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人間は予想外のことには対応出来ないということを俺は噛み締めてた。
鬱蒼とした森の中で苔か雑草か分からない地面の上で呆けることをどのくらいしていただろう。
そして思わず声が零れる。
「どこだってんだ」
本当にそうだよ。
別に自殺志願者になったつもりでもないのに富士の樹海めいた場所に立ち尽くしている俺はなにやってんだ。
確かタバコを買いに、いや缶ビールだったか?コンビニ、いやスーパーだったかドラックストアかに行こうしてた気がする。
記憶がボロボロすぎて笑えるわ。私は誰って感じ。
「俺は...」
誰だ。誰なんだ?ぞっとする、なにも覚えてない。
確か日本人じゃん?日本人で二十歳越えて何年だっけか、まぁ歳は元からフワッとしてたからいいや。
よくあるだろ?歳聞かれた時に適当に返事返して、お前26って言ってたじゃんかっ25じゃんか、なんて職場でツッコまれたりとか。俺だけか。
なんかどうでも良いことは思いだせる気がするんだけど肝心なことが思いだせない。それに職場がどこかは分からんのに、そこでした会話は思い出せるあたりが分かんねぇよ。
―――ヴァウ
背後でえげつない鳴き声がした。
振り返ってみると野犬だか狼だかが唸りながら近づいてくる。
こっちは手ぶらだぞ?ふざけんなよ。どうしろってんだよ、こちとら温室育ちなんだよ対処法なんて知らねぇよ。
「あっち行けや!」
大声出したのが悪かったのか紅い目玉を輝かせたワンころが俺の喉笛目掛けて突っ込んで来やがった。
べらぼうに速えーな畜生がよ!
「痛ってぇなぁ!」
糞だ!糞がよ!
尻もちついた所為で尻が痛ぇ。思わず右手で喉を守ったせいで噛みつかれて痛てぇよ。体中が痛いのなんの。
俺が何したってんだよ。誰か助けてくれよ、今ならどんな神にだって縋ってやる。日本人はよ、最後は神頼みって相場は決まってんだよ。
なんて居もしない神仏に願って、死の恐怖の前に目を閉じると―――
「よう、ブラザー。助けて欲しいか?」
太っちょでスーツにオールドグローリーな柄のネクタイを締めた白人が話しかけてきた。
なんの冗談だ。海の向こうじゃ太った男ってのはだらしない貧民のステレオイメージじゃねぇのかよ。
「そうだよ、靴でも尻でも舐めてやりたいくらいにはよ」
出鱈目すぎる。見たこともない森にいたと思ったら死にかけて、そして糞みたいに下品な白髪の太った神様に会うって何の出鱈目だ。
「あー、なんだひどく追い込まれてるな。どうした?トモダチなんだ、手は貸せねぇが道具は貸してやれるぞ」
あっ友達?友達ってなんだ?道具ってなんだ、隠語か何かか。
「よく分かんねぇ。なんでそうしてくれるんだ?」
「そりゃあんたがフロンティアにいて、あんたがパイオニアだからだよ。ついでに日本人だからな、プロテスタントでないのが惜しいが、イスラムでもなければカトリックでもないし正教でもユダヤでもないから問題ない」
なんだそりゃ。家の墓は浄土真宗で俺はお稲荷さん好きだぞ?ガバガバすぎねぇかそれ。
それに...なんだ?西部開拓絡みの単語が出てきたのはどういうことやねん。
出鱈目すぎる。
「分かんねぇがそれは良いや。取り急ぎはハンティングだ。なんかくれよ」
「猟銃でいいか?散弾銃でもボルトアクションでも拳銃でもなんでもあるぞ」
はっ?
撃ったことなんか一度もねぇぞ。
「おいどうした?不満か、レバーアクションでも欲しいのか?今時流行んないし実用性もないぞ...それともあれか、刀でも欲しいのかサムライボーイ」
分かったよ。ああ分かったよ。
俺でも当たるもん選べば良いんだよ。撃ったことはなくても好きで調べ倒したことはあるからな。
「散弾銃がいい。12ゲージでOOバック、チョークは絞ってなくてバレルも短めでいいやつあるか」
「なぁブラザー。そいつは猟銃じゃなくて軍用のスペックってもんだぜ?今はまだ軍用は出せん。でもホームディフェンス向けでいいなら出してやれる。メーカーは?」
まだ軍用は出せないってどういうことだ?まぁどうでもいいか。
つかメーカーまで選べるのかよ...もう少し注文つけるか。
「知らねぇけど開拓者なんだろ俺は、じゃあウィンチェスターでいいんじゃねぇか?あと森ん中で使うからストックは樹脂製がいい」
ファットマンがこれはどうだと言わんばかりに真っ黒い散弾銃を渡してきた。
「SXPのデフェンダーだ。18インチバレルとマガジンチューブは5発までで装填済み、気に入ったか?」
「悪い、俺は射的が下手なんだ。チューブは交換しといてくれねぇか?その方が安心できる」
「おいおい大丈夫か?5発で狩れなきゃ何発撃っても狩れないぜ。まぁ2発分チューブは延長しといてやるよ」
奴がチューブを撫でたと思ったら部品が変わったよ。ほんと出鱈目だな。
だが取りあえず畜生を追い払えるだけの道具はもらったと思う。
「じゃぁなパイオニア、良い狩りを」
「ありがとよ。あとそうだ、あんたをなんて呼べば良い?」
「強いて言うなら、サムおじさんだな」
笑える名前だな、なんて酷でぇそして太ぇ神様だよ。
悪質な冗談みたいだ。
気づいたら目を開けていた。糞畜生が相も変わらずのしかかってる。
何故か左手に持っていたウィンチェスターを振り回してストックで頭をぶん殴ってやる。
―――キャウン
もう右手の痛みは関係ない。怯んで離れた糞畜生に狙いもつけずに撃ってみる。
―――ダァアン
野郎の足が吹き飛んだ。
もうそこからは覚えちゃいない。
多分必死にポンプをしごいて奴の死体目掛けて撃ったんだと思う。
穴だらけの真っ赤な毛皮を被った何かを見てやっと落ち着いた。
そうだな、サムおじさん。5発でも7発でも大して変わんないよな。狩るか狩られるかだ。
なんとなく自分が変わった気がした。
さぞ暗い色をした目が座っているんだろうなと我ながら思う。
これからどうしようか。