ゴブリンとお嬢様
アルカディア歴1824年4月22日
ルゼス王国ヴァミリアン伯爵領山道
山道を大きな馬車が進んでいく。
2頭仕立ての立派なもので、供も連れずに人気のいない山道を進んでいく様は異様ですらある。
だが、車内で揺れる照明の下、本を読む馬車の主は、そんなことなど気づきもしない。
時折、思い出したように外の景色を眺め。
前面の窓から見える御者の青年の後頭部に話しかけるくらいである。
また御者が舌打ちした。
「お嬢、この馬車は大きすぎるよ。買い換えよう」
御者が振り返りもせずに言った。
「戯言を。それより、先ほどから、車体をこすってばかりいますわ。その度に、わたくしの心も傷ついているのです。本当に、お気をつけください」
「でかいんですよ、無駄にさあ」
「それをうまく操るのが御者の腕の見せ所ではありませんの?」
「できることと、できないことがありますよ。言っときますけどね、俺じゃなきゃあ、とっくに脱輪してますからね」
「わたくしの大切な馬車なのですからね」
「そりゃあもう肝に命じてますけどねえ」
そう言っている間にも、道に張り出した枝が馬車の側面をこすった。
「ロディさん、言っているそばから、ですわよ」
「もう、こうなったら、お嬢が、全部、枝を切り払っていくしかないんじゃないですか。暇そうだし」
「失礼な方。わたくしは暇ではありません」
といいつつも、エレノアは読書に戻った。
言葉ほど馬車に枝が触れることを気にしてはいない。ただ、ロディに嫌味を言ってやりたかっただけだ。
彼はことあるごとに軽口を叩いたり、エレノアをからかってくるので、仕返しのつもりである。
あの夜。
ホークが去った夜以来、エレノアの張り詰めたような心は、ゆとりを取り戻していた。
思いっきり泣き、そして、クロウに話を聞いてもらったからだろう。
クロウ。またいつか、どこかで会えると良いのですが。
エレノアはそんな風に顔も知らない男のことを思う。
ひょっとしたら、とエレノアにはある推測が浮かんでいる。
賊の襲撃を受けた時に助けてくれた『闇を纏う者』。あの人は、クロウだったのではないか?
両者になにかの一致があるわけではないが、なぜか、そんな気がするのだ。
そして、その推測はエレノアの心を妙に落ち着かない気持ちにさせた。
馬車が止まった。
「お嬢。魔物だ」
ロディが振り返る。
あまり慌てた様子はない。
「出番ですよ。ちょっと、ぶち殺してきてくださいよ」
「そのおっしゃりようは、どうかと思いますわ」
言いながらもエレノアは馬車を降りた。
見ると、確かに道のずっと先に、人影のようなものがいくつも見える。距離があるのでシルエットだけしかわからないが、頭身を加味すると、子供たちが戯れているように見える。
「よくぞ魔物だとおわかりになりましたわね」
「山の中で子供の影を見たら、ゴブリンだと思え。旅をしてりゃあ、それくらいの知恵はつきますよ」
御者台にうずくまるようにして、ロディ。毛布をかぶって丸まっている。
「それで? 主たるわたくしに魔物の始末を頼んだ、あなたはなにをなさっているのです? 御者台にとても興味深い物体が出来上がっておりますわね」
「魔物って怖いじゃないですか。こうしてれば、万一お嬢がお亡くなりになったときに、人間はもういないと、思うかなって」
エレノアは呆れるよりも、おかしさを感じた。笑いを噛み殺す。
「もしも、わたくしが戦えなかったとしたら、いったい、どうなさっていたのです?」
「ひとりだったら逃げますね。連れがいたら、そいつに戦ってもらいますね」
「まあ、ご勇敢ですこと」
「頑張ってくださいね、お嬢。俺、まだ死にたくないんで」
「大丈夫ですから、わたくしの活躍をご覧なさい。わたくしはこう見えて、かなり強いですわよ」
「自分で言っちゃうところが、素敵だ」
「客観的事実を申し上げたまでですわ。あと、ついでに言わせてもらえば、あなたは客観的に見て、とても駄目な人ですわね」
「こう見えて、結構、モテるんですよ」
顔だけ毛布から出して、言った。わざとらしいほどキリッした顔。
「顔だけは良いですものね。顔だけですけど」
「お嬢も見かけだけは俺の好みですよ」
「言ってなさい」
言いながらも、ストレートに褒められ、顔を赤らめてしまう初心なエレノアであった。
ロディの視線をついつい意識しながら、ゴブリンに向かって歩んでいく。
そうしながらも腰の剣を抜く。
緑色の体色。大きな頭に細く短い手足。身長は1メートル前後。毛皮を腰に巻いたり、肩からかけたりしている。手にしているのは、石斧や、木の槍。
ゴブリンはようやくエレノアに気が付いたらしく、警戒した様子でこちらを見ている。その数10体。
エレノアは、なぜ、魔物たちが馬車を強襲しなかったのか不思議に思った。
実はこれは、クロウが加護技を使い、馬車の気配を隠していたためである。気配どころか音さえも周囲には漏れていないのだ。
ゴブリンたちからすれば、いきなりエレノアが現れたように感じたことだろう。
ゴブリンのうち粗末な弓を持った個体が、それをエレノアに向けて、引き絞った。
エレノアは急ぐでもなく、ゆっくりと近づく。
矢が放たれた。木片を削って先を尖らせただけの矢。だが、意外にまっすぐに飛んできた。
エレノアはそれを切り払った。
そのまま駆ける。
ゴブリンもギーギーと声をあげながら、突撃してきた。
エレノアは小さな魔物の間を、さっさと避けるように、軽やかに駆け抜けた。その間、陽光がキラリ、キラリと、彼女の剣に跳ね返り、一瞬のきらめきを見せる。
ゴブリンの群れを抜けたエレノアは、振り返りもせず剣を鞘に納めた。
乱れた髪の毛を後ろに流す。
その背後では、ゴブリンが真っ赤な血をあふれさせながら、綺麗に二つに割れていった。
わたくしでも冒険者になれるかもしれませんわね。
などと自分の手並みに満足しながら振り返る。
すると、いつの間にかロディがいた。顎に手を当ててゴブリンの死骸を見ている。
「いつの間に。隠れて震えているかとばかり思いましたのに」
「いえいえ、ちゃんと、お嬢が、バッサバッサとゴブリンを斬り殺したのを見てましたよ。お見事です。御見それしました」
顔も上げずに適当な言い方である。
エレノアはその態度にカチンときた。
実は自分の剣技を見せて不遜な御者を驚かせてやろう、という思いがあったのだ。
それがあてが外れて、どうでも良いような態度だった。
「態度がよろしくありませんわね。笑顔で労をねぎらうくらいはできませんの?」
するとロディが顔を上げた。
ニッカリと満面の笑顔。
「お疲れ様です、お嬢様」
「わざとらしいですわね。それに言われてからやったのでは手遅れというもの。礼節は大切ですわよ」
「それはいいとしてね、お嬢。どうも、ゴブリンの大きな巣穴が近くにあるみたいですよ。ほら、服や弓と、結構、手が込んでいるでしょう?」
ロディが粗末な弓を引き絞る。
「手が込んでいるようには、とても見えませんけれど」
エレノアは首を傾げた。
どれも適当に作ったような代物で、野蛮さを感じた。
「いや、そりゃあ、人間の物に比べればね。魔物……オークやゴブリンみたいな人型は、群れが大きくなればなるほど、知恵が出てくるんですよ。頭の良い天才型の個体が出てくるみたいで」
「よくそんなことをご存じですのね」
「言ったでしょう。旅をしてれば知恵も知識もつくものですよ」
しゃがみ込んでいたが立ち上がった。
「さあ、行きましょうか。別に素材を剥ぎとりゃあしませんよね?」
「素材? 剥ぎ取り? なんですの、それは」
「ちょっと、お嬢、そんなことじゃあ、冒険者になれませんよ」
「いえ、わたくしは別に冒険者になるつもりはありませんもの」
「いえいえ、せっかくお強いんだから、お貴族様と兼任して冒険者をやったらいいですよ。またいつ追放されるかわかりませんからね」
「そんなに頻繁に追放されたくはありませんわ」
つい声をあらげてしまうエレノアであった。あんな思いは一回すれば十分だ。
「こいつらは我々人間と比べて、魔力にあふれている。魔力を溜めている素石なんかは魔術道具に使えるし、薬やなんかにも使える部位があるんですよ。ゴブリンで言えば、この角とか」
ロディが、再びしゃがんでゴブリンの額についたコブのような小さな角を見せた。
「あと、睾丸なんかもね」
「コーガン?」
「あっ、失礼しました。とんだお耳汚しを」
「なんですの、コーガンとは?」
「男なら誰もが持つ、弱点であり、武器ですよ。まあ、ともかく、そういった金になるものを、死骸からはぎ取るわけですよ。冒険者は」
「それで、コーガンとは?」
「お嬢、言わなくても良いことを言わないのがデリカシーってもんですよ。相手が言葉を濁したら、察して、それ以上聞いちゃいけませんよ」
「あなたにデリカシーを説かれるとは思いませんでしたわ」
エレノアはロディを睨みつけた。
「じゃあ、気を取り直して行きましょうか。巣穴が近くにあるんじゃあ、また、ぞろぞろ出てくるかもしれませんからね。先に戻っていてください。俺は、これを片付けていきますから」
言ってロディはゴブリンの死骸をつかんで、道の外へ放り出す。
「そんなもの踏みつぶして行けば良いのではなくて?」
ロディが顔を向けた。
その顔が少し寂しそうで、エレノアは自分がまずいことを言ったような気がした。
「俺はね。命には敬意を表するべきだと思ってるんですよ。どんな生き物も、精一杯生きてきたわけですからね。憐れむ気はないし、墓まで作るつもりもありませんが。亡骸を踏みつぶしたり、ひきつぶしたりってのは、気が進みませんね。もちろん、ただの自己満足ですけど」
「思ったよりも感傷的ですのね」
「いけませんか?」
「嫌いではありませんわ」
「お嬢、俺に惚れちゃ駄目ですよ」
「蹴飛ばしますわよ」
◇
ゴブリンと遭遇してから、しばらく進んだところだった。
再び馬車が止まった。
またゴブリンかしら。
エレノアは読んでいた本から視線を上げた。見ると、すでに御者台は空で、ロディが道を走る背中が見えた。
わたくしにひと言もないのですか。
エレノアは、むかっ腹をたてながらも、馬車から降りた。だが、その時には、道を駆けていた御者の姿は見えなくなっていた。
「まったく、どこへ行ったのかしら。馬車を放り出して」
馬車馬に向かって言う。
もちろん馬たちが答えるはずもない。
待つべきか、追いかけるべきか、迷っていると、馬がいなないた。
まるで、見ろ、と言っているようにエレノアには思え、顔を上げる。
道の先に小さな影が見えた。ロディのようだ。手を振っている。
こっちへ来いということらしい。
「ずいぶんと足の早い人ですわね」
逃げ足を鍛えているのかしら、と思いながら、ロディの元へ向かう。
するとロディの下に馬車が横転しているのが見えた。彼はその上に乗って、手を振っていたらしい。
エレノアは走った。
彼女も本気で走れば速い。
あっという間に横倒しになった馬車の元へと到着した。
1頭仕立て。乗車用の箱の後ろにホロの張った荷車が取り付けてある。荷車から様々な物がこぼれていた。小麦の入った袋。箱に入った衣類、道具類。
どうやら旅商人のようだ。
無残に殺された馬車馬。
そして、馬車の傍らの血だまりに倒れる男。彼のそばには男児の亡骸があった。
首が割かれている。
ロディは男を介抱していた。とはいえ、胸に深々と突き刺さった木の槍は致命傷。今にもつきかけようとしている命。『上級治癒』や『完全回復』などの上位治癒魔術でなくては治せないだろう。
そして、エレノアの使える治癒魔術は『中級治癒』である。時間をかければ治すことはできるが、その時間がない。
「お嬢、治せますか?」
ロディが静かに言った。いつもとは違った声だった。
「いえ、わたくしが使えるのは『中級治癒』。この傷では……」
言いながらも、エレノアは今にも死にそうな男に違和感を覚えた。
すぐにそれが出血が完全に止まっているためだと気づく。槍が突き刺さっているにも関わらず、血がまるで流れていない。
エレノアは男がしきりと何かを訴えていることに気が付いた。
「何か、おっしゃってますわ」
かがみこみ男の口に耳を寄せる。
「……妻と、娘は……」
虚空を見つめたままパクパクと口を動かしていた男が、かすれた声で言った。
エレノアは顔を上げた。
「この場にいたのは、この方だけですの?」
ロディがうなずいた。
「この場にはいらっしゃいません」
エレノアは言った。
だが、男には聞こえなかったようだ。
もう一度、耳元ではっきりと告げる。
エレノアのシャツの袖が引かれた。男がつかんでいた。
「……頼む……」
その言葉が最後となった。
男は口を開いたまま動かなくたった。
ロディがそっと男のまぶたを閉ざした。
「この方のご家族は無事に逃げられたかしら」
エレノアが言った。
ロディは、一瞬、エレノアがなにを言っているのか分からなかった。すぐに、彼女が、男の妻子がこの場にいないのは、逃げたためだと考えていることに気付いた。
「それならいいですがね。彼女たちがこの場にいないのは、十中八、九、ゴブリンにさらわれたからだと思いますよ」
なっ、とエレノアが驚きの声をあげる。
「そのようなことが……。さらって、どうしようと言うのです。食べるのですか?」
「そりゃあ、繁殖用でしょう。連中、やたらと人間と交配したがるんですよ。強力な亜種が生まれますからね。そういうのが、リーダーになったり、王になったりね」
「交配?」
つぶやいた後、エレノアの顔が青ざめた。
「そ、そんな、そんなことを。ゴブリンが人間を……」
「まあ、ゴブリンに限った話じゃあありませんけどね。オークなんかもそうですし」
言うと、ロディは男を道の傍らに横たえた。
「お嬢、埋めてやりたいんで、少し待ってもらえませんかね。あと、馬車もどかさないとな」
エレノアに背中を向けたまま言った。
エレノアはキッとロディの背中を睨んだ。
「妻子を頼まれました。さらわれたのならば、助けに行きます」
「大変ですよ。どうも結構な規模だ。ここの辺りの領主は、ずいぶん放置してきたらしい。少なくとも百はいるんじゃないかな」
「だからと言って放っておけますか。わたくしは頼まれたのです。妻と娘を頼むと」
「とはいえ、ね。あっ、ひょっとして俺を勘定に入れてます?」
「誰も、あなたには期待していませんわ」
エレノアは言うと木々の中に分け入っていった。振り返る。
「わたくしが戻ってくる前に、馬車が通れるようにしておきなさい。それから、その方を埋めるのはお待ちなさい。最後のお別れをさせてあげましょう」
「はいはい。お嬢が帰らなかったら、馬車は貰っちゃいますからね」
エレノアは振り返りも立ち上がりもせずにそんなことを言う御者に怒りを抱いたが、今はそれどころではないと踵を返して、木々の奥へと向かった。
そのためロディが微笑んでいることなど知るはずがなかった。




