大都市セクプト
アルカディア歴1824年4月25日
ルゼス王国ヴァミリアン伯爵領セクプト
セクプトはエフィレイア王国とルゼス王国をつなぐ北側のルートを通ってきた者が、目的とすることが多い街である。
ルゼス王国北方の大都市で、ここから南に進んでいけばルゼス王国王都ルーベリアにたどり着く。
北の港町フィアランと王都の間にあるため、貿易品も多く出回る。珍しい物を売っている店も多い。
エレノアは人でごった返す市場をウキウキとしながら歩いていた。
旅の間中身に着けていた胸当てと剣は外しており、パフスリーブの青いシャツにフンワリと広がったスカートという服装。
鮮やかな金髪がグルグルといくつもの螺旋を描いた豪華な髪と、それに彩られた美貌が人目を引き付けていく。
エレノアは初めてきた市場の活気と雑多さに浮かれていた。
公爵令嬢という身分上、このような市場に立ち寄ることができなかった。露店で売っている品々がどれも珍しくて、つい、目を奪われてしまう。
「お嬢、あんまりキョロキョロしないでくださいよ。どこの田舎者だって感じがして、俺が恥ずかしいですから」
隣を歩くロディが言った。
こちらはエレノアとは対照的に見事に目立たない。背も高くスラッとしており顔立ちも整っているので女性の目を引きそうなものだが、ほとんどの者は彼の存在に気づかない。
加護技を使っているわけではない。ただ、もともと存在感が薄いだけだ。
「その言い草。わたくしを怒らせるおつもりですのね。そうはいきませんわよ」
エレノアは余裕めかして言った。
ロディとの旅も3日が過ぎた。
彼の口の悪さにもずいぶんと慣れてきた。
「いや、本当に、あんまりキョロキョロしないようにね。舐められますから。お嬢を騙してやろうって輩を引き寄せますよ」
とはいうものの、もともとエレノアは、この市場で非常に浮いているため、この忠告も今更ではある。
「そんな悪党は、わたくしが成敗して差し上げますわ」
「悪にも色々ありますからね。雑魚にいちいち構ってちゃあ、名が泣きますよ」
ロディのそんな言葉は届かなかった。
エレノアが可愛い声をあげて露店に近づいていったのだ。
色とりどりのボタンが布の上に広げられている。色ガラスを使ったのもの。金属を研磨したもの。魔物の爪や鱗などを削り出したものまである。
エレノアは目を輝かせてそれらを眺め、露天商の怪しい説明に、しきりにうなずいている。
どう見てもボッタクられそうな流れだ。
結局、エレノアは銀のふちに透き通るような透明なボタンが気に入ったらしく、それをひと揃い買って戻ってきた。
ホクホク顔である。
「ふふっ、このわたくしにいい加減な商いが通用すると思いまして? ご覧なさい、ロディさん。わたくし、これを8ルーガ(8万円)で買いましてよ」
ボタンを手の平に乗せて見せびらかす。
「それはそれは、いい買い物をしましたね、お嬢」
ロディは言った。
見たところ素材は魔物ガラスネズミだろう。ふちは白金属を磨いたもの。適正価格は2ルーガぐらいか。
「わたくし、十分の一に値切りました」
「そりゃあ、凄い。やりますね、お嬢」
「先ほどから、ピーピーとわたくしの加護技が鳴っています」
エレノアがロディを睨んだ。
「わたくしに嘘が通用すると思いますの?」
「ただの優しさですよ。流してください、さらっと」
「嫌ですわ。気持ちの悪い。わたくしは嘘が嫌いです。甘い嘘より苦い真実が好きなのです」
「そこまで言うなら、言いますけど。そのボタン、いいとこ2ルーガってとこですよ」
「……」
エレノアが目を閉じた。なにか、いろいろと耐えている様子だ。
「お嬢、ものすごく、やってやったみたいな顔してたじゃないですか。わたくし、全然、騙されませんでしたわ、みたいな態度だったじゃないですか。水を差したくないな、と思ったんですけどね」
「……」
エレノアの顔が赤くなり、プルプルと震え出した。
「まあ、8倍の値段で買ったくらいなら、お嬢にしては上出来じゃないですかね」
「お黙りなさい」
エレノアが目を開いてロディを睨む。
「こんなに素敵なボタンが手に入ったのです。例え少しばかり高くても大した問題ではありませんわ。このシャツにつければちょうど良いでのです」
エレノアの着ている青いシャツは、高価な代物で、当然、ついているボタンも純金の縁取りに真珠がはめ込まれている。1個8ルーガどころではない。
「確かに、ちょうど良いかもしれませんね。そんなものを着て歩いてたら、さらってくれと言っているようなものですし。後で、つけ変えておきますよ」
「ロディさん、あなた、針仕事もなさいますの?」
エレノアが目を丸くした。
「ボタンの付け替えくらい誰だってできるでしょう」
「わたくしはできませんわ」
「まあ、お貴族様はそんなもんでしょうよ」
「料理やら、針仕事やら、ロディさんは本当になんでもおできになりますのね」
道中の食事ほか、すべての雑用はロディが引き受けていた。それらはすべてが手際よく、特に料理は舌の肥えたエレノアをも満足させるできだった。
「必要に迫られれば、大抵のことはできるようになりますよ。さて、市場も十分見たでしょう。そろそろ、場所を移しませんか。はっきり言って、ここでお嬢が買い物をするのは、ボッタクってくれと言っているようなものですよ」
「まだ、入用な物がいろいろとありますわ」
エレノアが不満げな顔をする。
市場の雑多な雰囲気が気に入ったのだ。
「市場ではなく、きちんとした店で買おうって言ってるんです。品ぞろえも豊富だし、信用もできますよ」
◇
ロディがエレノアを連れてきたのは中流階級向けの商店街だった。どこも旅人ではなく地元民を相手にするような店が多く、価格も品質も良心的だった。
エレノアはそこで、下着やら、古着やらを買いあさった。なにしろ店で物を買うなど初めてのことである。公爵令嬢として、御用商人が品を持ってくるというのが、日常だったのだ。
「買い物とは、とても興奮するものですわね」
ニコニコと笑顔で言った。
お供のロディは、そんな無邪気な笑顔に見惚れてしまった。
妹ニーアと重なった。彼女は本当に無邪気に買い物をしたものだ。当時は、その浪費癖に苦い思いをしつつも、楽しんでいるのなら、とついついほだされていた。
「だいたい、揃いましたか? 俺も食料やら日用品やらを買い込んでおきたいんですが」
「よしなに」
「いや、よしなに、じゃないでしょう。お嬢ひとりで放っておけますか。今度はお嬢が付き合う番ですよ」
「わたくしは子供ではありませんわよ」
「もちろん、知っていますよ。だからこそ、お願いしてるんじゃないですか」
「では、あそこの店を見たら、終わりにいたします。可愛らしい店で、とても興味が引かれていたのです」
エレノアが指さしたのは女性向けの雑貨屋だった。主にリボンなどアクセサリーを扱っているらしい。もちろん、庶民の店なので、素材や質も相応のものだろう。
店内に入るとエレノアの目の色が変わった。ボタン、イヤリングやベルト、髪留め。素材は安いが作りはしっかりしているし、なによりデザインが年頃の女の子向け。
ロディは、嬉々として棚に飾られたアクセサリーを覗くエレノアに、微笑を浮かべた。
またしても妹と重なった。
あいつも好きだったな、こういう店。
小ぢんまりとした店で客はエレノアだけだった。カウンターにはエレノアやクロウと同年代の女性が立っていて、エレノアに憧憬の眼差しを向けている。
カウンターの先は店の奥に続いており、そこで男が作業をしているのが見える。
「これはなにかしら? キラキラと輝いていて、とても綺麗」
エレノアが淡く光るペンダントを手にして言った。
ペンダントトップに光貝の殻を砕いたものを入れているようだ。それをロディが教えようとした時、彼は店に近づいてくる嫌な気配を感じた。
すぐに馬車が店のそばに止まる。
ロディは店員の顔が引きつったのを見て取った。
エレノアに近づくと加護技を使って彼女と自分の気配を消す。エレノアに気づかれないように、だが、常人の意識に上らないように。
ガヤガヤと男たちが入ってきた。
はだけたシャツ。腰に下げた剣。派手な刺繍のマントを付けていたり、ギラギラ光るベルトをつけていたり。とにかく派手だ。
髪型もものすごく、天に向かって逆立てていたり、両サイドだけ刈り上げていたり。
盗賊というには派手。上流階級というには品がない。
「おい、例の件、答えを聞かせてもらおうか?」
先頭の、襟元に白い毛皮のついたマントを羽織った30前後の男が、ダミ声で店員に言った。
「丸一日も待ったんだ。まさか断るなんてないよな」
「あの、私、嫌です」
女店員が青ざめた顔で身を引く。
奥から男がでてきた。四十絡みの男だ。こちらも青ざめた顔ながら女店員をかばうように立った。
「昨日も言ったでしょう。娘には将来を誓った人がいるんだ。今更、奉公に出す気はない」
毛皮マントの男が耳に指を突っ込んで、ほじくる。
「ああ? なんか、言ったか? 最近、耳が悪くてよ」
「勘弁してください。この通りです」
店員の男が頭を下げる。
毛皮マントがその頭を振り下ろした拳で殴った。
娘が悲鳴をあげる。
「ああ、うるせえ、うるせえ。お前ら、この娘を案内してやんな。大好きなお父様との別れに悲しんでいらっしゃるから、丁重にな」
ほかの男たちがカウンターを乗り越え、娘の腕や肩をつかんだ。無理やりカウンターから引きずりだす。
「やめてくれ、お願いだから」
店員の男がとりすがるが、男たちがそれを殴る、蹴る。
その男のひとりが吹っ飛んだ。
なにを遊んでんだ、と思った別の男も吹っ飛ぶ。
「な、なんだてめえ」
毛皮マントの男が目の前に立つエレノアに怒鳴った。
クロウの加護技によって男たちから存在を気づかれなかったエレノアだが、それは静かにしていればのこと。
クロウの加護技でもここまで動けば存在は露わになる。
毛皮マントたちからすれば、いきなりエレノアが現れたように感じただろう。
「事情は存じませんが、目に余る乱暴狼藉。わたくしの目の前で、それ以上の非道は許しません」
言ってエレノアは人差し指で宙をピンと弾いた。紫色の光が一瞬、瞬く。
次の瞬間、毛皮マントが吹っ飛んだ。
『衝撃弾』の魔術を極小で使っているのだ。呪文詠唱どころか魔法陣すら出現させないという高等技術である。
「その汚い手をお放しなさい」
娘をつかんでいる男たちを睨む。
男たちが手を放した。
娘は怯えよりも、凛々しくも美しいエレノアに見惚れ、呆然自失。
毛皮マントが立ち上がった。顔を赤らめて怒鳴る。
「てめえ、このアマ。どっから現れやがった」
「なにをおっしゃっているのか。わたくしは、ずっとこの店におりましたわよ」
「妙ちきりんな真似しやがって」
「珍妙なのはあなた方のご恰好の方ですわね。どこを目指しているのかしら」
「俺たちが誰だかわかってんのか」
「存じませんわ、下衆な者のことなど。ともかく、とても臭いますので、ご退場いただけませんこと?」
静かに見守っていたはロディは喝采をしたくなった。なんとも痛快なエレノアのもの言いだ。
「俺たちは、『ブラッディメテオ』だ。この街で、『ブラッディメテオ』に逆らって、ただで済むと思ってるのか? ああ?」
「ただでさえ醜い顔を、そんなに醜く歪めて、つむいだ言葉は面白みもない恫喝。そんな風に自分が小悪党だとご宣伝なさらなくとも、ひと目見ればわかります。『ブラッディメテオ』とやらがなんなのか存じませんが、わたくしが怒らないうちに、お立ち去りなさった方がよろしいですわよ」
「アックス、この女、ひょっとして例の公爵令嬢じゃねえか。ほら、追放されたとかいう」
男のひとりが言った。
毛皮マントが下衆な笑みを浮かべた。
「ああ、そのいかれた巻き髪、エレノア・ウィンディーとかいう落ちぶれ貴族か」
次の瞬間、毛皮マントが勢いよく吹っ飛んだ。先ほどまでの少し押されて転んだというものとは違い、今度は宙を滑るように飛んで、壁に激突した。その衝撃で店が大きく揺れた。
エレノアは握った拳を突き出したままのポーズで止まっていた。
毛皮マントの顔をぶん殴ったのだ。
魔術で強化しているエレノアの拳は屈強な大男さえかくやというほどの威力がある。
「ああ、汚らわしい。手が汚れてしまいましたわ」
エレノアは不快気に手を払った。
「下劣な人間というのは、触れるのも不快なものですわね。さて、『ブラッディメテオ』さんたちは、まだわたくしの目にとどまり続けるおつもりかしら。わたくしが十数える間に、この場からお消えになった方が身のためだと思いますけれど。全員、そのようになる前に」
怯えた目でエレノアを見る男たち。
一つ、とエレノアが唱えた。
ひっ、と男の一人が逃げ出した。
おい、とほかの男が声をあげるが、エレノアの、「二つ」、でその男も後ずさりする。
「三つ」
残った二人の男が顔を見合わせ、上体を壁にあずけ足を投げ出して倒れている毛皮マントの元へと行った。そのまま二人でかつぎあげる。
「四つ」
男たちは店を出ていった。
「まったく、なんという無頼漢ですの」
エレノアは呆れた顔で男たちの出ていった玄関口を見た。
せっかく楽しく買い物をしていたというのに気分が台無しである。
それから、うめき声をあげて倒れている店員の男に気が付いた。傍らにしゃがみこみ、『初級治癒』の魔術をかける。
光魔術の白い光に包まれた腫れた顔が見る見る治っていく。店員の娘が心配げにその様子を眺めている。
すっかり傷の治った店員の男が上体を起こした。何事が起こったかと問いかける父に、娘はエレノアが男たちを撃退したことを説明。
男はエレノアに礼を言った後、この街をすぐに出ていくように忠告した。
「この街は『ブラッディメテオ』が好き放題してるんです。ならず者の集団ですよ。連中、昨日店に現れて、娘に奉公の口を紹介してやる、と言ってきたんです。もちろん、その場で断りました。連中が、若い女をかどわかしたり、騙したりして、売りさばいてるって話は、いろんなところで聞いていましたから。まさか、メリーまで目をつけられるなんて。器量も十人並みなのに」
「領主はなにをなさっていらっしゃるの? そんな無法な集団を放置していらっしゃるのですか?」
「ご領主様はお忙しいみたいで動いちゃくださらないんです。ご家臣の騎士様方に話してみても、けんもほろろで」
それから男は娘を見た。
「メリー、仕方ない。街を出よう」
「でも、父さん。この店は?」
「仕方がないさ。お前の身になにかあるよりは、店を捨てた方がずっといい」
「でも、母さんの想い出がたくさん詰まってるのに」
言って娘が両手を顔に当てて泣き始めた。




