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ハリス・ローゼン

 アルカディア歴1834年11月30日

 フレア教王国王都ルーベリア



 フレア教王アレキサンデルは息子アルベルトが敵に寝返ったと知って、大いにいきどおった。


「おのれ。なんという恥知らずな真似を。『聖女』様がいかに悲しまれることか」

 息子のことよりも、『聖女』のことを気にする。

「仕方があるまい。この教王アレキサンデル自らおもむいて、軍の指揮を取る」

 そう勇む。


 だが、出立の準備を進めているところに、

次の報告が届く。なんとクレイモス王国へ侵攻した軍がそのまま敵に取り込まれたらしい。


「さてはアルベルトにたぶらかされたか。小賢しい真似をしおって。みておれよ」


 急ぎ、新たな軍を編成させる。もともと、後詰として第二陣の遠征軍は用意してある。それでもさすがに、すぐ出陣できるといわけではない。アレキサンデル自身はすぐに揃えらる兵を率いて出陣したかったが、家臣に止められたのだ。


 その止めた家臣たるヴァルミス・ヴァンゼル宰相は頭を抱えていた。宰相とはいってもフレア教王国内では大神官が幅をきかせているために、発言力は弱い。王の決定したことを現実レベルで落とし込むのが彼の役割である。


 今回の出征にもヴァルミスは内心反対であったがそれでも武官たちと協議して、出征計画を実行に移した。まさか、その彼らが根こそぎ反乱軍に変わってしまうとは。

 教王は怒り、すぐに征伐するための軍を出すと息巻いている。

 だが、なにしろ、第一陣の遠征軍には王国軍の主力を振ってある。それに対抗するための軍ともなれば、かなりの兵数が必要だ。


 招集に編制。最低でも1ヵ月はかかるだろう。こればかりは教王になんと急かされてもどうしようもない。

 兵を出すからには勝ってもらわなくてならない。勝つためには敵より強く、多くなくてはならない。当たり前の話である。


 ヴァルミスはため息をついた。ルゼス王国時代を思いだしたのだ。当時は宰相ではなく上級文官だった。忙しい日々だったが、充実感はあった。

 だが、今は当時よりも権力はあるはずなのに徒労感が強い。クレイモス王国への数々の無理難題。のらりくらりとそれをかわすフレベル王を着実に追い詰めていった。そして起こした無駄な戦争。おまけに、今度はアルベルト王子が出征軍ごと寝返ってしまった。

 ここからは同国民同士の戦いとなる。


 いっそう、アルベルト殿下に王になっていただいた方が良いのではないか?

 そんな考えが何度も頭をよぎる。


 そのたびにヴァルミスは頭を振って、その考えを追い出した。

 自分は宰相である。忠誠を誓うのはただひとり、教王陛下のみ。宰相として、陛下の命を実行に移すのみ。


 それにしても、とヴァルミスは思う。

 まさかアルベルトに反旗をひるがえすだけの覇気が残っていたとは。

 出立前のアルベルトはもはや生きる屍のように、心が死にかけていた。『聖女』にさんざん嬲られた結果だ。


『聖女』はアレキサンデル王の後継者たるアルベルトを骨抜きにして、いいように操れるようにしていたのだろうと、ヴァルミスは見ていた。あの女性は『聖女』という

称号とは裏腹に怖いところがある。

 いつの間にか、城勤めの者の多くが彼女に取り込まれてしまった。

 そもそもアレキサンデル王も……。


 そこまで考えてヴァルミスはまたその考えを追い払う。

 自分はやるべきことをやるだけだ。


『聖女』エルシュニーアがヴァルミス宰相を取り込まなかったのは、彼のこの愚直さゆえだった。わざわざ取り込む必要もないと考えていたのだ。

 魂をいじり、変容させてしまえば、優秀な実務能力まで損なわれてしまうかもしれない。反抗するほどの勇気もないだろうし、このままで良いだろう。


 ヴァルミスが再びため息をついて、机に山と積まれた書類の処理に戻った時だった。

 いきなり、外から大音声が聞こえてきた。

 音は大きいが、美しく心地よい女性の声だ。


 ヴァルミスは、何事か、と窓を開いた。

 そして、唖然となった。


 空に女性が映っていた。

 きらびやかな椅子に座った美しい女性だ。どこかで見覚えがあるような。


 女性がキッと表情を変えた。

 ヴァルミスはドキリとした。なにか、自分を睨みつけているように感じた。まるで自分の不甲斐なさを叱られているように感じた。


 女性の体の周りを白い光が炎のように揺蕩たゆたっている。

 女性が話し始めた。名乗る。


 ああ、そうか、エレノア・ウィンデア……。


 見覚えがあるはずである。10年前ルゼス王国を駆け抜けた英雄。美しく、気高く、強い、正義を尊ぶヒロイン。

 まるで物語の登場人物のような彼女に、この国の誰もが夢中になった。

 だが彼女はクレイモスへと行き、以後、消息を立った。


 エレノアは話し続ける。

 この世界の歴史を。神々との契約を。

 そして、自分がこの大陸を統一し、再び誰もが二神をあがめるようにすることを。


 最後に、エレノアは強烈な光に変わった。

 ヴァルミスは一瞬、気を失いかけた。


 よろめく体を支えながら、空に視線を戻すと、すでにエレノアの姿はなかった。


 それにしても妙に心が軽くなっていた。

 自然と笑いが込み上げてくる。ヴァルミスは声をあげて笑った。



 アルカディア歴1834年11月30日

 エフィレイア王国王都ウィンストン



 これが最後だろうな、とハリス・ローゼンは思いながらも、憔悴した顔で自分を見下ろす青年の顔を見上げていた。

 エフィレイア国王フランツ・レイアー。


 本来ならば寝たまま拝謁などというわけにはいかないのだが、もうハリスは体を起こすことすらできない。


「すまない。病床にある貴殿にこうも頼ってしまってばかりで」

 フランツが言った。


 彼を悩ませているのはフレア教王国からの使者。『聖女』と聖騎士団長のふたりだ。

 今、ちまたでは『聖女』エルシュニーアと聖騎士団長レディウスが英雄扱いされている。


 王都に怪物が現れ出したのはふたりがこの街に来てすぐのことだった。

 肉の巨人。魔物というにはあまりにもいびつで不出来な生き物。それが街に現れ、暴れたのだ。すぐに兵士が鎮圧に向かったが、刃も魔術も加護技スキルすらも効かなかった。

 傷を負わせることはできても、すぐに回復してしまうのだ。怪物は徹底的に暴れまわり、多くの兵士や騎士が死傷した。


 そこに登場したのがフレア教王国の聖騎士団長レディウス・オルテン。

 白い光を身にまとい、光の剣を振るって怪物を一刀両断。すると怪物はただの肉塊に代わり、それが人の形に戻った。もちろん、死体だ。


 それを皮切りに、肉の怪物は次々と王都に現れるようになった。さんざん暴れまわり、街を破壊し、人を殺す。兵士も騎士も冒険者すらも協力して対処しようとするのだが、なにしろ傷を負わせても意にも介さず、すぐに回復してしまうのだ。

 結局、毎回、レディウスが倒すことになる。彼はいつもすぐには駆けつけてくれない。十分すぎるほどの被害が出てから、颯爽と現れるのだ。


 フランツはそれが意図的であるように感じたが、だからといってもう少し早く来てくれと要求するわけにもいかない。

 フランツは未だ病床を理由に『聖女』たちと会っていないのだから。


 肉怪物を倒すレディウスは当然ながら王都で人気になった。

 隣国の聖騎士団長。ハンサムなヒーロー。『聖女』に忠義を捧げる騎士。


 使者として王都へ来たがエフィレイア国王は一向に彼らに会わない。彼らを冷遇している。そんな噂も流れ、フランツへの不満が高まっている。


 それだけではない。

『聖女』と聖騎士団長はエフィレイアのフレア神殿にも出入りし、その声望を高めている。もはや王都のフレア大神殿は『聖女』のいいなりだという。

 なんとか彼らを排除しなくてはならないのだが、ハリス・ローゼンの送った暗殺者は、ことごとく返り討ちにあったか取り込まれたという。


 そして、昨日、フランツはハリスの助言に従い、彼の切り札ともいうべきエフィレイア最強の剣士を口説き落として、『聖女』暗殺に向かわせた。

 だが、それもあえなく取り込まれた。

 なにしろ、今朝、フランツに謁見を求めた彼女は、『聖女』を賛美し、フランツを脅したのだから。


「これより、わたくしの剣はエルシュニーア様に捧げます。陛下、ご忠告いたしますわ。これ以上、『聖女』様をないがしろにするのならば、その首と胴が切り離されることになりましてよ」


『剣聖』ファーガット男爵夫人は布でおおった両目をフランツに向けて言った。

 フランツはまるで眼前に刃をつきつけられたような心地だった。


 もはや打つ手なし。

 最後の頼みとハリスに面会したわけである。ハリスの命が、もはや消えかけていることを知った上で。

 フランツが前にハリスに会いに来たのは2週間前。ファーガット男爵夫人に宛てる手紙を預かった。その筆跡はところどころ震え、かすれ、乱れていた。

 その時も、ハリス・ローゼンは弱々しく、体を起こすのがやっとという様子だった。

 そして今。彼は死に瀕している。


「私はどうすればいい? 教えてくれ、ハリス・ローゼン」

 フランツも考えうる、あらゆる手を尽くしてきた。フレア教王国の宰相に働きかけて使者を呼び戻そうともした。レディウスの父母に説得もしてもらった。

 だが、『聖女』も聖騎士団長もまるで王都から出ようとしない。

 この上は、観念して謁見するしかないのだが、そうすれば、『聖女』に取り込まれるのは必至だ。


 ハリスはフランツの絶望した表情に憐れみを誘われた。

 思えば彼は悪い時に即位したものだ。

 時代が違ければ清廉潔白で英明な王として名を残したことだろう。

 フランツ・レイアーだからこそ、この事態にあっても、まだ『聖女』に取り込まれずにすんでいるのだ。もし、これが彼の兄ジークフリートだったら、とっくに取り込まれ、エフィレイアは掌握されていたことだろう。


 ふと、思った。

 もし、エレノア・ウィンデアがジークフリートの妃となっていたら。あるいはフランツの妃となっていたら。

 ひょっとしたら衆人環視の下で、『聖女』の正体を暴いていたかもしれない。彼女の三つの加護技スキルによって。彼女の苛烈で清廉な魂によって。


 その想像がハリスの口元を緩めた。


「なにか、なにか策があるのか、宰相殿」

 フランツが誤解して、顔を寄せる。


 ハリスは声を出そうとしたが、うまく声が出なかった。フランツが耳を寄せる。


「……お逃げなさい」


 フランツの顔に失望が浮かぶ。

 ハリスは首をゆっくりと左右に動かした。咎めるようにフランツを見る。

 フランツが再び、耳を寄せる。


「援軍を送る名目で兵を集め、ルーベリアを突きなさい」


 これがハリス・ローゼンの最後の策だった。すでにフレア教王国はクレイモスに侵攻を開始している。フレア教王国からの援軍要請を受ける前に、フランツが援軍を送ることを宣言。それで使者の面会理由をつぶす。


 さらに、その兵でフレア教王国の王都ルーベリアを攻撃。アレキサンデル教王を倒す。

 もともと、ハリスはフレベル王と何度となく話し合う中で、この構想を抱いていた。

 フレア教王国軍がクレイモスと戦争を起こした際、エフィレイアがその背後を突く。


 ただ、これをすれば国内のフレア神殿と教徒たちを敵に回すことになるだろう。だから最善策ではない。ただ、このままでは遅かれ早かれエフィレイアは『聖女』によって取り込まれてしまうだろう。

『聖女』を倒せぬならば、彼女の力を、その基盤を削ぐしかない。それがアレキサンデル教王の打破である。


「家族を残してはなりません」

 ハリスは最後にそう言うと、くたりと頭を垂れた。目を閉じる。


 フランツが驚いて声をかける。ハリスはまばたきして、生きていることを伝えた。

 ただ、これ以上の会話は不可能だった。


 意識が混濁として、もはや頭が回らない。


「分かった。ありがとう、ハリス・ローゼン」

 フランツの声が遠くに聞こえる。


 ご武運を。

 ハリスは心の中でそう言った。


 その時、声が聞こえた。

 大きな声だ。そして、懐かしい声だった。


「な、なんだ。これは。魔術か?」

 フランツの慌てた声が交じる。


 ハリスにはすぐに分かった。

 脳裏に小さな幼女の姿が浮かぶ。親友バイゼル・ウィンデアの膝の上に乗って、無邪気に笑っている。


 朦朧とする意識の中、エレノアの声は聞こえ続けた。彼女の言っていることはもはや理解できなくなっていたが、ただ、これだけははっきりと分かった。

 あの娘は生きているのだと。今も戦っているのだと。


 本当に大した孫だな……。

 バイゼル。


 ハリスの意識は白い光に呑み込まれ、安らぎとともに消えた。彼の魂はそのまま肉体へとは戻らずに、フレア神に溶け込む。

 やがていつの日か、別の魂となって、この世界に戻る日が来るだろう。



 アルカディア歴1834年11月30日

 エフィレイア王国王都ウィンストン



 ニーアは空に浮かんだ女性を見て、なんて美しい人なんだろう、と感動した。そうまるでフレア神の化身のよう。

 隣のレディウスが魅入られたように空を見上げているのも、無理からぬことである。


 ニーアとレディウスは大神殿からの帰り道、ゆっくりと街を歩いていたところだった。そこに空から声が降ってきたのだ。


 女性が名乗った。

 なんと、エレノア・ウィンデアであると。


 生きていた。生きていたのね、エレノア・ウィンデア。


 歓喜。ニーアは心が湧きたつのを感じた。

 自分から兄を奪い去った憎き女性エレノア・ウィンデア。

 どうやって復讐しようかとワクワクとしていたのに、勝手に死んでしまい、とても寂しい思いをした。


 ああ、けれど、本当に美しいわ。

 兄さんが夢中になったのも無理ないわね。


 ニーアの体を白色の光がおおう。それが周囲に広がり、空を見上げる人々に絡みつき、その生気を奪っていく。


 エレノア・ウィンデアは語る。

 この大陸の歴史を。神々との契約を。

 フレア教を断罪し、自身が皇帝としてこの大陸を統一し、アルカディア聖教を広めると宣言する。


 ニーアは声をあげて笑っていた。

 なんて素敵な人なんだろう。

 美しくて、強くて、正しくて。

 本当に、素敵。壊しがいがありそう。


 最後にエレノアが光に変わる。

 ニーアはただまぶしいと感じただけで、そこに神の存在を感じることはなかった。

 だが、隣のレディウスは別で、彼はエレノアの光によって神の存在に触れかけていた。それはニーアによって歪められた魂が修復する切っ掛けになる。


 ニーアの体から立ち昇る白色の光がレディウスの体に入り込む。

 陶然としていたレディウスの顔が苦悶に変わる。


「危ない危ない」

 ニーアが言って、レディウスを抱きしめた。

「レディウス様は私の特別ですもの。渡さない」



 アルカディア歴1834年12月

 フレア教王国王都ルーベリア



 一方、レディウスと同じく魂を徹底的に歪められたフレア教王アレキサンデルは、エレノアの光を受けて倒れた。聖騎士たちと違い、エレノアが直接魂を修復したわけではない。フレア神の光により歪んだ魂が修復を始めた。あまりにも歪み切った魂は回復までに時間がかかる。


 倒れたまま目を覚まさない教王。

 さらに城の者たちの何人かも同様の症状で、気を失ったまま目覚めなかった。


 かと思えば、ニーアの影響から脱した者も多かった。歪みの少ない者や、ただ教王の発する影響力から極度の視野狭窄に陥っていた者たちだ。


 さらに反『聖女』ではありつつも密かに機を待っていた者たちや、宰相ヴァルミス・ヴァンゼルのように反抗する気概のない者は、エレノアの発した光によって、気力がみなぎっていた。


「今こそがフレア神殿の影響力を減じるが好機」と長らく麻痺していた王国政府の機能を取り戻すため、躍起になった。


 教王につぐ地位にある大神官たちはニーアに魂をいじられてはいなかった。彼らは純粋にフレア教を信じ、アルカディア聖教を邪教と思い込んでいた。

 エレノアの演説を聞いたときは顔を真っ赤にして憤慨していたが、その直後の光により、彼らは真理に触れた。いや体験した。

 光の神フレアと闇の神シャドーが二つで一つ。どちらがかけても、存在しえないのだと。


 ロアー孤児院の院長ジョージ・バゼルがそうであったように、彼らは実にあっさりと考えをあらためた。何十年にも及ぶ信仰。だが、それを一瞬の体験が上回ったのだ。

 純粋に神を信仰していた者ほど、その傾向が強く、光による体験が深かった。


 逆に現実主義な者ほど光による影響は少ない。

『聖女』エルシュニーアを除く5人の大神官の中で、4人は数日後にその地位を退いた。

 ただひとり、ルイン・サークスだけは違った。


 彼は極めて現実的な感性の持ち主であり、権力に対する執着心の強い人間であった。

 ルゼス王国がフレア教王国になり大神官が教王につぐ地位となってからは自分の権力に酔いしれており、いずれは教王となりたいとまで考えるようになっていた。

 そんなルインにとって、エレノアの奇跡の光はなんら感銘を与えず。ただただ、彼女が語った内容にこそ脅威を覚えた。


「あんな小娘などに皇帝を名乗らせてなるものか」

 むしろ、その地位には自分こそ相応しい。


 ルインにとって大神官の権威などどうでもよかった。それに付随する権力が重要なのだ。そのため、ただひとり残った大神官として、宰相たちに協力し、王国政府の正常化に尽力する。

 そうしながらも、自分の派閥を強化していった。いずれも自身と同類の権力欲の強い者たちだ。ルイン同様、この機会に自身の地位を高めようとする者は多かったのだ。

 王都にいる貴族たち。その子弟。

 同じ貴族でも戦場に行った者たちと違い、彼らにそれぞれの理想や理念はなかった。王国に対する忠誠心もフレア教に対する信仰心もなく、ただ欲望を満たすことにのみ興味があった。


 そんな者たちがルインの元へと集う。

 フレア教王国となって出世の目がなく腐っていたが、そこにチャンスが訪れたのだ。


「教王陛下は目を覚まさぬ。ご高齢でもあることだし、このままご崩御なさるかもしれん。アルベルト殿下は敵方に寝返られ、ルインクス殿下を初めとするご家族も陛下と同様のご様子。エレア・ウィンデアやクレイモスに対抗するため、一時的に大神官たるこの私が教王の代理となろう」

 ルインはそう宣言。


 対して、心ある者たちは宰相を推した。

 ルゼス王国時代だったら間違いなく宰相が指揮を取る場面なのだ。

 こうしてフレア教王国政府は二つに割れた。

 大神官ルイン・サークス派と宰相ヴァルミス・ヴァゼル派である。


 ただ、宰相派は権力闘争をするには良識的すぎた。そして欲が無さ過ぎたのだ。

 一方で、大神官派は欲望にまみれていた。

 それが勝負の決め手となった。


 アルカディア歴1834年12月6日。

 エレノアの大陸全土一斉放送から1週間後。大神官派は行動を起こした。


 宰相の一派が権力を握るため、教王及び、第2王子ルインクスを軟禁している。教王とそのご家族を救出しようではないか。

 そう決起して、兵を率いて城に乗り込んだのだ。


 なにしろ、貴族たちにはそれぞれ子飼いの騎士がいる。兵士たちもいる。留守を預かっていた軍の高官たちの多くも大神官派についていた。


 対して宰相派の中心である上級文官たちには子飼いの兵が少ない。ただでさえ武力で劣るところに不意をつかれたのだ。日中、乗り込んできた武装勢力になすすべもなく、殺され、あるいは捕縛された。

 ついには宰相ヴァルミスも捕らえられた。


「一体、なんのつもりです。ルイン殿」

 縛られ、ひざまづかされた宰相ヴァルミスは目の前の50男を睨む。


 ルインはそれに対して不敵な微笑で返した。

「緊急事態ですからね。いたしかたないことですよ」


 そこへルインの腹心の者が飛び込んできた。

「大神官様。教王陛下はすでに御崩御なさておられました。何者かの手により、剣を突き立てられ」


「なんと。宰相ヴァルミス。そなたの仕業だな」

 ルインは大声でヴァルミスを非難する。

「こともあろうに、陛下を手にかけるとは」


「な、なんのことです。私がなぜ……」

 ヴァルミスは宰相の座につくには善良で愚直過ぎた。もし、ハリス・ローゼンだったならば、大神官派が決起したという報告を受けた瞬間に、その意図を見抜いただろう。


 こうして大神官ルイン・サークスの書いた筋書き通りにことが進んだ。


 大神官ルイン・サークスと彼を支持していた派閥の者たちは、宰相派により軟禁された教王とその家族を救出するため、決起し、王城へ乗り込んだ。だが、宰相一派は悪辣にも、自分たちの悪事が露見するのを恐れ、王とご家族を弑逆しいぎゃく。大神官たちが宰相を捕縛し、その派閥の者たちを倒した時には、すべに時は遅かった。

 このような筋書きである。


 大神官ルインは、その日の夕方には王国中に御触れを出した。大逆人ヴァルミス宰相の処刑と、自身が一時的に、教王代理として働くことを宣言。

 翌日には宰相とその派閥に連なる者たち、悪事に加担した者たちを王都の中央広場にて公開処刑した。


 大神官から教王代理となったルインは徹底的に悪を粛清した。もちろん、この場合の悪とは、ルインに反抗する者たちのこと。

 7年もの間、『聖女』にいいように玩具にされたフレア教王国政府。それが、ルインによって完全に止めをさされた形になった。

 もし、かつてルゼス王家に影ながら仕えていた隠密組織『見えざる牙』が健在だったならば、みすみすアレキサンデル王やその家族を手にかけさせはしなかっただろう。

 いや、反抗の動きを見せる前に、首謀者を暗殺していたはずである。


 だが、『見えざる牙』は『聖女』エルシュミーアがアレキサンデル王に接近した際に、彼女を攻撃。全滅していた。統領オルトー・レインはニーアの手に落ち、レディウス同様に魂を歪められ、彼女の護衛についている。


 また、もし、エレノアの光を受けて、魂が修復されかけていた状態でなければ、アレキサンデル王は肉怪物と化したあと、復活をとげただろう。ルインにとっては意図せぬ幸運であった。


 決起からさらに2週間後。

 アルカディア歴1834年12月14日。

 ルイン・サークスはクローディウム帝国に対するために、3ヵ国で手を結ばなくてはならない、と王国を帝国とする旨を布告。これにともない自身が皇帝として即位することを宣言した。


 要するに、ここでルゼス王家との関係を断ったわけである。

 すでにフレア教王国あらためフレア教帝国の権力者たちは、欲にまみれた俗物ばかりとなっており、ルゼス王家に対する忠誠心はかけらも持ち合わせていなかった。


 さらにその下の騎士や兵士たち。

 心ある者や、エレノアの放送と奇跡の光で感銘を受けた者たちはすでに彼らの元を去っており、残った者たちは自身の主と同様かそれ以上の欲深き者たち。あるいは一旗揚げようと、盗賊やならず者たちまでもが王都に集まった。

 おかげで王都は日に日に治安が悪化していった。


 ルイン・サークスもその下の者たちも、誰もが見過ごしていた。いや、彼らにとって下層階級の者たちなど目にも入らなかったのだ。

 王国政府で権力の奪取が行われた頃。

 王都の、いや王国の民たちは熱狂していた。

 彼らは皆、空に浮かぶエレノアの放送を見ている。あの、英雄エレノア・ウィンデアの放送を。そして奇跡の光を浴びている。


 フレア教の敬虔な信者は奇跡の光に神々の存在を感じ、その真理とエレノアの正しさを確信した。

 敬虔とまではいかずとも、それなりに信仰心のある者たちやあまり信仰心のない者は、神を体験するとまではいかなかった。だがエレノアの威には打たれた。

 彼らの多くはうんざりしていた。フレア教王国となってから、政治は乱れに乱れ、そのしわ寄せは平民にのしかかっていたのだ。

 そこにあの正義の英雄エレノア・ウィンデアが宣言したのだ。自分が皇帝となり、この大陸を統一すると。 


 正義を尊ぶ、あのエレノア・ウィンデアが。


「俺たちは喜んでエレノア・ウィンデアの民となる」


「エレノア陛下こそ、私たちが待ち望んでいた君主様だわ」


 さらに、平民たちの中にはルゼス王国時代から悪徳領主の横暴に苦しんだ者たちも多かった。そんな者たちは打倒領主を夢見て、密かに牙を研いでいた。

 そこに彼らを束ねるリーダーが現れる。

 かつてルゼス革命軍のリーダーを務め、悪徳領主ネイヴル侯爵と戦っていた男。クロス・エルマーだ。

 アドモア・ネイヴル侯爵をエレノアが討ったあと、彼は各地を巡り、横暴な領主を倒すためのネットワークを作っていた。

 彼はエレノアの放送を見て、今こそ立ち上がる時だと決断。


「エレノア陛下ならば我々の夢見た公正な世の中を実現してくれるに違いありません。今こそ、その時です。エレノア陛下の元へ」


 クロスはその仲間たちとともに、王国の都市や村々を巡り、こう呼びかけ続けた。領主から搾取されてきた者たちは次々と立ち合がった。武器を手に、住み慣れた土地を捨て、移動を開始したのだ。彼らが向かうのは北方。エレノアの居る黄金都市ゴルディーヘルム。


 百人の平民が立ち上がれば、それに勇気づけられ、千人の平民が後に続く。千はやがて万となる。

 フレア教帝国の各地で平民たちの大移動が始まった。

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