(8)大人の事情
「魔女ターニャでなければ、そのお嬢さんはいったい誰なのかね?」
エマはこの場の全ての人たちからの視線を向けられたように感じて、恐ろしさに倒れそうになっていました。
その時ふと、初めて出会った時のお師匠様の言葉が浮かんだのです。
“もうあきらめてしまうの?”
“泣いてる場合じゃないわ。これからが本番”
⎯⎯そうよ。私は誰? 魔女ターニャの弟子よ!
エマはうつむいていた顔を上げ、尋問官の目をまっすぐに見返しました。
「私は魔女見習いのエマです。
師匠、ターニャの代理としてここに来ています。
まだ見習いですが、⎯⎯私は魔女です!」
尋問官たちは顔を見合わせ、エマの勇気を讃えるような、とても嬉しそうな笑顔を一瞬みせたのですが、エマは気づきませんでした。
尋問官はわざと意地悪な顔になってノリノリでエマを責めます。
「ほお、それはお見それいたしました。
まあ、言葉だけなら何にでもなれるだろうからな。
見習い魔女の証拠があるなら見せていただきたいものですな」
オリバーは尋問官たちの態度に違和感を感じていましたが、エマとのやり取りを見ていて、その理由がわかりました。
⎯⎯彼らは我々の時間稼ぎを手伝おうとしている。
後ろに控えている尋問官二人は、オリバーの視線に気づくと、ニッと笑って小さく親指を立ててみせました。
裁定長たちも、この騒ぎをしずめようとはしていません。
むしろ、裁定が進まないことに文句を言う傍聴人をにらみつけ、黙らせています。
それはそうでしょう。
アンナに罪が無いことは誰にでもわかるはずです。
そんな女性を誰が処刑場に送り出したいと思うでしょうか。
この裁定が開かれることになった理由は政治的なものでした。
国境での小さな諍いから、このところ隣国との間に緊張状態が続いていました。
そのわだかまりを解消するために隣国の王女がこの国の王子のところに嫁いで来ることになったのです。
“王子の嫁探しの舞踏会”とされていた年越しのパーティーは、じつは目くらましでした。
その裏で本物の縁組みがひそかに動いていたのです。
開戦を主張する者たちに邪魔されるわけにはいかなかったからです。
ところが、苦労してやっと婚約式にこぎ着けたのに、今回の事件でそれが延期になってしまいました。
当然隣国は怒り、こちらに対して不信感を抱きました。
本当は和平など望んではいないのではないかと、疑われてしまったのです。
そして、この事件の早期解決を要求してきました。
その期限は、今から5日。もうギリギリでした。
この傍聴席にも隣国の使者がどこかに座って監視しているのです。
しかし、エマは大人たちの思惑には全く気づいていないようです。
「えいっ」
「おやあ? すきま風かな? この建物も古くなったからなあ」
「えいっ」
「火打ち石かね? 室内で火遊びをしてはいかんなあ」
「えいっ!」
「おやおや、これはおじさんが悪かった。女の子を泣かせるつもりは無かったのだが……」
「涙じゃありませんっ! 魔法で水を出したんですっ!……えっと、10滴?」
エマは顔を真っ赤にして、意地悪な尋問官をやり込める手段は無いかと必死に考えていましたが⎯⎯どうやら時間切れのようです。
それまで、本当に人形になってしまったのかと思うぐらい、ピクリとも動かなかったフクロウのホーさんが、突然カッと真ん丸な目を開きました。
「ホウホウ。合図がきたホウ。エマ、遊んでる場合じゃないホウ」
オリバーが裁定長に魔法道具の設置許可を求めると即座に許されました。
「もうちょっとだったのに」と、エマがプリプリ怒りながら手早く準備を済ますと⎯⎯。
「キャアアーーッ」
“裁定の間”に女性たちの悲鳴が響き渡りました。
いきなり壁に大きく映し出された貴公子“カリナ様”が爽やかに微笑んだのです。
傍聴席はまたまた、大変な騒ぎです。
「あの絵はなんだ? 動いているぞ」
「カリナ様っ、素敵ねぇ」
「貴公子など、都で見慣れているであろうに……」
いえいえ、女性にとって、“王子様”と“男装の麗人”は別物なのです。
ターニャは南の国へ行くにあたってヤモリのチョロさんを連れて行きました。
モモさんの目で見たこちらの“映像”を向こうへ送り、チョロさんが見た向こうの“映像”をこちらに送るためです。
そして、今回はそれだけでは無く⎯⎯。
『すまなかったね。こちらも忙しくて、すっかり300年前の約束を忘れていたよ』
まるで“映像”の中のカリナが話しているようですが、なんと、声の発信元はホーさんでした。
ホーさんはターニャと同じものを見たり聞いたりできるので、それを再現してカリナそっくりにしゃべっているのです。
⎯⎯カリナ様の声や話し方に似てるわ。そっくり。気のせいか、表情まで似てきたような……?
向こうではターニャがホーさんやモモさんの聞いた声をカリナに伝えているようです。
“映像”には映っていませんが、ターニャの声だけが聞こえます。
『“聖なる瞳”と“淑女のティアラ”の修復なら私の仕事だ。
まだこちらの用事が残っているから⎯⎯そうだな、そちらに行けるのは5日後になるかな?
そうしたら、すぐに魔法石とティアラを修復するよ』
「それが以前と全く同じ“淑女のティアラ”であると証明する方法はありますかな?」
真面目な尋問官の追求に、カリナの表情がスッと冷たいものに変わりました。
『それは私が信用できないということかな?』
エマはブルッと身震いしました。
⎯⎯寒っ。うわっ、どんどん部屋の中が冷えていくみたい。これ、カリナ様が……?
傍聴席の人々も歯をカチカチさせながら震えています。
外に逃げ出そうとしても、体が動きません。
質問した尋問官の顔色はもう真っ青です。
⎯⎯カリナ様の異名の“氷の人形”って、まさか相手が氷の人形になっちゃうっていう意味じゃないわよね?
しかし、カリナは本気ではなかったようで、エマが氷の人形になる前に部屋は元の暖かさに戻りました。
エマはけっこう長い時間だったような気がしましたが、実際はあっという間の出来事だったのかもしれません。
『すまないね。
いまだに大人になりきれないようで、時々感情に任せて魔法の力が漏れてしまうんだ。ごめんごめん。
たしか“本物かどうかの証明”だったかな?』
カリナは少し悪戯そうにニヤッと笑いました。
『どうせ信じてもらえないだろうから、ここはミラに証明してもらうかな』
こうして、全ては5日後、カリナとターニャが帰ってから⎯⎯ということになり、アンナの裁定もそれまで延期されることになったのです。
⎯⎯ミラって誰?