クロウと影
エレノアとレミーの戦いを空から見ていた物がいる。上空を旋回するように跳んでいたカラスだ。
カラスはふたりの上空から別の場所へと移動する。跳びながら高度を下げて、やがて大通りの大きな酒場の屋根に下り立った。
カラスのそばに、黒い人影が現れる。
全身黒装束。顔すらも黒い覆面で覆っている。
『影』と呼ばれる男だ。
『ブラッディメテオ』と奴隷取引をしている北のノーシアン大陸から送られてきた護衛兼、監視役。
カラスが『影』の肩に乗る。カアっと鳴き声をあげる。その短い声を通じて、『影』につい先ほど見てきた映像を送り込んだのだ。
「ふむ。レミー殿がな。まさかエレノア・ウィンデアなる女子が我が一族の『霊砕』と似た技を使うとは。世界は広いものよ」
カラスに向かって話す。
「レミー殿ともども消すとするか。放っておくにはいささか難儀な者たちゆえな」
『影』の姿が消えた。
カラスがまた空へと飛び立った。
『影』の送られてきたノーシアン大陸は、こちらの大陸とは比べ物にならないほど多くの国が林立している。それらが絶え間ない戦に明け暮れているため、『影』のような探査師件、暗殺者集団も多数存在する。
『影』はいってみれば出稼ぎであった。
『ブラッディメテオ』を足掛かりに、こちらの大陸にも勢力を広げたいという、ある王国からの指示だ。
単身で送り込まれただけあってその能力は高く、一族の中でも五指に入る実力者だと言われている。
エレノアもレミーも高い戦闘能力を有しているが、『影』はその両者を同時に相手取っても勝てる自信があった。
もし冒険者ギルドの幹部がその力を見ればSランク相応だろうと評価するだろう。
『影』はふたりと戦闘するつもりはなかった。
『影』は戦闘能力が高いが、その本質は探査師。気配を消し、相手を探り、一瞬の隙をついて、殺す。
人々の視線を集めながらエレノアとレミーが歩いている。
その背後に『影』は静かに忍び寄る。誰も彼の存在には気づかない。
すっかり意気投合するエレノアとレミー。
談笑する彼女たち。実に楽しそうだ。
エレノアの目には、レミーに対する憧れの色があり、またレミーからはあふれるほどの感謝の気持ちが感じられた。
「ところで、レミー様。そろそろ、お着替えになりませんこと?」
「うん? なぜだ」
「ここで、なぜとおっしゃいますの?」
「特におかしなかっこうではないと思うが」
レミーが自分の体を見る。
身に着けているのは黄金のビキニアーマーのみ。
「……首輪の影響ですわよね……」
ボソリとエレノアはつぶやいた。
そんなエレノアの首筋に黒い模様が現れる。しかし、すぐにそれは消えた。
移動するエレノア。その背中から黒い影が離れた。『影』だ。
右手を宙に伸ばしたまま動かない。いや、動けない。
『影』の足元に黒い水たまりのようなものが広がった。
そこに『影』は沈んでいった。
◇
『影』は周囲の様子を見て目を見開いた。
うっそうと茂る木々。空には満月が明るく輝いている。
だが『影』が驚いたのは、そこが自分の良く知る懐かしい場所だったからだ。
彼の一族の住む森。彼らはそこで暮らし、鍛錬を積み、一人前の隠密として出稼ぎに出ていく。
『影』が故郷を離れてからもう20年以上の歳月が流れている。もう二度と戻ることがないだろうと思っていた場所。
なぜ、そこに。
「ただ、ここなら存分に戦えるだろうと思ったからだ」
声がした。
何重にも重なったような不思議な声音。
ふいに目の前に人影が現れた。
黒い。『影』のように黒装束を纏っているというわけではない。
その者が纏っているのは、闇そのものだ。炎のように揺蕩う闇で、全身を覆っている。
「ここはお主の生み出した場所かね。儂の心を読んだか?」
「せっかく遠くからの客人だ。全力を見たいと思ってね」
『闇を纏う者』クロウは言った。
「僅かだが鬼王の気配を感じていたが。お主が『ホライズン』の『闇を纏う者』か」
『影』が、この大陸でただひとり、気になっていた人物。それが『ホライズン』の探査師『闇を纏う者』だ。
「鬼王? 北大陸では闇の神をそう呼ぶのか?」
「うむ。それにはいくつもの呼び名があるからの。魔王、邪神、悪魔。鬼王もその一つよ。こちらの大陸に鬼王と契約した者がいるとは思わなかったが」
「そういう、あんたもだろう? 『影』と呼ばれてるんだって?」
「『影』とはいわば我ら一族の総称よ。いや、職業名かな。まあ、『冒険者』のようなものだね」
「思ったよりも饒舌だな。もっと北大陸の話を聞きたいものだが、残念、時間がない」
「ふむ、確かに。そろそろいかねば、『ブラッディメテオ』が消えてなくなりそうだ」
言った次の瞬間、『影』の姿が消えた。
クロウの首筋を狙う刃が、宙から、ぬっと現れた。月明りにキラリと光る刃が迫る。
クロウはそれを寸前でかわした。気配を一切感じさせない静かな斬撃。クロウが避けたとたんに、それはまた闇に溶けた。
直後にクロウは大きく跳んだ。彼がつい一瞬前まで立っていた地面に、大きな穴が穿たれた。
さらに宙に逃れたところを幾本もの小さな刃が飛んできた。クロウは宙を蹴って、それを逃れる。
木の幹に突き刺さった刃はダガーに近いか。柄をなくして完全な棒状にしたものだ。
「凄いな」
クロウは連続で繰り出された技に感動した。同じ闇の神の契約者。恐らく、彼もまた自身の命を代償にしているのだろう。
だがクロウとはまるで違った力の使い方をしている。
「我ら一族が長年かけて練り上げた技ゆえな。儂ひとりの力ではない」
『影』が枝の一つに立って言った。
「さて、これはどうかな」
『影』が増えた。それも一つではない。
別の枝に立っているかと思えば、地面から見上げている者もいる。不自然に宙に立っている者もいる。
全部で8体。
幻影?
いや、違う。
8体の敵が同時に動いた。8方向から攻撃がくる。斬撃、投擲、爆発や風の刃、炎、実に多様だ。
クロウは枝から枝へと飛び移り、それらを避ける。
正面から跳んできた相手を蹴飛ばし、脇からつかみかかってきた者を切り払う。
どの相手も隙が無く強い。技をかわしきれず、クロウの体にはいくつもの攻撃が当たった。
「その衣、見事なものだね。それほどの力、5年や10年ではなかろう。お主、何年を差し出した」
次々と休みなく攻撃を仕掛ける『影』のどれかが言った。
同じ闇の神シャドーの契約者でなくては分からない問いかけ。代償の寿命のことを言っているのだ。
クロウは答えなかった。余裕がないわけではない。
『影』の攻撃は『闇武装』の鎧を貫くことはできていない。普通ならば、致命傷となる斬撃をいくつも喰らっているが、それらはまるで効いていないのだ。
クロウは『影』の驚嘆するべき技の数々を、その本質を見定めたかった。
なるほど、こんなやり方があるのか、と感心させられる。
例えば、この8人に人数を増やした技。
驚くべきは8人全員が『影』本人であることだ。目くらましの類ではない。
それぞれが連携し意志を持って攻撃をしかけてくる。
自分の肉体を八つに分けている。そう、いくつもの方向から光を当てて、影を増やしているように。
クロウは地面に降り立った。
彼の周囲を8人の『影』が囲う。
「答えぬか。まあ、よかろう。そろそろ、その衣を纏うのも苦しくなっているのではないか? この場を作り、それほどの衣を纏う。実に驚嘆すべき技だが、無駄が多いのう。20年ほど差し出したか? ちなみにな、我が一族は30年差し出すことになっておる。力の総量だけでも、お主よりもずいぶんと多いぞ」
「悪いが、外れだよ」
言った直後、クロウの姿が増えた。
ぐるりと周囲を囲んでいる『影』たちに、相対するように、円状になって陣を組む。
それだけではない。『影』たちの外側にもさらに多くのクロウの姿があった。内と外の二重の円。
「小賢しいね」
『影』が言って笑った。
『影』の技、『分身』を幻影で再現していると思ったのだ。だからこその余裕。
「そんな子供だましが通じるものかよ」
「賢くはないんだよ。仕方がないだろう。ところで、あんたそろそろ寿命じゃないのか? あと何年生きられる?」
「うむ、実はもう半年ほどで寿命となる。最後にお主のような強者と立ち会えて、楽しかったぞ」
「へえ、じゃあ、後任は?」
「もう来ておるよ。もっとも『ブラッディメテオ』にはこれ以上構わぬがな。あれは儂が隠れ蓑に使っておっただけだからの」
「最後に、あんたの名前を聞かせてくれないか」
「そんなもの捨てた、と言いたいところだが、良かろう。ジンだ。『八つ身のジン』」
「分かったよ。『八つ身のジン』。もし、あんたの後任に会うことがあったら、伝えておくよ。立派な最後だったっとな」
「異なことを言う」
『影』が一斉に動いた。外側の囲みを無視して中央に殺到する。中央の8人ではない。その中心にいるだろう、クロウ本体にだ。
幻影ならばいかに動きを見せようとも攻撃に実体はない。
だが8体のクロウはそれぞれに動き、『影』を攻撃した。
闇が伸びるような斬撃。黒い爪のような攻撃。体をえぐる黒い球体。
なんとかクロウの攻撃をしのぐ『影』もいたが、背後からの攻撃に倒れる。外側で囲んでいたクロウたちも動いたのだ。
最後の『影』がその場に倒れる。
胸を手刀で貫いたクロウを見上げる。
「すべて、実体……か。儂の技を越えて……」
「俺は70年を差し出したんだ。あんたの技ほど洗練はされてないが、闇の神から得られる加護はずっと多いってことだ」
死にゆく北大陸の戦士を見下ろし、クロウは言った。




