146.熱く結ばれる夜
「レイモンド、入って」
呼ぶと言っていたからか、すぐ横に彼がいた。わずかな隙間で呼んだあとに、すぐに後ろへと下がる。
彼が部屋の中に入って――。
時が静止する。
レイモンドが何かを言おうと息を吸い込むも、吐き出すのは熱い息だけ。
助けて誰か――。
なんか言ってよ、レイモンド!
もう緊張しすぎて目眩がする。目から汗が出そう。
「ぇ……と。俺のせいかな。俺が……追い詰めた?」
なんでそうなっちゃうの……。
目の前に大好きな女の子がこんな格好で立っているのに、なんでそんな冷静に返せるの。ガバッといくとこでしょ、ガバッと。あんなに欲しがってくれていたじゃん……。
こんなに頑張ったのに、そんなに申し訳なさそうな顔をしないでよ。
ポロポロと涙がこぼれていく。
「ご、ごめん、アリス。無理しなくていいんだよ、俺……」
「無理なんてしていない!」
ドンッとレイモンドを突き飛ばす。
「拒否しないでって言ったのに! そんなに魅力がない? こんな格好して頑張って誘惑しても我慢できちゃうほどに魅力がないの? あんたのせいですごく惨めな気分なんだけど! そうだよね、他の子に比べても全然エロくないもんね、この身体。我慢できちゃうよね。その程度だよね、私なんて」
「え、ごめ……だって、あの日も泣いて……」
「あの時はあんたがダニエル様の言葉に意味深なこと言ってため息なんてつくからいけないんでしょ!? 嫌われたのかと思って泣いただけだし!」
「え……」
「そもそも私もあんたが好きだって言ってるんだから、したかったら押し倒せばいいじゃん! グズグズ悩まないで!」
「…………!?」
もうメチャクチャだ。
私が男だったら、こんな可愛くない女なんて絶対に好きにならない。
「ここまでしても何もしてくれないわけ? もう今猛烈に死にたいくらいの気分なんだけど!」
あ……レイモンドの目が変わった。駄目だった、今のは言っちゃいけない言葉だった。私を死から救ったレイモンドには絶対に言っちゃいけなかった。
――一人になろう。冷静になろう。
ガンガンガンッと勢いよく床以外の全方向に石の壁を設けて電話ボックスのような一人空間をつくり出す。
はぁ……真っ暗は落ち着く……暗闇の中で冷静になろう……。
「アリス! 息できなくて本当に死ぬから!!!」
あ、外から石壁を叩く音と声が……確かに死ぬわ。全然冷静じゃなかった。
スッと石壁を消す。
「アリス!」
死にたいとか言いながら、いざ死ぬって言われたらこのザマだし。自分が酷すぎてここから逃げたい。うん……もう逃げよう。
魔法で窓を開けると同時に、レイモンドに抱きしめられる。
「待って、その格好で外に出ないで!」
そりゃそうか……閉めよう。
感情の激流に思考が追いつかない。今はきっと何をしてもろくなことにならないな……。
何もしないのが最善だと判断して、レイモンドの腕の中で脱力する。
もう何もかもどうでもよくなってきた……。
「俺……我慢しようって決めて……」
うん、知ってる。
「本当に……いいの?」
「たぶん……」
「たぶん!?」
「私みたいな酷い女と結婚しなきゃいけないのが可哀想に思えてきた……私ならこんな可愛くない女、絶対に願い下げだし。もうその辺に普通に捨てといてくれてもいいかなって気に……」
「襲われちゃうよ! 酷くないし可愛いよ」
「あれでしょ。この世界に連れてきた責任で言ってるでしょ。襲われたら襲われたでもう、その人と結婚する……」
「それなら俺が襲うよ!」
「そんな責任負わなくても……もう自信なくした。魔女さんと二人で暮らす。末永く幸せに魔女さんと暮らしましたでいいや……。魔女さんならこんな駄目な私でも受け入れてくれる気がする……。レイモンドはもうその辺のグラマラスでエロティックな女の子とお幸せに……」
「いらないよ、そんなの!」
え……それ、私がグラマラスでエロティックじゃないって言ってるよね。
「ごめんね……アリス」
すぐに謝っちゃうな、レイモンドは。
「俺がこんな駄目な奴じゃなかったらさ……アリスに惨めな思いなんかもさせずに、死にたいなんて……思わせずに、甘い雰囲気なんかもつくれてさ……もっと……上手くできたんだろうけど……」
あ……そうだった。
レイモンドは、ずっとこんな男の子だった。
「俺が駄目なせいで、アリスに……」
「駄目じゃないよ」
そっと彼の頬をなでる。
お互いに駄目駄目言い合って、何をしているんだろう。
「ここまでされたらもう……我慢なんてできないよ。もうそんな気分じゃないかもしれないけど……」
またそんな涙目になって……可愛いな、可愛い。解いてもいいのかとリボンに触れる手が震えている。許しを乞うような瞳には、まだ迷いがある。
あれはこの世界に来て、三日目のことだ。指輪もするから私に学科まで合わせないでと、自分の興味を犠牲にしないでって言った私に、泣きながら選んでほしくないと言ってくれたレイモンド。
あの時から変わらない。
震える指に「格好悪いな、俺……」と呟く。
本当に、すごく格好悪い。
大好きな大好きな格好悪さだ。
「格好いいレイモンドだったら、たぶん好きになっていないよ」
「そういえば、アリスの好みは独特だったね。……ベッドに運ぶね」
そっと私を持ち上げて、布団の上に降ろす。
「リボン……解くよ?」
ここまできて私は、制止したくなっている。
だって可愛い。
もっと迷っている彼を見ていたい。
これから先……ずっと彼と一緒にいるはずだ。長い人生を共にするはずだ。
でも……こんなに私を前に迷ってくれるのは、きっとこれが最後だ。もう少し、そんな時期を味わっていてもよかったかななんて直前になって思ってしまう。
何も言わない私に、また不安そうに瞳を揺らす彼。これが見納めだ。もう二度と見られないレイモンドだ。
……でも、これ以上は可哀想だよね。
このまま「うん」と頷けば、彼はきっとものすごく優しく気遣いながらお姫様のように私を扱ってくれる。
でもね……私は、たまに見え隠れするあの瞳に狂わされたい。私の趣味は本当におかしくなってしまった。
だから、なけなしの精一杯の色気を漂わせて誘惑する。
「ねぇ、レイモンド。私をこの世界に喚んだ責任をとって、この世界で最高の夜をちょうだい」
「え……?」
「おかしくなってしまった私を……もっともっと狂わせて」
ああ……赤い瞳が狂気に彩られていくようだ。獲物を今すぐにでも狩るような――。
この瞳に、骨の髄まで熱く溶かされたい。
「そんなこと言っていいの? 知っていると思うけど俺、粘着質でしつこいよ。もう泣いて喚いたって手遅れだけど」
「執着されるのも好きだって言ったでしょ。私が泣いて喚いても、止められないような愛がほしい」
私を大事に思ってくれるレイモンドだからこそ、そんな愛をぶつけられたい。
あの世界から存在ごと私を奪ったんだから――、私の理性も何もかも奪い尽くしてよ。
夜が更けていく。
私たちの特別な夜が。