エルシュニーアは禍々しく
こうしてクローディウム帝国は旧ルゼス王国領を支配下に置いた。
クレイモス、ルゼス、両国の領土を手に入れたクローディウム帝国の次の目標はエフィレイアである。そのエフィレイアは現在、国王フランツ自らが軍を率いて東進。
さすがはエレノアの出身国だけあり、彼女の人気は高い。なにしろ、平民のウィンデア家に対する信頼は厚いのだ。
エフィレイアのフレア神殿でもエレノアを支持する者たちが多かった。本来なら、アルカディア聖教を広めようとするエレノアを敵視するべき聖職者たちの多くが、エレノアの全土放送で改宗してしまったためだ。
神に生涯を捧げたからこそ、エレノアが発した奇跡の光が。その刹那の体験が、真に自分の求めてやまなかったものだと理解したのである。
そういった理由で各フレア神殿が中心となり反乱を起こし始めている。
神々からご助力を得ているエレノア陛下こそ我らを導く存在である、と。
そんな中、エフィレイア王国の王都で異変が起こった。
エレノアがフレア教帝国皇帝ルイン・サークスを討って、1週間後、アルカディア歴1834年12月27日のことである。
その日、エレノアの全土放送が再び行われた。
前回のように、空に玉座に座るエレノアの姿が映しだされ、フレア教帝国を打破し、旧ルゼス王国領をすべて支配下に置いたことを宣言。
「残るはエフィレイア王国。故国だとはいえ、容赦はいたしませんわよ。明日から我がクローディウム帝国軍の侵攻を開始しますわ。光の神フレア様、闇の神シャドー様、わたくしに御力添えをお願いします」
最後の祈りで、エレノアが光の爆発に変わる。
再び大陸全土に降りそそぐ奇跡の光。その効果も以前同様だった。
エフィレイア王宮、エレノアの放送を見ていたエルシュニーアは、あ~あ、とつまらなそうにつぶやいた。
「また、治さないとじゃないですか。エレノア様ったら、酷いことするなあ」
傍らでは彼女の3人の腹心が倒れていた。聖騎士レディウス・オルセン、ルゼス王家に仕えていた隠密部隊『見えざる牙』の統領オルトー・レイン、そして『剣聖』の二つ名を持つファーガット男爵夫人。
ニーアはエレノアの放送が始まった瞬間に、高濃度の魔力の結界を張り巡らせ、なおかつ彼らを眠らせた。にも関わらず、エレノアの発した光は彼らの魂に浸透し、修復を始めている。
「フランツ陛下も逃げ出しちゃったし。王都も飽きちゃったなあ」
フランツが軍を率いて王都を出ていったあとニーアは王宮を掌握した。フランツの家族を手に入れて遊ぼうと思ったのだ。
だが、フランツは周到にも家族や信頼する家臣たちを引きつれていってしまった。
城内に残るのはニーアの影響下にあった者たちばかり。そんな彼らもエレノアの放送で、大きく揺らぎ、あるいは正気になり、あるいは昏倒して目覚めない。
そこに二度目の放送である。
今回の光でニーアに敵意を抱く者も出てて来そうだ。
「なんだか、面倒臭いな。もう、さっさとエレノア様を手に入れちゃおうかな」
ニーアにとって最大の関心ごとはエレノアである。エレノアを使ってどう遊ぶか。ここのところは、そればかり考えていた。
予定ではエフィレイアの王宮でエレノアを待ち受けるつもりだった。だが、どうもエレノアの率いるクローディウム軍は思っていたよりもずっと強力だ。
ニーアは、パンと手を叩いた。
「そろそろ、あれ、やっちゃおうかな」
さんざんこの街で楽しんだ肉遊び。あれは一つの実験だった。さらなる遊びのための実験。
ニーアが軽く手をかざすと窓が溶けるように消えた。
白色の光を身に纏いながら、ニーアは窓から身を躍らせる。
彼女がいたのは城の尖塔の一つ。ニーアの体は地上へと落下し、石畳の敷かれた地面へと叩きつけらる。
ニーアの頭はグシャリと潰れ、その体は破裂し、周囲に血があふれる。
即死。
だが、次の瞬間、ニーアの体が大きく膨れ上がった。肉の塊となり、どんどんと肥大化していく。
瞬く間にニーアの肉の塊は城を覆いつくし、さらには街を呑み込んでいく。
王都の人々は、ここ数ヵ月間に何度となく現れる肉の怪物を目にしている。だが、今回はその比ではなかった。
肉の壁が、肉の天井が、迫ってきて、家屋を次々と呑み込んでいくのだ。
必死で逃げる人々。だがニーア肉塊の巨大化はあまりにも速く。人々を肉の壁に取り込んでいった。
出現からほんの10分足らず。
エフィレイア王都ウィンストンはニーアの巨大肉塊に呑み込まれてしまった。
さらにニーアの肉塊は巨大化し続ける。王都のみならず、周辺の村や街までも呑み込んで、大きく大きく広がり続ける。その高さは山を越え雲まで届く。
それでもニーアの巨大化は止まらない。
まるで全てを呑み込もうとしているかのように。
◇
アルカディア歴1834年12月27日
クローディウム帝国帝都ゴルディーヘルム
「お久しぶりですわね。フランツ陛下」
エレノアは目の前に映し出された青年に微笑んだ。
現エフィレイア国王フランツ・レイヤー。
彼の隣にはアルベルト・アルクが立っている。
全土放送でエフィレイアに対する宣戦布告をしたエレノアはその直後にアルベルトを、西の国境付近に陣取っていたエフィレイア軍に使者として送った。
なにしろ、ゲートは各地にあり、なおかつ乗用箱という馬車などとは比べ物にならないほど高速で移動できる乗り物もある。
1時間も経たぬうちに、アルベルトはエフィレイア軍の元へと到着。そこから通信魔法により、君主同士の会談となったわけである。
「ほ、本当にお久しぶりですね。その、あなたは死んだとばかり思っておりましたので、なんというか。驚きましたよ」
フランツはエレノアに見つめられ、顔を赤らめながら言った。
すでに結婚して子供もいる身である。浮気心などないが、それでも初恋の相手というのは特別なものだった。
ましてや相手は神々の寵愛を受ける唯一無二の存在。きらびやかな玉座すら、光を発するような(実際、わずかに光っているのだが)エレノアの前ではその絢爛さが控えめに見える。
「あなたは本当に、昔と変わらず、いや、それ以上に美しい」
「ふふっ、お上手ですこと。そうそう、あなたの兄君、ジークフリートさんにお会いしましたわよ。神々の世界から戻ってすぐですわ。クレイモス王国の東、エルヴァンテという街で宿屋を営んでいらっしゃいました。アライア・フローリーと夫婦となって」
「兄上に。そ、それは、また、なんとも」
フランツは驚きのあまり、それくらいしか言葉が出なかった。元婚約者とその恋人。
エレノアがどんな気持ちになったのか、想像がつかない。
「あら、そのような顔をなさらずとも。わたくしは彼らになんの興味も湧きませんでしたわよ。ただ、懐かしい人がいると思ったくらい。まあ、アライア・フローリーに対しては首をはねてしまおうかとも思いましたけれど」
「その、こんなことをお聞きするのは、どうかとも思うのですが。兄上は元気でしたか?」
「ええ、とてもお健やかそうでしたわよ。夫婦仲も良さそうで。そうそう、アライア・フローリーは身ごもっておりましたわ」
「そうですか」
フランツはしみじみと言った。
報いを受けたアライア・フローリー。それでも彼女とともに平民となった兄ジークフリートの一途さには心にくるものがある。
「さて、積もる話もありますが、そろそろ公的なお話に移りましょうか。構いませんこと?」
「そうですね。確かに、互いに立場がある」
フランツの顔が国王のそれになった。
「まずはフランツ陛下の御心積もりをおうかがいしたいですわね。貴軍の目的はなんですの?」
「クレイモスに侵攻するフレア教王国軍を支援する、というのが表のこと」
「そう見せかけて、ルーベリアを突く御積りでしたのね」
「そうですね。ハリス・ローゼンの最後の献策でした」
「まあ、ハリス様の」
エレノアの顔が懐かしさにほころぶ。
ジークフリートへのこだわりが霧散したように、ハリス・ローゼンへの感情も変化があった。いや、彼に対しては命を狙われていた時ですら、単純な怒りや憎悪ではなかった。結局、彼への敬愛の念は捨てきれなかったのだ。
エレノアはフランツの言葉の意味に気づくのが僅かに遅れた。フランツの顔に寂しさが浮かんだので、それによって気づかされたのだ。
「最後、とおっしゃいましたのね」
「はい、ハリス・ローゼンは亡くなりました。ちょうど、あなたの姿と声が、最初に空に浮かんだあとのことでした。笑っていましたよ、彼は」
「そう……ですの」
エレノアは目を閉じた。
ハリス・ローゼンに最後に会ったのは、あの訴状を出した時。あれから、本当にいろんなことがあった。思えば、あの頃はまだ自分は子供だったのだろう。
祖父バイゼルとともにハリス・ローゼンに会った幼い日の記憶が蘇る。祖父の膝の上に乗って初老の紳士に挨拶したものだ。
感傷を振り払い、エレノアは再び目を開けた。
「フレア教王国はわたくしが倒しました。クレイモスもわたくしの手にあります。フランツ様はどうなされますの? わたくしと一戦交えてみますか?」
「情けないことだが勝負にもなりませんよ。降伏します。我が軍は、いやエフィレイア王国はクローディウム帝国の傘下に入りましょう」
「お早いご決断ですわね」
「なにしろ、軍内部にもエレノア陛下の傘下に入るべしという声が日に日に大きくなっていましてね。さすがに私に直訴する者はないが。空気は分かりますよ。先ほどエレノア陛下の姿を見て、声を聞いて、また増えたことでしょうね」
このあたりの進退への決断の早さはさすがはフランツである。実際、彼がクローディウム軍に対抗することを表明しても、数日もつかどうかというところだろう。
「では、フランツ陛下からエフィレイア国民に降伏宣言をお願いいたしますわ。アルベルトさん、そちらはお任せしても良いかしら?」
「はい。お任せください」
アルベルトが深く礼をする。
エレノアがルーベリアに単身乗り込んで、皇帝を名乗るルイン・サークスとその家臣を粛清したことで、アルベルトは家族の仇を取る機会を無くした。
エレノアはあの直後に、通信でそれについて謝罪したが、アルベルトはそれほどの衝撃を受けなかった。
確かに家族の仇を取りたくはあったが、それよりもエレノアの見せてくれる未来が楽しみであった。大きく動く時代の流れ。それを作る一部となっているという実感、情熱の前には、一個人の復讐心など些細な者のように思えたのだ。
「ところで、エレノア陛下。『聖女』エルシュニーアについてなのですが」
フランツの言葉にアルベルトの顔がわずかに引きつった。ニーアには徹底的に痛めつけれたのだ。嫌な汗が背中を伝う。
「エルシュニーアがどうかいたしましたの? 貴国を使者として訪れているとうかがいましたが」
「これもまた情けないことなのですが」と前置きして、フランツはエルシュニーアから逃げ続けていたことを話した。
さらに、彼女が肉の怪物を次々と生み出していることも。
「結局の現況はエルシュニーアなのですが。どうも彼女を倒す手立てがないのです」
フランツはひょっとしたらエレノアならばエルシュニーアを倒せるのではないか、と期待を抱いていた。
だが、エレノアの表情は優れなかった。
「そうですの。エルシュニーアは本当に」
言葉が続かない。
フランツもエレノアとクローディアスの関係は知っているし、エルシュニーアがそのクローディアスの妹だということも知っている。
だが、クローディアスが妹のために命を捧げたことまでは知らなかった。だからこそ、エレノアの苦悩も分からなかった。
それを察したのはアルベルトである。
「エレノア陛下……」
沈痛な面持ちで彼女を見る。
公私混同はできない。エレノアとてそれは分かっている。エルシュニーアは騒乱の現況。彼女を放っておけば、永延と被害は出続ける。例え、クローディアスを取り戻したいという私情から始めた戦いでも、皇帝となった以上、やらなくてはならない責務がある。
それでも……。
クローディアスが自らの全てを捧げて生かした妹を。幸福にしようとあらゆる骨を折って支え続けた妹を。
エレノアの手で葬るなどと。
できませんわよ、そんなこと。
例え邪悪な存在でも。倒さなくてはならない相手でも。
エレノアにはできない。それだけはできない。
ポンとエレノアの頬がつつかれた。
影人形クロがエレノアの肩に座り、エレナの頬をつついている。
エレノアを勇気づけるように。
大丈夫だというように。
エレノアはクロを肩から降ろすと、両手で握り、眼前に持ってきた。
「クロさん。いえ、クローディアスさん。わたくしを嫌わないでくださいね」
まるでただの少女のようにエレノアは言った。
影人形クロが大丈夫だと言うように、エレノアの手に小さな手を置いた。
最後の最後まで彼女を殺さずに済む方法を模索しましょう。
けれど、それでもそれしかないのでしたら、その時は……。
謁見の間の大扉が開いた。
入ってきたのはドワーフだ。情報部の者で、大陸中を上空から監視する魔法装置『天空の目』を管理する部署の長だ。
「エレノア陛下。エフィレイア王都ウィンストンにて異変が起こってますぞ」
「異変? どういったものですの?」
「なんというか、異常な異変なのです。映像をおつなぎしますで。ご覧あれ」
ドワーフは言ってエレノアの玉座へやってくると、そのひじ掛けのパネルを操作した。
「陛下も扱い方を覚えてくださらねばなあ」
「もう少し簡単にしていただけるとありがたいのですけれど」
どうもアルカディア時代の魔法装置は複雑すぎて、エレノアには扱えない。
すぐに宙に浮かんでいたフランツとアルベルトの映像の一部が別の映像に切り替わる。遥か上空から地上を俯瞰した映像。なにか、赤っぽいものが動いているのが見える。
「なんですの? これは」
「もう少し、寄ってみますぞ」
玉座の脇にしゃがみ込んだドワーフが再びパネルを操作。赤っぽいものが大きくなる。それでも分からない。
どんどん、赤いものが拡大され、やがてそれが剥き出しになった肉の塊のようなものだとわかった。グニャリグニャリとうごめき、水が流れるようにいたるところで肉の壁が流動している。
「これがウィンストンのそばに現れたということですの?」
エルシュニーアが造り出した肉の怪物だろうか、とエレノアは思った。
「少し違いますな。ウィンストンもその周辺の街も村もこの中に入っておりますので。これの大きさは現段階で直径70キロメートルですぞ」
「70キロメートル? 70メートルではなく」
傍らに控えていた側近のトロル、ルヴァーシが驚いて言った。
「あくまでも現段階ではです。我々がこれを発見したのは10分ほど前。その時は、直径30キロメートルほどでしてな。見る見る大きくなってしまった」
「エルシュニーアがなにかをしたということでしょうか?」
映像のフランツが言った。映像は見ていないが、なにやら不穏なことが起こっていることが会話から分かった。
「ベルバズラさん、フランツさんとアルベルトさんにもこれを見せてあげてください。それに、この場にいる方々にも」
エレノアの言葉にドワーフがさらに玉座のパネルを操作。すると、謁見の間の中央に巨大な映像が浮かんだ。そこに映し出された肉の塊。
映像の向こうでフランツとアルベルトがうめく。
「どこかで、拡大が終われば良いのですが、このまま永延と広がり続ける可能性もありますね」
ルヴァーシが冷静に言った。
「10分間で30キロということは半日ほどで、大陸中が呑み込まれますね」
「とにかく調査隊を送りましぇんか? あれがなにか調べなくては」
レプラコーンの側近エッズが言った。
「対策の立てようもありましぇんよ」
「それはその通りですね。すぐに調査団を向かわせましょうよ」
エルフの側近シンフォニアも言う。
「では私が行きましょう」
言ったのは映像の向こうのアルベルトである。
「幸い、乗用箱もありますし、レミー殿ほか、頼りになる方々も同行してくれています」
「そうですね。ゴルディーヘルムからのウィンストンへの直通ゲートはありませんから。それらを考えると、アルベルト殿が最短で到着できますね。『無傷』の加護技を持つ、レミー殿ならば接近できるでしょうし。サンプルを採取してきていただければ助かりますね」
ルヴァーシが言った。
「時間との勝負になりそうでしゅし。私もそれが良いかと思いましゅ」
エッズも言った。
ほかの家臣たちも決断を迫るように、エレノアに視線を向ける。
じっ、と映像の肉塊を見つめていたエレノアは、静かに息を吐いた。
「不要です。わたくしが参りますわ」
エレノアは立ち上がった。
「あれが、エルシュニーアの造り出した肉塊ならば、それに対処できるのはわたくしだけでしょう。ならば、わたくしが行くのが手っ取り早いですもの」
「お待ちください。それはなりません」と今まで冷静沈着だったルヴァーシが大きな声を出す。
なにしろトロルは体が大きい分声量もある。本気で大声を出すと、広間が震える。
レプラコーンのエッズなどはあまりの大音量に気を失って、ポトリと床に転がった。
エレノアは構わずに、スタスタと玉座から離れる。
「陛下に万一のことがあっては、クローディウム帝国は崩壊します」
ルヴァーシが声量を落として言った。
「その時はフレベル殿、アルベルト殿、フランツ殿、三者が協議して帝国を維持するようお願いいたします」
エレノアは背中でルヴァーシに答えると、さっと姿を消した。風になって移動したのだ。
「アルベルト殿、至急、ウィンストンへ向かってください。シンフォニア、即座に動ける者たちを集め、あなたも現場へ」
ルヴァーシが焦って言った。
こうなってはエレノアを止めることはできない。せめて、彼女を守る盾を用意しなくてならない。
「承知した。すぐに向かう。ルヴァーシ殿はその場で指揮を頼む」
映像のアルベルトが言った。顔に焦りが見えるのは、ルヴァーシ同様、エレノアを心配してのことだ。
今やエレノアは大陸中の人々の希望。夢。
絶対に失うわけにはいかない存在だ。




