164.帰り道
「ごめん、アリス……帰りは運べなさそうだ」
「……運ばなくていいけど」
二人で歩きたいんじゃなかったの……。夜だから安全面を考えてレイモンドとしては抱っこして早く帰りたかったのかな。
ゆっくりと感慨深く歩いていると思ったのに、角を曲がって隠れ家が見えなくなってからそう言うと、突然レイモンドの顔が蒼白になり始めた。
「え、待って、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「あれだけの血が……知ってはいたし、あっちでは意識しないようにしていたんだけど……。アリスは大丈夫そうだね」
「うん、少し座って休もっか」
夜中なせいで人もいないので、階段に座ろうと促す。王都の街が眼下に広がり、そこにたくさんの命があるんだと……それを想像するだけで胸が熱くなる。
「ごめん……」
「いいよ、帰ったって興奮して眠れないもん」
男子には月経もないしね。シーツで隠されてはいたけど、目には入ってくる。……血まみれになったタオルとか。
「格好悪いなー、俺……」
「格好よかったら好きになってないって言ったでしょー」
「はー……。ごめんね、アリス。俺にも出産する機能があればよかったんだけど……」
そこを謝っちゃうの!?
私なんて親善試合の日には、男じゃなくてよかったなんて思ったのに。面倒なことを押し付けられてよかったくらいに思っちゃったのに。
私の駄目さ加減が浮き彫りになるな……。
「怖くはあるけど、その時が来たら頑張るね」
「それまでに……覚悟を決める……」
「顔色が悪くならない覚悟?」
「痛そうなアリスを見る覚悟……いつかアリスもって考えたら怖くなってさ。血を見るだけなら平気なんだけど……」
「……私の時、立ち会わなくてもいいよ」
「立ち会うよ! 子供が産まれる時に俺だけのほほんとしていられないよ」
別の部屋にいても、のほほんとはしていられないだろうけど……。
「まだ想像もできないけど、側にいてくれたら嬉しいかな」
「ああ……いるよ……」
まだ青い顔の彼も、さっきまで耐えていたという彼も、どっちも可愛いなぁと思いながら遠くを見渡す。
「お母さんの時、私は立ち会っていないんだ」
「そうなんだ。その時は見ていなかったからな。光樹くんがつかまり立ちを始めた頃だったよ」
思ったより少しスタート時期が早いな。
「それだと、一番キツイ産後の時期は見ていないんだね。おばあちゃんもしばらく一緒に住んでいたけど……頻繁に夜中に授乳する時期があって、そのあとは夜中にずっと抱っこしていないと泣くとかで辛そうだったなぁ」
「そっか……」
必然的に大樹の世話は私にのしかかった。
私は小学五年生になったばかりだったかな。園へのお迎えはおばあちゃんがして、産後は寝たきり状態じゃないといけないからとご飯づくりもおばあちゃん、私は帰ってきた大樹に付き合い、お母さんは産まれたばかりの光樹の世話をするか寝ているかで……仕方がないとは分かっていたけど、私もしんどかった。
「ここにはメイドさんがいるもんね。私が何人か産んでも……上の子に世話をさせなくても済むのかな……」
あ、言わない方がよかったかな。
私のこと、優しいって思っていたのは弟の世話をしていたからかもしれなくて……。
「大丈夫だよ、メイドがいる。相談しやすい乳母もつける。全てを任せてもいい」
「さすがにそれはしないよ。私も育てたい。貴族らしくはないかもしれないけど」
「分かってるよ。一緒に……魔法を封じずにすくすくと育ててみよっか」
「そうだね。火魔法を封じられるなら、そこはしたいかなー」
「確かにね。もう始めてはいるだろうけど、製造の進捗を確認しておこう」
あ、レイモンドが辺境伯息子さんっぽい顔になった。顔色もよくなっている。
実際には、特にレイモンドはお仕事も始まって一緒に毎日は難しいだろうけど……たくさんお話して、休日は仲よく子育てできるといいな、なんて。
十六歳にして先走りすぎ?
でも、結婚できる年齢だし普通だよね。普通普通。
「ただ、子供ができにくい体の人もいるよね。私、大丈夫かな」
「それならそれで養子をとればいい。ダニエルたちがたくさん産んだら一人大きくなった頃にもらおう」
「……そんな勝手に」
「元々、俺たちの血筋は王族の傍系だしね」
そんなこと、前にも言ってたっけ。
……王族の場合は跡取りができないと側室を持たされるんだっけ?
「……愛人は……」
「つくらないし、つくらせない! 俺はね、……いや……」
「え、何。なんで言い淀んだの!」
「ふと思い出してさ。アリスに頼まれて暗殺者設定で口説いた時のことを」
なんで今それを!?
それに頼んではいなかったし!
「町ごと全部火の海に沈めても君だけをってふと思い出したけど、さっきの出産を見ちゃうと言いにくいな」
「そうだね……暗殺者設定は無理があるね」
なんでそれを思い出したんだろう。レイモンドの思考も私に毒されてない? 私が変なことを言う時って、こんな気分にレイモンドはなっているのかな。
夜が静かに明けていく。王都の街を太陽の光が赤く照らし始めた。空の青と海の青が、鮮やかになっていく。
レイモンドが立ち上がって、私に手を差し出した。
「帰ろうか」
「うん!」
今から子供の話をしちゃうとか自分のことながら恥ずかしいけど……レイモンドが私をこの世界に喚んでくれなかったら、そんな未来はなかったんだ。
「命ってすごいね、レイモンド」
「そうだね」
「みーんな、ああやって産まれたんだね。この世界の人ぜーんぶ! 今なら、全世界の人に光魔法も届けられちゃいそうだなぁ」
「いいね! 次のクリスマスはそうしよう」
――――は?
「……冗談だよね?」
「そうなるかもって各国の王子に会うついでに魔女さんに伝えてもらおっか」
「え、ほとんど冗談で言ったんだけど……」
「できると思ったならできるよ!」
……いきなりレイモンドが元気になった……。
「無理だと思うけど……」
「大丈夫大丈夫! 君が望めば世界だって一瞬で焼き尽くせるよ」
ぬぁにぃぃ!?
「真剣に望めばできるできる。だから光魔法も余裕余裕」
「異世界からの召喚って……ヤバくない?」
「召喚される聖女は千年分の負の怨念の化身である魔王さんを浄化するわけだしね」
「そう考えると、聖女……恐ろしいね」
「魔女さんが選んでいるし、大丈夫だよ」
異世界からの召喚ってだけで才能がつくってことは、私にもそのレベルのってことか……魔王もいないのに我ながらもったいなさすぎる。
「レイモンドが世界消滅願望のある女の子を好きになっていたら、この世界は滅亡していたんじゃ……」
「そんな子に惚れないけど……そうなっていたら魔女さんが止めるでしょ。未来の人間たちの寿命は把握しているだろうし。寿命以外の未来は見ないから、誰を聖女にするのかも未来の人間の寿命を見て決めているのかもしれないね。俺の勝手な想像だけど」
「そっか……」
とりあえず私が世界を滅ぼさないのは確定しているわけか。よかったよかった。
世界中への光魔法かぁ……。
不用意な一言で新たな課題ができてしまったと思いながら、寮に帰り着いた。