6話 蜘蛛の巣にかかりつつあります
気持ちいい。
フワフワと光りの粒が舞う視界の中、何かが私の頭を撫でつけていた。
昔、孤児院で寝てしまった時にシスターがやってくれていた様な、下手するとそれよりも優しい撫で方。
「シスター?」
微睡む頭でぼんやりと話しかけると、私の頭を撫でつけていた何かはピタリと止まった。
何かに動揺しているみたい。
少しすると溜め息が聞こえ、また頭を撫でつけてくれる。
「ま、男じゃないだけいいか」
その聞き覚えのある耳に心地いい声に、私の記憶は揺さぶられた。
よく手紙についていた男物の香水の匂いがほのかに香る、そしてこの声。
バチッと目を覚まし、視界がハッキリすると目の前には銀髪赤目の美丈夫、レイモンド殿下。
そしてさっきから気持ちいいと思っていたのはずっとレイモンド殿下が頭を撫でてくれていたらしい。
ベッドの上で、添い寝をしながら……。
「イヤァァァァァアアアアア‼‼‼」
「おい仮にも夫だろ。流石に傷つく」
「あ‼や、すみません殿下」
「フフン、まぁ今は機嫌が良いからな、許そう」
起き上がった私に対して、レイモンド殿下はまだゴロゴロと寝そべりながらこっちを見ている。
確かに、顔にご機嫌と書いてあった。
そっとベッドから降りながら私は周囲を確認した。
ベッドの周り、ソファの周りには私が散らかしたと思える資料の山、山、山。
「シンディー、今何日か分かるか??」
「??」
やたらご機嫌な殿下はベッドで肘を立てながらニヤニヤと聞いてきた。
ただ、質問の意図が分からない。
外を見ればもう既に明るい、レイモンド殿下からこの部屋を見せてもらってから次の日だから。
「3月24日じゃないですか?」
「ブッ‼アッハハハ‼やっぱり気がついていなかったな?式からもう三日経って今は3月26日だ。
さて可愛い俺のピクシー??簡単な問題を出してやろう。
結婚式をしたばかりの若い夫婦が初夜からずっと顔を出さずに、ほぼ丸三日何をしていたと思う?」
「な……何って…………」
思わず顔が熱くなり、声も出さずにハクハクと口だけを動かしてしまった。
しまった。
私は夢中になると時間を忘れてしまうことがよくある。
その間、寝食すらもどうでもよく、口元に運ばれた物をそのまま食べ、無意識にトイレだけは資料を持ちながら行く。
レイモンド殿下はやれやれと肩をすくめた。
「流石に二日徹夜しているのは心配したからな、三日目になる前に睡眠薬を盛らせてもらった。まぁ、おかげで可愛い寝顔が見れたから俺としては嬉しいが?」
「……私は嬉しくないです」
ポツリというとレイモンド殿下はまたしても豪快に笑い始めた。
私は顔を真っ赤にして、抵抗の意味を含めて部屋を出た。
部屋を出ると待機していた侍女達が生暖かい眼で見てくる。
大人げない。
レイモンド殿下は7歳も年上なのだから、そのあたりは気を使ってくれてもいいだろうに……。
侍女達の視線にいたたまれない思いをしながら私はお風呂に浸かった。
ゆっくりと湯舟に浸かると、私の体は凝り固まっていたらしく体の芯から溶けていく感覚に陥る。
「はぁ~」
侍女に髪の毛を洗ってもらいながらも、私の頭の中ではさっきまで見ていた資料のことが巡っていた。
楽しい。
授業で少しだけ習い、あとは家庭教師をつけてもらったおかげで私は古代文字が読める。
ただ文法からして違うため、普通に読むよりは遅いし、解釈も間違っているかもしれない。
それでも、確実に前へ進んでいるというのがこれ以上なく嬉しかった。
「んふふ」
「楽しそうですね、シンディー様」
「まぁね」
まだまだ宝探し序盤、出てくるのは魔導士達を拷問するなどの王家の黒い部分と私の知っている情報ばかり、それでも何かを探すというのはやっぱりワクワクする!
お風呂からあがり、私はまたレイモンド殿下が待つ部屋へと向かった。
一度侯爵邸に戻ることも考えたが、侍女が言うには私が資料を読みふけっている間に使用人も私の物も全てあのレイモンド殿下の部屋の隣に運び込まれていたらしい。
「愛されていますね!お二人がこもってらっしゃったあのお部屋が共用のお部屋、その両脇が個人のお部屋だそうです!」
「そ、そう……」
愛、というか執着にも近いものを感じる。
着実に私はレイモンド殿下の張った蜘蛛の巣に絡めとられている気がしていた。
「だから叔父上‼そこを退いてください‼‼」
「?」
聞き覚えのある声が廊下のつきあたりからして、耳を澄ませばそれはハワード殿下だった。
「叔父上‼‼シンディーのお腹には僕の子供が‼」
必死で叫ぶハワード殿下をレイモンド殿下は鼻であざ笑った。
「ハッ!まだそんな戯言を信じているのか?あれはお前がどうしようもないからシンディーが嘘を吐いただけだ、三か月前、お前とシンディーの間には何も無かったんだ」
廊下の突き当りからひょっこりと顔を出せば、そこではレイモンド殿下がハワード殿下を睨みつけていた。
確かに三か月前のアレは私が仕組んだことで私とハワード殿下の間には何も無かった。
けど……。
何で断言できるの??
部屋には私と殿下しかおらず、使用人も全員下げていた。
使用人から話を聞いたとしても何も分かる訳ないし、レイモンド殿下に医学の知識があって私が妊娠していないことを確信しても、何も無かったかまでは分からないはず。
それにあの卒業パーティーのことも引っかかる。
彼は迷いなく、アンナの所業を言い当てていたがなぜそこまではっきりと分かったの?
「盗み聞きでしょうか?」
「ヒギャァァァァア‼」
侍女と共に殿下二人の様子を見ていると、不意に真後ろから声をかけられた。
振り返ればそこには私と身長が大差無い同い年くらいの黒髪黒目の美青年が立っていた。
美青年は無表情のまま私に頭を下げる。
「驚かせてしまい大変失礼いたしました。私はレイモンド殿下の侍従、キクチヨと申します。以後お見知りおきを」
「あ、はい」
目の前に立っているのに、何だかそこには誰にもいない様な不思議な感覚。
彼は生きているのにまるで人形のような雰囲気を醸し出していた。
もしかしたら、小さくてすごく整った顔をしているせいもあるのかもしれないけど……。
「キクチヨは今年で32だぞ」
「32⁉ですか⁉」
私が叫んだせいで、殿下二人も気がついたらしくいつの間にかレイモンド殿下は私の隣に居た。
親し気に腰に手を添えてきて、私の手を握りながらもその眼はちょっと怒っている。
そして手を引いて私のこめかみにキスをしながら囁いてくる。
「あんまり他の男を見つめるな、嫉妬する」
耳に息がかかり、またレイモンド殿下の声がやけに大人な感じがして私の顔はみるみる赤くなる。
「あの、殿下……別に見つめていたわけでは……」
私の抗議にレイモンド殿下はにっこりと人の悪い笑顔で返してきた。
「シンディー?夜はあんなにも親し気にしてくれたのになんだその話し方は?」
「え?あ、その、それは」
「うん?ご褒美は気に入ったんだろう?だったらどうする??」
じりじりと壁際に追いやられるなか、侍女は真っ赤になって顔を手で口を覆っている。
キクチヨはそこに何も無いかのように明後日の方向を見ていた。
「レ、レイ、あの……」
「叔父上‼‼‼‼シンディーが嫌がっています‼止めてください‼」
意外にも、レイモンド殿下、もといレイの行動を止めたのはハワード殿下だった。
嫌がって……というか、うん、内心嫌では無かったかな。
顔が近いのはちょっと恥ずかしいし、レイはいちいち触ってくるからなんかこう、ドキドキするし……。
心の中でも愛称で呼んでみれば、レイモンド殿下ではなくレイという名前は驚くほどしっくりきた。
うん、これからはレイも喜ぶし、愛称で呼ぼう。
そう思った瞬間、次のハワード殿下の言葉で私のこのフワフワとした浮ついた気持ちは吹き飛んだ。
「叔父上‼お願いですから僕の婚約者を返してください‼‼」
「はい⁉」
何を言っているのか分からず、私を自身の背中に隠そうとするレイの横顔を見ればその顔は寒気がするほどに凍り付いていた。
というか私、ハワード殿下に婚約破棄されませんでしたっけ??
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