そして道は重なる
翌日、宿を出る際、エレノアは受付の店主に、隣人がもう出てしまったか確認した。
ホークとは逆の部屋である。
「いえ、そちらに宿泊の方はおられませんでしたよ」
そんなはずは、と言って、再三確認してもらったが、やはり隣に泊った者はいなかった。
クロウ……。
できれば、ひと目会ってみたかった。
彼のおかげで朝からやる気が満ちていた。気分がとても良い。
だが、さて出発を、というところで、その出鼻がくじかれた。
馬車である。
祖父愛用の大型馬車。公爵家としては質素な造りだが、頑丈で様々な工夫がされている。
ホークが出て行ってしまったので、これを操る者がいないのだ。
エレノアは馬も問題なく乗れるので、馬車を置いて馬を1頭乗り馬にしていくという手もあるが、馬車を置いていくのが、どうにも惜しかった。
この馬車には祖父との想い出が詰まっている。
「御者を探してみましょうか? ただ、これほど立派な馬車となると、かなり御者の経験が必要だと思いますが……」
宿屋の店主が馬車を眺めて難しそうな顔で言った。
宿の裏庭。
花畑の隅の木陰に馬を外したエレノアの馬車が置いてある。馬は馬小屋に預けてある。
「よろしくお願いいたします。この馬車は、わたくしにとって、とても大事なものなのです」
「場合によっては数日かかるかもしれませんよ」
「問題ありませんわ。急ぎでの旅ではありませんもの」
◇
1階の料理屋件酒場で待つこと一時間。
店主がひとりの青年を連れてきた。
茶色いズボンにベスト。襟付きのシャツ。
身ぎれいな方である。背は男性の平均よりも高い方だ。瘦せ型で、たくましいという雰囲気ではない。ホークと比べればずいぶん貧弱そうに見える。
気になるのは腰までもある長い黒髪。途中でひとつにまとめているが、とにかく長い。
前髪も長く、顔の半分を覆っている。おかげで目が見えない。
エレノアは一瞬、どこかで彼と会ったような気がした。どこだったかしら、と首をひねる。
だが、さすがにエレノアも馬車で一度すれ違った青年とは覚えていなかった。なにしろ、その後の事件があまりにも衝撃的すぎた。
「労働者ギルドの受付で会いましてね。偶然、御者の口を求めていたんですよ。まだ年若いようですが、経験は豊富なようですよ」
宿の主人が言った。
「まあ、本人の話ですので、どこまで信用できるかわかりませんが」
これはエレノアへこっそりと。
「よろしくお願いします。お嬢様」
ペコリと青年が頭を下げた。
「クローディアスです。ロディって呼んでください」
「エレノア・ウィンデアですわ。御者経験が豊富というのは本当なのですか? わたくしの馬車は大きく、扱うのが大変ですわよ」
「大丈夫じゃないですか? 先に見せてもらいましたが、2頭仕立てなら、1回やったことありますからね」
「1回だけですの?」
「まあ、滅多にありませんからね。2頭仕立てなんて大層な代物は。だいたい、無駄ですよ。あの馬車だって1頭で十分引けますしね」
その言葉にエレノアはムッとした。
なんといってもあの馬車は祖父が気に入っていたものなのである。
「長距離を乗るのならば頭数が多い方が馬も楽をできるはずですわ。スピードも出ます」
「まあ、単純に考えればそうですね。コストがかかるし、手入れが大変ですけど。小回りもききませんしね」
「あなた、それ以上、わたくしの馬車を侮辱するような発言はお慎みになって。わたくしに雇われたいのでしょう?」
「こりゃあ、すいません。それで、雇っていただけるんで?」
「どういう経緯で職をお探しなさっていたのです? 前の職場をどうしてお辞めになったのです? 犯罪を犯したような者を雇う気はありませんわよ」
「それが、聞いてくださいよ、お嬢様。理不尽な話なんですよ。いきなり、お前はいらない、なんて首になってしまって。高貴なお方がそんなことを言うんですよ。酷い話でしょう。それまで、街から街へと一緒に旅を続けてきたというのに。俺は、これでも、雑用はなんでもできるんですよ。細々と世話を焼いてきたというのに、突然、首ですよ」
「あなたに非があったのではないのですか? その方の評判を落とすような真似をなさったとか?」
「そんな、そんな。滅相もない。真面目に誠実に、職務に励んできましたとも。ちょっと意見が合わなくて、言い合いになりましてね。それで、首ですよ」
「もう一度、おうかがいしますけれど。犯罪の類を犯したわけではございませんのね? 犯罪でなくとも、人を泣かすような真似をする者をわたくしは厭います。騙したり、盗んだり、脅したり、そういった非道をなさっていませんか?」
「そりゃあ、まあ、真っ白ってわけじゃあ、ありませんけどね。天国の両親に恥じるような真似はしてきてませんよ」
エレノアはうなずいた。
今までのところ、ひとつも嘘はついていない。軽薄な感じが彼女の好みではないが(エレノアは寡黙で真面目な男が好み)、細々と小さな嘘をついていたホークに比べれば誠実かもしれない。
「給金はどれほどをお望みですの?」
「雇っていただけるんですか? ありがたい。お嬢様、その髪型とてもイカしてますよ」
「まず、わたくしの質問にお答えなさい」
「そうですねえ。待遇次第ですが、寝食など必要経費を負担していただけるんなら、1日、1ルーガ(約1万円)ってとこでいかがです?」
エレノアは御者の相場が幾らか分からなかった。ホークおよび雇い人の給料は、すべてそれぞれの上司にあたる担当者が管理していたのだ。
そこで、ホークに退職金も出していないことに気が付いた。
それこそ喧嘩別れのようになってしまったが、最後まで奉公してくれたのは事実である。退職金を大めに支払ってあげたかった。
「少し、吹っ掛けてますね」
宿の店主が言った。
エレノアの沈黙を熟考だととったのだろう。
エレノアは頭からホークのことを追い出した。どちらにしても過ぎたことである。偶然、どこかで会うことができたら、その時に払おう。
「承知いたしました。1日1ルーガで構いません。ただし、わたくしの御者となるからには、素行にはご注意いただきますわよ。無頼漢を雇っているなど、わたくしには我慢できませんもの」
「さすが、クルクルよく巻いた髪型をしているだけのことはありますね。お嬢様、本当に、お綺麗ですよ」
綺麗という言葉にエレノアは過剰に反応してしまった。思わず顔が赤くなってしまう。昨夜、クロウに言われた言葉を思い出したのだ。
「赤くなっちゃって、まあ。可愛い人だな」
青年が面白がって、さらに言った。
エレノアはキッと彼を睨んだ。
「ロディさん、それ以上、軽口を叩くおつもりならばご覚悟なさい。わたくしは厳しい人間ですわよ」
「はいはい、失礼しました。ともかく、仕事が決まってホッとしましたよ。それじゃあ、さっそく馬車の準備をしてきますね」
「よしなに」
「よしなに、か。いいですね。高貴な感じだ」
「ロディさん、お早く」
「はいはい。では、お嬢様、しばしお待ちを」
言うと青年は、ベンジャミンもかくやというほど、背筋を伸ばし、きっちりと礼をした。
店主と一緒に店を出ていく。
◇
クロウはついつい顔に笑みを浮かべながら馬たちを馬車につないでいった。
クローディアス。クロウが親から貰った名である。闇の神と契約した際、なにか、自分がそれまでの存在とは変わってしまったような気がして、クロウと名乗るようになった。
しかし、こうして、あらためてクローディアスを名乗ってみると、まるで生まれ変わったように心が軽くなった。
おかげで口も普段より相当軽くなっている。
せっかくだから楽しくやるさ。
気まぐれと暇つぶし。最後の1年を過ごすにはちょうどいい。
馬たちはクロウが話しかけると素直に言うことを聞いた。これは加護技なのかどうなのか微妙なところだが、クロウは動物と心を通じ合える。
馬車馬は2頭とも忠義の者たちだった。エレノアを守る騎士のような気持ちを持っている。
「一緒にお姫様を守ってやろうな」
クロウはつないだ馬の背を撫でた。
当初は密かに尾行しながら手助けするつもりだったのだが、昨夜の会話で、どうもそれでは危なっかしく感じた。近くで助言する者が必要だ。
それにエレノアともっと話してみたいという欲求もあった。
テキパキと馬車に馬をつなぎ、ところどころに油を差す。孤児院にいた頃から、少しでも孤児院の助けになるよう暇を見つけて街でアルバイトのようなことをしていた。
冒険者時代も探査師兼雑用係だったので大抵のことならできる。
加護技の時間凍結異空間収納技『影倉庫』の中には、様々な道具をしまってあるのだ。
少し血の臭いが残っているのが気になった。
あの時の様子を思い出し、クロウはまた笑みを浮かべた。
御者を叱咤するエレノアの気高さ。あれこそ品格というもののような気がする。始めて貴族と呼ぶに相応しい存在に触れたような思いがした。
クロウは車内に向けて、さっと手を払った。一瞬、車内に黒い影が満ちる。その影は、すっと、血の臭いとともに消え去った。
これでエレノアが馬車に乗った際に陰鬱な気分にならなくて済むだろう。ついでに、と『影倉庫』から白い花を出して飾り付けた。
クロウはずっと妹の世話を焼いてきたので細々と気が付くのである。
馬車の点検をして馬たちとも十分意志の疎通をし、ついでに水や食料を買い込んだ。それを、以前、何かに使えるだろうと閉まっておいた魔法道具の収納袋に入れる。
無限に入る『影倉庫』に比べれば使い勝手は悪いが、貧相な見た目に反して、収納量はかなり多い。エレノアの前で『影倉庫』を使うわけにはいかないので、ちょうどよいだろう。
準備は整ったのでエレノアを呼びに行った。
エレノアは旅用のマントに銀の胸当てと籠手。腰には細身の剣を差していた。
「そのかっこう、どうしたんですか? まるで冒険者じゃないですか?」
「言い忘れましたが、わたくし、命を狙われておりますの。いつ、暗殺者が来るかわかりません。つい昨日、護衛や家臣を失ったばかりですわ」
厳しい顔でそんなことを言った。
「はあ、それは難儀なことで」
「難儀なことで、ではありません。わたくしの御者をなさるということは、巻き込まれ、お命を失う可能性もあるということです。たった、1ルーガで、そんな危険を侵してもよいのですか?」
キッと鋭い目で睨む。
「まあ、まあ、訳アリってことくらい織り込み済みですよ。なにかあったら、お嬢様を見捨ててとっとと逃げますから、俺のことは気にしないでください。逃げ足には自信がありますからね」
「なんですか、そんなことを自慢気に。あなたには所作と言葉に重みが足りません。あなたはわたくしの御者なのですから、おあらためなさい」
「はいはい。お嬢は本当に口うるさいなあ。あっ、その髪型、なんて名前なんですか。お嬢のオリジナルですか? 本当に綺麗だから、庶民の間で広がるかもしれませんよ」
クロウはますます軽口を叩いた。
からかうと楽しいのだ、エレノアは。
次の瞬間、エレノアが剣を抜き放ち、一閃した。そのあまりの速さにクロウですら反応が遅れた。
戦闘モードである『闇武装』をせず、さらに油断していたとはいえ、クロウが遅れをとったのだ。
彼女の剣に殺気がこもっていなかったことも大きい。
はらり、とクロウの前髪が落ちていく。
急に明るくなった視界。
さすがのクロウも呆然となった。
「これで、少しはましになりました。さあ後ろをお向きなさいな。切って差し上げますわ」
「お嬢、俺を殺す気ですか」
「あら、せっかく雇った御者を、なぜ殺さなくてはならないのです。あなたの前髪が鬱陶しくてたまらないから、カットして差しあげたのです。感謝なさい」
まったく悪びれていない。
つまり髪の毛だけを切る自信があったのだ。あの速度の抜き打ちで。
賊との戦いを見て、エレノアが相当な使い手だということは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
「言ってくれれば切りましたよ。自分で」
「『高貴なる幾多の螺旋』ですわ。さらにわたくしの場合、金色の髪をしているので、『黄金の高貴なる幾多の螺旋』ですわね」
「はい?」
「あなたがお聞きになったのでしょう。この髪型の名前ですわ。さあ、早く後ろをお向きなさい。わたくしは、ウズウズとしておりますの」
「せめてハサミを使ってもらえませんかね」
「ハサミなどありませんわ」
「俺が持ってますから。というか、自分で切りますよ。本当に」
言って、収納袋の中に手を入れる。
「魔法道具かしら。平民もそういうものをお持ちですのね」
「平民こそ、ですよ。お貴族様と違って、黙っていても飯が食えるってわけじゃありませんからね」
「不愉快なおっしゃりようですわ。貴族に含むものでもおありですの?」
「貴族に文句のない平民なんかいないでしょうよ」
「それもそうですわね」
言って、エレノアはクスクスと笑った。
クロウは収納袋からハサミを出した。収納袋にあらかじめハサミを入れてあったわけではなく、突っ込んだ手で『影倉庫』を開き、そこから取り出したのだ。
「お貸しなさい。わたくしが切って差し上げますわ」
「自分で切りますよ」
「切りたいのです」
「……じゃあ、お願いしますけどね」
しぶしぶ、クロウはハサミをエレノアに渡した。
エレノアはカシャカシャとハサミを動かしたあと、クロウの背後に回った。
首の後ろで縛っている部分を手に取る。
クロウはエレノアの細い手が後ろ首に当たる感触で、ゾクリとなった。
ふふふっ、とエレノアが嬉しそうに笑う。
「まるで理髪師のようですわ。ワクワクします」
「あまり綺麗な髪じゃないんで、触れない方が良いと思いますよ」
「あら、そんなことはありませんわよ。十分に清潔な髪です。貴族の殿方でも、汚れた御髪をした方はおりますわ」
ジョキン。
クロウの長髪が首のところで切り落とされた。
「少し、整えた方が良さそうですわね」
前髪も後ろ髪も一直線に切ったのだ。むしろ整い過ぎていて不自然である。
「大丈夫ですよ。自分でやりますから」
「ここまできて、往生際のお悪いこと。わたくしを信じて、任せてごらんなさい」
「まあ、いいですけど。お嬢も変わってますね。ついさっき会ったばかりの、しかも平民の男の髪を切るんだから。とても公爵令嬢とは思えませんよ」
「皮肉ですの?」
カシャカシャとハサミを動かしながらエレノアが言った。
「驚いているんですよ。お貴族様にとっちゃあ、平民なんて虫けらみたいなもんでしょう? それとは別に年頃のお嬢さんなら、好意もない異性の髪なんて触りたくはないでしょう」
「昨夜、ある方に言われたのです。とても綺麗だ、と。わたくしの打ち明け話を聞いたあとで、そうおっしゃってくださったのです。とても誇らしい気分になりました。その方が、わたくしの容姿ではなく、生き方を、あり方を褒めてくださったのだと分かったから。ですから、わたくしは、わたくしらしく、わたくしの生きたいように生きることにいたします。貴族だ、平民だなど、わたくしには関係がありませんわ」
強い意志を感じさせる宣言。
クロウはその見事さに感動した。
エレノア・ウィンデアは絶望のふちから、這い上がり、見事に生まれ変わってのけたのだ。
「こんなものかしら。次は前ですわね」
言って、前に回り込む。
嬉々として間近でハサミを動かすエレノアは、とても生き生きとしていて、その美しい相貌は輝かんばかりであった。
クロウは思わず目をつぶった。
クロウにはまぶしすぎた。
◇
馬車のドアを開けると甘い匂いが鼻孔をくすぐった。不思議に思って見ると、壁に白い花が飾られている。
エレノアは驚いて御者台に座るクロウを見た。畳んであった日よけのホロを前に伸ばし、その下で長い手綱を握っている。
エレノアが髪を切ったおかげで、見違えてサッパリとしている。
クロウが振り返った。
「どうかしたんですか?」
「このお花はあなたが?」
「ええ、これでもサービス精神は旺盛ですからね。お嬢は実にいい御者を雇ったもんです」
「……その髪型、よくお似合いですわ。やはり、殿方は短い御髪が良いのです」
「『出会いがしらの衝撃の短髪』とでも名付けましょうか」
短くなった前髪を触りながらクロウ。
「その髪型は『露わなる耳とうなじ』という名前ですわ」
「もう名前があったんですね」
「大抵のものには、すでに名前がついているものですわ」
「確かに」
そんな会話をして馬車に乗り込む。
昨日の惨劇などまるでなかったかのように、さわやかな乗り心地だった。
エレノアは向かい合う前の座席に膝をついて前面の木戸を開けた。御者台が露わになりクロウの後頭部が見えた。
「では、出発しましょう。ロディさん、お願いいたします」
「はい。出発」
ロディがベルを鳴らした。すると馬たちがいなないて、ゆっくりと進み始めた。
ホークのやり方とずいぶん違う、とエレノアは不思議に思った。




