エレノア、戦う
アルカディア歴1824年4月25日
ルゼス王国ヴァミリアン伯爵領セクプト
話は跳んでエレノアとクロウがセクプト街に到着した日のこと。
追放された公爵令嬢エレノア・ウィンデアがセクプトへ向かっているという話は、伯爵家御用商人リクサスを通して統領ゴッツにも伝えられていた。
「公爵令嬢か。おもしれえ。新しいペットが増えるぜ」
などと喜ぶ統領ゴッツ。
「いや、そう単純にもいくまい。政治的な問題にもなりえるし、下手に関わらないほうがよかろう」
ちょび髭に剥げ頭のリクサスが汗をフキフキ言った。統領ゴッツなどと比べられないほど横幅が広い。
「余計な注目を集めるのは下策だよ」
「なんだよ、つまらねえな」
だが統領ゴッツも商人リクサスの意見を入れて、公爵令嬢エレノアには手を出さないことに決めた。
下手に関わり、上から領主代行アーキスに圧力がかかるのはまずい。今の美味しい状況を変えたくはなかった。
そのため部下がエレノア・ウィンデアに叩きのめされて帰った時には怒り狂った。
自分が部下への伝達を怠ったことが原因なのだが、驕りに驕った統領ゴッツには、反省などという言葉はない。
部下たちに罰をくれ、ついでに八つ当たりとばかりにレミーに罰を与えて、ようやく溜飲を下げて眠りについた。
なので翌日、部下たちが大慌てで、『処刑人』グロッソ・グルートが、エレノア・ウィンデアに斬られたと聞いたときには怒りが爆発した。
「せっかく人が見逃してやろうっていうのにクソッタレが。レミー、公爵令嬢をとっつまえて来い。すぐにだ」
怒鳴った。
◇
時間を少し戻し、4月26日朝。
宿を出たエレノアは腹立ちまぎれに御者の青年を罵った。
「あの臆病者。小心者」
ロディから『ブラッディメテオ』の詳細なる情報を聞き、わたくしが必ず潰して差し上げますわ、と意気込んだところ。ロディはしゃあしゃあと言ってのけたのである。
「まあ、お嬢がやりたいんならお好きなように。あっ、これまでの給金を払ってから行ってくださいね。ちゃんと色付けといてくださいよ」
エレノアとてかなり分の悪い戦いになることは心得ている。なにせ、あの『紅騎士』と戦わなくてはならないかもしれないのだ。
だが、こんな現状を放置しておけるわけがない。
罪もない女子供を奴隷として売りさばくなど。
『ブラッディメテオ』を潰し、御用商人リクサスを締め上げ、領主代行アーキスの罪を問う。
エレノア・ウィンデアとしてなんとしてもそれをしなくてはならない。
大変だから、危険だから、とこの街を素通りしては、正しさをよりどころにすることが困難になる。前に進んでいくことができなくなる。
彼がくれた言葉が蘇る。
「正しいものが好きだと言えるあんたは、とても綺麗だよ」
あの言葉がエレノアを前に進ませてくれている。くじけそうだった自分を立ち上がらせ前進させてくれている。
あの人にクロウに恥じない自分でいるために、なんとしてもこの街の悪を倒していかなくてはならない。
「それならば、全部、ロディさんにお預けいたしますわ。わたくしが戻ってきたらお返してください。戻ってこなかったら、差し上げますわ」
言って財産の入った収納袋を全て押し付けて、出てきたというわけである。
まったくクロウさんの爪の垢でも飲ませてやりたですわ。
そんなことを思いながら歩いていると道の先から必死で走ってくる男が見えた。
若い男だ。かなり姿はよく身なりもきちんとしている。ただ汚れている。
すぐに追われているのだと分かった。
追っ手は3人。どの男も派手派手しいかっこうをしているので、『ブラッディメテオ』だと見て取れる。
本当にどうしようもない者たちですわね。
走ってくる若者とエレノアの目が合った。
若者が一瞬、エレノアの姿に気をとられたらしく、足をもつれさせた。派手に転ぶ。
そこに男たちが殺到した。
男を無理やり立たせて、殴る、蹴る。
「おやめなさい」
エレノアは駆け寄ると言った。
「その方をお放しなさい」
男たちが振り返る。そして目を見開いた。ようやくエレノアの存在に気が付いたのだ。
彼らが追っていた若者はロジャーである。
先日、冒険者を雇ったのがロジャーであることは割れている。ゴッツの命令により、ここ数日、下っ端団員たちは必死で探していたところだ。
「おい、こいつ、例の……」
「手、出すなって話だぜ」
男たちが困惑してロジャーとエレノアを交互に見る。
統領ゴッツからエレノア・ウィンデアに手を出すなと厳命されているのだ。
「わたくしの言葉が聞こえませんでしたか? それともその頭はお飾りですの? ならば、わたくしが斬り落として差し上げましてよ」
腰の剣に手をかけて目を細める。
それなりの強者ならばエレノアの殺気に怯んだことだろう。だが男たちには通用しなかった。上流階級の女が粋がってる、というようにしか映らなかった。
顔を見合わせる。
「どうする?」
「とりあえず、上に相談しようぜ。『処刑人』さんが、……ほら、近くにいるし。あの人に話を持ってたらどうだ」
「そうだな。そうするか」
エレノアは男たちののんきな態度に苛立った。それも自分に威厳が足りないせいだ、と思った。
コホンと咳払いして、もうひと言ばかり言ってやろうか、と口を開きかける。
だが男たちはさっさと背を向けて行ってしまった。
コホン、コホンとまた咳払いして言葉を飲み込む。
次回の課題ですわね。
若者ロジャーは地に崩れたまま激しく咳き込んでいる。エレノアを見上げる。
「あ、ありがとうございました」
「礼を言われるほどのことはしおりませんわ。差支えなければご事情をうかがえませんこと? 『ブラッディメテオ』なるならず者たちにお捕まりになりかけていたご様子ですが」
ロジャーが唇を噛んだ。怒り、憎しみ、そして恐怖。そんなものが入り混じったような表情。そして口を開く。
「妻をさらわれました……」
ロジャーはすべてを話した。
突如、部屋に乱入してきた『ブラッディメテオ』により妻がさらわれたこと。自分を人質にされ『隷属の首輪』をつけられたこと。妻は身重であること。
なんとか助け出そうと冒険者を雇ったが返り討ちにあったこと。
せめて命を賭して戦ってくれた彼らの死を冒険者ギルドに伝えようと戻ってきたが、『ブラッディメテオ』に見つかったこと。
どうやら自分のことを探していたらしいこと。
数日間、逃げていたが、とうとう捕まってしまったところに、エレノアがやってきたこと。
エレノアは無言で話を聞いていた。
だがその美しい相貌は激しい怒りのために赤みを帯びている。
すぐにでも『ブラッディメテオ』のアジト(から場所は聞いている)に乗り込んで全員斬り捨ててしまいたい。
だが統領だけは生け捕りにしなくてはならない。『ブラッディメテオ』の統領と悪党商人リクサス、領主代行アーキスの3人を、ヴァミリアン伯爵の前に並べて罪を白状させる。
それがエレノアの計画である。
力技だとは分かっているが、こうまで癒着がなされ、あからさまに犯罪が行われていると、打つ手も限られてしまうのだ。
「もう少しのご辛抱ですわ。わたくしが必ずあなたのご妻女を連れ戻して差し上げます。エレノア・ウィンデアの名にかけて」
そこへ先ほどの男たちが戻ってきた。
人数がさらに3人増えている。
『処刑人』とやらはどなたかしら、とエレノアが思っていると、男のひとりが言った。
「ついてこい、『処刑人』さんが呼んでるぜ」
「嫌ですわ。なぜ、わたくしが呼びつけられなくてはなりませんの。ご用がおありならご自分でおいでなさい」
エレノアにしてみれば、これから『ブラッディメテオ』のアジトに乗り込むところである。
いちいち寄り道させられてはたまらない。勝手に立ち塞がりなさい、という気分である。
てめえ、とか、このアマ、とか男たちが怒鳴る。
だがエレノアが剣を一閃してひとりの首を斬り落としたら静かになった。
転がる頭。噴水のように血を吹き出す胴体。
「わたくし、とても怒っておりますの。害虫がヴァミリアン伯爵の御名をこれ以上を汚すのを見過ごすことはできません。これから、あなた方の巣穴に行って、駆除いたしますわ」
言いながらも剣をもう一振り。
紫色の光が宙を走り、また男の首が飛んだ。
「さあ、次はどなた?」
男が悲鳴をあげて逃げ出した。ほかの者たちもエレノアは追わなかった。
まだ血を大量に吹き出している二つの死体を眺めながら、ロディがいなくて良かったと思った。
◇
『処刑人』ことグロッソ・グルートは人間が好きだ。正確に言うと人間が恐怖と絶望の顔をするのが好きだ。激痛に悶える姿もたまらない。
この日も、いつもの日課である中央広場での公開処刑を楽しんでいたところである。
彼のための専用スペースである広場の一角、張り出した屋根の下には、拷問のための様々な道具が並んでいる。
肉切り包丁。ハンマー。切断台。もちろん、手入のための奴隷や、掃除用の奴隷、助手の奴隷も揃っている。
目の前で片腕を肘のところで切り落とされ、泣きわめく男の顔を間近で観察し、その涙をペロペロと舐めていたところだった。
「『処刑人』さん、エレノア・ウィンデアが獲物を横取りしました。どうしましょう?」
駆けこんできた男が言った。
「エレノア・ウィンデア? ああ、例の公爵令嬢ですか。ボスは手を出すなと言ってましたね。放っておきなさい」
『処刑人』グロッソは優しい声で言った。
ピタリとした革のズボンに上半身は裸。
腰まである長い金髪は血でまだらに染まっている。柔和な顔立ちの青年だ。
「ですが、獲物はロジャーです。ボスが捕らえろと言った、例の男です」
「ああ、ロイ君に煮え湯を飲ませたという彼。彼の前で私がその妻を壊す予定なのですよ。実に楽しそうなイベントです。今すぐ、連れてきなさい。そのロジャー君を」
「ですからエレノア・ウィンデアが邪魔をしていて」
「ではそのエレノア・ウィンデアを連れてきなさい」
「ボスは手を出すなと……」
ポンと『処刑人』グロッソは手を叩いた。
「こうしましょう。私もあなた方も、そのお嬢さんがエレノア・ウィンデアだとは知らなかった。ねっ、それならボスも怒らないでしょう?」
「い、いや、でも、ボスが」
男はそれ以上言えなかった。
『処刑人』グロッソが大きな肉切り包丁を男の首に当てたのだ。
男はゴクリと唾を飲んだ。
「はい、納得しましたか? では、すぐに呼んできなさいね」
『処刑人』グロッソはニッコリとして言った。
男たち3人は来た道を戻っていった。
その間にも助手の奴隷が、肘から先を失った男の止血をしている。腕を縛り、低級ポーションを染み込ませた布で切断面を覆う。
「おっと、放っておいてすみません。新たな罪人が来る間に、あなたの処刑の続きをしましょうか。そうあなたの罪である……」
それから『処刑人』グロッソは首を傾げた。
「あなたの罪は……。なんでしたっけねえ。『四肢全部切り落としの刑』は決まっているのですが、罪状はなんだったかな?」
助手を振り返る。
「『ブラッディメテオ』の流言を流したことです」
革のつなぎに、革の覆面、革のエプロンをつけた助手が言った。
「ああ、それそれ。では最後に背中に『ブラッディメテオ』の悪口を言った罪、と刻んであげましょうか。そういう者をたくさん作ったら、誰も『ブラッディメテオ』のことを悪く言う人はいなくなる。我ながら素晴らしいアイデアですねえ」
片腕を無くした男が青い顔で震えている。
「あっ、いいですよ、いいですよ、その顔。そう、イメージしてください。これから、3回も、私があなたの体を切り落とすのです。さっきのは痛かったでしょう? 怖かったでしょう? では、次はもう一本の腕をいってみましょうか。さあ、用意して」
助手が泣いて許しを乞う男の無事な方の腕を切断台に乗せた。腕を縛り付け、口にさるぐつわを噛ませる。
『処刑人』グロッソは焦らした。
何度も大きな肉切り包丁を振り下ろしては直前で止める。いつも、そうやって恐怖をじっくりと味合わせるのだ。
そこにまた男たちが駆け込んできた。
「『処刑人』さん。エレノア・ウィンデアに2人やられました。用があるな自分で来い、と言って。いきなり殺されたんです」
「ほう、『ブラッディメテオ』のメンバーに手をかけましたか。それは由々しい。実に由々しい事態です。『一寸刻みの刑』にしましょうか。それとも『全身に釘を打ち込む刑』にしましょうか」
嬉しそうに笑う。
それから肉切り包丁の2本目を手に取った。両手に肉切り包丁である。
「では、罪人の元へ案内なさい。私自ら、捕縛に行きましょう」
◇
ロジャーに、ロディの待っている宿へ行っているように言って、エレノアは『ブラッディメテオ』のアジトである酒場へ向かった。
風の強い日でクルクルと豪華な螺旋を描くエレノアの髪が生き物のように躍る。
旅用のフード付きマントがばさばさとはためく。銀の胸当てと籠手。腰には細身の剣を差している。
身に着けているのはどれも一級品。これで目立たぬわけがない。
通行人たちは、エレノアを見て、一体、この高貴なるお嬢様は誰だろうか、と考えた。そのうちの何人かは、すぐにその答えに思い当たる。
エフィレイアを追放された公爵令嬢エレノア・ウィンデア。
彼女だ。
そういったわけで通行人はエレノアをチラチラ見たり、凝視したり。
多くの視線がエレノアに集まっていた。
当のエレノアはそんなものはまったく気にしなかった。注目されることには慣れているのだ。
強風の中を颯爽と歩く。
と、その前に血だらけの男が立ち塞がった。黒革のズボンに裸の上半身。まだらに染まった長い金髪。『処刑人』グロッソだ。
通行人たちが目を背け、そそくさと急ぎ足になる。
『処刑人』は、この街でもっとも関わりになりたくない人間なのだ。
『処刑人』グロッソは両手の肉切り包丁をバツの字に合わせて、エレノアに言う。
「あなたですね。我ら『ブラッディメテオ』の者を手にかけた罪人は」
エレノアは眉を潜めた。
『処刑人』の変態じみたかっこうは、あまりにも不快であった。
口を利くのも嫌だったので、代わりに抜き打ちの一振りで応えた。
刃から放たれた緑の光が、『処刑人』グロッソに向かう。
エレノアが習得した剣術流派『アルガッタ流』の奥義の一つ、『飛刃』である。
しかし、『処刑人』グロッソはそれを、すっと軽く横に動いただけでかわした。
「良いですねえ。良いですよ。さすがは高貴な方は違いますねえ。あなたの苦悶の表情は、さぞやお美しいのでしょうねえ」
言った直後に、『処刑人』グロッソが大きく飛んだ。
高速で間合いを詰めて打ち込んだエレノアの斬撃を、跳んでかわしたのだ。
『処刑人』グロッソは天高く舞い上がり、そのまま体をクルクルと回転させて、着地。エレノアの背後を取ると、はいっ、はいっ、と奇声をあげながら、肉切り包丁を交互に振り回す。
エレノアはその斬撃をかわす。
刃の嵐はエレノアにかすりもしない。
だが、それほど余裕があるわけでもない。
『処刑人』グロッソは元Aランク冒険者である。細腕から想像もつかないほどの速さで肉切り包丁を振り回す。そのどれもが当たれば致命傷になることだろう。
それに距離が近すぎる。エレノアが反撃に転ずるには、一度、距離を取らなくてはならないのだが、連続攻撃の速さにその隙が無い。
いずれ攻撃の合間ができる。そのタイミングで後ろに跳んで必殺の斬撃を放つ。
エレノアはそのタイミングを待っているのだが、それがいつまで待っても来ない。
それもそのはずである。
『処刑人』グロッソは常時『肉体強化』の魔術を発動している。さらには、加護技『生命力貯蔵』『魔力貯蔵』により、拷問で得られた生命エネルギーを蓄えていた。
一昼夜、このまま斬撃の嵐を続けていても、彼が隙を見せることはないだろう。
埒が明かないことに気づいたエレノアは、反撃に転じることにした。
剣を片手に持ち、空いた左の手で、『処刑人』グロッソの肉切り包丁を受ける。
むろん、そんなことをすれば手の平が真っ二つに裂かれだけだ。
そうはならなかった。
エレノアの手の平が緑色の閃光を発した。肉切り包丁を弾く。
『魔術壁』の魔術である。見えない壁を発生させる。
『アルガッタ流』ではこの『魔術壁』を無詠唱で、魔法陣すら作らずに、ほんの数秒発生させる技術を身につけさせられる。この『魔術壁』は主に足場にして、宙で方向転換したり、盾代わりにして活用する。
剣術流派『アルガッタ流』がもっとも習得困難な流派だと言われるゆえんである。
肉切り包丁を弾かれ、『処刑人』グロッソの動きが僅かに乱れる。次の斬撃までの一瞬の空白。
エレノアはそこで後ろに跳んだ。
2メートルほどの距離を取り、剣を右手でだらりと下げる。
一見隙だらけの構え。
だが、これは必殺の一撃を繰り出す構えだ。
「残念、私は魔術も得意なんですよ」
『処刑人』グロッソが言って、肉切り包丁を持った両手を大きく上げた。
「喰らいなさい、ミートテンタクル」
グロッソのむき出しの腹がオレンジ色に発光。オレンジ色の魔法陣が浮かび上がり、そこから肌色の太い触手が勢いよく伸びた。エレノアに向かう。
エレノアが動いた。
宙に跳んでクルリとコマのように回転し、斜め上から斬撃を振り下ろす。着地した時には、エレノアの剣は、鞘に戻っていた。
「なぜ、剣を収めるのですか? 降伏するつもりですか?」
『処刑人』グロッソが首を傾げる。
その上体、右肩から左わき腹にかけて、
に斜めに赤い線が走った。ずるっ、とそこから体が割れて上部が滑っていく。
『処刑人』グロッソは最後まで不思議そうな顔をしていた。
「あらゆる角度からお下劣な方でしたわね」
エレノアは言うと、『処刑人』グロッソの死体に一瞥もくれずに、彼に従ってきた『ブラッディメテオ』の男たちを見た。
「わたくし、『ブラッディメテオ』は問答無用で斬ることにいたしますわ」
男たちが逃げた。
エレノアの手が高速で動く。
剣を抜き放ち、三振り。
走って逃げていた男たちが『飛刃』を受けて倒れた。
そんなエレノアに隠れて見ていた人々が称賛の視線を送った。




