ジークフリートの悲劇①
アルカディア歴1824年4月22日
エフィレイア王国王都ウィンストン
エフィレイア王国王宮。
王都の中心に位置する国王の居城は、小さな街ほどの規模がある。城を囲う城壁は高く、掘りに渡された跳ね橋の先の城門のみを通って、唯一、王宮に出入りできる。
王宮には王国の政治を担う大臣の執務室や資料庫、謁見の間、大ホールなど、公的な場と、王族が住むプライベート空間がある。どこからどこまでが、としっかりと線引きしてあるわけではなく、この施設は王族用。この塔は政治用、などなど、入り混じっている。
そのプライベート空間のひとつ、『銀翼の
館』は、人の出入りの少ない区画に建てられた離宮で、成人した王子や王女のための施設のひとつである。
ここ何十年かは使用されていなかったが、つい先日から、第1王子ジークフリートと彼の新たなる婚約者アライアのための新居となっている。
公爵令嬢エレノア・ウィンデアとの婚約を破棄したジークフリートは、語り草となった断罪パーティの翌日には、アライアとの婚約を発表。エレノアが王都を追い出された日に、アライアを『銀翼の館』に迎え入れた。
青い髪に濃紺の瞳を持つ美男子、ジークフリート・レイアーは、この朝も清々しい気持ちで目を覚ました。
上体を起こし、隣で眠る黄緑色の髪の少女に満足げな視線を落とす。
エレノア・ウィンデアが自分の未来に二度と立ち塞がらないという解放感。人生の素晴らしさを再認識させてくれる。
ジークフリートは昔からエレノアが苦手だった。
あの何もかも見透かすような目。自分よりもはるかに武芸に秀でた才能(エレノアは王国主催の剣術大会未成年の部で、五年連続優勝している)。
そして、例え傷だらけになっても正しさを貫きたいという強い意志。
王宮内で上手に立ち回り、敵を作らないようにしてきたジークフリートにとっては、存在そのものが目ざわりで仕方なかった。
卑怯で卑屈で悪いか。
保身のために嘘をついたって良いじゃないか。誰かを傷つけても、自分が傷つかない道を選んでもいいじゃないか。
婚約が正式に決まってから、毎朝、憂鬱で仕方がなかった。また1日、その日が近づいた。そう感じた。
エレノアとの暮らしは、きっと息苦しく、惨めなものとなることだろう。
それでも婚約を破棄するわけにはいかない。相手はエフィレイア王国の2大公爵家のひとつ、ウィンデア家の次期当主である。ウィンデア家は平民からの人気が高く、良識家と呼ばれる貴族たちの支持も厚い。粗雑な扱いはできなかった。
そんな憂鬱な朝を振り払うように、ジークフリートの前に現れたアライア・フローリー。
あけすけで素直な彼女にジークフリートは惹かれていった。それはやがて恋に変わり、小さな火は大火となって燃えがった。
それまでエレノアの目を気にして素行に注意していたが、恋の炎はそんな打算を打ち破り、彼を突き動かした。
だから、アライアから、エレノアから数々の嫌がらせを受けていると涙ながらに打ち明けられた時、怒りのままにエレノアを糾弾しようとさえした。
「お待ちください、ジーク様。相手はエレノア・ウィンデアです。下手なことをしては、ジーク様に傷がつきます」
「そんなもの構うものか。君を傷つける者は私が許さない。例え、エレノア・ウィンデアでもだ」
「宰相閣下に相談されてはいかがでしょう? エレノア様の後見人たる宰相閣下の言葉ならば、あのエレノア様にも届くはずです」
「なるほど。宰相閣下ならば悪いようにはすまい」
などというやり取りを経て、ジークフリートは宰相ハリス・ローゼンに、エレノアがアライアに陰湿な嫌がらせを繰り返している旨を話した。
もともと、宰相ハリスは、ジークフリートとアライアとの仲を黙認してくれている。
ある時、アライアとの逢引を偶然、宰相ハリスに見られたことがあった。
これはまずい。
青ざめるジークフリート。
だが宰相ハリスは、穏やかに笑ってジークフリートに耳打ちした。
「なに、男とはそういうものですよ。それに、あのエレノア・ウィンデアを妻にしなくてはならない殿下には、愛妾が何人も必要でしょう。今から見繕うのは先々のために、結構なことです」
宰相ハリスのその言葉で、ジークフリートは調子に乗り、アライアとの仲を取り繕わないようになったのである。
そういった経緯があったので、ジークフリートが宰相ハリスに相談したのも、自然な成り行きであった。
相談を受けた宰相ハリスは、苦虫を噛み潰したような顔でうなずいた、
「エレノア・ウィンデアは才能豊かなため、傲慢なところがありますからな。殿下のご寵愛を受けし、かの娘を敵視するのも無理からぬこと。エレノア嬢の攻撃は今後、ますます激しくなってゆくことでしょう」
私の方で、なにか手を打ちましょう、と宰相ハリスは請け負ってくれた。
フローリー男爵から、娘が暴漢に襲われ、殺されそうになった、という話を聞いたとき、ジークフリートが真っ先に疑ったのは、エレノアだった。
勇んでウィンデア邸へと向かおうとするジークフリート。フローリー男爵は、すでに宰相が動いている旨を告げた。
「実は、もう犯人は捕らえ、自白も済んでいるのです。そもそもアライアが無事に済んだのも、宰相閣下が、娘に陰で護衛をつけていてくれたため」
「さすが宰相閣下だ。抜かりがない。それで、やはり黒幕は……」
この時、ジークフリートは期待を込めて聞いた。
エレノアが黒幕だったら、すべてが解決する。
「エレノア・ウィンデア様で間違いないそうです」
こうして、あの断罪劇へと至るのである。
ジークフリートにとっては、すべてが良い方向へと流れている。
アライアは少し浪費癖があるが、次期国王たる自分にしみれば、それも可愛いものである。
ジークフリートはアライアの黄緑色の髪を撫でた。
小さな声をあげて、アライアがもぞりと体を動かした。シーツから、アライアの白い肌がはみ出した。
ジークフリートはアライアのむき出しの肩に手をかけた。
アライアがくすぐったそうに身を捩り、それから目を開けた。
「おはようございます。ジーク様」
「おはよう、アライア」
長い口づけ。
顔を離したあと、アライアが言った。
「ジーク様、私、馬車が欲しいんです。ほら、あの女が乗っていたような大きくて、馬が2頭つなげる馬車。曳かせるのは、もちろん選りすぐりの白馬。そんな馬車で、街を走ったら、きっととても気分が良いに違いありません」
◇
王宮の端にある『銀翼の館』とは対照的に、城の中心にある宰相の執務室。
白い髪を油できっちりと固めた老紳士が、机に向かい、ペンを動かしている。
彫りの深い顔立ちだが目元は柔和。
若い頃はさぞ貴婦人たちのあいだで浮名を流したであろう、美男子の面影が残っている。
エフィレイア王国宰相ハリス・ローゼン。
2大公爵家のもう一翼、ローゼン家の当主であり、影の薄い国王の代わりに政務を司る王国の中心人物である。68歳。
部下が報告のため入室してきても、しばらくペンを進め続ける。やがて、手を止めて顔を上げた。
それを機に部下が報告を始める。
念には念を入れて、いくつか暗号めいた言葉を使っている。
内容はエレノア一行の襲撃の顛末である。
ルゼス王国内に潜入している者からの通信魔法道具(アルカディア時代の遺物。現存するものは少ない)。
「白鳥は逃れたか……」
ハリスはつぶやいた。
白鳥とはエレノアのこと。彼女の暗殺には周到な手を打った。にも関わらず、それを逃れるとは。
さすがだな、バイゼル。
心の中で亡き親友でエレノアの祖父、バイゼル・ウインデアを称賛した。
さすがに彼が手塩にかけて育てた孫娘である。
エレノアの追放劇、いやその根本原因となったアライア・フローリー男爵令嬢を、ジークフリート王子に接近させた黒幕はハリスである。
婚約破棄の計画は、バイゼル・ウインデアがエレノアの身の安全を考え、第1王子ジークフリートとの婚約を進めた時から考えていた。
エレノアが普通の娘で、多少、有能程度の人間ならば王妃とウィンデア家当主を兼任しても問題はなかった。
また、無能ならば無能で、いくらでもやり用はあった。
だがエレノアは優秀すぎた。
平民の人望厚いウィンデア公爵家。さらにその血が色濃く現れたエレノアには、三つの加護技が発現した(フレア神の加護たる力。ミッド大陸のみでみられる)。
それだけではない。武芸にも学問にも秀でている。王国警備隊や近衛騎士団を任せられるだろう器。
なによりもやっかいなのはウィンデア家の家風ともいうべき清廉さだ。腐敗や汚濁を許さぬその性格。
エレノア・ウィンデアがウィンデア公爵となり、さらには王妃となれば、エフィレイアには内乱が起こるだろう。
そして、どちらが勝ってもレイアー王家は衰退する。その未来がハリスには読めた。
だが、ハリスとて親友の孫娘を手にかけるのは気が引けた。そうならないように、バイゼル亡きあとは、彼女を堕落させるような誘惑をいくつも用意した。
悪い友人。魅力的な異性。浪費の快感。
エレノアは揺らぎもしなかった。
悪い遊びに誘う友人を冷たく突き放し、友好を断ち。
容姿も中身もジークフリートよりも上回る男性の誘惑にも、無関心。
金を使う楽しさを教えても、眉をひそめるばかり。
時間は過ぎていき、決断を先延ばしにする猶予は、どんどん無くなっていった。
こうなればエレノアに泥をかけ、失墜させるほかない。
なんらかの罪をかぶせ、それを理由にジークフリートとの婚約を破棄させる。あとは一生、館に幽閉して、安穏に過ごさせればよい。
アライアはそのための手駒だった。
ことは予想以上にうまく運び、そろそろ、エレノアに罪を着せて、婚約破棄をさせようかと考えていた、その時だった。
エレノアがアノー侯爵を断罪する訴状を提出してきたのだ。
完璧な証拠。反論の予知のない告発。
確実にアノー侯爵家とその下の貴族たちを仕留めるだけの威力を持つ内容だった。
腐敗のもっともたるアノー侯爵とその一派。彼らを粛清すれば、バイゼル亡きあとタガの緩んだ貴族たちは襟を正さずにはおられない。次々と反乱を起こす平民たちの溜飲も下がる。
できすぎの一手。
もし、王国のすべてを知り尽くすハリスでなければ、その手に乗っていたかもしれない。
だが腐敗はエレノアが知るよりもずっと根深い。バイゼルが睨みを利かせていたために、表面化していなかっただけで、貴族たちは裏で様々な不正、悪事を働いていた。
もし、大規模な粛清を行えば、芋づる式に王国貴族の半分以上に類が及ぶだろう。もちろん彼らが黙って粛清されるわけがない。
訴状を握りつぶす。
これはいい。
問題はエレノアを支持する者たちだ。
これだけの訴状を作るには、それなりの味方がいる。エレノアが存在する限り、彼女はそういった者たちの旗頭となりえる。
かといって国外追放すれば危険分子を外に出すだけとなる。エレノアの祖母はクレイモス王家の王女。現王フレベルはエレノアの亡き父のいとこ。他の親類も存命で、かの国の中枢にいる。万一、国が乱れた場合、エレノアをかついで武力侵攻をしかねない。
殺すしかない。
それがハリスの出した結論だった。
「炭焼き小屋の番人に連絡を。白鳥を仕留めるための資金は惜しまぬように」
ハリスは部下にそれだけ指示を出した。
炭焼き小屋はルゼス王国を差している。番人はハリスの指示で裏の仕事に当たる組織のリーダー。
部下が退出する。
扉が閉まったところで、ハリスはニヤリと笑みを浮かべた。
「大した娘だな、本当に」




