9話 友人であり恋人ではない
「治癒の力を見つけたら貴方のために使いたい。貴方を王家から、陛下から解放したい、そのために使うわ」
シンディーは俺の頭を抱きしめ、頭を撫でながら言ってくれた。
背中に手をまわせば腕には彼女の心地いい手触りの髪に触れ、額は彼女の鎖骨に触れて、鼻には彼女の匂いがふわりと香る。
シンディーの言葉に俺、レイモンド・クリストフがどれだけ救われただろう。
『殺す‼殺してやる‼目玉をくりぬいてそれから……』
『こんなドブ臭い男、薬だけもらったらすぐに……』
『良い値がつきそうなガキだな。いや、やっぱり売らずにこのまま……』
『馬鹿なヤツ、一生私のためにこき使って最期は犬の餌に……』
『良い足だな。斬り落としてコレクションの一部に……』
陛下からくる仕事はどれもクソみたいな奴らの中を見る仕事ばかり、彼らの中は言葉以上に汚く、醜い。
俺は10歳の頃から何度も何度も震えて泣いて、吐いた。
吐き過ぎて、胃の中が空っぽになってもまだ吐き気は収まらない。
夜も奴らの妄想を夢に見て飛び起きる。
夢の中では奴らが想像した光景、感触が詳細に伝わってきて、一瞬奴らの気持ちに取り込まれそうになる。
「すまない、すまない、どうか耐えて欲しい。国のためなんだ」
最初の頃、陛下はいつも俺に頭を下げていた。
申し訳ないと思っているのは本当の気持ち、俺がつらいのも知っている。
けど、これっていつまで続くんだ?
俺に自由は無いのか??
仕事には5年もすれば慣れた。
気配を消すのもお手の物だ。
でも、このクソみたいな気持ちだけは慣れない。
陛下は謝る、でも俺を助けてくれない。
キクチヨは心配してくれる、でも俺を助けられない。
どうか、誰か助けて欲しい。
この暗い地獄から助けて欲しい。
そんな中にあのシンディーの言葉だ。
こんな状況、惚れない方がおかしいだろう?
俺は同じベッドで少し緊張しながら狸寝入りをしている、愛しい新妻の背中を見つめた。
月が雲の隙間から出てきて、彼女の水色の髪が輝きを増す。
思わず髪を触ると彼女の肩は少し跳ねた。
可愛い。
シンディーは初め、一緒に寝ることを嫌がったがもう婚姻も済ませた夫婦なのだからベッドだけは一緒にしたいと駄々をこねれば俺を見つめながら渋々承諾してくれた。
シンディーの前でだけは聞き分けの無い子供にも、執着心の強い大人にもなれる。
素のままの俺でいられる。
俺はシンディーの方ににじり寄り、若干覆いかぶさって耳元に囁いた。
「シンディー愛してる」
言った途端彼女の手はきゅっと縮こまり、その仕草が可愛くてククッと低く笑ってしまう。
シンディーにとって俺はまだ、親しい友人であり恋人やましてや夫などという意識は無い。
それでもいい。
だって法的にはもう俺の妻なのだから。
「ロンダン王国??」
「そう!そこに治癒の力はあるの‼」
翌朝、一緒に朝食をとっているとシンディーは顔を輝かせて言ってきた。
そこに昨日の夜の様な甘い空気は無く、彼女の心は既にお宝に夢中だった。
シンディーの心を夢中にさせている治癒の力に少し嫉妬したが、そんなことはおくびにも出さずに話を続ける。
シンディーが言うには、日記には聖女と聖女の息子である賢王ローレンスとのある約束が書かれていたらしい。
それは……。
〝私は近々死ぬ、だから私の遺体を国外へ持ち出して欲しい〟
「つまり、その遺体に治癒の力が眠っている?」
「分からない、けどその約束をしたあと本当に聖女は死に、ローレンスは約束を守って親友だったロンダン王国国王に贈り物に紛れ込ませて聖女の遺体を送っている。
それで、ローレンスの日記の最後のここを見て!」
シンディーは赤い古ぼけた日記の最後のページを示した。
彼女の後ろに控えている侍女は朝食中にシンディーが本を取り出したのが気に入らないようだが、何も言わない。
日記を見るとそこには古代文字で書かれていた。
『治癒の力を求める君へ
母である聖女は治癒の力を隠すことを選択した。だが私にはその選択が正しいとは思えない。
だからこそ、この日記を残した。
君が知性、愛情、そして勇気を持つ者ならば治癒の力は手に入るだろう。
だが、もしもどれか一つでも欠けているのであればそれは君の死を表すことになる。
この先へ進む勇者よ
どうか、他者がためにこの力を使って欲しい
ローレンス・クリストフ』
「他者がためにこの力を使って欲しい……か」
俺が呟くとシンディーも目を輝かせて頷いた。
話の通じる人間が居て嬉しいらしい。
「そう‼レイなら気がついてくれると思った‼‼治癒の力は聖女には効かずに、他の人間にしか使えなかった!それなのに他者がためにはちょっとおかしいよね!」
普通に考えて、権力のために使うなとも考えられるがローレンスの日記はその実直さが表れているようにはっきりとした表現が特徴だった。
いや、今問題なのはそこじゃない。
俺は嬉しそうに日記を撫でている彼女を見つめた。
深い青色の瞳はどこまでもキラキラしていて、この先の冒険に思いを馳せているのが心を読まなくても分かる。
けど、俺は彼女の望みを叶えてやれない。
「そうだな…………シンディー、悪いが俺はロンダン王国に行けない。あとシンディーの出国も許可出来ない」
「な、何で…………」
「俺は陛下の許可が出ないだろうし、日記のローレンスもこの先死を表すと書いている。流石に危なすぎる」
(でもだったら内緒で一人で行けば)
「シンディー」
彼女が良からぬことを考えた瞬間、名前を呼ぶとシンディーも俺が心を読んだことに気がついたらしい。
まだ頭の中で良からぬことが駆け巡っているため、俺は席を立ち、シンディーの頬に優しく触れながら見下ろした。
「誰を前にしていると思っているんだ?俺に隠し事は不可能だ。今回ばかりは諦めろ」
俺はシンディーが、頬を染めるかふてくされるかするだろうと思った、だがシンディーは違った。
フッと笑って俺の手に自身の手を添え、首にもう片方の手をまわしてきて俺を引き寄せる。
「レイこそ、誰を前にしていると思っているの??私は欲に忠実な悪戯令嬢シンディーよ??」
半眼で俺を下から見下すその姿は何とも色っぽい。
夜会で感じたあの心臓を鷲掴みにされた感触とともに、ゾクゾクとした不思議な高揚感が俺の全身を駆け巡った。
俺が固まったため、話は済んだと思ったのかシンディーはそのまま席を離れてしまった。
未だに動悸が静まらない中、キクチヨに指示をしてしばらくはシンディーの動向を探らせる。
「まずいな」
彼女にとって俺は友人であり、恋人ではない。
けど俺にとってはもう何よりも大事な存在で、この思いに歯止めがききそうにない。
欲のまま策略を巡らせる彼女を見たいし、その姿が一番愛しいかもしれないと思ってしまっている。
「キクチヨ、とりあえずシンディーにもう令嬢じゃないと言っておけ」
令嬢とは未婚の女性を表す言葉であって、シンディーはもう俺と結婚しているから夫人になる。
もっと言うと王弟妃なのだから、その自覚を少しもって欲しい。
「はい…………ご自身で言われては?」
「今また会えば出国を許可してしまいそうで怖いんだ」
「承知致しました。お伝えします」
その後、陛下から国境付近の様子を見てくるように言われ俺は三か月王宮を離れた。
そして戻ってきたころにはシンディーの策略は全て整ってしまっていた。
「レイ、お疲れ様‼もう少ししたらロンダン王国の王子からお誘いがくると思うからそうなったら二人で行こう?流石に陛下も他の王族からの招待は断れないと思うし、ね?」
悪戯が成功したように可愛く小首を傾げる彼女に俺は溜め息を吐いた。
そして、彼女の手をとって軽くキスをする。
「仰せのままに、俺の可愛いピクシー」
何度も言うが、彼女にとって俺は友人であり恋人ではない。
そんな彼女が他の男に会いに行くのに俺がついていかないわけが無い。
この旅行で必ず、愛しい悪戯妖精の心を射止めようと俺は心に誓いをたてた。
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