181.心を決めて
魔女さんとは一年に一度くらい会っていた。とはいえ、子供たちとは会わせていない。どうしても会えば、頼ってしまいたくなるからだ。魔女さんありきで暮らしを成り立たせてはいけない、と。
「ど……うしたの、魔女さん……」
こうやって約束もなしに彼女から現れたことは今まで一度もない。妙な胸騒ぎがした。
「今から二人で来れるかしらぁ? 無理ならいいわぁ」
穏やかな笑みを浮かべた魔女さんは、理由を言わない。行かないのなら聞かない方がいいと思ったのかもしれない。
「父上、こちらのことはお任せください。ブレンダとベルもすぐに呼びます」
セドリックがすぐに近くに来て力強くそう言ってくれる。成長したものだ……。
ブレンダはリナリアの乳母だ。私がいない時に母親代わりをしてくれる。ベルはその補佐をしていて、ソフィが産んだ娘でもある。メイド養成学校の卒業後にラハニノス魔法学園の保育科を卒業した。護衛としてのイロハもブレンダに教わっていた。年齢は離れているものの互いに補い合っている。
魔導保育士になるには、二年間の保育士養成学校のあとに引き続き追加で魔導保育士課程を二年受講してから試験に合格するというルートも今はある。講師も兼ねている経営者は結婚したラウルとドロシーだ。
資格を持つ人も多くなり、前世の体操教室のように保育園に通う全員が指導員の元で魔法を解放して遊ぶ時間も設けられるようになった。
「すまないな、よろしく頼む」
「はい。魔女様、お会いできて光栄です。戻りはいつでも構いません」
セドリック、頼れる男になったものだ……。小さい時にはあんなに抱っこが好きな甘えん坊だったのに。
「魔女、様……?」
リナリアが少し不安げだ。他二人は好奇心を隠せない目をしながら胸に手を当てて臣下の礼をとっている。
「リナリア、パパとママは魔女様と少しお話をしてくるわ。とても優しい方、いつでも私たちを見守ってくださっている方だから大丈夫よ」
「あ……、いつもありがとうございます」
震える声でリナリアが魔女さんを見上げる。
「ええ、あなたたちの幸せをいつも願っているわ」
「では、私たちはもう行こう。セドリック、留守を頼んだ」
「お任せください」
長々と話しているべきではないと思ったのか、レイモンドが魔女さんに促すような目をして――、私たちは森のあの場所へと移動した。
◆◇◆◇◆
「ここは……」
魔女さんに会いに来る時は、いつも大きな木の幹の中にある魔女さんの部屋だ。
連れて来られたこの場所は、最後に聖歌と会ったコテージの中。机の上には大きな水晶球が置いてある。
「どうするか決めてちょうだい、アリスちゃん」
「――え?」
「聖女ちゃんはたいてい、あちらの世界にはあまり愛着がない……だから比較的こちらへの順応が早いわ。でも、アリスちゃんは家族への愛情を持っていたわよね」
順応は早かった気がするけど……確かに愛着も愛情もあったかな。弟の世話なんかで日々の生活に不満はあったものの、幼馴染の聖歌と比べればはるかに持っていたと思う。
慣れるのが早かったのは、若かったのもあるかもしれない。今誰かに違う世界に連れていかれたら絶望しかない。レイモンドに子供たち……大切な人が多くなるほど離れがたくなる。
「それに、聖女ちゃんと違って過去から喚んだわけではないわ。ここと同じ現在なのだし、見せてもいいかしらと思って」
「意味が……よく……」
胸騒ぎだけが大きくなり、魔女さんが微笑みをなくした顔で私を見た。
「四日後にあなたの母親が亡くなるわ。今はEICUに入院している。今日は脳の手術が終わってから三日後で、家族が特別面会に来ているわ。全員が集まる姿を見られるのは、これが最後かもしれないわね。……見るかしら? 見なくてもいいわ」
「え……」
――頭が真っ白になる。
お母さんが、死ぬ……?
私はもう四十歳を越えていて、こちらでの祖父母様も亡くなられている。でも、まだお父様とお母様はご健在だ。そんな歳では……いや、六十歳はゆうに超えている……。
「な……んで。え、脳……?」
「ええ、くも膜下出血で倒れたのよ」
くも膜下……わずかに聞いたことがある。お婆ちゃんの兄弟の誰かがそれで亡くなったと、あっちにいた時に聞いたような……。
「見……ても、いいの」
思考が追いつかない。
「ええ。でも、長い時間見すぎると、あちらの世界に囚われてしまうわ。目を離せなくなってしまう。これが最後よ」
「最後……」
手足がカタカタと震える。
「アリス、大丈夫だ。見るか見ないか……どちらを選んでもいい」
私の両手を掴むレイモンドの手も小さく震えている。
お母さんが死ぬ……。
お母さんが、死ぬの……?
だって元気だった。
家に帰ってからも慌ただしく動いて……私の中のお母さんは、あの時間で止まっている。
家族の皆もだ。
遊園地とかあちこち連れて行ってくれたお父さん。光樹がいないタイミングを見計らってダイニングテーブルで私と卓球をやりたがるのがしつこかった大樹、知恵がついてきて長い絵本を読んで読んでとうるさかった光樹……。
「見せて、魔女さん」
動揺している間にも時間は過ぎていく。怖さを払拭なんてできない。震える手足はそのままに、心を決めてお願いした。