53.初々しい二人
「さっきのアレ……なに」
「アレじゃ分かんないけど」
いきなりレイモンドに廊下の隅に手を引っ張られる。
口調……変だったかな。
「あんな赤い顔して瞳をうるうるさせながら上目遣いなんてしていたら、襲われるよ。危なすぎる。ね、誰にでもアレやるの。あんなの、あっちでは見たことないけど」
「そ……」
緊張していただけなのに、媚びているように見えたのかな……。だからロレンツォさんを睨んでいたんだ。なんで私じゃなくてロレンツォさんを……。
「あんな顔して全部まわるわけ? それとも……あーゆーのも好みなの」
責めるような言い方に、涙が滲む。
「あ……ごめん……」
「こんなしゃべり方はよくないって分かってるから……私なりに頑張っただけ。全然慣れないけど、緊張するけど……まだちゃんとは無理だけど……」
「また……やっちゃった……ごめん、ありがとうって言わなきゃいけないのに……」
涙腺弱いな……。
いつもなら言い返せるのに。好きな相手に責められると、こうなっちゃうんだ……私。
もう、前みたいにはいられない。
「心配で心配で……どうしても心配で……」
そっか、私が泣くとレイモンドも泣くんだ。泣くのなんて格好悪くて嫌だと思っていたけど……それならいっか。
「また目が赤いよ? レイモンド」
「……もう、なんでいきなり笑ってるの。そっか、苦悶系男子が好みなんだっけ」
「うん。大丈夫だよ、レイモンド。そのうち馴れるから。赤くならずに緊張もしないで、えっと……お嬢様みたいなしゃべり方ができるようになるよ」
「そうだね、今だけだよね」
「そう、今だけ」
「本当はそんなの、まだ先でいいけど……ありがとう、嬉しいよ。俺の前では無理しないで今のままでいてね。じゃぁ次は……使用人部屋を案内するね、女性の! 男性の部屋は場所だけでいいよね」
心配性だなぁ。まぁ……いっか!
◆◇◆◇◆
「ここが女性の使用人部屋ね」
別空間みたい……ここだけ、いきなりカントリー調じゃない? 色合いは落ち着いているから少し違うかもしれないけど……なんだかくつろげる雰囲気だなぁ。
長い机に椅子がずらっと並んでいて、すぐ側には作業台であったりミシンであったり布であったり……。よく分からない瓶もある。そっか、使用人さんはここで食事もとるのかな。
「で、こちらがメイド長のアネットだよ」
もう白髪だけれど優しくて穏やかそうな雰囲気だ。初日に私を玄関で出迎えてくれていたよね。はじめましては、おかしいかもしれない。
「アリスです。よろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いしますね。ご用がある時は、いつでも部屋の紐を引っ張ってベルをお鳴らしください」
「はい、そうします。ベル……すごい数ですね」
「ええ、このような立派な邸宅に身を置かせていだだけるのは、この上ない幸せですよ。それから、丁寧語は必要ありませんよ、アリス様」
だって、めちゃくちゃ年配なのに……。あー、慣れない慣れない慣れない!
「では、アネット。用がある時には呼ばせていただくわ。忙しい時には……その……無視してもらっても……」
「しませんとも。誰かは必ずここにいますから、安心してお呼びくださいませ」
「ありがとう」
それにしても圧巻……。たくさんの部屋のベルが、こっちのベルに繋がっているんだ。天井にずらーっと、部屋のラベルと一緒にベルが並んでいる。
……ん?
普通のベルの向こう側に、形の違うごてごてした高そうなベルがいくつも? ラベルも部屋の名前ではなさそう。
「レイモンド、あのベルは何?」
「あれは魔道具の一種だ。内部の人間からの盗難や……暗殺なんかがないように、廊下のところどころに衛兵が立っているよね」
「うん……立ってるね」
暗殺か……レイモンドはもちろん、ご両親も強いだろうけど……寝ている時は気付かないよね。たとえ罪悪感があっても、魔法を使わずに包丁でグサッとやられたらおしまいだよね。
「壁に飾られている絵画も魔道具の一種で衛兵代わりだ。機能は複数ある。大雑把に言うと、おかしな動きが周囲であれば、ここや男性の使用人部屋でベルが鳴り誰かが直行する。該当する部屋や絵画自体からも音が鳴るね」
「そうなんだ……」
やっぱり他人がたくさん家の中にいるって、考えることも多くて大変だなぁ。
「使用人は基本的に複数人で動くし、忠誠心の強い者が多い。心配はいらないよ」
「そうですよ、アリス様。旦那様も奥様もレイモンド様も、私たちにとてもよくしてくださっています。皆、ここが好きなんです」
そっか、だから皆……穏やかでにこにこしているのかな。
「私も、親切にしてもらっていることをとても感じているわ。この部屋も、初めて来たのにとても落ち着くの。たまに遊びに来たいくらいだわ」
ご令嬢デビューって感じ。
私が不慣れなことは分かってもらえているだろうし、少しずつ慣れていこう。
「あら、いつでも遊びにいらしてくださいね」
「そう言ってもらえるなら来てしまおうかしら。ありがとう」
「ええ、ぜひ」
本当に迷惑じゃないのかは……分からない。夜にでもソフィたちに突っ込んで聞いてみよう。
「それじゃ、次に行こうか」
既に二箇所でもう名前の記憶が限界だ。保育園関係で覚えた分が飛んでいきそう。
毎日唱えよう……。
せっかくなら神様、チート級の賢さもくれたらよかったのになぁー。
無駄なことを考えつつ、手を繋いだまま次の場所へ向かった。