典型発達についての話
正くんは言う。
「みんな、考え方がどこか変だと思います」
おじさん。
「みんなが変だと感じるなら、客観的には君が変なのでしょう?」
正くん。
「それは、そうなのかもしれませんが」
正くんは言う。
「単にそれだけではないとも、僕は思っている。
というのも、人と矛盾する自分の考え方のほうがずっと論理的で合理的だと思うことがあります。
つまり、みんなの考え方にはしばしば、論理的な一貫性がないし、合理的な結果をもたらすものでもまたない。
もしそうなら、僕の考え方も、単に『変』だとして棄却すべきものとは思われない。
僕は、自身のなかに、正当性のようなものを感じています」
おじさんは言う。
「世の中には、多数派として、典型発達者が存在します。
そんな世の中を、君は生きていかねばならない。
あるいは、彼ら彼女ら、典型発達者の認識や思考には、論理的な正しさも倫理的な正しさもないかもしれない。
だとしても。
そんな世の中を、君は生きていかねばならない。
ですから、論理的な正しさや倫理的な正しさについて、かなりのところ妥協することは、人生を生きる上で大切です。
典型発達者達には、彼ら彼女らが信じる、主観的な論理的正しさや、主観的な倫理的正しさがあります。
だからあなたは、典型発達者の心にあるロジックを知識として知り、武装せねばならない。
でなければ、親切にするつもりでひどい悪意に報いられ、いつか力尽きてしまうことでしょう」
正くんは言う。
「それは、僕が求めている助言ではありません。
それは僕にとって、悲しい物語です。
僕は本当は、みんなと心から分かり合いたい。
そんな僕の人生には、完全な満足はないということになるでしょう?
まるで死刑宣告のようにも聞こえます。
結局、僕は、異物であることを自覚して生きていくことになる。
苦痛を緩和させようとすることはできても、苦痛を解決することはできないかもしれない。
僕が求めているのは、発達障害を治療して、典型発達にしてもらうことです」
おじさんは言う。
「君の感じている苦しみや、社会への不適応が、治療可能なものか、そうでないか知りません。
それは、治療可能かもしれないし、そうではないかもしれない。
実際、改善がほとんど不可能な知的障害は、珍しいものではない。
君の発達障害が治療され、典型発達になったとして、私は不満を感じません。
ただし少なくとも私には、今、君を、ただちに典型発達に変換する力などない。
私に言えるのは、典型発達でないからといって、絶望しなければならないということはないということ。
人生を可能な範囲で幸せにするため、考えるべきことはあるということです」
正くんは言う。
「人々とは違う自分の考えに、僕は真理や正義を感じることがある。
でも言いたいのは、自身の人生の幸せのためには、そんな真理や正義なんて投げ捨ててしまおうという気持ちもある」
おじさんは言う。
「それは、健全なバランス感覚だと思います。
しかし、見えるものを見えないと言うことはできません。
自分に自分を偽ることには、どこかで限界があるものです。
だから、どうせ特異にしか生きられないのであれば。
特異であることに誇りを感じることも、有益ではありえましょう。
そしてもし、君がアスペとして生きていこうとするならば。
典型発達者達がなす社会のルールを、知識として学ぶことは必要なはずです」




