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むかしむかしあるところに

 自分の部屋から出て階段を下りていくと、父が外から戻ってきたところだった。トレーニングウェア姿で首から掛けたタオルで汗を拭いている。


「おかえり」

「ただいま、天音~」


 私に気付いてにこにこしている。ちょっと息が上がってるけど。

 どうやらジョギングして帰ってきたみたいだ。声優は体力勝負だと言って、父はよく走りに行ったり筋トレをしたりしている。今まではそんなものかと思っていたけど。

 思わず言ってしまった。


「お父さん、すごいね」

「!?」


 父が汗を拭いているタオルを床に落とした。そんなにびっくりしたんだろうか。


「どうしたんだ天音。そんなことを言ってくれるなんて・・・・・・」

「え、うん。いつも、仕事の為に努力しててすごいなって」

「天音ぇええええ!」


 感極まった様子の父が抱きついてこようとする。


「ちょっと、お父さん! 汗べたべた! しかも汗臭い!」

「す、すまん。そんなに臭いかな?」


 私の言葉に父が自分の臭いを嗅いでいる。


「うーん、自分ではわからないけど。シャワー浴びてくるな!」


 私に汗臭いと言われたのがショックだったのか、父はばたばたとお風呂に走っていく。

 汗をかいていたのは本当だけど、汗臭いというのは嘘。けど、あんな恥ずかしいことを言ってしまったら思わず父を遠ざけようとしてもしょうがないと思う。


「お父さんは、全く」


 小さく呟いてしまうけど、さっき言ったことは本心だ。

 やっぱり、父はすごいと思う。大人気だと言われていても努力はいつも怠らない。

 私がやっているようなことでは、再生数なんて伸びないのが当たり前だ。父には全然敵わない。

 だって、私はあんなに一生懸命じゃない。

 父と関係の無いところで頑張ってみようって、私は私として何かをやってみたいと思った。だけど、私はまだ何の努力もしていない。



* * *



 しばらくしてリビングに行くと、シャワーを浴びた父がいた。ソファーに座った後ろ姿が、なんかほかほかしてる。

 私に気付いたら今度こそ綺麗になったからとか言って抱きついてこようとするかと思ったけど、静かだ。私がリビングに入ってきたことにすら気付いていない様子だ。何かを読んでいるみたい。

 何をしているのだろうかと気になって、私はそっと父の横に回ってみる。足音にも全然気付かない。よっぽど集中しているようだ。声を掛けるのも躊躇われる。

 何を読んでいるんだろう。

 新聞?

 すごく気になる記事でもあったのかな。

 私はそっと父の手元をのぞき込む。

 父が読んでいたのは・・・・・・。


「絵本?」

「わ!」


 本当に集中したようで、父が驚いてこちらを見る。


「どうしたの? 懐かしい」


 父が手にしているのは、私が子どもの頃にも読んでいた昔話の絵本だ。だけど、本が新しい。私が読んでいた頃とは絵が違っている。わざわざまた買ったんだろうか。


「ああ、今度おはなし会があるんだよ。それで、そこで読む絵本を読んでいたんだ」

「へえ」

「本当に懐かしいなあ。天音にもよくねだられて読んでたっけ」

「うん。お父さん、よく絵本読んでくれてたよね」


 そうだった。

 私は小さい頃、父に絵本を読んでもらうのが大好きだった。大きくなってからはそんなことはなかったから、今こうして父と絵本を広げて見ているのは不思議な感じ。

 それにしても父のおはなし会なんて、ファンばっかりになってしまって大きいお友だちが来そうな気がする。それは、ちょっともったいない。

 千代とか喜びそうだけど、父の声は私が言うのもなんだけどすごく絵本を読むのに向いている。優しくて、それでいて色々な声色を使い分けることが出来るので、怖い登場人物の声もしっかり演じられることが出来て。

 私は聞いていていつもすごく楽しかった。

 同じお話を何度聞いても、わくわくしたりどきどきしたり、楽しくなったり悲しくなったり。他の人から見ると、本職の声優に毎日毎日絵本を読んでもらっていたなんてすごく贅沢だったんじゃないだろうか。私から見ると父なんだから仕方ないけど。それに、動画の読み聞かせとかじゃなくて、抱っこされながら父に読んでもらっていたというのが嬉しかったんだけど。

 私にとっては父だからというのを抜きにしても、父は絵本を読むのがすごく上手い、と思う。

 だから、せっかくなら子どもに聞いて欲しいなと思ってしまう。


「それって、子ども向けなの?」

「もちろん」


 嬉しそうに父が答える。


「せっかくなら小さい子どもたちに聞いて欲しいからね。小学生以下の子ども連れ向けのイベントだよ。あ、もしかして、天音も聞きに来たかったのか? この前みたいに」

「違うよ」

「そうか・・・・・・」


 私が即座に否定すると、父がしょぼんとする。


「えっと、そうじゃなくて。お父さんの読み聞かせってすごく素敵だから大勢の子どもに聞いて欲しいなって思って」

「天音・・・・・・」


 それと、恥ずかしいけど無性に伝えたくなった。だって、本当のことだから。


「私も子どもの頃、お父さんに絵本読んでもらうの、すごく好きだったから」

「天音~」


 父が嬉しそうに顔をくしゃくしゃにする。


「お父さん、おはなし会がんばるな。あ、そうだ! 天音には今読んでやろうな。むかしむかしあるところに・・・・・・」


 突然始まった!

 高校生になって親に絵本を読んでもらうなんてと思ったけど……、私は父の隣に腰掛けた。さすがにこの歳でお膝に抱っこは無いけれど。

 この声、本当に懐かしい。久しぶりに聞く父の絵本を読む声は、やっぱり心地いい。

 寝る前に読んでもらっていたら、いつの間にか眠ってしまって最後まで聞けなかったっけ。

 父の声を聞きながら、私は私に出来ることについての小さな考えを巡らせていた。


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