1.特別観光列車の出発
トンネルの奥深くから、規則正しい音が近づいてくる。
カタン、カタン、カタン。
大きくなってくる音を、その場にいる皆がじっと聞いている。トンネルの暗がりを固唾を飲んで見守っている。
やがて、暗闇の奥に明かりが二つ灯った。
人々の歓声の中、その鉄道は姿を現した。
金を散りばめたような煌めく車体。
どんな空気抵抗も物ともしないかのように、全体が丸みを帯びている。長い鼻先のような先頭部分は、流線型をしており、優美な曲線が合わさった美しいデザインだ。二つの大きな楕円形のライトが光っている。その側面には、虹のように七色に輝くプレートがついており、愛称が刻まれていた。
『未来号』。
そう名付けられた特別な車両だった。
この特別列車は、今日初めて客を乗せて走ることになっていた。
そのためのイベントには、乗客だけでなく見学者の姿も多くあった。カメラを片手に集まって、トンネルから出てきた車両を撮っている。
一方、この『未来号』の乗車券を手にした者たちは、並びながらも、列車が目の前へやってくるのを今か今かと待ち構えていた。
『未来号』は、ホームにゆっくりと滑り込み、静かに停止した。
拍手が沸き起こり、それが止むと、駅長はマイクを手にする。
「本日は、『未来号』の初めての出発にお集まりくださいまして、誠にありがとうございます。これまでの皆様のご理解とご協力により、本日運転を開始することができました。心よりお礼申し上げます。出発時間までの間、どうぞご家族でご歓談いただき、お荷物などを充分ご確認ください」
放送が終わると、ホームは話し声でいっぱいになった。
「忘れ物ない? 切符は持ってる?」
「大丈夫だよ」
「おじいちゃん、体調は?」
「心配ない。元気だよ。今日の日をずっと待っていたからね」
「ママ、留守の間、テレビの録画を消さないでね」
「分かってるわよ。それより、自分の荷物、点検したら」
「おばあちゃん、薬は持ってる?」
「持ってるよ。ずっと楽しみにしていたんだから、準備に怠りはないさ」
「おじいちゃんのこと、頼んだわよ」
「分かってるよ」
口々に交わす会話は、どこか浮かれていた。
やがて、見送りの家族が離れ、乗客たちは指定席の番号を確かめながら、次々と乗り込んだ。
乗車したのは、お年寄りと孫くらいの子どもの組み合わせばかり。働き盛りの大人は誰もが見送る側だった。
老人と子どもは、それぞれ座席を確認して座る。
いよいよ出発だ。
車掌が腕を振り上げて合図を送り、ミュージックホーンの快い音楽が構内に反響する。
特別車両は、ゆっくりと動き出す。
窓の内側からは、老人と子どもたちが大きく手を振る。
窓の外側からは、大人たちが手を振って、自分たちの親と子を見送った。
列車は徐々に速度を上げる。
「このたびは、特別観光特急『未来号』にご乗車いただきまして、誠にありがとうございます。終点まで参ります。しばらくはトンネル内を時速三百キロほどで走行いたします。トンネルより景色がご覧になれるようになりましたら、お知らせいたします。それまで、備えつけのネットや動画などをお楽しみくださいませ。また、お飲み物や軽食のご用意がございますので、お手元の画面からご注文いただければと思います」
アナウンスは、注意事項などを説明して終了した。
多少の振動や走行音がしつつも、快適な車内だ。
全体的に白を基調としていて適度に明るく、落ち着いたグレーの椅子は心地よい。コントロールパネルで背もたれや座面などを操作して、好みの状態でリラックスできる。幼い子どもから高齢者まで、それぞれゆったり思いのままに過ごしている。
その窓の外は、どこまでもコンクリートのトンネルが続いているように見受けられた。
快いメロディが鳴り響き、アナウンスが流れた。
「間もなく、トンネルを抜けます。窓の外をぜひご覧ください」
「おじいちゃん、外が見えるって。早く早く」
動画に夢中になっていたはずの子が急に立ち上がって、傍でうとうとしていた祖父を起こした。
「分かった分かった。慌てなくてもまだ五分くらいあるよ」
定刻通り列車が進んでいることを知っているおじいさんは、ゆっくりと椅子から腰を起こした。孫である男の子は、やっと自分の席に安心して座った。
子どもたちは、揃ってなかなか落ち着かない様子だった。
「外が見えるってどんな感じなんだろう」
「景色がずっと遠くまで続いているって聞いたよ」
「寒い日も暑い日もあるんだって。雨が降ったり、風が強かったり、雪が降ることもあるって」
ほとんどが小学生以下の年齢の子たちは、それぞれ自分の知っていることを話して、これからの車窓に思いを馳せる。
一方、老人たちはそんな年若い者の様子をにこにこと笑いながら眺めていた。車窓がどんなものなのかはだいたい聞いている。だが、実際にこの目で見てみなければ分からない。
何しろ初めての一般公開なのだ。
これまでにも、このトンネルをたくさんの列車が通っている。開通してから十年以上になるだろうか。ただ物資の交換が主な目的だったため、関わりのない人間を乗せて走ることは、これまでほとんどなかったようだ。
車体の色も、汚れを気にして実用的な焦げ茶色一色で、デザインも、最低限の空気抵抗を抑えるための物に統一されていた。
今日、初めてここを観光列車が走る。
きらびやかな金色の車体、座り心地のよい座席、丁寧なサービスなどを提供しながら、窓の外にも工夫を凝らしていた。
その乗車には、年配者と孫の組み合わせで応募することになっていた。
外の世界を覗いてみたいと思う人は非常に多く、申し込みは殺到した。何十という倍率だったらしい。抽選を通り抜けた運のよい者が、今、列車から見える風景に期待を寄せている。
「あと、二分ほどでトンネルを抜けます。どうぞ外の風景をご覧ください」
案内のアナウンスは繰り返し、景色を眺めるための準備を促している。列車は少しずつスピードを落としていた。
その瞬間は、突然やってきた。