134.ソフィに相談
「ソフィ!」
呼び鈴を鳴らすと、ソフィが快く迎えてくれた。鍵もあるけれど、こっちから入る時は開けてもらう。
「アリス様、あれ……お一人ですか?」
「んーん、レイモンドに途中まで送ってもらった」
案の定こちらを見ているレイモンドを振り返って手を振り、中へ入る。
「相談事があって」
「そうなのですか……すみません。あちらではどうしてもお仕事だけになってしまって……」
「そんなの当然だし」
奥からハンスも出てきてくれた。
「アリス様、お久しぶりな気がしますね」
「学校帰りはハンスもお仕事中だもんね。仕事は慣れた?」
「はい、やり甲斐はありますね。レイモンド様はどちらに?」
「そこで分かれて本屋に行かせちゃった……ごめんなさい。どうしてもソフィと二人で話したくて」
「そうですか……。私はそちらに向かいますね」
レイモンドを一人にはさせたくないか。こっちでは私たちに注意を払う人はそんなにいないとは思ったものの……。
「ハンス……レイモンドに血湧き肉躍る本を探してって言っちゃった。手伝ってあげて。何を選んでも責めないから」
「それは難題ですね、さすがアリス様です。では、行きますね」
さすがって、ハンスもどんな目で私を見ているんだろう……。
彼を見送り、緊張しながらソフィを見ると優しく微笑んでもらえた。中に入ってダイニングテーブルの前の椅子を引いてもらったので座る。ソフィは真向かいだ。
「どうされましたか、アリス様」
毎日同じくらいの年齢の子と話していると、ソフィの落ち着きが分かる。
「理由が分からずね――、悲しくて辛いの。どうしてなのかも分からなくて……」
そのまま、一気にかいつまんで話した。抽象的にはなってしまったと思う。
同じ学年の女の子と毎日会っていると自信がなくなってしまうこと、二人の時間が減って少し寂しさを抱えていること、露天風呂での失敗の話、頭に残っているレイモンドの昨日の「自分の価値に気付かないのは罪だよ」という言葉……。
「レイモンドは何も悪くないのに、全部その通りなのに、なぜか悲しくて辛くて……どうしてなんだろう」
口にすれば見えてくるものもあるかと思ったのに、全く分からない。それなのにソフィが薄い桃色の髪を左右に揺らした。
「簡単なことです。とても分かりやすい理由ですよ。飲み物をお持ちしますね。紅茶と……チェリチェリベリージュース、どちらにしますか?」
「も……ちろん、チェリチェリベリーちゃん……」
私が来る可能性を考えて、休みのたびに大好きな私のジュースを用意しているのかな。
「少しお待ちくださいね」
「う……ん」
ソフィは簡単な理由だって言った。実際に見たわけじゃないのに、そんなにすぐに分かるような……?
「どうぞ、お飲みください」
「ありがとう」
カランと氷が赤紫の液体の中で揺れる。
同じフルーツのシャーベットも用意してくれて、その甘みが喉を潤してくれる。
「そんなに分かりやすい理由……?」
「ええ、とても。レイモンド様も、すっかり男の子ですね。白薔薇邸にいたらアリス様に逃げ場がありません。今なら少し気まずくなっても、毎日の特訓も夜にお二人でお会いすることもなく、アリス様が二人きりになることを避けることができます」
「う……ん」
確かに休日に二人で遊びに行くのも断ろうとすれば断れるかな。
「言いたいことを今まで以上に言えるようになったのでしょう」
「そっか……」
婚約もしたし、無理をしないでって私は頼んだ。その言葉も影響しているのかもしれない。
「その中に、アリス様を心配する言葉や深く欲する言葉が多く混じりこんで……それに応えてあげられないことにアリス様は苦しんでおられる。そういうことですよね」
「あ……」
「自然なことですよ。好きな人と愛を確認し合いたいと望むのも、それを怖いと思うのも。辛く思わなくていいんです。受け入れたいと思う時が来るまで、堂々と拒否してさしあげてください。期待を裏切ることを優しいアリス様が辛いと思うのも当然ですが、気にしなくていいんです。決定権はアリス様にあります。焦らしてさしあげるのも、いい女の秘訣ですよ」
さすがだな……って思う。
同い年の女の子では、きっとすぐにこんなことは言えない。メイドさんって……すごいんだ。
そうなのかもしれない。得体の知れない辛さは、きっとそれだ。
「拒否したいわけじゃないの。レイモンドがその……すごく深いキスをすることもあって……自分が自分じゃなくなりそうなの。でも、私もその……すごく欲しくなったりもして、自分が分からなくて……」
「それも自然なことですよ」
「ねぇ……聞いてもいいのかな。前に雑貨屋さんで、その……避妊ジェルってゆーのを見たことがあって……えっと……ソフィもハンスと……だよね。最初って痛い……のかな。そーゆー知識ってどこで身につけるの……?」
ソフィになら聞いてもいいのかなと勇気を出す。そんなことを口に出すなんてって……彼女なら言わないでくれる気がした。
「すみません。もう少しきちんとご説明した方がよかったですね。アリス様のご様子から、ご存知なのかなと思ってしまいました」
誰にも相談できないこと……それを優しく受け止めてくれるメイドさんのお仕事に尊敬の念を感じる。
「貴族のご息女であれば、通常は初潮の時期や婚約したタイミングを見てご説明をするのかなと思います。平民の方はご友人からということも多いのかもしれませんね。アリス様の疑問……一つずつ解決していきましょう」
目の前の小さくなってカランと揺れる氷のように、だんだんと心の中につかえていたものが溶けていく気がした。性について相談する場所が、貴族や平民問わずあればいいのになと思いながら、たくさんソフィと話をした。
もしソフィが妊娠をしたら、チェンバーメイドをしているソフィの母親を呼び寄せて、ここの二階に住んでもらおうという話もあらかじめレイモンドからされていたらしい。
せっかくの休みなのにハンスとデートはしないの、とも聞いた。私が来るかもしれないからと待機しなくてもいいよと言うと、どうやら昨夜遅くにここにレイモンドが来たようだ。私を傷つけてしまったかもしれないから、次にここに来た時に場合によってはソフィに任せて自分はどこかに行く……と。自分への不満を一番言いやすいのはソフィだろうって。
それを聞いて、しばらくはできるだけ待機しようと思ってくれたらしい。
相変わらず、レイモンドは苦悶系男子の道を歩んでいるのかな……。
そんなふうに気を回す彼のことが、やっぱり好きだなと思った。
最後に悪戯っぽく彼女が微笑んで、一応、避妊ジェルを三階の寝室の引き出しに入れておきますねと人差し指を立てた。例の服をこちらに置いておきたかったら、寮の洗濯物カゴに入れておいてください、とも。
一緒に買ったベビードールだよね……完全にあれの出番がないのも寂しいよねと思いながら、機会があればねと肩をすくめておいた。
この日、ソフィが「心臓が爆発すると思った! 色々経験しておいてよかったぁぁ」と内心思っていたことを……私は一生知ることがない。