エレノアのゴブリン退治
エレノアは三つの加護技を持っている。嘘を見抜く『虚言看破』。相手に真実を話させる『真実の問い』。そして、隠されたものや紛い物、痕跡などを見つける『暴く目』。
『真実の問い』以外の二つの加護技は常時発動している。
ゴブリンの巣穴までのルートを見つけ、そこに無事たどりついたのも、『暴く目』のおかげである。
エレノアの目には、ゴブリンの足跡がぼんやりと白く光って見えていたのだ。
なにかに注目したときに、目がそれをしっかり見ようと焦点を合わせるように。ゴブリンのことを意識しただけで、その足跡が光って浮かび上がる。それが、『暴く目』の効果である。
エレノアの剣の師に言わせれば、『暴く目』こそが最強の加護技だとか。ただ、冗談めかして言った師の真意をエレノアはまだ読み解けていない。
エレノアは木の根に隠れるように空いた横穴を眺めた。直系2メートル前後。草が周囲に茂り、木の根が張り巡らされているため、注意して見なくては見過ごしてしまうだろう。
ゴブリンに詳しくないエレノアには、洞窟の中がどうなっているのか、想像もつかない。
ロディの話から大量のゴブリンが巣くっているらしいので、かなり広いことは確かだ。
ふと後ろで物音がした。
振り返ると鹿がこちらを見ていた。
エレノアは勢いよく振り返った自分を情けなく思った。
ロディが追いかけてきてくれたのかもしれない、と期待してしまったのだ。
あんな臆病者に期待しても無駄ですわ。
「御者は御者ですものね」
つぶやく。
そうただの御者なのだ。
だが、ロディという御者は不思議な男だった。今朝会ったばかりだというのに気楽に話ができる。
エレノアはその身分と加護技のおかげであまり親しく人と話すことがなかった。
彼女と話すときには、皆、緊張するのだ。
親しい者など亡き祖父や執事長ベンジャミン、それに侍女長アンジェリカ、ホークくらいではなかっただろうか。
エレノアも人と話すときは緊張する。
にも関わらずロディには本当に気楽に話せてしまう。彼の方が警戒心皆無で自分に向き合っているからなのかもしれない。
だからつい親しい者だと勘違いしてしまう。
ロディという御者は、きっと誰にでもあんな風に無警戒にあけすけに、無遠慮に話すのだろう。
エレノアも彼のそんなところに引っ張られて、ついつい口数が多くなる。そして、それを楽しいと思ってしまう。
しっかりふたりを救出して驚かせて差し上げますわ。
見ていらっしゃい、と頭に浮かんだ御者の顔に向かって啖呵を切った。
腰の剣を抜くと洞窟に向かって足早に歩いていく。
洞窟からは生臭い臭いが漂っていた。
中は真っ暗闇というわけではなかった。
薄暗いが、きちんと明かりが灯っている。
照明があるわけではない。ポツン、ポツンと地面に落ちている小石が淡い緑色に光っているのだ。
光石である。ゴブリンが照明代わりにまいたのだろう。
地面を掘れば、すぐに出てくるような石なので森の中にもゴロゴロ落ちているはずだ。
入り口は直系2メートルほどだったが、しばらく進むと一気に広がった。広いところでは直径4メートル近くある。曲がったり、勾配があったり。
ゴブリンが広げたのかしら?
などと考えていると、急角度に曲がったところで出会いがしらにゴブリンと遭遇した。
緑の小人がギャッと鳴いて後ろに跳び離れる。
次の瞬間、ギャーと大声で鳴いた。
エレノアの剣がきらめく。
ゴブリンの首がポロリと落ちた。
洞窟の先から軽くなにかを叩くような音が幾重にも響いた。
曲がった先には大きな通路の側面にポコポコと小穴が空いている。そこからゴブリンが飛びだしてきた。
エレノアは慌てなかった。
ゆっくりとした歩調のまま進み、近づいてきた魔物を順番に斬っていく。
ときどき矢が飛んできたが簡単に切り払う。
ゴブリンの死骸が次々と増えていく。
きりがないですわね。
ゴブリンはギャーギャーと鳴いており、それが新たなゴブリンを呼び込む。すでに30体ほど倒したはずだが、まだまだ終わりは見えない。
と、ゴブリンたちが突撃をやめて、木の槍で槍衾を作り、通路を塞ぐ。
エレノアは鼻を鳴らした。
好都合。
左手の平を前に突き出す。
赤い閃光。赤い魔法陣が現れ、そこからオレンジ色の球体が飛びだし、ゴブリンたちにぶつかった。直後に爆発する。
2発、3発。エレノアは計5回、『爆発球』の魔術を放った。すべて、呪文を使わない無詠唱である。
剣技だけでなく魔術でもエレノアは天賦の才を持っていた。
元婚約者のジークフリートが嫉妬するわけである。
爆煙が収まったあとには無残に破壊されたゴブリンの肉片が転がっていた。できるだけ踏まないように気を付けながら進む。
生理的な嫌悪感もあるが、ロディが言っていたことを思い出したのである。
それっきり洞窟内は静かになった。
全滅したのだろうか、とエレノアは思いながらも警戒はまだ解かない。
油断は禁物。
穴はさらに奥へ奥へと続いている。
先ほどの爆発で崩落した場所を通り過ぎ、さらに奥へ。
エレノアは足を止めた。
なにか音が聞こえてくる。
声?
二股に分岐した洞窟。声のようなものはその片側から聞こえてくる。
エレノアはそちらに向かった。
穴がいきなりすぼまっている。地面から1メートルほどしかない。
そこまでくると、声がはっきりと聞こえた。声は二つ。
ヒソヒソとした話し声。
エレノアはほっとした。
どうやら、死んだ男の妻子のようだ。
腰をかがめて進む。まるで仕切りのように背の低い箇所はすぐに終わり、再び天井が高くなった。
そこはドーム状の部屋だった。広い部屋だ。
ちりばめらた光石の緑色の光の中、いくつもの人影が見えた。座り込んでいる。寝転がっている。
床に敷き詰めらた干し草。その上にいる女たちは、まるで置物のように虚ろな目をして虚空を見ていた。
エレノアに反応したのは手前に縮こまるようにして抱き合っていた2人。
30前後の女性と10歳くらいの娘だ。
怯えた顔でエレノアを見ている。
「助けにまいりました。すぐにここから出して差し上げますわ」
エレノアの言葉に母子の顔が輝く。特に母親はこれから自分と娘を襲う惨劇を知っていたために、表情の変化は顕著だった。
問題は彼女たちですわね。
裸体で転がっている女性たちを見る。
その多くは腹部が膨らんでおり、妊娠していることが分かる。
ロディから話を聞いていなければ、エレノアにはなにが起こったか理解できなかっただろう。
話を聞いていてさえ具体的なことは頭に浮かばなかった。性的な知識はエレノアにはほとんどない。目の前の娘と対して変わらないだろう。
「皆さん、逃げますわよ。さあ、お立ちになって」
エレノアの呼びかけに応えたのは例の母子だけである。
とにかく、一度、母子を連れて外へ出ようか、とエレノアは考えた。ロディを連れて戻ってきて、彼の手伝いを借りて女たちを連れ出す。どうも、それが現実的なようだ。
「ともかく、わたくしたちだけで外へ出ましょう。彼女たちは後で戻ってきて連れ出します。ついて来てくださいまし」
言うとエレノアは彼女たちに背を向けて、ゴブリンたちの苗床を出た。
すぐ後ろに母子の足音が続く。
母子を合わせて7人。エレノアの馬車だけでは乗せきれないかもしれない。エレノアの馬車馬を1頭、母子の馬車につなげば、なんとか全員連れていけるか?
そんなことを頭の中で計算して、通路を進む。Y字に分岐していた地点が見えた。
あちら側には一体なにが、と思いながら、母子に注意を促す。
自分と離れないように。
ゴブリンが現れたら少し下がって動かずにいること。
分岐点に先行して未踏の方を探る。薄暗い洞窟の先にゴブリンの影が見えた。複数体。こちらをうかがっている。
先にカタを付けておいた方が良さそうですわね。
帰り道を後ろから追いすがってこられるのは面倒だ。後顧の憂いを断っておいた方がいい。
エレノアは母子を振り返った。
「ここから動きませんよう。わたくしは、あちらにいるゴブリンたちを倒してきます。後ろから追ってこられては厄介ですから」
母がうなずいた。娘をしっかりと抱きしめる。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
娘のそんな言葉に微笑みで応える。
「わたくし、これでも相当強いですわよ」
エレノアは走った。
魔術で肉体を強化しているため、瞬く間に遠くで様子見していたゴブリンに迫る。
ゴブリンたちがギャーギャーと言いながら襲い掛かってきた。
石斧、木剣。もちろん、ゴブリンの攻撃など、エレノアには止まって見える。
すっ、とかわしながら細身の剣で斬る。
ゴブリンはエレノアに触れることすらできない。
ほどなくして5体のゴブリンが死骸に変わり、地に転がった。
他愛もない。
エレノアにしてみれば鍛錬代わりにもならない。
洞窟の先はまだ続いている。大きな本道の脇にいくつもの横穴が空いている。まだまだ潜んでいるかもしれない。
先に全滅させてしまった方が良いかもしれませんわね。
残してきた女たちを連れ出すなら、きちんと魔物を殲滅しておいた方が良いだろう。
一度、振り返り、遠目に母子たちの安全を確認。
エレノアは先へと進むことにした。
居住区画のような両脇にいくつかの小穴の空いた場所。近づくと小穴にボンヤリとした光が見えた。エレノアの加護技『暴く目』の効果である。
ゴブリンが隠れているようだ。
魔術であぶりだしましょうか。
だが、すぐに考えを変える。
万一、ほかにも女性が囚われていたら。その可能性を考えたら下手なことはできない。
やはり地道に穴をひとつひとつ潰していく方が確実か。
入り口がかすかに光っている小穴に近づく。ゴブリンが飛びだしてきた。
エレノアは突き出された木の槍をかわし、ゴブリンの首を落とした。
同胞を押しのけるように次のゴブリンが向かってくる。
同時にほかの小穴からもワラワラと出てきた。
本当に数の多いこと。
一ヵ所に集まってくれれば魔術で殲滅できるのに、いろんな穴から一体一体飛びだしてくるので面倒くさい。
と、その中に特殊な個体を見つけた。
身長1メートルほどの他の個体に比べ、大柄だ。エレノアと同じくらいの背丈。
肌は緑色だが頭身は人間に近い。
亜種というタイプかしら。
手にしている武器は金属の剣だ。どこからか奪ってきたのか。
豪華な毛皮を着ている。
亜種はほかにもいた。
こちらはほかのゴブリンと同程度の身長だが頭が異様に大きい。手には棒切れを持ち、ボロ布をマントのようにして羽織っている。まるで魔術師だ。
その魔術師亜種が、いきなり言葉を発した。それはエレノアには聞き取れず、理解できなかったが間違いなく人間の言葉だった。
赤い光が浮かび上がる。魔法だ(術式を使用した魔法が魔術。ほかは魔法と呼ぶ)。
魔術師亜種が叫ぶ。
エレノアは後ろに跳んだ。
彼女がつい先ほどまで立っていた場所に大きな火柱が上がった。
火柱は途中で屈折し、エレノアに向かってくる。鎌首をもたげた蛇のように。
エレノアは炎の蛇をかわした。
そのまま今度は前に向かって跳ぶ。
一気に魔術師亜種に迫り、その首に向けて斬撃を放つ。
そこにもう一体の亜種が割り込んできた。
剣でエレノアの攻撃を受ける。
賊よりもよほど手強いですわね。
もはやゴブリンとはまるで違う魔物だ。
それでも、エレノアの敵ではない。
一度、剣を引き、続く斬撃で、大型亜種を斜めに切り上げる。その個体が崩れる前に魔術師亜種を二つに割った。
悲鳴。
女の悲鳴だ。
聞こえたのは後方。母娘の悲鳴だ。
戸惑いと後悔。それがエレノアの動きをわずかに止めた。
ゴブリンたちが一斉に襲い掛かってくる。
しまった。
そう思った時には、木の槍の尖った先端が目の前にあった。
かわせない。
エレノアは襲いくるだろう激痛を覚悟した。
次の瞬間、目の前に黒いものがあった。
木の槍の先端がエレノアの鼻先で止まっている。
黒い腕。それが槍をつかんで止めていた。
黒い人影。まるで炎のようにたゆたう闇を纏う者。彼が目の前に立っていた。
「助太刀する」
幾重にも重なり合うような声。
男がつかんでいた木の槍が熱した鉄のように溶けた。黒くドロリとした液体となり、地に落ちて消えた。
槍だけではない。槍を持っていたゴブリンもドロリと溶けて消えた。
呆気に取られている暇はなかった。
「お願いできまして」
エレノアは『闇を纏う者』に言うと、踵を返して全速力で洞窟を戻った。
母娘の前に亜種が1体。
大きい。3メートル近くある。イボだらけの緑色の肌。頭が大きく、通常のゴブリンをそのまま巨大化したようだ。
母親の腕をつかみ、ねじりあげている。
エレノアは注意を引くために大声をあげた。
巨大亜種がエレノアを見た。空いている手をかざす。
宙が赤く光る。
エレノアの眼前に炎の壁が現れた。
だが、エレノアは怯まない。
炎の壁を突き破り、巨大亜種に迫ると、母親をつかみあげている手を斬った。
直後にエレノアを払おうとする巨大亜種の剛腕。それを身を低くしてかわす。
風がエレノアの頭上を通り抜けた。
身を起こすと同時に股下から胸まで斬り上げる。
緑の大男の体に縦に一本線が引かれた。
青い体液が吹き出すが巨大亜種はまだ倒れない。
大声をあげながらエレノアにつかみかかる。
エレノアはそれを、さっと後ろに下がってかわす。
とにかく母娘と引き離すのが最善だ。
巨大亜種はエレノアの望み通り、彼女を追ってくる。
巨大亜種の片手パンチをかわしながら、下がり続け、ふいに攻撃に転じた。
腕を引くタイミングと同時に前に大きく踏み込み、敵の胴を斬る。
今度は深い。
巨大亜種の上体が、ズレていき、そのまま二つに割れた。
エレノアは怯えている母娘の元へ。
足首がつかまれた。
巨大亜種はまだ生きていたのだ。
強い力が右足首にかかり、嫌な音が体内で響く。直後に激痛。
エレノアは痛みを堪えて巨大亜種の頭を切り落とした。
かがむというより、そのまま崩れる。巨大亜種の手をほどこうとするが、強い力をかけたまま固まっていて外れない。
魔術を……。
だが思考うまくまとまらない。
すぐ近くでは母親が泣く娘をあやしている。
母親も巨大亜種につかまれた腕が折れているようだ。顔が引きつっている。
わたくしのミスですわ。
母子を連れて一度外へ出るべきだった。
敵が出入り口の方へ先回りしている可能性まで考えなかった。
足首の痛みと慙愧の念にうつむく。
すっと黒い手が現れた。
エレノアの足首をつかんでいた巨大亜種の手が溶けて、黒い液体に変わり、地面に吸い込まれていった。
『闇を纏う者』の黒い兜の奥の目と、エレノアの目が合った。
漆黒の瞳。その眼差しは優しかった。
彼の手がエレノアの足に触れる。
黒い影がエレノアの足を覆い隠した。痛みが嘘のように消えた。
ふっと影が消えた。
「『中級治癒』と同程度の癒しの効果がある。問題なく動くはずだ」
『闇を纏う者』が手を引く。
「ゴブリンの気配はもうない」
言うと『闇を纏う者』はエレノアに背を向けて、母娘の元へと歩いていく。
母も娘も怯えた顔で彼を見ている。
「大丈夫。彼は味方ですわ」
エレノアは言った。
ふっ、と『闇を纏う者』が小さく笑った。嘲笑ではなく、喜んだような雰囲気だった。
『闇を纏う者』が母親の垂れ下がる右腕に手をやる。先ほどと同じように、その腕が影に包まれた。
すぐにその影は消える。
荒かった母親の呼吸が穏やかになった。
『闇を纏う者』が振り返った。
エレノアは彼が去ろうとしているのを感じて、なにか声をかけたかった。
なぜ、わたくしを助けてくれるのです?
あなたは何者なのですか?
そんな言葉が浮かんだがエレノアがかけた言葉は違った。
「またお会いできまして?」
『闇を纏う者』はわずかに間を空けてから言った。
「縁はつながっている」
すっ、音もなく『闇を纏う者』は消えた。
えにし……縁。
その言葉がエレノアの心に引っかかった。
すぐに、昨夜、壁を挟んで行った会話を思い出す。
「縁があったら、またどこかで」
彼、クロウはそう最後に言った。
あっ、とエレノアは思わず声をあげていた。
そうだ。やはり、そうなのだ。
『闇を纏う者』だったのだ、あの時、会話した隣人は。
『闇を纏う者』と目が合った時、とても親しみを感じたのは、そのせいだったのだ。
クロウ。
エレノアはドキドキと胸で早鐘を打つ、心臓にそっと手を当てた。




