52.厨房
今日は私たちの住む白薔薇邸の案内をしてもらう予定だったので、朝食を食べてからレイモンドと食堂の外へと向かう。
レイモンドが、意味ありげにチラッチラ見てくる……。
もしかして俺のことに好きなん? みたいな……。鬱陶しいな。うん……大丈夫そう。これくらい鬱陶しいと、いつもの私でいられそう。
そういえば、お母さんが女性はその場の感情で動いてしまうことが多いのよねーとか言っていた。昨日の私は、盛り上がりすぎていたのかもしれない。
「レイモンド、視線が鬱陶しい」
「え……昨日の今日で辛辣じゃない!?」
「昨日の私は、ややトチ狂っていたと思う」
「ト……トチ狂って……?」
このレイモンドの顔……やっぱり好意は伝わってしまっている。うん、少しレイモンドの中のそれを下げておこう。
「私……ものすごく限定的なレイモンドのことが、好きなのかもしれない」
「限定的……?」
「うん。私、泣いているレイモンドが好きかも。今はそこまでじゃない」
「ええー!? そこ? え、俺いつも泣いていた方がいいの?」
「それは鬱陶しくて嫌。あと、悩んでいる時も好きかも」
「……特殊性癖すぎない……?」
え……性癖なの?
「苦悶系男子が好みだったのかな、私……」
「鬱陶しいよ! 字面だけで鬱陶しいよ! で……でもそれなら言うけどさ、昨日も考え込んでいたんだよ。なんで好きって言ってくれたのかなって。何がよかったのかなって……」
「うん。たぶん、うじうじと葛藤しているレイモンドが好き」
「ええー……。む、難しいな……」
「だから、次からなんか悩むことがあったらすぐに私に言って。一緒に悩んで。その方がたぶん……もっと好きになるし」
一人で勝手に色々と抱え込まないでほしい。
「え!? あ……う、うん。分かった。次から迷ったら……そ、相談する」
あれ……私、めちゃくちゃ好きだって言葉使ってない? ううん、光樹相手に結構言ってたからかな。「ねぇね、こうきのこと好きー?」って、よく聞いてきたし。
好きって言うたびにレイモンドが……なんか可愛い顔になるからかもしれないけど。
それに、もっと好きになるって……今も好きみたいじゃん……好きだけど。駄目駄目、三日で好きは駄目。そうだとしても悟られないようにしないと。
「それなら、アリス。……今、一つだけ相談してもいい?」
「今?」
照れた顔のまま、彼が微笑む。
「今、アリスの手をとったら拒否されないかなって悩んでいるんだけど……どうかな」
それは聞かないでほしかった。
「……勝手にすれば」
私はこの言葉をあとで後悔した。
皆の前で、おててを繋いでご案内は……恥ずかしすぎた。
◆◇◆◇◆
「ここが厨房だよ。それから、料理長のロレンツォだ」
「あ、いつも美味しいお料理をありがとうございます。アリスです。お礼になかなか来れなくてすみませんでした」
「そのように畏まらないでください。丁寧語も必要はありません」
そう言われても難しいよ〜。年上の人に丁寧語なしなんて……。
でも、慣れないと。うん、頑張ろう。ひっそりと私室でしているソフィたちとの特訓の成果を出そう。
「で……では、ロレンツォ。フルーサンドも、とっても美味しかったわ。えっと……いつも美味しすぎて感動しているの。これからもよろしくね」
これでいい?
これでいいの?
何も言われないと変な言い方をしているみたいで泣きそう。
「あ、ありがとうございます! 私こそ感動しました。アリス様の可愛らしさに……あ、いえ、すみません」
レイモンド……ロレンツォさんを睨まないでよ……。
ロレンツォさんは青い短髪、かな。コック帽をかぶっているから、髪はあまり見えないけど。私のお父さんと同じくらいの年齢に見える。落ち着いて見えるし、呼び捨てにしにくいなぁ。心の中ではさん付けしておこう。
「厨房って、とても広いんですね……あ、広いのね。驚いたわ」
やっぱり丁寧語が出ちゃうなぁ。
「はい、とてもやりがいがあります。数年前からレイモンド様に工夫を凝らした料理を提案していただけるので、楽しく研究も含めてさせていただいていますよ」
「……魔女さんが不思議な料理を出してくれることもあるからね。再現できるか聞くこともあったんだ。アリスも振る舞ってもらったことがあるだろう? 食べたいものがあったら、ロレンツォに相談するといいよ。……その時は俺も呼んでほしいけど」
まさか異世界を覗いていたとか、そこにいましたとは言えないもんね。魔女さんに出してもらったことにしているんだ。
味も分からないだろうに、こっちで再現しようとしていたなんて……。たまにハンバーガーを家で食べる時もあった。もしかして……。
「レイモンド、もしかして……ハンバーガーも?」
「あるよ、今度出してもらおうか。あまりディナーには向かないからね。また俺の部屋で食べる?」
やっぱり!!!
「今度、お願いしようかな……」
「それなら今日のお昼に食べようよ。ロレンツォ、間に合いそう?」
「はい、問題ありません。早速召し上がっていただけるのなら光栄です。他にも、レイモンド様のご提案から街でも当たり前に見られるようになったメニューもあるんですよ。五平餅とか……」
五平餅!?
なんでそれを!?
百貨店の地下でお母さんが買ってくることがあったから!?
もう、私より作り方すら知っていそうだな……。私がつくれる料理なんて、ピラフとかパスタとか、家庭科実習でつくった味噌汁とかベーコン巻きとか……大した数はないもんなぁ。
「それは楽しみね。今度レイモンドに連れて行ってもらうわ。ハンバーガーもありがとう」
「はい。もう一度、レイモンド様とたくさんの思い出をおつくりください」
……記憶をなくしていると思われているからか。きっと使用人の皆に同情されているんだろうなぁ。
「ええ、そうするわ」
「それじゃ、アリス。次へ行こうか」
なぜか意味ありげな目をしているレイモンドと、厨房を出た。