140.内緒話?
それからまた一ヶ月が過ぎた。
少しずつ何かが変化していく。
ジェニーはダニエル様と仲が深まりつつあり、お忍びデートに一緒に出かけてもいたようだ。
ダニエル様はどこかに行く時は空を飛んで直接が多いようだったけれど、メガネをかけてインテリ風の格好でジェニーと帰宅してきた時は忍者じゃないけどガン見した。王都の街をぶらつく時は、あの格好なのかもしれない。
ユリアちゃんもカルロスと仲はよくなっているけど……そっちは友達って感じだ。男性と話すのに慣れてきたと言っていたし、気さくにカルロスと話しているように見える。
どっちにも突っ込んじゃいけないかなとあまり聞いてはいない。ジェニーには不自然ではないように、ダニエル様と仲よくなってきたのと軽く聞いて、「アリスのおかげよ」と照れながら笑ってくれたくらいだ。
私だって、この世界に来て数日の時に「レイモンドのことが好きなの?」とか友達に聞かれていたら、ものすごく困っただろうから、進捗具合には触れずに我慢しようと思う。
学園では芸術鑑賞会というイベントもあり、オペラを観劇して貴族気分に浸った。
クラブ活動でも、健康増進クラブではモルックをしたり、保育技能向上クラブでは特に子供向けのお話をつくる作業で盛り上がった。ストーリーテリングと呼ばれるものだけど、なかなかに簡単な言葉で情景が思い浮かぶような話し方をするのも文章を考えるのも難しい。何回かに分けて皆で話し合った。
その中でレイモンドとフルールが会話することも当然ながら多くはなって……複雑な気持ちになるのは、なかなか止められない。
レイモンドとは、最近は健全なデートばかりだ。
ピアノであったり折り紙で子供向けのを折る練習をしたり。海の幸ばかりがメニューに並ぶお店に入ったり、ここの美術館にも行ってみたり……。話に聞いていたカラフルな傘の道も通ってみた。例の魔法特訓も一緒にやって、気配の察知もかなりのレベルになったと思う。たまに日常でよく使う魔法の使用まで察知してしまい……少し気配が邪魔くさい。
キスも深いのが来なくなった。襲いたいという発言自体はあるのに、軽くしかしてくれない。あの時やめてって拒否したせいで、レイモンドが反省してしまったのかもしれない。
私は不満が燻りまくっている。まさに押して駄目なら引いてみよう作戦にはまっている気がして……気分が悪すぎる。
八月になれば、前期の定期考査がある。まだ七月になったばかりだけど、そろそろ勉強のウォームアップをしなくてはならない。夏季休暇は八月十三日からだ。
その日に皆でプールに入る予定だし、そろそろ水着を見せて許可だけもらっておかないとなぁ……。
引き出しにはカラフルな水着たち。うーん……見せるのって恥ずかしいよね。
前の世界の日本ほどではないけど、もう暑い。一応簡易的な冷房器具はある。魔石に力をのせて風魔法を発生させ、風があたる部分には氷を入れておくようになっている。溶けた水を受け止める受け皿も二重で置いてあり、見た目はこれまたアンティーク調だ。
部屋に二箇所設けてあって、それなりに涼しい。この世界の夏はその程度の暑さだ。
学園生活は充実しているし楽しいけど……こんな日々の連続でパッと終わりが来てしまうのは寂しいなと思ってしまう。まだ入学して約三ヶ月。でも、それをあと三回繰り返せば一年かと思うと月日が経つのは早すぎる気がした。
日記帳を閉じて、なんの気もなしに窓をそっと開ける。もう寝るばかりの夜だけれど、夏独特の外の空気を感じたくなったからだ。
裏庭の向こう側には壁があり、その向こうには背の高い街路樹が多く植えられている。一番に目に入るのはその木々だ。レイモンドに注意された通り細い道路もあるけれど、その横には川が流れている。
「アリス嬢とはどうなんだ」
屋上から突然声が聞こえてきた。
え……上にいる?
三階を挟むけど、ダニエル様の声は通るからな。……どうしよう。窓を閉めるべきだよね。
「どうって言われてもね……」
レイモンドの大きなため息が聞こえてきて……突然視界が暗転した気がした。
どうって聞かれて、ため息をつきたくなるようなことを私はしたの?
学園に入ってから私は何をやった?
不用意な発言は多かった。レディらしくない行動も多い。あれだけレイモンドに相応しくちゃんとしようと思っていたのに、他の貴族の子と比べれば私は……。
手が震えて、足がガクガクして――、
「我慢するのがキツイ。ムラムラする」
………………。
………………。
ダニエル様相手に何を言ってるんだ。
窓を閉めよう。
「ったく、お前は……」
「アリスを幸せしたいと思っていたのにさ、自分が幸せになることばっかり考えちゃうんだよね」
私が窓を開けることまで想定しておいてよと思いながら、閉め直す。ふらふらと力なくベッドへ行き、倒れ込んだ。
「ここまでなんだ、私……」
さっきまで震えていた手を、仰向けになりながら上へとあげる。
魔法を一刻も早く身につけたいと思っていた。彼がいなくても生きていけるようにならなければと思っていた。
それなのに――。
この世界に来たばかりの時以上に、彼を失ったら生きていけないような私になっていることにショックを受ける。
さっきのわずかな時間で、真っ暗な穴に突き落とされるような絶望感が私を襲った。思い出して、ツゥと涙が流れる。
結局のところレイモンドはいつも通りといえばいつも通りだったけど……。
失えないものができるのは怖い。私の方が先に死ぬ……それが何よりの支えだ。
貴族にも平民にもなりきれず彼の期待にもなかなか応えない私を、ずっと好きでいてくれるのかな。
こんなに心が弱くなっちゃうなんて、恋愛って怖い……。
「怖いな……」
そう呟いたところで、本当に小さな小さなノックの音がした。
まさか、気付かれた――!?