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推しが家にやってきた

「声優かあ」


 私は呟いた。


「どうした? 天音も声優になりたくなったのか?」

「ち、違うよ」


 私が否定すると、父がほっとしたような顔になった。

 父の前で、こんなことを呟いてしまうなんて油断した。前に学校で千代に言われたことを思い出してぼんやりと考えてしまっていた。

 私には無理だな、と。


「そうだな。お父さんもその方が安心だよ。もっと安定した仕事に就いてくれた方がいいしな」


 親心というやつだろうか。自分は声優をやっているくせに、娘がなるのは不安なのだろうか。


「安心して。私は声優になるの興味ないし」

「……そうか」


 と、父が今度はちょっとしょんぼりした顔になる。どっちなんだ。

 などと父と話していると、玄関のチャイムが鳴った。


「お、来たか」


 父がいそいそと玄関へと向かう。

 そして、私のいたリビングへと顔を出したのは、


「天音ちゃん、こんにちは」


 声優の新居(しゅん)だ。

 千代に私が好きな声優だと言った、その人である。可憐な声で私の名前を呼んでいる。


「こ、こんにちは」


 私は緊張でちょっと固まってしまう。

 新居さんは父と仲がいいので、たまにこうして家に遊びに来る。

 千代に声優になれば新居さんにも会えると言われたのだが、別に声優にならなくてもこうして会えているのだ。

 母は、今日は用事があって出掛けている。せっかく父と新居さんが揃うのにその場にいられないのを悔しがっていた。


「お邪魔するね」

「は、はい。あ、私、お茶淹れましょうか」

「ありがとう」


 笑顔が眩しい。

 父よりは少し年齢が下だが、それでもおじさんと呼ばれる年齢ではあるはずなのに素敵に見えてしまうのは何故だろう。

 私は台所でお茶を淹れ、母が用意してくれていたお菓子をお盆に載せて、新居さんの元へと向かう。

 今日、新居さんが来たら絶対に言わねばならないと思っていたことがある。


「どうぞ」


 私は新居さんの前にお茶を置きながら呼吸を整える。


「あの、先週出てきた新居さんの新キャラ、めちゃくちゃかっこよかったです。あいかわらず素敵ですね」

「そう? そう言ってもらえると嬉しいな。ありがとう」


 マジで可憐な推しの声で言われて私の心臓は大騒ぎだ。

 にこりと、さわやかに新居さんが微笑む。

 いい。何回聞いても、いいものはいい。

 しかも、この声は今、私だけに向けられている。直接伝えられるって最高だ。

 これに関しては父が声優で、しかも新居さんと仲が良くてよかったと思う。


「あ~ま~ね~~」

「……!?」


 謎のうなり声みたいなものが私の名前を呼んでいる。父が恨みがましい顔で私を見ている。

 微妙に芝居がかっているのは余裕なのか職業病なのか。


「お父さんにはそんなこと言ってくれないのに……」


 ぎぎぎ、と父が歯ぎしりする。


「そうなんだ。お父さんもいい声なのに」

「そうだぞ。そりゃ、新居君もいい声なのは認めるが……」


 父を放っておいたらハンカチでも噛み噛みしていそうだ。


「お父さんのことはお母さんがいつも褒めてるでしょ。それにファンだっていっぱいいるし」

「藤沢さん、いつも奥さんに褒められてるんだね。あいかわらず仲いいなあ」


 さわやかに新居さんが笑っている。

 が、うちの父は、


「でも、お父さんは娘にもすごいって言われたいんだ。それなのに、天音はいつもいつもいつもいつも新居君の声ばっかり褒めて……」


 これだ。

 確かに、父の声もすごいとは思う。私には新居さんの声の方が好みだけど。

 それは置いておくとして。

 父の声もすごいとは思っていても、そんなこと身内に面と向かってなんて恥ずかしくて言えない。思春期なんだから! と自分で開き直ってみる。

 それに、そんな風に催促されて言っても嘘で言っているみたいじゃないか。


「あ~ら~い~くぅぅぅぅうん」


 父の次のうなり声は新居さんへと向けられる。


「うちの娘はやらんからな!」

「「はあ!?」」


 私と新居さんは同時に声を上げてしまう。


「いやいやいや」

「何言ってるの、藤沢さん」


 本当に何を言っているんだ、うちの父は!


「俺も既婚者だから! 妻子持ちだから!」

「ハッ、そうだったな。思わず気が動転して」


 そうだったも何もないでしょ!


「藤沢さん、あいかわらず親バカだね」

「天音が可愛すぎるからな」

「それは確かに。天音ちゃん可愛いもんね」


 にこりと新居さんが微笑む。


「あ、えっ、そんな」


 推しの声で言われて、しかも微笑まれて、私は心臓が爆発しそうになる。

 父は娘の私を褒められて嬉しいのか、


「そうか~、そうだよな。俺の娘だからな」


 なんて、嬉しそうに笑っている。

 新居さんの言葉もだけど、こっちも困る。

 恥ずかしげも無く、父はいつもそんなことを言うんだから。

 しかも人前で!


「な~、天音」


 猫なで声でこれだ。それも、顔までとろけさせて、言われているこっちが恥ずかしい。

 全く。本当に、困る。

 悪い気は、しない、けど……。

 本当に困った父だ。



* * *



「あ~、今日も新居さん素敵だったな」


 思い出すだけで頬が緩む。

 しかも、あの声が私の名前を呼んで……、


「きゃー!」


 私は嬉しい悲鳴とともにベッドに倒れ込む。

 推しが家に来て、しかも話が出来るなんて夢のよう。

 でも、と私は机の上に置かれたものにちらりと目を向ける。


「今日も、もらえなかったな……」


 机の上には、控えめなサイズの真っ白なサイン色紙。

 実は、新居さんが家に来たらサインを頼みたいと、買ってあったものだ。実は今日の為に買たわけではない。ずっと前から、チャンスがあったらサインしてもらおうと用意してこっそりと置いてある。


「なのに私ってば!」


 ベッドの上で手足をばたばたさせる。

 何度も言い出そうとして言えなかった。一言言うだけなのに!

 サインください! って!

 身近にいるからこそ、そういうのが言い出しにくいって、ある。

 新キャラの役が素敵だと言うだけで精一杯だった。

 きっと、新居さんならそれを言ったときと同じようにさわやかに笑って答えてくれるとは思うんだけど……。

 私の、バカバカバカ!

 なんで、その一言が言えないの!?


「どうしたー? 天音? ドタバタ聞こえるんだが、なんかあったか? 大丈夫か?」


 ドアの向こうから父の声。

 いきなり入ってこないのは、この前強く言ったお陰だろうか。


「なんでもない! ちょっと物落としただけ」

「そうか? ならいいんだが」


 私は答えて立ち上がり、色紙をこっそりとしまう。

 こんなの、父に見られたら誰にサインなんかもらうつもりなんだ! とか言って、ハンカチでも噛みしめそうだ。


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