90.誕生日は海で1
そうしてまた、日々が過ぎていった。
春には王子様たちとの雑談会もまたあったらしいけれど、それはレイモンドだけでよかった。まだ正式には婚約者ではないのも理由かもしれない。
前回は、学園への受験申込みの前に身元が不明すぎる私は王子様たちに一度は会っておかなければならないのもあったようだ。
王子を害することが目的の人に入られても困る。貴族も入るし、魔法封じのための爪化粧を支給される一歳時の記録と、魔法ランク調査のための十歳検査の記録があることを条件に通常は受験を許されるそうだ。その記録を元に調査をされる。それがない私は、王子様たちの口利きでもって許される……と。
いきなり異世界に現れてしまうと、面倒事が多いなぁ。
レイモンドの十五歳の誕生日には、布ペンケースにフルーツサンドの刺繍をして渡した。もちろんお揃いで自分のも作った。
つくづく刺繍は貴族の嗜みでよかったと思う。そうでなければ教えてもらえなかっただろうし、他には何も思いつかない。
そうして九月の、私の誕生日がきた。
私の希望で、魔女さんも一緒に海の入江にいる。
「なんで魔女さんも一緒なんだ……」
「酷いわね〜ぇ、私を魔獣よけの便利アイテムにしているじゃなぁい」
「いなくてもどうにかなるよ……ここ、岩しかないし、ほぼ出てこないよ……」
森で魔法の特訓をする時には、魔女さんの家にもたまに寄っていた。私の話にうんうんと優しく頷いてくれるし、もう変なことは言わないしで、私も心を許している。
……存在が存在だしね。
全てを知っていて全てを許してくれる存在。魔法を使えば使うほど、側にいなくてもなぜか身近に感じていく。
「魔女さんのお陰で絶対に邪魔が入らないんだから文句言わないで。魔女さんとも他の場所にお出かけしたかったし」
「んふふ、アリスちゃんとお出かけできて嬉しいわよ〜ぅ」
私と会ってからは魔女さんと二人でどこかには行ってないらしい。女性の見た目をしているし、気を遣ってくれているようだ。
切り立った白い岩山に囲まれた小さなビーチといったここには、空を飛んで来るか船でしか来られない。
鮮やかなコバルトブルーの世界を独り占め……いや、三人占めだ!
白い波がザァーと打ち寄せる。ドレスの白いレースのように広がって消えていく。ゆったりとした時間の中、目をつむっても繰り返される無限の響き。
遠くには、こんなに晴れ渡っているのに確かに霧が見える。幻想的な光景だ。
「ねぇ、海を歩いてみたかったの! こっちに来たすぐの時に、そんな夢を見たんだ」
「いいよ、一緒に歩いてみよっか」
「魔女さんは?」
「私はここで見ているわぁ〜」
お母さんのような慈しみの表情でこっちを見て、手を振ってくれる。
ううん、爆乳なのに最近は癒しを感じちゃうんだよね……。
裸足になってから魔法を使って、チョーンチョーンと足を海につけながら、レイモンドと手を繋いで歩く。
「冷た〜い! 歩いてる歩いてる! レイモンド、歩いてるよ!」
「うん。歩いているように見えるよね」
「忍者だよ、ここでなら忍者になれるね」
「なりたかったの、アリス」
「全然!」
アリスはアリスだなぁと、眩しそうな笑顔を私に向けてくれる。
「もっとレイモンドも楽しんでよ! 海を歩いているのに」
「アリスといるんだから、楽しんでいるに決まっているよ」
ちがーう!
海を歩くって浪漫への感動が足りない!
……ま、空を飛ぶのが当たり前だとそうなるのか。
「ね、走ろ走ろ!」
「いいよ」
実際は海の上を走っているように見せながら飛んでいるだけだけど。踏ん張れないよね、水相手では。
ポーンポンと弾むように走りながら浜辺の方へまた向かうと、魔女さんが待っていてくれる。レイモンドから手を離し水を両手ですくって魔女さんの元へ戻ると、パシャッと少しだけかけた。乾かせると知っているから、気軽に悪戯できてしまう。
あら、という顔をする魔女さんに、ぎゅっと抱きついてみる。豊満な胸があたって……柔らかくて気持ちいい。
「どうしたの、アリスちゃん」
「魔女さんを驚かせてみたくなったの」
「あら、嬉しいことを言ってくれるわね」
レイモンドから、魔女さんは未来を見ないと聞いた。世界に飽きてしまうからだって。それなら、予期せぬ何かに驚くことも楽しいのかなって思った。
「俺にも抱きついてほしいなー」
ぼやきながらレイモンドが隣に来る。
私にこの柔らかさはないけどね……。なぜか申し訳なく思ってしまう。
「今度ね、今度」
「今度っていつかなー」
そう言いながら、持ってきた山のような複数の瓶と麦の藁を袋から取り出してくれた。藁はストロー代わりだ。
「もうやる?」
「ああ、しよっか。アリスがやりたいって言ったから、たくさん用意したんだ。自分で吹く? 風魔法で一気にいく?」
「んー、自分用に少しだけとっておいて」
「じゃ、少しとっておいて一気にいこっか」
たくさんの麦藁を瓶の中の液体につけて、風魔法で大量に浮かせた。
「いくよ」
ノスタルジーを感じさせるその透明な球が、虹色に輝いて上へと昇っていく。
――空へと打ち上がるシャボン玉のシャワーだ。
海の青や空の青をその透明な珠に閉じ込めて……弾けて消えていく。
「綺麗ね……」
魔女さんが呟く。いつもの話し方ではなく、どこか感慨深い。長い時間を過ごし、全てを知ってしまえる魔女さん……見たことのない綺麗なものは、きっともうほとんど存在しない。
「魔女さんも、一緒に暮らせたらいいのにね」
「あら、本当に嬉しいことを言ってくれるわね」
魔女さんの黒髪が揺れる。
懐かしくて、少しだけ寂しい気持ちになる。
「レイモンド、そろそろ私も吹きたい」
「はいはい。俺とも早く結婚できればいいのにねとか言ってくれないかなー」
「そのうちね」
「え! そのうち言ってくれるの!?」
「気が向いたらね」
「む……向く確率は!?」
「シャボン玉が割れずに宇宙まで飛んでいくくらい」
「ゼロじゃん!」
くすくすと笑う魔女さんにも麦藁ストローを渡す。
「皆でシャボン玉を飛ばそう?」
「そうねぇ……私も……参加してしまおうかしら……」
意味深な魔女さんのその言葉の本当の意味……知るのはまだ先のことだ。
魔女さんは躊躇いがちにふぅと一吹きして透明の宝石のようなシャボン玉を空へと向かわせると……帽子を脱いで、海へと足をつけた。
突然、黒の髪が赤に変化し、鮮やかなマーメイド姿になる。誰もを虜にさせるような笑顔をこちらに向けると、ザブンと跳ねるように大きく飛び込んだ。
沖の方で水しぶきをあげて人の姿に戻り空中へと飛び出すのと同時に、遠くの方でイルカが群れをなしてジャンプした。
あとには、甲高い鳴き声が……。
「すごい……」
「魔女さんのお礼かな。アリスへの」
いつもの魔女さんに戻って、彼女がこちらに戻って微笑んだ。
「しばらく姿を消しておくわ。遅くならないうちに帰りなさいね」
近くにはいるから魔獣は出ない。
きっと、そういうこと。
「ありがとう。魔女さん、大好き!」
「私もよ、アリスちゃん」
スゥとそのまま消えてしまう。
「ずいぶんと気に入られたね……」
レイモンドが隣で呟いた。