの形相にブルブルと震えながらゴッツが言った。
とたんに玉座ごと吹き飛んだ。ゴロゴロとぶつかり背後の壁で止まる。
「てめえ、俺を殺したら、奴隷どもも全員死ぬんだぞ。分かってんのか」
「安心しろ、峰打ちだ。誰が、そう簡単に殺してやるものか。お前には、死んだ方がマシだという目にあってもらうさ」
「お、おい、奴隷ども、死んでもレミーを止めろ」
ゴッツの言葉に裸の女たちが動き出す。
レミーは目を細めた。今度は何ひとつ躊躇する気はない。奴隷の女たちを一瞬で地獄から解放してやろう。そう思った。
だが、彼女たちを焼く炎を呼びだそうとした、その時。ふっとレミーの前に立つ黒い影があった。
「『影』。やっと来やがったか。早く、そいつらを始末しろ。お前なら簡単だろ」
ゴッツは黒い姿に誤解した。ゴッツだけではない、レミーですら『影』だと思い、身構える。
ただひとり、その男のことを知っているのはエレノアだけ。そんな場合でもないのに、『闇を纏う者』が現れた時、心臓が跳ね上がり、興奮で顔が赤らむ。
「そ、その方は、味方ですわ」
エレノアはかすれた声で言った。
「レミー様、その方は、大丈夫ですわよ」
『闇を纏う者』クロウはすっと両手を広げた。その手から黒い闇が伸びあがり、触手のようにうねりながら、女たちの首にまとわりついた。
彼女たちを縛めていた首輪がどろりと溶けて、床に落ちて消えた。
「すでに他の者も解放してある」
クロウはレミーとエレノアに背中を向けたまま言うと、軽く手首を翻した。金属片が宙を走り、ゴッツが上体を預けている壁に突き刺さった。石の壁にである。
「『影』と呼ばれる男は、すでに倒してある」
ゴッツは、ぎこちない動きで頭のすぐ横に突き刺さった金属を見た。反りのある片刃の剣。『影』の武器だ。
クロウは振り返った。レミーの前にそっと手の平を出す。手の平に黒い鍵が現れた。
「『隷属の首輪』の鍵だ。同種の魔法道具であれば、どれでも開錠できるだろう。当てるだけで首輪の魔法は消える」
もちろん『隷属の首輪』に鍵などない。鍵穴もない。これはクロウが造り出したものだ。
首輪を溶かした『闇消化』は、あらゆるものを完全に消滅させることができる。そして、消滅させた物の情報を完全に把握することができる。
クロウはその情報を元に、『隷属の首輪』の魔法を探り、それを無効化する鍵を造り出した。
レミーは目の前の男を信じても良いものかどうか迷った。
そこにエレノアの声が飛ぶ。
「クロウ」
クロウはフルフェイスの兜の奥で笑い、その場を後にした。転移したのだ。
彼の持っていた黒い鍵だけが残り、床に落ちた。
「エレノア殿、あの者を知っているのか?」
「はい。あの方は、わたくしの……」
そこまで言って言葉に詰まる。
自分のなんなのか。窮地に現れて、何度も何度も助けてくれた。宿では、境遇に悲嘆する自分を慰めてくれた。
ゴブリンの洞窟で別れて以来、何度も彼のことを考えた。彼の言葉の数々。その強さ。優しさ。
彼のことを考えると鼓動が速くなる。体が、かあっ、と熱くなる。
今も、体が熱くて。彼に会えたのが嬉しくて。彼がすぐにいなくなったのが切なくて。
たまらない。
「あの方は、わたくしの救い主。希望ですわ」
エレノアは微笑んで言った。
その美しさにレミーですら見惚れた。
ひっ、とゴッツが短い悲鳴をあげる。
鍵を拾ったレミーが顔を上げる。
「さて、続きだよ、ご主人様。楽しい時間の始まりだぞ」
「た、たすけ、助け……」
ゴッツは命乞いを最後まで続けられなかった。
高速で接近したレミーが顔を蹴飛ばしたからだ。レミーにとっては軽い一撃。
だがゴッツの頬骨と歯がいくつか折れた。
「ははは、安心すると良い、ご主人様。あなたに忠実なるわたくしめは、『中級治癒』が使えます。傷を負っても、いくらでも治して差し上げますよ」
笑いながらゴッツの足に足を乗せる。
ボキリと鈍い音が響いた。
ゴッツの絶叫とレミーの笑い声が交じり合った。
◇
殴りは治し、治しては蹴りといようなことで、ゴッツを徹底的に嬲り続け、多少は憂さも晴れたレミーは、これからのことをエレノアと相談した。
「次はリクサスだ。奴も捕らえ、こいつと一緒に、ヴァミリアン伯爵の御前に並べ、アーキスを失脚させる」
レミーは両手両足を縛り、さるぐつわを噛ませたゴッツの上に足を乗せながら言った。
「では、すぐに。敵に猶予を与えてはなりませんわ。ただ、この方々はどうしたものでしょうか」
エレノアは首輪が外れ、へたり込んでいる女たちを見た。『闇を纏う者』クロウはほかの奴隷たちも解放したと言っていたが。
「外へ出してやろう。その前に着るものだな。少し待っていてくれ」
言ってレミーが部屋を出ていこうとする。
そこに男が入ってきた。
黒髪の若者である。レミーが問答無用で斬りつける。
クロウ……ロディは悲鳴をあげて、跳び離れた。
「レミー様。それはわたくしの雇い人ですわ。御者のロディです」
エレノアが慌てて言った。
「お斬りなさらないで」
「そ、そうなのか。すまない。怪我はないか?」
レミーが言って、ロディと、その後ろで部屋の様子を見ている青年を交互に見る。
「しかし、御者?」
レミーは御者の青年が自分の剣に反応できたことが不可解だった。かわせたのは偶然だったとしても、反応できただけでも並みの腕ではない。
「お嬢、こちらの過激なかっこうの美人は、ひょっとして……」
ロディがレミーを見て言った。
「『紅騎士』レミー・ベラルル様ですわ」とエレノア。
「そんな嫌らしい目で見ては、失礼ですわよ」
「いや、嫌らしいって。そりゃあ、お嬢より胸元に実りがあるなあ、なんて思いはしましたけどね」
「お黙りなさい。わたくしは着やせするのです」
エレノアがかなり危険な目つきで睨む。
「まあ、それはそれとして。よく、『紅騎士』殿を解放できましたね。これで百人力ってもんです」
そして、ロディは、後ろの青年ロジャーを振り返った。
「ロジャーさん、あの中に、あなたの奥さんは?」
元奴隷の裸の女たちを指さす。
ロジャーは首を横に振った。
「リディアじゃありません」
「じゃあ、別のところを探してみましょうか。あっ、お嬢、ここは俺が引き受けてもいいですよ。まだ、悪徳商人やら、領主代行やら成敗しないとなんでしょう? 肌も露わな女性たちに身支度をさせたり、他の人たちの世話をするくらいはしますよ」
エレノアは振り返り、呆けている女たちを見た。隷属状態から解放された実感が湧いていないのかもしれない。あるいは奴隷状態に慣れ過ぎて、自らの意志で動くことができないのかもしれない。
「彼女たちに不埒な真似をしたら承知いたしませんわよ」
「なにもしやしませんよ。ひどいな。それほど下劣な人間じゃないつもりですよ」
エレノアはうなずいた。
本気でロディがそんな真似をすると思ったわけではない。ただ、なんとなく不愉快な気分になって言っただけである。
「では、ここはお任せいたしますわ。レミー様、悪徳商人を確保しにまいりましょう」
相手が手を打ってくる前に一気に畳みかけたいところなのである。
ロディが来てくれたのは本当にありがたかった。
「じゃあ、俺たちは、ほかを探してます。お嬢、気を付けてくださいよ。調子に乗って油断しそうなところがありますからね、お嬢には」
「本当に口の減らない人。ロディさんに言われるまでもなく、わたくしは油断などしておりませんわ。繰り返しますが、わたくしの名に傷をつけるような真似をなさったら、ただではおきませんわよ」
「はいはい、分かってますよ」
言ってロディはロジャーとともに部屋を出ていった。
「面白い男だな、貴殿の御者は」
レミーが言った。だが目は笑っていない。ロディに、なにか常人とは違うものを感じ取ったのだ。
「言葉は軽薄で、荒事は苦手ですが……。人柄は悪くありませんわ」
言った後に、妙に照れ臭くなった。
「まあ、殿方としては、まだまだ研鑽と洗練が足りませんわね」
◇
リディアは地下の大部屋に他の奴隷たちとともに入れられていた。
ガランとした何もない部屋。連れ去られ、首輪をはめられた女子供はここで出荷まで閉じ込められる。
毛布ひとつを渡され、トイレは部屋の端の壺に。食事は朝と夕に『ブラッディメテオ』の下っ端がワゴンに乗せて運んできた。
女たちの中には、時々、男たちに味見に連れ出される者もいた。彼女たちはしばらくすると戻ってきて、毛布にくるまり、さめざめと泣き続けていた。
リディアはそんな目には合わなかった。身重であることが幸いしたのだ。だが、だからといって未来が明るいわけではない。
せめて、この子だけは……。
リディアは腹の中の子だけは逃がしたいと思った。産まれてすぐ奴隷にされるなんてあんまりだ。
ああ、ロジャー。無事でいて。お願いだから無茶をしないで。
リディアはロジャーが自分を助けるために奔走しているだろうことを疑わなかった。きっと、あらゆる手を尽くしていることだろう。
ただただ彼の身が心配だった。
数日前に、売り先が決まったのか、一度、大型馬車に乗せられたことがあった。行き先よりも、馬車の揺れが子供に悪影響を与えないか、それが心配だった。
長いこと馬車に揺られていたかと思うと、馬車が止まり、外で喧騒が起こった。
一緒の馬車に揺られていた美しい女性が立ち上がり、それからしばらくして馬車は動き出した。
結局、なにがどうなったのかリディアは分からなかったが、翌日も長いこと揺られて、ついた先は、もとの『ブラッディメテオ』のアジトの酒場だった。
その後、特に何事も起こらず、相変わらず大部屋で悲嘆にくれる時間が続いた。
この日は朝食が中々運ばれてこなかった。
ただでさえ量が少ない。子供たちはぐうぐうと腹を鳴らし、女たちは子供たちに声を出さないようにたしなめる。
騒ぐと男たちが入ってきて、ろくなことにならない。
リディアは部屋の隅で静かに朝食を待っていた。この部屋に入れられてからできるだけ声を出さないようにしてきた。余計な力を使わず、すべての糧を子供に回してやりたかった。
腹に手を当てながら薄暗い部屋の床をただ眺め続ける。
カチャリとドアの錠が外れる音がした。
鉄製のドアが開く。
子供たちが顔を上げて遅くなった朝食を待つ。
だが入ってきたのはワゴンを押すいつもの男ではなかった。
黒い男だった。
まるで服のように闇がまとわりついている。人間なのかすら怪しかった。
事実、何人かは男を魔物だと思ったようだ。悲鳴があがった。
『闇を纏う者』は大部屋へ入ってくると、ゆっくりと見回した。
その兜の奥の目とリディアの目が合った。
大丈夫。そう思った。
この人は大丈夫。とても優しい人だ。
子供たちの何人かもリディアと同じ感想を抱いたようで、男に恐怖よりも好奇の目を向けている。
「怖がらなくていい。助けにきた。『ブラッディメテオ』はもう間もなく終わる」
『闇を纏う者』は言うと手をかざした。近くで彼を見ていた女の子の首になにか黒いものがまとわりつく。
それはすぐに消えた。首輪とともに。
子供が不思議そうに首に手をやり、それから顔を輝かせる。
「ない。首輪がないよ」
その言葉は部屋にいるすべての者に希望を与えた。それに応えるように『闇を纏う者』は、次々と首輪を溶かしていった。
解放された者は泣き、ひれ伏して礼を言った。誰もが喜びに泣いていた。
やがてリディアの番が来た。
『闇を纏う者』は同じようにリディアに向かって手をかざした。すっと心にはまっていた鋳型のようなものが消えたのが分かった。
頭がすっきりとして、まるで暗いところから青空の下へ出た時のような晴れ晴れとした気持ちになった。
「安心するといい。腹の子は元気だ」
『闇を纏う者』は言った。
優しく笑った気がした。
「もう、しばらくすれば助けが来る。それまでここで待っているといい」
『闇を纏う者』は全員に向かって言うと姿を消した。
比喩ではなく、本当に、すっと消えてしまったのだ。まるで地面に穴が開いて、その中に沈み込んだように。
多くの者が、あらためて自分の首に触れ、泣きながら神に祈った。
リディアは腹に手を当てて微笑んだ。
きっと大丈夫。
それから1時間ほど経った頃だろうか。
部屋の中の者たちの興奮はだいぶ収まり、代わりに、今か今かとドアが開くのを待っていた。
リディアもである。
早く外へ出たかった。ロジャーに会いたかった。
ああ、ロジャー。本当に無事でいて。
ドアが開いた。
飛び込んできたのはリディアが待ち望んでいた人。ロジャーだ。
驚きと喜びのあまり、口元に手を当てる。
ロジャーはすぐに部屋の隅にいるリディアに気が付き、彼女の名を呼びながら駆け寄ってきた。
「リディア、大丈夫? 大丈夫だったかい?」
「ええ、大丈夫よ。ロジャー、あなたこそ。とてもやつれているわ」
リディアは涙で濡れたロジャーの頬を撫でた。目には濃いくまがあり、頬は削げている。
「良かった。本当に」
ロジャーは嗚咽しながらリディアを抱きしめた。
リディアも声をあげて泣いた。
夫婦の再会を横目にロジャーとともに部屋に入ってきたロディは、部屋の中の人々に落ち着いた口調で説明した。
エレノア・ウィンデアという人が奴隷にされていた『紅騎士』を打ち破り、奴隷から解放したこと。
エレノア・ウィンデアと『紅騎士』は、つい先ほどこのアジトに乗り込んだこと。すでに制圧は完了し、統領は捕縛。ほかの男たちは全滅したこと。
自分はそのエレノア・ウィンデアの御者で、あなた方を無事に救出することを仰せつかったこと。
「ただ、外に出ていた団員たちが戻ってくるかもしれませんから、あまりこの場に留まるのはよろしくない。冒険者ギルドに避難しましょうか」
最後にはそう提案した。




