4.『未来号』の希望
駅員がやってきて、乗客たちに挨拶をした。
「ご乗車ありがとうございました。この鉄道の車両や車窓を造った者を代表させていただきます。列車の乗り心地はいかがでしたでしょうか。風景は楽しめましたか」
「ええ、ええ、もちろん、とてもすばらしかったです。言葉にならないくらい、感動しました」
「空がとても広くてびっくりしたよ」
孫らしい男の子が横合いから口を挟む。途端に、子どもたちが騒ぎ立てた。
「海も大きかった。波の音がすごいよね」
「花びらや葉っぱが、ひらひらしてくるのが楽しかった」
「いろんな虫がいて、ちょっと怖かった」
「暑いのも寒いのも大変だったよ」
聞いている大人たちは、微笑んだ。
「大きな都市も通ったよ。列車もいっぱい来たよ」
「みんないろんな服を着ていたよ。ビルも面白かった」
子どもたちの興奮は、まだ続いているようだ。
「そうか、初めてのことがいっぱいあったんだね」
駅員は目を細めて、手前にいた子どもの頭に軽く手を乗せる。
「そうですね、孫たちには本当に初めてのことばかりでした。季節があることも、聞いていただけで実際に味わったのは初めてかと。わたしたちも昔のことをたくさん思い出すことができました。ありがとうございます」
乗客たちは頭を下げて、感謝の意を述べた。
「あの核戦争のとき、思わず持ってきた写真が、役に立つことがあろうとは考えてもみませんでした」
一人がそう話すと、お年寄りからは多くの声が上がった。
「そうですよ。あの時持ってきたものが、こんなところで再現してもらえるなんてね。それも、そっくりそのままでしたよ」
「うちの近所もすごくよくできていました。本当に列車の窓から眺めたら、こんな風に見えると思いました」
先頭のおじいさんが進み出て、駅員の手をとる。
「もう、二度と見られないと思っていましたからね……何とお礼を言ったらいいか」
他の年寄りも、しわ深い手で目頭をそっと押さえた。
四季の自然も風物も、今は地上のどこにもない。都会の喧騒も忙しないビル街も、もうどこにもない。地上の自分たちの住まいも生活も、すべてが今は失われてしまっているのだ。
老人たちは、若いころにこの地下都市を少しでも住みよくしようとした。失われた地上への、身を切られるような思いに蓋をして、懸命にここまでやってきた。
今、年老いた者たちは、窓の外の風景を通り抜けて、地上のことを心から懐かしく思い返した。
地球上で全面核戦争が起こってから、すでに三十年近くになる。
最初の争いのきっかけが何だったのか、今ではよく分からない。気づいたときには、全世界で核兵器が使用され、核シェルターを作って、そこに避難するしかなくなっていた。今では、世界中に同じようなドーム型のシェルターである都市が点在している。
地下深いシェルターでの生活は、当初ほんの二、三年かと思われた。しかし、核戦争終結後は、何もかも破壊され、荒廃し尽くした世界となっていた。地上の汚染はひどく、浄化されて人が住めるようになるには、思ったより長い歳月が必要になっていたのだ。
狭いドーム型都市のなかで、人々は天井を青く塗り、朝と夜で光を加減し、少しでも地上を再現しようと努力を重ねた。ただ、シェルターは狭く、収容できる人数より実際の人口のほうがずっと多かったのだ。
公共施設や居住設備の制限も多く、ほとんど娯楽もなく、同じ構造の実用的な建物ばかりが並んでいる。衣類、食料、生活用品なども製造には限りがあり、同じようなものしか支給されなかった。
時が経つにつれ、戦争前を知る大人たちは年を取っていく。一方、ドームの中で生まれた子どもたちは、地上の風景をほとんど知ることはない。
核戦争が始まったころに、情報の規制が始まり、ネット上の多くの物が対象となった。特に他国の攻撃目標になりかねないとのことで、地図や地形図などはほとんどなくなってしまった。
いよいよ危険が迫り、シェルターへ避難しなければならなくなったとき、一人の人間が持ち込める量には制限があった。映像などは政府が管理して選択した。個人では思い出の品として、自分の住んでいたところの写真を持ち出した人が多かった。
三十年経た今、列車の車窓で、その写真を本物のように見ることができたのだ。
再び駅長もやってきて、こう語った。
「ここに観光列車を走らせることは、試行錯誤の連続でした。最初は、単に二つのシェルターを結ぶ特別車両が考案されました。三時間以上に及ぶ車内での過ごし方として、核戦争前の映像を流したり、皆さんからお借りした写真を展示することで、過去を思い出していただけたらと思ったのです」
「そうですね。うちの息子も、鉄道の仕事に関わっているんですが、二つのシェルターを結ぶだけの列車に、観光用を開発することからして反対にあったらしいですよね」
おじいさんが孫の手をとりながら話す。
「ええ、こんな非常時に観光とは、理解できない人たちもあります。シェルターごとの、それぞれの人が交流し合おうという話になるまでが長かったかと。その上で、トンネルに大掛かりな工事を行って、窓の外を現実にあるもののように見せるというのは、なかなか通らない企画でした」
駅長をはじめとして、この鉄道とトンネルにかかわった人々は様々な困難に直面した。それでも、もとからある映像ではなく、技術的に可能な本物らしく見える立体映像を、トンネルから出た世界であるかのように作り出すことに決めたのだ。
「孫たちにも、列車の窓の外はよい経験になったと思います。映画では空や海の大きさは分からないですし、遠くまで見渡せる風景は、ドームの中にはありませんからね」
「そうですね。核戦争前の世界を知っているご年配の方と、シェルターのことしか知らないお子さんたちに、最初にご乗車いただいたのは、正しかったと思います。温度や音や匂いなどの演出も、ご好評いただいております。こちらの市でも同じようにご乗車になって、歓迎していただく予定です。先ほど、すれ違いましたよね。あの『希望号』の車両だけは本物です。きっとうまくいくと思います」
人々はこの言葉に頷いた。
一人のおばあさんがゆっくりと口を開いて、問いかけた。
「あと、十年くらいでしたよね」
「そうです、十年……もう少しかかるかもしれません」
駅長は、遠くを見つめて答え、自信を持って続ける。
「その頃には今の子どもたちが大人になる。きっとドームの世界と地上との差に驚くでしょう。でも、かつてこんな世界があったことを、ここで、この列車の窓で少しでも知ることができます」
おばあさんは、深く頷いた。
「そうですね。わたしたちは懐かしむと同時に、子どもたちに地上の広い世界がどうなってしまったのか、どうあったのか伝えなくてはなりませんが、きっとこの車窓が希望を与えてくれるでしょう」
最近になって、地上は少しずつ浄化の兆しを見せ始め、十年後くらいを目安に外に出られることが分かってきた。
今は、人工的に造られたドーム都市の、似通った構造の無機質な内部が世界のすべてになっている。そんな市民たちは、地上に出る前に、少しでも多くの人や別の世界に触れる必要があった。そこでまずは、二つのシェルターで一般の人どうしの交流が提案された。
二つの地下都市を結ぶ観光特急は、こうして造られることになった。そこに加えられたのが、特別な車窓だった。
地上には、もはや戦争前のありふれた風景が存在していない。
だからこそ、窓から見えるものを、美しい四季の風景や、広い世界を感じられるような多様な列車が行き来する都心の風景、更にかつての人々の日常を再現するものにしたのだ。
観光特急の車窓は、流れる景色としてどこかリアリティを持ったものになった。
それは、以前を知る老人たちの心を懐かしい気持ちで包み込んだ。そして、子どもたちに多くのことを伝え、想像力を与えた。
もう一度地上の世界を取り戻すのは、こんな小さなところからスタートするのかもしれない。




