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(3)嵐の予兆

「ふうっ」


 エマのお父さん、オリバーは自分がため息をついたことに気づいて苦く笑いました。


 ⎯⎯なんとも未練たらしい男だな。私は……。


 脳裏に浮かぶ凛とした面影を振り払うように首を振り、煮たってきたスープの鍋を火から下ろしました。


 エマの母親が亡くなった時、エマはまだ小さかったので、オリバーは家事仕事に慣れていました。


 料理も一通りは作れますし、味も悪くはないと思います。


 でも、“食事というものは、栄養と味だけでは無いのだ”ということを、最近身にしみて感じています。


 彼女が来なくなって7日が過ぎました。


 それを寂しいと感じていることを自分自身にごまかしても意味が無いことだと、そろそろ観念したほうが良さそうです。


 彼女に出会ったのは、お城の舞踏会の時でした。


 平民のオリバーが舞踏会に出席していたわけではありません。


 臨時雇いの給仕の一人として働いていたのです。


 ついこの前まで借金の返済に追われていたので、少しでもお金を稼ごうといくつもの仕事をかけ持ちしていました。


 お城の料理人の義父(エマの母親の父親)や友人、同僚に頼み込んで、夜間や休日に、いろいろな仕事を回してもらったのです。

 皆にはずいぶん心配をかけていたと思います。


 舞踏会の給仕の仕事を手伝うことになりましたが、オリバーは慣れない仕事にまごまごしていました。

 それを見るに見かねて、彼に付きっきりで指導してれたのがお城の侍女のアンナさんでした。


 ずいぶん厳しく指導されましたが、オリバーを心配してのことだと、すぐに気づきました。

 貴族の前で平民が粗相そそうをしてしまったら、重い罪に問われることもあるからです。


 誤解されやすいけれど、本当はとても優しい人なのだと思いました。


『ひっつめた亜麻色の髪には一筋(ひとすじ)の乱れもなく、身につけた侍女服にも一分(いちぶ)の乱れも無い。

 仕事にも厳しく、きつい言葉に泣かされた後輩侍女たちは数知れず。

 ただ、派手さは無いけれど、よく見るとけっこう美人』


『今年二十三歳の未婚。

 シンガー男爵家長女。本名はアンナマリア・シンガー。

 子供の頃に母親を亡くし、当時生まれたばかりだった弟の母親代わりをしてきたために“婚期”を逃してしまったらしい』


 男というのは“美人の噂”が好きなものです。

 噂話に(うと)いオリバーでも、“侍女長代理のアンナ様”の噂は聞いたことがありました。




 彼女は噂で想像していたよりも世話好きで綺麗で、そしてとてもかわいらしい女性(ひと)でした。


 アンナさんが突然家に訪ねて来た時、オリバーは驚きとともに嬉しさと気恥ずかしさを感じていました。


 新年早々ひとりぼっちになってしまったことを知り、心配して世話を焼きに来てくれたのです。


 家の中がガランとして寂しく思っていたところに、天から女神が降りて来たのかと思いました。


 私服姿のアンナさんは、普段の侍女服の時とまったく印象が違っていたのです。


 まとめ髪をおろして後ろで一つに縛っただけ。

 服もけっして上等な物とは言えない。

 なのに⎯⎯オリバーは家の玄関先で、雪の晴れ間の日の光で髪をきらめかせて立っている彼女に見惚(みと)れてしまいました。


 彼女が寂しい男のために作ってくれたスープをお代わりすると、まるで花がほころぶような微笑みを見せてくれました。


 あの時は、年甲斐もなく胸のトキメキを覚え、亡くした妻と娘に後ろめたいような気持ちになったものです。


 その後、アンナさんは毎日のようにやって来て、料理を作ったり、オリバーの服を(つくろ)ったりしてくれるようになりました。


 オリバーも大人の男です。

 ここまでされて、アンナさんの気持ちに気づかないわけがありません。


 しかし⎯⎯。


 オリバーは彼女の手をとる勇気を持てずにいました。

 自分には二度の結婚歴があります。⎯⎯まあ、二度目は間違いであったわけですが……。


 それに対してアンナさんは未婚の貴族令嬢。

 釣り合うわけがありません。

 どう考えても、彼女にはもっとお似合いの相手がいるように思えてならないのです。




 でも、浮わついた日々は突然お仕舞いになりました。

 アンナさんが急に来なくなったのです。もう7日。現実を見ましょう。


 アンナさんはきっと、しばらく様子を見てオリバーはもう大丈夫だと判断したのでしょう。


 仕事が忙しいのに、頼りないオリバーが心配で、無理をして様子を見に来てくれていたのでしょう。


 今頃は侍女長代理としての忙しい毎日に戻り、もしかしたら他の誰かの世話を焼いているのかもしれません。


 同じお城で働いているとはいえ、王族の()られる中央と歴史編纂室(れきしへんさんしつ)がある研究棟はかなり離れています。


 向こうからこちらに来ることはできますが、こちらから向こうに行くことはできません。


 アンナさんがその気にならなければ、二度と会うことも無いのです。


 今でも、亡くなった妻を心から愛しています。

 なのにアンナさんにももう一度会いたいと思うのです。


 ⎯⎯未練たらしい上に欲深い身の程知らずな男だな、私は……。


 自嘲に苦く笑いながら自作のスープで食事にしようとしていたら⎯⎯いきなり誰かが飛び込んできました。


「エマ?」


 魔女の弟子になって家を出ていったばかりの娘が、息を切らせながらオリバーをにらみつけていました。



 ◇◇◇◇◇



 アンナは牢屋にいました。


 無実の罪で裁かれようとしているところです。


 尋問官(じんもんかん)に、あの時何があったのかを説明はしました。嘘はついていません。

 ただ、言わなかったこともあるだけ……。


 “無実の罪”?⎯⎯いいえ。最後まで自分が真犯人でなければなりません。


 ただ、“反逆罪”だけは回避しなければ……。

 父や弟を巻き込むわけにはいかないのです。


 裁定の日が明日に決まったと、先ほど事務官が伝えにきました。


 裁定の日が遅れたのは、前例の無い裁きになるためでしょう。


 明日、アンナマリア・シンガーの“公開処刑”が言い渡されるのです。


 死を覚悟したアンナマリアの胸に浮かぶ面影は、父でも母でも、かわいい弟でもなく、ヒョロッと頼りなくて不器用な、子持ちの中年男性の顔でした。


 次にあの人に会うのは処刑場になるのかもしれません。


 ⎯⎯ありがとう。あなたのおかげで、私は最後にとても素敵な夢を見ることができました。





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