46.レイモンドの過去1/5
「ねぇ……異世界、覗いてみる〜ぅ?」
唐突に魔女さんがそう聞いてきたのは、俺が十歳になって数ヶ月という頃だっただろうか。
俺には幼い頃から乳母がついていた。
記憶はほとんどない。出産後の一年は母も比較的俺についていたようだ。そのあとは通常の乳母がつき……魔法を扱えるようになったニ歳頃には魔道士ランクがそれなりに高い子育て経験者が二人、俺につくことになった。
突然の乳母の交代……覚えてはいないけれど俺は泣きじゃくり……古参の使用人に話を聞くと、それから精神的に不安定にはなっていたようだ。シルビア先生一人がつくだけとなった八歳頃までは、周囲にも心配をかけたらしい。
王立魔法学園に保育科が設けられたのは、俺が一歳になる数ヶ月前。その十年前から調査は細々と行われ、一定の成果が見られたから設けたようだ。幅広い被験者からのデータの収集も、保育科課程へのフィードバックや反映も必要だ。立場的に強くなければならない俺も、当然その調査に参加させられた。
常に魔法を使わないか警戒されている……それは苦痛以外の何物でもない。俺が勘づきやすい性格だったのもあると思う。幼児期に楽しかったという記憶はない。
十歳の魔道士ランクを決める十歳検査でSランクとなった俺は、やっと監視対象から外れた。最後の乳母……シルビア先生もその報告のために王都へと戻った。
強ければ護衛もゆるくなり、許されることも多くなる。自由に空を飛ぶことの許可を両親からもらい、領地を眺めるだけだと護衛も振り切って森へ向かった。ストレスを抱えていることに気付かれてもいたのもあるだろう。
そうして出会ったのが……この魔女だ。
「異世界を覗き見って……それ、いいの?」
「いいんじゃなぁい? 私がいいって、言ってるんだからぁ〜」
人間の側で俺たちを見守る神の使い魔。神の分身のようなもの。そんな存在のみに許された見守り行為……。
「他にやってた人、いるの?」
「あらぁ、尻込みするなんて珍しいじゃなぁ〜い」
この鼻につくような喋り方は、最初は鬱陶しかったけれど今は受け入れた。存在が存在だ。普通にしゃべっていては、御神託になってしまう。
説得力を減らすために、わざとしているんだろう。人と関わりたいけれど強い影響を与えてはいけない。そんなジレンマを、人ならざる者でも抱えているのかもしれない。
「何があるか分からないしさ……」
「保身も考えるようになったなんて、成長したわねぇ?」
会って数ヶ月なのに、何を言っているのか。まぁ……全てを知っているんだろう。未来以外の全てを。
保身……自分の代わりはいる。そんな意識を持っていたせいで、今まで自分を守るという感覚はあまりなかったかもしれない。
強さは必要だ。西側にある隣国との国境も、うちの領土だ。お互いに侵略する意思もなく友好関係にあることを確認し合うため、定期的に親善試合を行っている。
それなりに力を出し、それなりに手を抜き……引き分けで終わらせる。どちらかの国から、国境を含んだその地域の領土をまとめる貴族の息子がある程度大きくなれば……記念のような形で出ることもある。慣例としては学園に入る前年度だ。その場合は、その者に勝たせる。
……要は、お互いに強い者は数多くいるから戦争をすると被害は大きくなりますよと牽制し合う目的でもある。交流を深めれば、領土を広げることこそ正義、という考え方もしにくくなる。
四百年も前には大陸の北方で大きな戦争があった。その影響が大きい。自分たちこそ至上の存在と信じるトップの人たちが国民に洗脳教育を施し戦争を仕掛け……この大陸の国々が協力し合って、根絶やしにしたそうだ。「自分たちに支配されることこそ野蛮な他民族にとって幸せ」というのが戦争を始めた理由だ。そのあとに現れた聖女は、なかなかに魔王を浄化するのに苦労もしたらしい。負の怨念が溜まっていたんだろう。
騎士団の上に立つ者として舐められないためにも、隣国への牽制のためにも俺は強くなければならないけれど……それなら他の人間を養子にとってもいい。俺が死んだとしても、第三王子あたりに継いでもらってもいい。
でも……この魔女さんと話をしたり魔法をぶつけたりする中で、俺は今まで以上に強い力を扱えるようになって……代わりになれる奴はいないかもとは思い始めている。
「……それでどうなの。他にいたの」
「どうかしらねぇ?」
……言う気はないのか。
「私のような魔女は今のところ、ふたぁり。すぐに増やせるけどねぇ。暇すぎて……あっちの魔女が誰かに見せちゃったことも……あるかもしれないわねぇ?」
……あるのか。
「害はないって? そいつにも悪影響はなかったの」
「見るだけだものねぇ? 少なくとも……この世界が滅ぶような悪影響は、なかったってことよねぇ〜?」
そんなの言われなくても分かるだろ。今は世界が存在しているんだから。
言いたくないことは……すぐに煙に巻く。
「害がないなら、いいや。見せてよ」
「んっふふ、いいわよ〜ぅ。何が見たいかしらぁ?」
「……何も思い浮かばない」
「それなら……召喚してみたい好みの女の子でも探してみるぅ?」
「それ……人間がやるのは禁忌なんだよね。聖女召喚も魔女さんがやってるんでしょ?」
「あらぁ、見るだけならタダじゃなぁい」
……くだらないな。それに、召喚もタダなんじゃないの。
そう思いながらも、探すための条件をどうするかと考えてしまう。ただの遊びだ。仮定の話だ。それなら……答えのないモヤモヤを一緒に考えてくれるような誰かを……。
――子供たちの魔法を封じずに、のびのびと育てた場合の調査対象者の魔力の推移記録。
ふざけるな、だ。
ただ監視の目を強くしただけ。のびのびと? 育った記憶なんてないけどね。強い力を目の当たりにした乳母は、びびって次々に辞めていったけど?
「じゃ、暇つぶしに探してもらおっかな。見るだけならタダだもんね。俺と一緒に、魔導保育士課程の在り方や、調査対象者へのあるべき接し方なんかを考えてくれるような女の子をさ」
シルビア先生は強いから、びびってる感はなかったけど……そこまでの才能がなくても、もう少し上手いやり方があっただろうとは、正直思う。
「でも、せっかくなら召喚してもよさそうな子を探したいよね。絶対に不可能なことは、やっぱり考えたくはないし。制約はあるの?」
「そうねぇ……予め決められている命の終わる日、寿命がくる前に召喚してしまうと、対象の残りの寿命が召喚者から削られるわ。元の世界にはもう戻れないから、転生と似たようなものかもしれないわね。改めてこちらでの寿命が運命に従って付与されるわ。ただし、あちらと無関係ではないわね。瀕死状態の時に召喚しても体は回復はしないわ。好き勝手な理由の召喚に対して、私は直接手を貸さない。召喚して身体を巻き戻すこともできるけど、それもまた召喚者の寿命が削られるわ。それでよければ……具体的な条件を思い浮かべながら、手を当てて?」
さすがに、未来以外のどの時間軸からも呼び出せる魔女とは違って制約は受けるらしい。まぁ……実際に召喚はしないだろうけど、勉強にはなった。
少し畏まった感じの口調にした魔女さんに言われるまま、水晶の宝珠に手を当てる。
条件……。
一緒に学園に入学するために年齢を偽るなら、俺の前後一年くらいの年齢が限界かな……寿命を削っての巻き戻しも視野に入れるなら、三歳年上くらいまでか。あとは、入学するための申し込み締切はおそらく早い。王族も入学する関係で、身元確認期間が必要だからだ。できれば入学時期一年前までに死ぬことだけど……それも寿命との相殺でなんとかなるし、五年以内に死ぬことが条件ってところか。
あとは保育に興味があって、小さい子の世話をしたことがあって……あ、やっぱりいきなり異世界に来るなんて動揺するだろうし、そんな本くらいは読んでいる子かな……。元の世界に帰りたがって泣いちゃっても可哀想だし、あまり人生を楽しんでいない方がいいかもしれないな。
俺……浮かれてる?
自由に恋愛できると思っていなかったからかな。両親が話を持ってくる子と結婚する気でいたから……想像するだけでも楽しいな。
あ、学園の授業についていくのも大変だし、それなりに頭がいい子であってもほしいよね。
よし、現在九歳から十三歳までの年齢、五年以内に死亡、保育への興味、子供の世話の経験、異世界召喚系の本の読了、そこまで人生を謳歌していなくて、それなりの頭のよさ……それでいこう!
具体的に考えがまとまると、水晶の中の光がゆらゆらと揺らめいて……像を結んだ。
――そうして見つけたのが、彼女だ。