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エレノアの婚約破棄

 アルカディア歴1824年3月10日

 エフィレイア王国王都ウィンストン 



「エレノア・ウィンデア、君との婚約を破棄する」


 青年の言葉に、固唾かたずを飲んで様子をうかがっていた人々が、どよめいた。


 ホール。

 男性はフロックコート、女性はドレスで美々しく飾り立てている。

 ホールの隅では、楽団が今まさにダンス用の調しらべを奏でようと時を待っているところ。

 

 ホール中央でつい今しがた始まった対立は、この場に集う者たちの注目を集めている。

 彼ら視線の中心には対峙している男女。深紅のドレスの女性と紺色のフロックコートの青年だ。

 

「あまり気の利いたご冗談だとは思えませんわ」

 エレノアはかすれる声で、それでも平静を装って言った。


 クルクルとよく巻いた長い金髪はひと言、豪奢。銀の天秤が刻まれた髪留めで前髪を右側に寄せ、額をあらわにしている。

 深い湖のような青い瞳は、隠しようのない動揺でうるんでいる。

 それでも、いかにも気が強そうにつり上がった目尻と、完璧な造形を誇る鼻と唇は、あまりにも整い過ぎていて、冷え冷えとした印象を周囲に与えている。

 この時も、彼女の動揺を見抜ける者はいなかった。


「私は本気だ。婚約者だから、と今まで君の悪行に目をそらしてきたが、それも、もう限界だ」


 エレノアを断罪している青年も優美だ。背は高く、青い髪に濃紺の瞳。エレノアが威圧的な美貌とするなら、こちらは甘やかな優し気な美貌。

 ジークフリート・レイアー。

 ここエフィレイア王国現国王ガリウス・レイアーの第一子にして、王位継承権第一位。王太子である。


「悪行ですか? わたくしの?」

 エレノアにとっては、これほど屈辱的な言葉はなかった。


『正義の執行者』と呼ばれた祖父を誇りとして、自身もそうあらんと生きてきた。

 正しくあるということは、エレノアにとって人生の指針であったのだ。


「平然とシラをきる。だが君が彼女に対して行った数々の悪辣な行為は把握している。必要とあらば証人も連れて来れる。アライア・フローリー。彼女に対して君はあまりにも非道に過ぎた」


 ジークフリートが顔をわずかに後ろに向ける。すると彼の背に隠れるように立っていた女性が前に出た。

 肩口で赤毛を切りそろえた可憐な少女だ。

 薄桃色の可愛らしいドレスが、よく似合っている。

 丸く大きな目。焦げ茶色の瞳には怯えの色があり、今にもそこから涙がこぼれそうだ。

 だが、よく見るとその瞳は乾いている。

 表情は平然としていながらも瞳を濡らすエレノアとは対照的である。


「君が私とアライアの仲を勘繰り、嫉妬から彼女に辛く当たったことは仕方がないのかもしれない。私としては、社交界に慣れぬアライアをフォローしていただけなのだが。それでも、君がアライアを偽りの情報で惑わせたり、フローリー家に圧力をかけて王家の招待を辞退させようとしたり、彼女の破廉恥な噂を流したりしたことまでは、見逃しても良かった。だが、無頼漢を雇い、彼女を亡き者にしようとするなど一線を越えてる。君は罪人だ、エレノア」


「お待ちください。わたくしには心当たりがございません。本当ですわ。確かに、アライア嬢に対し、優しかったとは申しません。ですが、公正ではあったとは思います。男爵家の令嬢として相応しいあり方を求めました。それが彼女にとってプレッシャーとなったのかもしれません。ですが殿下のおっしゃるような虚偽の情報で彼女を騙したり、フローリー家を脅したり、あらぬ噂で貶めるなど、わたくしには身に覚えのなきこと。むしろ、わたくしはそういった悪事を嫌悪しておりますし、彼女に対し、そういった行動をとられた方々に忠告もいたしました。ましてや、無頼漢を雇い、アライア嬢を亡き者にしようなどと。そんな行為を、わたくしが行うはずがないではありませんか」


 エレノアはあまりの屈辱で体が燃え上がりそうだった。それでも震えを押さえ、冷静になろうと務めながら反論をした。

 公的な場では感情的にならない。それがマナーの基本だ。


「先ほど、ご証人とおっしゃられましたわね。どうぞ、お連れ下さい。わたくしがこの耳で、嘘を聞き分けてごらんにいれましょう。この口で真実を問うてみせましょう」


 ふっ、とジークフリートが鼻で笑った。

「君の自慢の加護技スキルでか? その手には乗らないよ、エレノア。君の加護技スキルの効果は君にしかわからない。『虚言看破』で嘘を見破ったと君が言ったとして。それが本当のことだと誰が証明できる? 君が相手にぶつけたものが、『真実の問い』であったと、誰が証明できる? 君は自分の潔白を君自身で証明することはできない。潔白を証明するのは第三者でなくてはならないからだ」


「では、必ず、わたくしが客観的で信用に値する証人、あるいは変えようない証拠を揃えてごらんにいれますわ。ですから、殿下、婚約破棄などとご無理をおっしゃらないでください。そのようなことをすれば、わたくしたちの婚約を取り持ってくださいました、陛下や宰相閣下に申し訳がたちません」


「いつまでも宰相の影に隠れられると思うなよ、エレノア。すでに君の後見人たるハリス・ローゼン殿には婚約破棄の意向をお伝えしてある。致し方なきこと、と納得しておいでだ」


「ハリス様……いえ、宰相閣下が?」


 エレノアは足元が崩れ落ちるような気分だった。幼い頃に両親を亡くし、四年前に祖父を失った彼女にとって、祖父の親友で現宰相のハリス・ローゼンは唯一頼れる相手だったのだ。

 そして彼が婚約破棄に意義を差し挟まないということは、それをくつがえすことが不可能に近いということ。


 まさか、あの告発が……。

 エレノアの脳裏に、ひと月ほど前に宰相に提出した訴状のことが思い浮かんだ。


 アノー侯爵家の非道と不正を訴えたもので、多くの証拠と証言も添えた。

 以前からエレノアは上級貴族の腐敗に警鐘を鳴らしてきた。領地での非道な振る舞い。領民を人と扱わぬ者たち。


 貴族たちは自身が表だって悪事を働いているわけではない。子飼いの悪徳商人を使って平民を苦しめているのだ。

 粗悪品を上物だと偽って市場に流し、大金を稼ぐ。借金を負わせ、妻子を召し上げる。


 祖父が存命の頃はまだましだったように思う。それが祖父が亡くなった年から、年々ひどくなっている。その証拠に平民たちの反乱が各地で起こっている。


 アノー侯爵家をしっかりと裁けば、その下で似たようなことをしている貴族たちも恐れ入って行いを正すだろう。

 それは反乱を起こした、あるいは計画している平民に対し、誠実な解答となるに違いなかった。


 さらに思いだされるのは、訴状をたずさえ、ハリス・ローゼンの執務室へ行った時のことだ。


 後ろで束ねた銀髪と整えられた口髭の老紳士は、エレノアの熱い訴えを聞き終え、訴状を受け取ったあと、穏やかに笑った。


「さすがは、ウィンデア家の娘だな。亡きバイゼル殿も、さぞお喜びであろう。君の労は必ずや王国のために役立てる。ご苦労であった」


 その時、確かに違和感を感じたのだ。

 エレノアの加護技スキルのひとつ、『虚言看破』はあらゆる嘘を聞き分ける。嘘を聞くと、言葉と同時に、ピーと高い笛の音のようなものが耳を打つのだ。

 ただ、王宮では魔術も加護技スキルも発動しない。防護対策がとられている。


 だから、この時感じたものは、エレノアの加護技スキルによるものではない。直感。

 なにか自分が過ちをしたような。

 得も言われぬ焦燥感。


 だがハリスへの敬愛の念は根拠のない勘を振り払った。

 あとはハリス様がいいよになさってくださいますわ、と安心しきってしまった。


「もちろん、父上にも相談の上でのことだ。婚約破棄にこの場を選んだのは、君に自慢の『虚言看破』で、私の言葉に嘘が無いことを理解してほしいがため。そして、最後に、元婚約者の君に対して誠意を示そうと思わんがため。さあ、『真実の問い』を使うといい。私は今まで、君からそれを受けたことはない。効果があるはずだ」


 エレノアの三つの加護技スキルの二つ目、『真実の問い』は、同じ人間に二回は使えない。生涯、『真実の問い』に答えるのは一度だけ。

 そして、その一度だけの問いには、沈黙で逃げることはできない。必ず答えなくてはならないのだ。


 水を打ったように静まり返るホール。

 誰もがエレノアがジークフリート王子に問い放つのを待っている。

 

 エレノアは気力を振り絞り、まっすぐジークフリートを見つめる。

 本当は、もう何も聞きたくはなかった。

 今すぐジークフリートに背を向けて、ホールを飛びだし、帰宅し、ベッドに入りたかった。裏切られた痛みを涙とともに流したかった。

 だが、これは、たった一度のチャンスだ。

 婚約者として慕ってきたジークフリートに決別するために必要なことだ。 


「では、お言葉に甘えましょう。わたくしがおうかがいしたいことはただ一つ」


 エレノアの青い瞳がすっと消えたように見えた。よく見ると、それは白目全体が白く輝いているためだ。陽光を浴びて照り返す湖面のように、白く、ギラギラと。


「ジークフリート・レイアー様。あなたはわたくしのなにがお気に召しませんでしたの?」


 エレノアの言葉とともに、その両目の光は消えた。代わりにジークフリートの目に白い光が宿る。


「嘘を見破る者となど一緒にいたくはない。誰だってそうだろう。そんな者を愛せるものか」

 言葉を終えるとジークフリートの目の発光が消えた。


「それならば、いたしかたありませんわね」

 エレノアは言うと、くるりと背を向けた。

 

 毅然、そして堂々とした足取りで、ホールを出ていく。

 その顔には、痛みも悲しみも憎しみも怒りもなく、ただただ、美しくも静かな無表情であった。

 だから彼女の、胸をかきむしり慟哭したくなるような絶望を見抜ける者はいなかった。


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