171.寝る前に
その日は顔も酷かったので、夕食も部屋まで運んでもらって食べた。
さすがに泣き腫らした顔をレイモンドのせいだと思われても困る。「魔女さんに、すごく懐かしい人に会わせてもらったの。幸せな時間で……でも、もう会えないの。それが悲しくて泣いただけ」とメイリアたちには伝えておいた。失った記憶の中の誰かだとは思われたはず。
寝支度を整えてもらったあとに「疲れているなら呼ばなくてもいいとレイモンド様からうかがっていますが、どうされますか」と聞かれた。
レイモンドを今まで通り呼んでもらったけれど、今日の彼は私のベッドの隣の椅子に座っている。
「一緒にいていいの?」
優しく私の髪をなでるレイモンドに、以前の私たちの関係を思い出す。
「うん……。今日は付き合ってくれてありがとう」
「俺こそ、追い出されなくて嬉しかったよ」
「セイカ、可愛いでしょ」
どう答えるのかなーと伺うように彼を見る。ふっと苦笑して……。
「なんて言ってほしいの?」
うーん。こんなに何年も一緒にいるのに、読めないなぁ。普通は可愛いって思うよね。
「どうして私のことを、あんなに知っていたんだろう。魔女さんに聞いたのかな」
「いや……魔女さんからはほとんど聞いていないと思うよ」
「え」
「察してはいるけど、アリスに言うのはやめておくよ。きっといずれ分かる」
「気持ちわる……!」
「だろうね。でも、俺が言っていいことじゃない」
そう言われたら聞けないじゃん!
いずれ分かるって何!
「セイカ……大丈夫かな。見た目、聖女っぽくないし」
「ま、聖女として人前に出る時は付け毛をするとか言ってたし、それっぽくなるんじゃない? ならなくても、熱狂的な信奉者はいそうだな」
複数のヘアエクステでレインボーにすると言っていた。オリヴィアさんの主張もあながちおかしくはなかったのかもしれない。
浄化したあとはエクステをとって静かに暮らすとも言っていた。第二王子となのって聞いたら「どうかしらね」と目を泳がせていたから、そうなんだと思う。
あー!
もっと聖歌の恋バナをしたかったのに!
信奉者かぁ。カリスマ性はこの世界に来て数倍に膨れ上がった気はする。ダニエル様すら横にいてもかすみそうだ。
「アリスは明日からどうする? 自習したり家庭教師から色々覚え直しとかする?」
「そうだね……発達心理とか精神保健とか難しいし予習しておきたい。ピアノもあんまり弾いてないから練習したいかな。ヴァイオリンはもう弾きたくない……弾かない人生を歩みたい。ただ、一年生の時の地獄の理数系問題をもう解かなくていいのは救いかな」
「ははっ。ヴァイオリンはもう弾かなくていいよ。俺の母親が仕事見学でもするかって言ってるけど、一日くらい入れる?」
「あ、うん。お願いしたい」
「俺はいなくてもいいかな。いた方がよければいるけど」
「んーん、大丈夫。お母様とも仲よくなってきたし」
これは……花嫁修業!?
「レイモンドはどうするの?」
「んー、大したことはしないかな。火魔法を封じる爪化粧の現場での確認と、隣の都市にも『教えの庭』を設けた場合にそっちに移ってくれる保育士がいるかの確認と、建築士との予算も含めた軽い相談、ここの魔法学園に保育課程を設けた場合の予算や人員、カリキュラムなんかの話し合いをしたりとか……そんな感じかな。休日や昼放課に、あっちの学園長や講師にも色々と話は聞いておいたしね。急ぎのものは何もないし、人任せにしてもいいものを我儘で俺が自らやってしまうだけだ」
私とデートしていない休日に、学園長や先生に話とか聞いていたの!?
「前知識を入れておきたいだけだよ。本格的には他の者がやる。そっち以外の仕事も引継ぎに向けて少しはね。父と一緒にいる時間も増えるかな」
「土日は一緒にいられる?」
「いるよ。アリスが一緒にいたければ、いつだって」
駄目でしょ、それは。
まぁ……酷い我儘は言わないって信じられているんだろうな。
でも、全面的に信じられると軽く意地悪なことをしたくなるよね。それでも愛せるのって試したくなるよね。
例えば今!
変な気を起こさないように椅子に座ってくれているんだろうけど……ぎゅっと抱いてって。でもそれ以上はしないでとか無茶言いたい。聖歌と別れて寂しくなっちゃったし、たまにはただ包まれて寝たいなーとか思ってしまったり……。
あ! 違う! それで酷い目にあうのは私だ! 軽く触られてきっと愉しそうな顔で見られるんだ!
どうしてこんなことに……。
「アリス……ころころ表情が変わっているけど、何を考えているのかな……」
「絶対知られたくないこと」
「気になるような言い方をするよね。だから問い詰めたくなるんだけど」
「ねー。子守唄、久しぶりに歌ってほしいなぁ」
変なことを考えたら変な気分になってきた。気を紛らわせよう。
「いいよ」
彼が以前と変わらない調子で、また歌ってくれる。繊細な少年感のあるその声も、やっぱり前とは違う。もう十七歳……出会ったばかりの十四歳と違うのは当然だ。
聖歌も相変わらずではあったものの、言葉遣いがあそこまで変わるほど未来でそれなりの時間を過ごしていたのかなと思う。私と同じようにこの世界にいきなり連れて来られて、馴染んでいかなくてはいけなくて……。
「ねぇ……レイモンド」
「何?」
「セイカって……自分の漢字は知っていたのかな。覗き見していた人はいないんだよね。魔女さんの召喚だもんね」
「さぁ……分からないね」
「七百年後に向けて手紙でも書いておこうかな。セイカの漢字、残しておこうかな」
「いいんじゃない? 魔女さんなら保管して渡してくれるよ」
そっか。
もしかしたら、ものすごい長文を書いたせいで聖歌は私のことを色々知っていたのかもしれない。レイモンドもそれを察したのかな。そんな気がする。
「いつか書こっと」
「いつか?」
「うん……さすがに内容も悩むよね。もう少し大人になって、洗練された文章を書けるようになってからにしようかな。下書きだけは明日から推敲する」
でも、聖歌に会ったばかりの今の私から書きたい気もするし。うーん、何通も書こうかな。別に一通にする必要はないもんね。
「いいなー。俺にもまた書いてよ」
それは恥ずかしすぎる。
「……書いては捨てる未来しか見えない」
「夜にゴミ箱を確認していい? 俺の確認後に捨ててもらおう」
「絶対嫌。書く未来が消えた」
「えー、消さないでよ」
この日はお話だけしてレイモンドは自室に戻っていった。少し物足りないなと思ってしまう私は、完全にレイモンドにおかしくさせられていると思う。
……でも、今日は聖歌のことを考えて眠りたい。彼女の笑顔を思い出しながら目を瞑った。