130.倒錯の世界も?
休憩用の椅子を隣り合わせにして手を握ってもらいつつ、顛末を話す。
「――というわけで、ジェニーになんて言おう……」
「うーん。考えても煮詰まるだけだし、目の前にしてから思ったことを言えば?」
なんの解決にもなってない……。
でも、考えるべきは自分だ。
「そうだね。とりあえず最初の謝罪の言葉だけ頭に置いてから行こうかな……」
「うん、大丈夫だよ。ここに居づらくなったら隠れ家から学園へ通おう」
そんな逃げの姿勢で……。でも、逃げる場所があるならしっかりと前を向いて謝罪できる。卑怯で弱すぎるな……私。
「頑張ってくるから、エネルギーをちょうだい」
「大好きだよ、アリス。俺はずっと一緒。不用意な一言が多いところも愛しているよ」
フォローにもなっていない……。
しばらくそのままでいて、覚悟を決める。
「よし! いるか分かんないけどジェニーの部屋に行ってくるね」
「ああ、行ってらっしゃい」
私のあの態度……普通に考えればジェニーの気持ちを私が勝手に言ってしまったようなもの。誠意をもって謝らないと。
◆◇◆◇◆
――コンコン。
緊張しながらジェニーの部屋の扉をノックする。
「はい」
「あ、の……アリスだけど」
ガチャリと扉が開いて、「待っていたわよ」と穏やかに彼女が微笑んだ。
「座ってちょうだい」
どうしてジェニーの部屋はこんなに優美なのか……。
王宮調のラウンドテーブルに既にお茶菓子が載っている。薔薇の形をしたマドレーヌだ。紅茶も彼女の手づから入れてくれる。
「アリスの部屋をノックしても誰もいないから、絶対に来ると思って待っていたのよ」
既にダニエル様に何か言われたんだ!
「ごめんなさい、ジェニー。こんなふうに親切にしてもらえる資格、私にはなくて……その……」
声が震える。
「何も責めないわよ。泣いていたの? 目が赤いわ」
「う……ん。あのね、偶然ダニエル様と下で会って……今まで二人きりになることは一度もなかったんだけど会っちゃって……。少し話をしたら全然ジェニーの気持ちに気付いていないことが分かって……つい……」
「ええ」
「泣きながら、ニブチンって叫んじゃった……。直後にレイモンドが来たし、そのあとは何も言ってないんだけど……たぶん……ジェニーの気持ちには気付いたと思う……本当にごめんなさい」
ジェニーが真ん丸の目をして、驚いた。
「ニブチンって……?」
「そう……」
「ふっ……アリスったら……っ、ふふ」
怒らずに笑ってくれるんだ。
「さっきね、ダニエル様が部屋に来たのよ。扉の前にね。入りはしなかったけれど」
「そうだったんだ……」
「これから愛称で呼べって。それだけ」
「あー……」
「ふふ、アリスが何か言ったのねと思って部屋をノックしたのだけどいないから、もうすぐ来るかしらと待っていたの」
「そうだったんだ……」
私は余計なことをしちゃったのかな……これからまた、私のせいでやりにくくなったりするのかな。
「また泣きそうになっているわよ、アリス」
「……私のせいでごめんなさい。すぐ考えなしに動いちゃって……」
「気にしないで。そんなに心配してくれるのね、私のこと。これは、レイモンド様には内緒よ」
そう言って立ち上がると顔を私に近づけて――、そっと頬にキスをされた。目を奪われるような色っぽい仕草で、悪戯っぽく彼女が微笑む。
クラクラする……倒錯の世界に誘われたら入ってしまいそうだ。ダニエル様も、もしかしたらクラクラしすぎて何もできないのかもしれない。
「だから私も覚悟を決めることにしたの」
「覚悟?」
「そうよ。ダニーって呼ぶ覚悟」
「か……くご……」
「ふふっ、そうよ。そうやって呼ぶと、いつも以上に愛想が悪くなって口数が少なくなるの。でも……彼が慣れるまで続ければいいだけだものね。ダニーったらね、しかめっ面なのに耳を赤くしながらそう呼べって言ってくれたのよ」
あー……想像できるかも。
「可愛くなっちゃって。もう少し私……誘惑してみようかしら、なんて」
「私なら即落ちると思う。正直なことを言うと、さっき倒錯の世界もアリかななんて思っちゃった」
ジェニーのくすくすと笑うその声すらもセクシーだ。
「アリスったら。それこそレイモンド様には言えないじゃない」
こんなに穏やかに許してくれるんだ。
優しいな……ダニエル様とジェニーが導くだろうこの国の未来は、絶対に輝きに満ちているはず。その邪魔は誰にもさせたくない。戦争のない平和な世界だけど、いつかあの場所でこの国を守りたい。二人が背負う、この国の全てを――。
「それじゃ、次はアリスの話をしましょうか?」
「……え」
「レイモンド様とお話をしていたの? さっき、すぐにレイモンド様が来たからって言っていたものね」
「う、その……ここに来る勇気をもらってた……」
「そうなの」
「手を繋いでもらって……」
「いつもいつもご馳走様ね。あなたたちの仲がいいと安心するわ。我儘を言ってしまうと、喧嘩はしないでほしいわね」
彼女の色っぽい唇に触れて吸い込まれていく赤い薔薇のマドレーヌは、私のよりもずっと甘そうに見える。
同じものを食べているはずなのにと思いながら――、私は彼女に一つの提案をした。