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あれから、俺は森を当てもなくふらついていた。
当てどころじゃない。なにもない。目的も記憶もない。
自分が誰か分からない俺は財布も持ってなかった。当然身分証もない。スマホもないから手がかりなんてまるでない。
服は着てきてよかったねってレベルだよ。ふざけんな。
下からスニーカーに靴下、だぼだぼジーパン、ベルト、白いTシャツ、青のカジュアルシャツ。それとウィンチェスターの散弾銃。
そして時間もない。
狼みたいな畜生を殺して心が落ち着く頃には陽も沈みかけていた。まずいと思った俺はそこらの草でオーガニックなベットを作った。幸い夜も昼と変わらず過ごしやすい気温だったことが救いだ。
陽が昇ってから探索しているがなにも見つからない。
水を確保しないと死ぬ。人間水も食料も無しで何時間動けるのか。
そういや時計もねぇな。
ない方がいいか。タイムリミットを意識しないで済む。
ん?なんだこれ。
足跡でいいのか分からんくらいの微妙な跡。こう、擦って消した感じの...
なんで消す必要があるのか。そして消しながら歩いたってことは後ろ歩きなのか?
考えすぎか。ただまぁ前でも後ろでも辿れば何かしらあるだろうし人に会えるだろうからどうでも良いか。
そもそも足跡かどうか怪しいけどそれはそれ。俺には何もないんだから、希望くらいくれよ。
足跡の前方向を見ると険しいアップダウンやら木の根っこやら岩やらと獣道もびっくり俺もびっくりって具合のキツさ。
後ろ方向はなだらかに下ってて徐々に森の木の感覚が開けていく感じだった。
ここは後ろだな。どっちにしてもそっちから来たってことはそっちには確実になにかあるはずさ。
決まったからには歩こうか。歩けるうちに。
そうして歩いて行くとすぐに変化があった。
男女入り混じった怒声と金属音。近くはない、だけど遠くもない。
厄介ごとの匂いしかない。丁度風も向かい風で、運ばれた空気が匂わないけど匂うねぇ。
向かい風ってことは思ってるより遠いかもしれない。当然やり過ごせる訳で。
でもなぁ水も食料もないなかで人に会えるのは幸運だろうとも思う訳で。
行くしかないか。
のそりのそりと隠れ蓑になる草むらだったり岩だったりを経由しつつ近づいていった。
だが聞こえる音は次第に小さくなってきた。
別に遠ざかってる訳ではない。争いが終わりかけてるんだろう。
その中でドンって感じの一段とデカい音が近くで鳴った。
俺は手ごろな広葉樹の影から様子を見やった。
20ⅿくらい先の木に金髪の人間が叩きつけられているのが見えた。動きが鈍く木に背中を預けて立てないで座り込んでいる。女、ぽい気がするがここからじゃ分からん。
その金髪の前には人が三人いるのが見える。黒塗りの金属鎧を着た剣を持った男と、革の胸当てをつけた弓を背負ったナイフをもった男。そこから少し離れて杖をもったローブの男。
「手こずったなァ。ロニーさっさと縛っちゃおうや」
「おう、待っててな」
金属鎧が剣を鞘に戻しながら革胸当てに指示を出していた。
えっ捕縛?どういうことなの?
「ダン、これで二人だ。そろそろ戻らないか?金は十分稼げるだろ」
「アア、帰ろうか。で、その金なんだがさっきのが5000ダラス、こいつが7500ダラスから上で売れると思う。まぁ前回より儲かりそうでよォ。多少、分け前を増やしてやれそうだがどうする?」
人身売買?いや不味いだろ。どんな世紀末だよ。
赤毛っぽい髪した彫りの深い顔の男たちが悪党っぽい会話してやがる。ここはどこなんだ?とりあえず日本じゃねぇな。
頭痛がした気がして、なんとなく額に手を当てて目を瞑ってしまう俺。
おう...サムいい案ないかよ。そんな風にフザけて心中で独り言ちてみる。
気づくと白髪まじりの髪の毛を手で前から後ろに撫でつけながら話しかけてくる太っちょがいた。
瞳を閉じて思うだけで会える。安いロマンスで良いねぇ。脂ぎったおっさんじゃなきゃ最高だな。
「よう一日ぶりだな」
なんとなく昨日のは一回きりだと思ってたけどそうでもないのか。もっと早く試しときゃ良かった。
「そうだな。なぁ俺たち簡単に会えるもんなのか?水を飲むのとあんたに会うのは、同じくらいに難しいと思ってたんだが」
「どっちも簡単だろうが、パイオニア」
やれやれって両手でアクションするサム。なんかムカつくなぁ。
「まぁいいや。あんた奴隷ってどう思うよ?」
「資産だろう。だが許されざるって形容詞がつくがな」
急に腕組んで冷たい声で言ってくる。君の国は奴隷制があった国だろうに。
「じゃ人を奴隷に落とす奴はどう思う?」
「自由意志で奴隷に落ちるならともかく、どこからか攫って奴隷に落とすのは無しだ。階級社会は認めない。ただ逆の意味で、本国人というよりロイヤルという身分に憧れる気持ちは分からんでもないが、それらはあらゆる意味で自由を喪失させる」
なんかえらい熱く語るなぁ...冷たい目で。
まぁ自由ってとこをやたら強いアクセントつけてるサムおじさんはもういいや。
「...じゃそのマンハンター止めてくるわ。ショットシェル貰えるか?」
「何発だ?いくらでもいいぞ」
「20発で。水も貰えると嬉しいんだが」
「まだ水は無理だな。フロンティアを広げてくれないとやれない」
なんだそれ。広げるってどういうことだよ。
その今は駄目ってのも分からん。
「なぁあんた俺に何させたいんだ?フロンティアってなんなんだ?」
「パイオニア、やりたいことを自由にやれ。その結果フロンティアが出来る、それだけだ」
俺はサムがショットシェルを4箱押し付けてくるを受け取った。そしてダメ押しと言わんばかりに小さいポーチまで渡してくる。
出鱈目だなぁ。俺は悪魔にでも縋ったんじゃねぇのかコレ。
「まぁ道具は用意するから頑張ってくれよ」
瞼を開ければ箱が4つ。ラベルにはXB1200superX、これもメーカーはウィンチェスターか。
ほんと意味が分かんねぇよ。俺はどこで何させられてるんだよ。
そんなことを考えながらショットシェルを箱から出す。
「そうやって値切るのは止めてくれって。競売で売るのは俺だって知ってるんだ。それより高くなるだろ?報酬はオークションが終わってからにしてくれよ」
ごちゃごちゃうっせぇぞ。犯罪者ども。
あぁこのポーチってショットシェル用なのか。気が利くのか利かないのか分かんねぇな。
「ハハッこないだ組んだ奴は競売なのを知らなくてよォ。馬鹿貴族のおかげで値段が跳ねた分がまるまる儲かったんだがなァ」
「馬鹿だなそいつ。それとも金に困ってたか?」
チューブに7発、ポーチに12発入った。残り1発綺麗に余ったな。チャンバーに1発移してチューブに突っ込むか、これで丁度良いしな。
「...おい、さっきから何の音だ?あそこからかァ」
やっべバレたか。まぁ殺し合いって決まった訳じゃねぇんだ。
落ち着いていこう。落ち着いて。
「なぁ!あんたら何してんだ?」
話しかけてみた。奴ら大分訝しんでるな。
「...エルフ狩りに決まってるだろ。お前こそ一人で何してんだァ」
エルフって、あのエルフか?
そんなファンタジーあるかよ...
「いやこっちは道に迷ってんだ。エルフってなんだ、耳が長い奴か?」
「ハァ...そうだよ、その高慢ちきどもことだよ。で何をやったら一人でアルファンの森で迷う羽目になるんだ?」
すげぇ警戒されてるって思ったけど、呆れ始めたな奴ら。まぁ呆れられてんの俺だけどさ。
アルファンの森ねぇ...どこだよ。ほんとに地球か?
「フン、味方に騙された挙句に置いてかれでもしたか?良い服着てることだしよォ金持ってんだろ、出すもん出せば森を出るまで案内してやってもいいぜ」
会話をしながら俺は距離を詰めてみた。奴らまで15ⅿくらいか?別にたいして反応は返さない連中。随分とおめでてぇな。俺は散弾銃持ってんだぞ、あぶねぇと思わねぇのか?
それに別に良い服なんか着てねぇよ、ファストファッションだよ。まぁお前らは信じられないくらい汚い服着てるけどな。臭さは感じないけど染みとかすごいし。今日日アフリカでももっと良い服着てるわ。
分からないことが多すぎる。人と会えれば解決するかと思ったらそんなことはなかった。むしろ増えた。最初からここまで奴の口の動きと実際聞こえる言葉が合ってない。こう吹き替えの映画みたいな感じなんだよ。めちゃくちゃだよ...
「で、その後ろのがエルフで良いのか?そいつはどうなるんだ」
木に体を預けている金髪に俺は目をやった。耳は横に長くて俺の知ってる人間には見えねぇ。線が細い体つきにそこそこはあるだろう胸を見れば女だとわかる。
だが呼吸が浅い。それに手足を縄で縛られ口を布で塞がれていた。精魂尽き果てた目に痛々しい傷だらけの姿だった。これは駄目だろう。
「なんだァ、どうにでもなるよ。フン、それに亜人に権利なんざねぇんだ。それともあれか?難癖つけてかすめ取る気かこの野郎」
権利がないね。住む世界が違う話だな。とくに政治に興味はないけど、なんか駄目だ。さっき見た時目が合ったんだけど、こう昏い目をしていた。
奴らは一線を越えたいらしい。もし越えるならこっちも越えなきゃいけない。
「なぁ、エルフかどうか知らんけどそれは置いてどっか行けよ。そうすりゃみんな幸せになれる。そうじゃなきゃみんな不幸になる」
「なんだよォ、不幸ってなんだよ?やってみろや」
こっちににじり寄りながら奴は剣を抜いた。
抜いたな?ああ抜きやがった。
―――ダァアン
奴のド頭目掛けて撃ってやった。真っ赤に弾け飛んだ。そして膝をつき、ドサッと倒れこんだ。ポンプをシゴいて目線を前に戻す。
革胸当てが口をパクパクしてやがる。どうやら衝撃的だったらしい。次はお前だ。
今度は胸元にぶち込む。9つのペレットが血達磨にしてやりながらふっとばす。
「待ってくれ!殺さないでくれ!俺は教会の魔術師だ!回復魔術が専門で戦闘はからっきしなんだ...そうだ、これを見てくれ、キール正教だ!あんただって教会は不味いってわかってるだろぉ!」
ローブの男が震える手つきで必死になって右胸元の紋章を、布を伸ばして見せてくる。
知らねぇよ。だからなんだってんだ。
「教会だからどうした?神様でも出てくるのかよ」
「...タロップの教会を君のために動かす、なんだって協力する。それでどうだ?エルフなんかのために死にたくねぇんだよぉ...」
ああ、こいつはレイシストだ。おまけに糞みたいな話だ、興味が湧かねぇよ。
もういい、奴の右腕を撃ってやる。
―――いぃぃぃっああああ!
右腕をプラプラさせながら膝から崩れ落ちた。
「失せろ!もう一発ぶち込むぞ!早く、消えろ」
カサカサとゴキブリみたいに逃げ始めた。取りあえず野郎の右腕は駄目だろうな。
もういいだろ。もうドンパチは終わりだ、疲れたよ。心と体が草臥れていくのが、乾いていくのが自分でも分かる。
金髪のエルフも身震いしてる。そうだよな、あんただって疲れたよな。
口に詰められた布を取ってやらなきゃ。
「...殺さないで、あんな惨い死に方は嫌よ。ねぇ、お願い、します」
「殺さないよ、これでも助ける気でいるんだよ一応」
俺は証拠と言わんばかりに落ちてたナイフで、彼女の足首と手首をそれぞれ縛ってた縄を切ってやった。
そんなプルプルすんなよ。別にあいつ等はやりたくてやったんじゃないんだよ。
やらなきゃ後悔すると思って、やらなかったせいで俺は...
まぁ、何がどうなったかなんて覚えちゃいないが。ただ苦しい、空しい。
「なぁ、あんたは悪党に襲われて、その後俺も襲われた。だからこうなった、それだけなんだ。そうだろ?」
そうよって、頼むから言ってくれよ。ああ、もうたくさんだ。寒いんだ。
「...そうね。そうなんでしょうね、私はあなたに助けてもらった。でもそれなのにあなたは...」
気づいた時には女は、目線でもって俺を優し気に打ち据えようとしていた。その目は琥珀色に淡く光っていた。綺麗な目だ。
「そうよ、どうせ助けるなら最後まで助けてみない?お礼はもちろんするわ。あまり多くは出せないけどお金と、食事に寝れる場所は用意できる。私を里まで送ってくれないかしら...」
拙い微笑を精一杯浮かべて誘ってくる彼女。
多分俺は気遣われているんだろうな。自分でも酷い顔してることくらい、鏡がなくてもわかる。どっちが助けてもらうんだか分かんねぇな。年下っぽい女にここまで心配させて情けねぇ。
「...送るよ、肩貸そうか?」
「お願い。足挫てるみたいなの」
軽い体を支えてやる。ふんわりと花の香りが俺の鼻をくすぐってきて、その香りの持ち主は美しくはにかんでいる。
だがそれが手足の傷の痛ましさを強調してきて浮かばれない。
「私も里もサウスエルフで居心地は悪いかもしれないけど、でも何とかしてみせるから」
俺もやっと落ち着いてきて頭が回り始めてきた。やっぱりエルフなのかとか。やっと飯が食えそうだとか。元居た場所には帰れなさそうだとか。
でもいろいろ可笑しいことばかりがいっぱいあって持て余して仕方ない。
あと今は必要じゃない。
「まぁどうだっていいさ。それよりあんたのことはなんて呼べばいい?」
「シエラって呼んでね」
俺は希望を見つけたんだろう。これが必要なんだとなんとなく感じる。艶のある声であやすように応えてくれた彼女。希望は大事にしなければいけない。