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不恰好な木器のカップに入れられたハーブティーのようなものを飲む。癖の強い香りだが味は薄く、舌より心に安らぎを訴えかけてくる。文句が無いわけじゃないけど美味いもんは美味いでいいか。
こじんまりとしたログハウス風な外観の中に土を掘ることで天井までの高さを確保した建築物。そんな家みたいな建物のなかで、こうやって俺は一人休ませてもらっている。
本当に分からねぇことだかりだ。
シエラを支えて森を進んで体感で1時間は歩いた。途中途中で話をしながらだ。一人じゃダメだったろうな、隣で彼女が慰めてくれたからめげずに済んだ。
そんな二人きりの逃避行の結果里とやらに辿りつき、ちょっとした諍いの後ここまで案内された。
塩味の効いた豆のスープにナイフで削った干し肉が数枚の食事を出してもらい、そこでようやく一息付けた。
ここの里は余所者に厳しいのか優しいのか分からねぇな。俺の安全はシエラが保証してくれた。だが保証してくれるのはシエラだけだ。
里の出迎えは手厳しかった。着くなり10人くらいのやたら顔の整った金髪の集団に、弓と剣を向けられ怒声を浴びせられた。みんな耳が長いなぁなんて俺は現実逃避しているうちにシエラが話をまとめてくれていた。
彼ら彼女らは言う。なぜ人間を招き入れるのですか、どうせこいつも我らを家畜程度にしか見ないのです。これは絶対に祟ります!厄災なんてもううんざりではないですか!なぜに精霊は我々を試されるのか!
シエラは言う。この方は私を助けてくれたのです。命を繋げてくれたのですから、精霊に誓って施しを返さなければならないのです。フォールの名でもって危害を加えることの一切を禁じます。そうです、これは道なのです。道を開けなさい。閉じることの意味が分からないものはいないのでしょう?
俺は分からないんだがね。全てが分からねぇ。どうも宗教くさい問答だったが分かることはそれだけだ。悲壮をもって叫ぶ彼らに、シエラは憤怒をぶつけながら諭し、俺はただ黙り込んでいた。
今にも泣きだしそうな人たちの目線を背にシエラが案内するがままに辿りついた。そうして竪穴式住居とログハウスを足して二で割ったところに押し込められたのが今の状況だ。里の代表が来るまで食事でもして待っていてと、シエラに甲斐甲斐しく世話を焼かれた。が、そのシエラも呼びに行くのかここを出ていった。
なぁ、俺は生きて出られるのか。
―――お待たせいたしました
そんな風に草を編んだ敷物の上に胡坐をかいて木の机に頬杖をついて考えに耽っていた俺に、弱弱しい声が届いた。見れば所在なさげに40歳くらいに見える金髪に緑の目をした男が座っていた。
「...あなたは誰です?」
そんな泣きそうな顔をするなよ。俺は何もしないし、何も出来ないよ。
「名はシーガンに家名はフォールと言います。好きに呼んでください」
なんでこんな遜ってんのかね。俺はお偉いさんになったつもりはないんだが。
「あなたがこの里の代表でいいんですか?」
「ええ、この里の導師は私ですから。シエラから話は聞きました。この度は娘を助けていただきありがとうございます」
シエラってお偉いさんの娘なのか。
それにしてもただの成り行きだよ、そんなことはね。結果として俺は行き倒れずにすんだ。死人が出たのは過ぎたことだ、忘れておけばいい。死ぬべきでない人が死なずに済んだからいいじゃないか。もうそれで良いんだ、忘れたいよ。
「それはもう終わったことですから...それよりこれからの話をしてもいいですか?」
「...そうですね。ただ気分の良い話は出来ないかもしれません。申し訳ない」
シーガン・フォールと名乗った男が頭を下げてきた。
止めてくれよ。あんたたちは水と飯をくれたし、そもそも俺がシエラに救いを求めたからここまで来たんだ。
森歩きの途中、彼女は言った。
自らが生きることは他の命を奪うことと変わらない、何かを食べることだって自分や家族を守ることだって生きるためなのだから。私とあなたは今も生きている、ただそれだけのこと。あなたは恥ずべきことなんてしていない。生きること自体に善悪は求めなくていい。
流石に食事と殺人を同一視するのはどうかと思った。
だが彼女なりに気を使ってくれたのは分かるし、本当にそういう流儀があるんだろうとも思う。
目的が善いことであれば手段の善悪は問わないって感じか?厳しい環境で生き続けるための哲学かなんかだろうと思った。
1匹と3人の死体をこさえるのはちょっとばかし精神的にきた俺には効果抜群だったさ。してもない懺悔に許しを与えるシエラという天使。
「頭を上げてください。あのままだったらシエラは攫われていたかもしれないように、飲まず食わずでいた俺も野たれ死んでいたでしょう。助かるべき者が助かっただけです」
あのカウンセリングが無料ってのは気が利きすぎてる。あんまり凹まれてもこっちが居づらい。
「...そうであれば猶のこと、失礼な話になります」
どういうことだ?なんでそう卑屈になる...
シーガンは頭をさらに深くする、それも額を床に擦りつけるように。
「だから頭を上げてくれって。どういうことなんです?」
「あなたを里に留め置くは厳しいのです。あなたはどうも流れの方のようなのに、そんな方に無体なことを申さなければならないのです」
そんな気はしていた。ここのエルフたちはどうも人間と上手くいってないのは把握していたしな。
「まぁ流れ者なのはそうです...それもかなり遠くから流れてきた。これからの話の前にいくつか教えてもらえませんか?ここら辺の知識がまるでないので」
「もちろんお答えします。それくらいしますとも、返せる物が少しでもあれば...」
そんな遠い目をしてくれるなよ。俺にとっては金より価値がある、と思うしな。
さて、何から聞いたものか。出鱈目なことが多すぎる。
「エルフに会うのは初めてなんです。あなた方、サウスエルフとはどういう存在なんです?」
まずエルフってなんだよ。訳が分からんファンタジーすぎる。
「初めてですか...ここアルファンの広大な森にはエルフがあちこち住んでおりまして、南側をサウスエルフ、北側をノースエルフと言われております。ただ同じエルフですよ、少し考えが違いますが」
エルフは南部人と北部人で勢力が別れてるってことか?ちょっとこれだけでは分からんな。
「あー、考えとは?」
「北側は比較的には人間と上手くやっています。北側の人間の国とは限定的な交易があり、諍いは少ないのです。ですが南部はそうではない、度々奴隷を求めたクソどもが我々を攫いにくる。ですから数日中に北側の里にお送りしたいと思い...失礼しました。疑問はまだ尽きないようなのに申し訳ない」
酷い話だ。そりゃ嫌がられる訳だ。里のエルフをよくシエラは引っ込ませたもんだな。
「エルフについては取りあえず理解しました。森の南部に入ってくる人間たちは何なんです?俺が始末した連中はどこから入ってきてどこにエルフを連れて行き何をさせるんですか?」
「ここ100年と少しはカルマン王国という国の人間がサウスエルフを奴らの国に連れ去り、それこそどんなことでもさせるのです。男は労働力に、女は弄られます。人間より美しく、人間にはできない魔法が使える見栄えのする資産だそうですよ。汚らわしいことを」
そう言ってシーガンは濁った目で窓の外を眺めている。
高価な奴隷か。日本じゃ奴隷はどうだったっけな、戦国時代に南蛮商人が日本人を買っていたくらいか?
俺としても無しだな。火縄銃と硝石の代金が人命ってのはナンセンスだしな。
「キール正教はご存じで?これも奴隷狩りに関わってきますか?」
「直接は関わりませんが同じようなものです。人は天国、あるいは地獄に行くことは生まれながらに決まっている、というのが彼らの教えです。また、エルフだけでなく亜人の皆尽くが必ず地獄に行くというのです。人間には善行を積みましょうと言い、亜人には死ねという亜人差別の元凶です」
とりあえず宗教は駄目だ。もう仲良くできる気がしない。どこに行けば俺は暮らせるのか。
そんな思索にはまっていたらドタドタと足音がした。顔を向けると建付けの悪いドアがこれまた音を鳴らしながら外に開いた。
「父様、話は終わりましたか?」
シエラだ。なにやら暗い顔をしてる。
「いや、ここら一帯の状況を尋ねられ、お答えしてる途中だ。まだ何も決まってない」
そうなんだよね。聞きたいことが多すぎる。聞けば聞くほど訳が分からねぇよ。どうやって生きろと言うのか。
「...リリアが帰らないそうですよ」
空気が凍ったよ。さもありなん。これで猶更、エルフの里に滞在しにくなったじゃねぇか。水と食料もないんだぞこっちは。
「シエラはここで、コホン、名前はお聞きしてませんでしたな。お伺いしても支障はありませんか?」
わざとらしく咳払いをして、俺の名を尋ねてくるシーガン。
そうね、名乗ってなかったね。こっちもわざと言わなかったんだけどな。なんて言えば良いのかね。覚えてないんだから名乗りようがねぇんだよな。
まぁしょうがないか。
「ジョンドゥとでも呼んでください。ジョンが名です」
おもっくそアジア系の顔の日本人が使う名前じゃねぇな。
「ドゥさん、申し訳ないがシエラとここでお待ちいただけますか。私は急用がありますので一度失礼します」
そう言うなりシエラと入れ替わるのようにシーガンは立ち去って行った。
「ジョンと呼んでもいいかしら?」
良いんじゃねぇの?俺はシエラのこと呼び捨てだしな。
「俺はシエラのこと呼び捨てなんだから、もちろんジョンで構わないさ」
「ジョン、また私のこと助けてみない?今度は損はさせないわ」
悪戯を考える悪ガキみたいに聞いてくるシエラ。
またってなんだ。別に助けたつもりなんか無いんだけどな。俺が今、そこそこ冷静に生きていく算段を考える時間をくれたのは君のおかげなんだ。別に貸し借りなんてない。
「何がしたいんだ?協力できることならするぞ」
「ねぇジョン、これでもこの里で一番魔法が上手いのは私なのよ。でも私はカルマン人に攫われかけた、これがどういうことだか分かる?」
いや分からんわ。
カルマン人だったらしい人攫いの連中の一人が魔術師とか言ってた気がするけど、今度は魔法使いかよ。本当かよ、そんなん。
「近場だったから弓は持っていかなかったけど、それでもたかだか3人に負ける気がなかったのよ私は。でも結果はあの通り。そしてあなたが何もさせずに瞬殺。あの連中は悔しいけど腕は良かった。だけどあなたはそれ以上の凄腕だった」
俺が凄いんじゃない、サムおじさんが凄いんだよ。
「何が言いたいんだ?」
「あなたの魔法があればリリアを取り返せると思うのよ。もちろん私も協力する。あなたがリリアを助けられれば、里の皆があなたを敬うわ。私や父様のように」
そんな上手くいくかよ。だいたい俺は魔法なんか使えないねん。
「エルフは施しを忘れない。返せなければ子が返す、子が返せなくてもその次の子が返す。我ら長命種は決して施しを忘れてはならない。あなたは知らないと思うけど、私たちは何も無ければ300年くらい寿命があるのよ。仲間内で恨みを買えば300年恨まれる。300年ずっと警戒して生きるなんて無理じゃない?だから必ず返すのよ」
シエラの目が琥珀色にまた光ったと思えば、矢継ぎ早に捲し立ててきた。
なんだなんだ?なんで俺が疑問に思った瞬間、丸め込みにかかったんだ?心でも読めるんかねぇ。そんな訳ねぇか。
「で、どういうメリットが俺にあるんだ?」
なんか急に眉唾な話になった気がするぜ。300年って随分と長いじゃねぇの、ほんとかよ。
「ちょっと言い方悪いけど、今から30年くらい人間一人の面倒みるのなんて訳ないのよ。あんまり無茶じゃなければ、そのあいだ私のこと顎で使ってくれて構わないわよ、どうかしら?」
30年てなんだよ。
今俺は20...何歳だっけ?ほんと覚えてないのが悲しいわー。で80歳になるには50年くらいかかる訳で...ああ、人間は50年くらいで死ぬだろうってのがシエラの言い分か。
なんか犬猫の扱いだなぁ、別に良いけど。
「良いよ。最後まで助けて欲しいんだろ?なら最後までやらなきゃな」
リリアとかいうエルフを助けるか。