表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

さらば親バカ

作者: 仲乃 斉希

 

「家を出るぅぅぅ!?」


 ちゃぶ台をひっくり返すなんていう時代遅れなシチュエーションとむさい怒号を前に、千里ちさとは重々しい嘆息を漏らした。

「花のJK」なんて夢想も微塵も味わえなかったしょっぱい高校生活の幕が閉じたこの日、不快も一周回って無の表情の写真が貼られた卒業証書を部屋にほおってから、千里は父、千尋ちひろに言ったのだ。そっくりそのまま返された台詞を。


「どどどどどういうことなんだ千里ぉ!? お父さん聞いてないぞ!? いや聞いても許さないぞ!? いいか? お前はアイドル顔負けの絶世な美少女にしていたいけな十八歳なんだっ! そんな超絶可愛いお前が家を出るなんて、野獣がうろつく夜の森に入る子兎みたいなもんなんだぞっ!!」


 そう、理由はこの男にある。

 生まれてすぐに病死した母の代わりに、男手一つで蝶よ花よと育ててもらった逞しい父親────といえば聞こえはいいし、もちろん幼き頃の二人の思い出を走馬灯みたく脳裏に描いてみれば、涙の一粒や二粒が落ちるほどの恩も感じている。


 が、蝶よ花よと育てたこの父は、一生にも残るJKの花という花を食い散らかした大罪人にも妥当するのだ。


「あのね、全部お父さんのせいだから」


 千里は眉根をひそめて、ぷるぷると水を被った子犬みたいに震える父を睨んだ。


「もうこの際だからはっきり言うけど、お父さんの親バカ、シャレにならないほどうっざいから!」


「うっ! ざいっ!?」


 ガーン! という効果音が鳴り響きそうな衝撃的な顔で、父は素っ頓狂な呻きを漏らした。


 そうだ。どうせ最後になるのなら、これを機に膨れ上がった堪忍袋の緒を自らぶち切ってやろうと、千里は半ばヤケクソに指を差した。


「まずねっ! 毎日登下校で仕事ほっぽり出してストーキングしてくんのマジきもい!! グラサンとマスクで変装してるつもりだけど、逆に職務質問されまくって友達の前で私まで警察に謝らせるとか恥ずかしすぎて死ねるわ!!」


「何ぃ!? 俺の可愛い千里の寿命を縮めるとはッ!! 国家権力許すまじ!!」


「着地点ズレすぎだし!! あとね、さすがにカバンから盗聴器見つけた時はそのまま警察にお渡ししようかと血迷ったわ!!」


「何言ってんだ千里!! GPSだけじゃ防犯が緩いぞ!! 今までだって、千里に言い寄る不届き者を察知してお父さん秒速で駆けつけてやっただろ!?」


「そう!! 秒速で出会いの芽まで摘みやがったわねバカ親父!!」


 ガガーン! と娘に半年ぶりぐらいにバカ呼ばわりされたのがショックだったのか、父は頭を抱えて膝をついた。


 されども千里の啖呵は火を噴くようにヒートアップする。


「高校生にもなって恋愛まで禁じられるって何なの!? このクソ時代遅れなルール何なの!?」


 『恋人は二十五歳から作ってよし! 条件は勤勉で誠実な年収一千万以上の次男の男!!』という赤いペンで殴り書きされた我が家の恋愛ルールとやらの貼り紙を激しく叩いた。

 幼稚園児の頃から拝まされたある意味おぞましい脅迫文である。


「二十五歳から作ってよしとか超手遅れだからっ! 年収一千万以上の次男の男とかすでに売約済みだからっ!! 何で二十五!? 何でアラサー!? 修行僧にでもさせたいの!?」


「そっ、それはなっ! 恋愛ってのはもっと人生の経験を積んだ大人がするもんだから………」


「私もう十八歳なんだけど!?」


「千里はまだいたいけな子供だ!!」


「現実見なさいよ現実!!」


 ぶんぶんと指を振り回して、千里は啖呵を切る。


 しかし、父も負けじと立ち上がって胸を張った。


「大体、大学だって家から近いじゃないかっ! いくらバイトしてるからって、一人暮らしなんてお金がかかるだろ!? 千里の好きなものならいくらでも買ってやるが、こればかりはお父さんも許さないぞ!!」


「別にいいし。っていうか、一人暮らしじゃないし」


 は? と父の顔筋がフリーズする。


 ふん、と千里は涼しい顔。


 てん、てん、てん、と漫画みたくしばし沈黙が続いたあとに、


 父はわなわなと肩を震わせ、カラクリ人形みたくぎこちなく首を揺らして顔を上げると、目がくわっと見開き殺気を帯びた。


「おっ、おおおおおお男ができたのかぁッ!? どこのどいつだ!? 殺す!!」


「うるさっ!!」


 鼓膜を突き破るいかずちの如く怒声に、千里は顔を歪めて両耳を塞ぐ。


 毎度毎度、「男」の気配を察知した刹那、父は赤いマグマが燃えたぎる活火山みたく噴火する。


「うちの愛娘に近づくなんて百年早い」だの「こんな雑草みたいな男にお義父さんと呼ばれる筋合いはない」だの古くさい台詞を吐きまくり、どれほどの運命的な予感も完膚なきまで潰されたことか。


 しまいには、千里に近づいた男は殺されるなどと物騒な噂も立てられてしまうわけだ。


「娘はやらんぞーっ!」と獣性剥き出しに叫んで、虚空にパンチを連打する父を横目に、千里は大きなため息を吐いた。


「………男じゃないから。友達とルームシェア」


 ほゎ? とくうを切る拳を止めて、父はまたフリーズする。


「幼馴染の香奈かなちゃん、知ってるでしょ。高校は違ったけど、偶然同じ大学に行くって知ってから、二人でキャンパスの近くのアパート借りることにしたの」


 千里は少し口調にトゲを残しつつ、間抜けづらを浮かべる父に説明してみせる。


 父はぐぬぅ、と苦しげに呻いて、まだ納得していない顔つきだが、千里はかまわず告げた。


「というわけで、今月末に、家出るって決めたから」


 返事の余地も与えず、部屋へ向かおうと背中を向ける。


 父はまだ半泣きに呻いていたが、その子供みたいな泣き顔にトドメを刺すように、千里は振り向きざまに言った。


「今度こそ、恋人作るからね。もうお父さんにはぜっっったい邪魔させない!」


 絶対宣言が下されたその刹那、


 主婦たちのお喋りが弾む平穏な住宅街に、悲痛な雄叫びが響き渡ったのであった。




 絹ノ里(きぬのさと)。小さな看板が目印の、軒並みから少し離れた、隠れ家的な小料理屋。

 カウンターのみで、座席も多いとは言えないが、入店した客に安らぎを与えるアットホームで温かな雰囲気が、千里は幼い頃から好きだった。


「何だか寂しくなるわね………」


 雅やかな花模様の着物を着た女将の絹代きぬよが、だし巻き卵をカウンターに差し出す。


 三十代後半には到底見えない若々しい美貌も兼ね備えた絹代の美しさは、外見だけでなく慎ましやかな内面にも上品に光り輝いている。若くして夫を亡くしてから女将一人で店を切り盛りしており、物心ついた頃から家族ぐるみの付き合いの千里にとっては、母親的存在だ。父が残業の時や、突然熱を出した時も、手厚く面倒を見てもらった優しい思い出に溢れている。


「すぐに会える距離ですよ」


 千里は苦笑を浮かべて、だし巻き卵を一口かじった。この口に広がる出汁の優しい甘さが、病みつきなるのだ。思わず二口、三口と箸が進む。


 豪快な食べっぷりに、絹代は満足気に微笑んだ。


「千里ちゃんも、寂しくなったらいつでも戻ってらっしゃい」


「ありがとうございます。絹代さんには胃袋も掴まれちゃってるので、たぶん飢えたらすぐにここに来てるかも」


 絹代はくすくすと笑った。


「ここでゆっくりするのもいいけどね、お父さんも心配でたまらないはずよ。千里ちゃんから顔見せないと、たぶん千尋さん、新居に突撃しかねないわ」


「うわっ、それは嫌」


 口の中は甘いのに、苦々しい表情になる。


「絹代さんもうちのモンスターの恐ろしさ、知ってるでしょっ! あんなのとずっと一緒にいたら婚期逃しておばあちゃんになっちゃう!」


 まあ! と絹代は目を丸くさせた。


 そろそろと近づき、少し小さな声で、


「千里ちゃん、好きな子でもできたの?」


 と、大和撫子を絵に描いたような絹代から真顔で恋バナを囁かれ、千里はうぅ、と赤くなった。


「まだ、いないけど………」


 うつむく眼差しでぶつぶつと呟く。


「お父さんと離れたら、絶対恋人ゲットしてやるし……」


 まあまあ、としとやかに一驚された千里は、何だかむず痒そうに頬をかいた。


 だけど絹代は、それ以上問い詰めることはなく、穏やかな笑みを見せる。


「そうね………千里ちゃんもお年頃だもの………」


「そうですよ、もう十八歳っ」


「何だかねぇ、娘が巣立つ親ってこんな気持ちなのかしら………私までしんみりしちゃう……」


「え………」


 千里は目を瞠って、涙ぐんだ絹代をまじまじと見た。


「ほん、と?」


「え?」


「本当に………娘みたいって、思ってる、の?」


 十八歳。数秒前にそう断言していた千里の今の顔は、まるで大人に問いかける幼子のようだった。


 混じり気のない、無垢な眼差し。


 そんな物珍しそうな視線をまっすぐと向けられ、絹代は満悦そうに微笑みながら、鷹揚と頷いた。


「もちろん。出会った時からずっと、千里ちゃんは、私にとって家族同然よ」


「か、ぞく……」


 千里は頬を赤く染めて、意味深に呟く。


「千里ちゃん?」


 絹代は不思議そうに首を傾げる。


 千里は視線を曖昧に彷徨わせながら、弱々しく噛み締めた唇を、おそるおそる開いた。


「絹代さん………あのね」



「千里おおおおおおおおおおっ!!」



 僅かな声を遮ったのは、乱暴に戸を開け猪突猛進した、父、千尋の雄叫びだった。


 他の客はいないものの、カウンターぎわでのどやかな会話をぶち壊された二人の女は、驚異に目を瞠った。


「お父さん!? 今日残業じゃなかったの!?」


「あと一週間で千里と離れちゃうんだぞぉぉぁ〜〜〜!! 仕事なんてやってられっかぁ〜〜〜!! もう飲みまくってやる〜〜〜!!」


 いい年をこいて、ボロボロの作業着姿で駄々っ子みたいに号泣する父に、千里は最近で癖になったくらいのため息を吐いた。


 絹代も苦々しい笑みをこぼしている。


「おきぬちゃぁん!! 熱燗くださぁい!! 俺にもだし巻き卵を!! あっ、あと焼き鳥も!!」


「はいはい、とにかく落ち着いて、座ってくださいね」


 絹代に宥められるように、千尋はひっくひっくと咽び泣きながら、千里の隣の席に腰をかけた。





「千里ぉ〜………愛してるぞぉ〜………」


 なぜ弱いくせにこれほど飲むのか、と、カウンターに突っ伏したまま真っ赤な顔で恥ずかしい言葉を朧げに吐く父を、千里は細目で睨んだ。


 まあまあと困ったような微笑を浮かべて、絹代はキッチンから出て、千尋の広い背中に茶色い毛布をかけてやった。


「やっぱり、一番寂しいのはこの人よねぇ………」


 くすくすと上品な含み笑いをこぼして、絹代は温かい眼差しで千尋の寝顔を見つめた。


「……………」


 その、どこか切なげな横顔を、千里はじっと眺めて、やがて父の寝息が聞こえると、静かに立ち上がった。


「絹代さん」


 真剣味の帯びた声で呼びかけられ、絹代はきょとんとする。


 その眼差しは、今までの少女らしさが掻き消えて、純粋なようで、いたいけでもなく、ただ、瞳の奥に強い光を宿していた。


「父のことを、よろしくお願いします」


 深く深く、千里は頭を下げた。


 絹代はその光景に大きく目を見開く。


「知ってます。絹代さんの父への気持ちも。父が、絹代さんを大好きなことも」

 

 千里の滔々と述べた言葉に、絹代は、はっ、と息を呑む。


「分かりますよ。だって、家族ですから。ここも、私のもう一つの家だから」


 千里は父に似た黒目がちな瞳を細めて、笑った。


「でも、この人ほんっとに親バカだから、私がいたらいつもいつも私のことばっかりで………こんなに素敵な絹代さんがいるっていうのに、ほんっ、と………バカ親父」


 瞳を潤ませてもなお小さな笑顔を咲かせる千里を前に、絹代は震える両手を口に当てた。


「千里ちゃん………あなたまさか………そのために、家を………」


 千里は少し困ったように、唇を綻ばせた。


「そんなっ! そんな心配しなくていいのよっ! だってあなたはまだ子供」


「大人です」


 絹代の驚嘆の声を遮るように、千里は毅然と言い張った。


 だけど、その声は切なさも通り越して、淡い喜色に満ちていたのだ。


「絹代さん、お願いします」


 千里はもう一度、深くお辞儀をした。


「こんなわがままな娘ですが、愛する二人に、親孝行をさせてください」





 旅立ちの日は、曇り空でしょうなんていう天気予報を裏切って、晴天の青空日和だった。

 旅立ち、と言っても、電車で三十分のところだし、駅前のデパートなんかに行けば、知り合いの二、三人とは遭遇するだろうし、大げさかもしれない。

 そうだ。この、駅のホームでえぐえぐと泣きじゃくるバカ親父は、大げさの極みだ。

 隣の絹代も、苦笑を漏らして見守るしかないようだ。


「千里ぉぉぉぉ!! いいかぁっ!! 変な男には絶対ついて行くなよ!? 男はみんな狼だと思えッ!! もし襲ってきたらお父さんが爆買いしてやった唐辛子スプレーで目潰しするんだぞ!!」


「はいはい、分かったから、もうそれ百回くらい聞いたから、あんまり大声で……」


「仮に、仮にだぞ!? お前に見合う勤勉で誠実な年収一千万以上の次男が現れたとしても、まずはお父さんに紹介するんだぞ!! そいつが誠実の皮被ったクズ男じゃないかお父さんが見極めてやる!!」


「分かった分かった………たぶんそんな好条件いないと思うけどもうそのツッコみはやめとくわ……」


 と、後半は小声でぼやく。


「香奈ちゃんにもよろしくな!! ちゃんと二人で栄養のある手料理を食べるんだぞ!! カップ麺とか寿命の縮みかねないものはダメだぞ!! あと無理なダイエットとかもしちゃダメだぞぉ!! 千里はただでさえ痩せてるんだから、ガリガリの骨と皮だけになんてなったら………ああああああああっ!! やっぱりお父さんも一緒に行きたいいいいいいいっ!!」


「もおおおおいい加減にしてっ!! ってか声デカすぎ!! みんな見てるし!! 絹代さんからも何か言ってくださいよぉ!!」


 ホームに佇む人々から遠巻きでひそひそされ、悪目立ちしまくりの父の圧から逃げるように、千里は絹代に視線をやった。


 絹代は小さく笑って、千尋の肩をぽんぽんと軽く叩く。


「千尋さん、落ち着いて。心配なのは私もだけど、せっかくの門出なんだから、千里ちゃんのためにも、笑顔で見送りましょうよ」


「うう……お絹ちゃん……」


 ぐすん、と父は幼児みたいに鼻をすすって、その屈強な体型に似合わない動作があまりにおかしいものだから、千里と絹代はどっと笑った。


 当の本人は、「何で笑うんだ?」と無自覚のようで首をひねっている。


 しかし、二人は堪え切れずに弾けるように笑うものだから、千尋も釣られてにへらと笑った。


 電子笛の音が鳴り響く。


 線路の端から電車の頭が見えた時、どくん、と千里は今までにない強い鼓動を感じた。


 大量の唐辛子スプレーを(無理やり)詰め込まれたパンパンのリュックを背負い直して、見送る二人に対して向き直る。


「お父さん、絹代さん、体に気をつけてね」


「千里ちゃんもね。いつでもここで待ってるからね」


「ありがとうございます!」


 絹代は母性溢れる眼差しで、千里に微笑みかけた。


「ち、千里ぉ……」


 引っ込んだばかりの涙がまた溢れそうになるのを、意を決したのか、父はゴシゴシと袖で目を拭った。


 そして、腫れぼったい黒目がちの瞳が、にこりと細めて、歯を見せて、父は溌剌と笑う。


「千里!! 元気でな!! お父さんはずっとお前のこと愛」



 ぎゅっ、と、耳たこの台詞が飛び出る前に、千里は父の胸に抱きついた。



 震える指先を見ないでと拳を握って、こんならしくない顔を見ないでと父の胸に顔をうずめて、握り拳のまま、ぎゅうぅっ、と、父の背中を強く抱いた。


「ち、さと……」


「お父さん………ありがとう………愛してる………」


 十八年分の感謝の言葉は、潤み声なうえにみっともなく掠れてしまったけれど、それでも、


 父の鼓動がどくんと聞こえた。


 それが安心材料になって、希望になって、視界は真っ暗なはずなのに光になって、


 千里は、顔をうずめたまま少し笑ってから、それと、と続ける。


「絹代さんのこと泣かせたりしたら、許さないからねっ」


「千里………お前、まさか………」


 我ながら子供じみた脅迫だな、と思って、自嘲めいた笑みがこぼれた。


 だけど、揉みくちゃに隠した両目は、きっと濡れている。


 父の渋い匂いがする服にまで、びっしょり濡れている。


 だからもう、一ミリも振り返らずに、衝動のまま電車に駆け込んだ。


 扉が閉まる前、背中を向けたホームから父の雄叫びが飛び込む。


「千里────っ!! お父さんも愛してるぞ────っ!!」


 乗客たちがビクつく中、耳たこの台詞が、頭に響いた。いつもならうんざりと聞き流していたくさい台詞が、いたずらな魔法のように脳裏に焼き付いて、刹那、千里は子供みたいに泣きじゃくった。絶世の美少女なんて親バカから感嘆された顔が、くちゃくちゃに歪んで涙に塗れた。


 今日は眩しいくらいの青空日和だ。ゆっくりと発車した電車の窓から、神社にそびえる巨大な御神木の樹冠が視界に映る。瞬間、幼き記憶が脳裏に蘇った。




『千里! この御神木にお願いすると、神様がお願いを叶えてくださるんだぞ!!』


『すごいすごいっ!!』


『お父さんと一緒に祈るぞーっ! 千里!」


『うん!!』


 ぱんぱんっ! と両手を合わせて、両目を閉じ、父子は祈った。


 少ししてから、千里は目を開けると、父はいつもの野蛮な表情とは打って変わって、神妙な顔つきで手を合わせていたたので、固唾を飲んで見上げていた。長いこと祈り続ける父に痺れを切らして、千里はどんどんっ! と足踏みする。


『お父さんお父さん!! 何を祈ってるのー?』


 父は目を開けると、にかーっ、と歯を見せて笑う。


『もちろん! 千里がいつまでも健やかで幸せにいられますようにってな!!』


 そんな父に釣られて、千里も、にかーっ、と笑い返した。


『千里は何を祈ったんだ?』


『えっとねー、千里はねー』


 弾むような口調で両手をぶんぶん振り回して、千里は言ったのだ。


『ずっと、ずーっと、お父さんと一緒にいられますようにって!』



 


 御神木が遠ざかってゆく前に、千里は涙を降らしたまま、両目を瞑り、手を合わせ、祈った。


 ねえ神様、わがままな私を許してください。

 あの時のお願いを、やり直させてください。


 ねえ神様、お願いします。


 お父さんを、いつまでも健やかに、幸せにしてあげてください。


 うざったいほどたくさんの愛情をもらいました。贅沢なくらいの大きな幸せをもらいました。


 こんなわがままな私のために、汗水垂らして文句も言わずに働いてくれました。両親がいる子供に負けないくらい、楽しい思い出をくれました。


 ねえ神様、お願いします。

 この涙の数だけ、お父さんに幸せをあげてください。

 それはもう幸せで幸せで、私がもらった抱えきれないほどの幸せと同じくらい、優しい二人の、素敵な恋が開花しますように。

お読みいただきありがとうございます。


もしよろしければ、ブックマーク、下の星の評価ボタンを押していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  優しい文体が物語にあっていると思いました。意外性とかはなくとも温かい結末は後味がいいですよね。千里ちゃん、可愛いです。 [気になる点] ラストの回想と独白、ちょっと長かったかも。泣けちゃ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ