第一章・その4
2
「で、要するに、どういうことなんだよ」
気絶した冴子を女子寮の前で寝かしつけ、ピンポンダッシュでトンズラこいた俺たちは、近くのファミレスに飛びこんでいた。俺の住んでいる男子寮は沙織をつれていけないし、ルームメイトの葛城もいる。沙織の催眠術で葛城を部屋から追いだすのは気がひけた。
俺の前に座った沙織はモジモジしていた。――なんて言ったらいいのか、好きな人を呼びだして、これから告白する前の女子高校生って感じである。
「わたくしたちは、未来を誓い合った仲だったのです」
またすごい爆弾発言から話がはじまった。
「わたくしも嬉しかったのです。風間家の殿下と結ばれるなど」
「待て待て待て。俺は普通の人間なんだけど」
「何をおっしゃいます、このような、まぶしいほどの呪詛の力を身に秘めながら」
キラキラした目で沙織が俺を見つめてきた。吸血鬼にしかわからない、特殊な何かが見えるらしい。俺はファミレスのなかを見まわした。俺たちの会話を聞いている人間はいない。ま、そりゃそうだろう。俺はホッとなった。
「あのな、一から説明してくれ。えーと沙織さんだったよな」
「沙織でかまいません」
「じゃ、沙織。質問なんだけど、その、婚約者っていう風間家の大吸血鬼の息子が、どうして俺なんだ?」
「瓜ふたつだからです。呪詛の力も、かつて私の見た、あの、震えるほどの力を秘めていらっしゃいます」
「あそ。じゃ、いい。それはわかった。で、話しぶりからすると、その殿下ってのは、ちょっと行方不明になっていたみたいだな。どれくらいだ? 一〇〇年か?」
一〇〇年だったら俺は他人の空似である。吸血鬼は無限に生きるって言うから、生まれ変わりとか言ってくる危険もあるが、それは白を切るしかない。というか、最低でも十八年前って言って欲しかったんだが、沙織は俺の期待に応えてくれなかった。
「二年前です」
「ふうん」
俺はちょっと考えた。ま、それでも、他人の空似で間違いない。
「あのな。二年前って言うと、俺は中学三年生だった。普通に人間として生活してたんだよ。だから、悪いけど、俺はそんな、殿下とか呼ばれるような存在じゃないんだ」
「え」
俺の説明に、沙織が意外そうな顔をした。
「そんなはずはありません。だって、生き写しとしか言いようがない、このようなお顔で、殿下ではないなどと」
「だって仕方がないだろう。俺は二年前、高校受験で勉強していた。――していたはずだ」
俺は自分で言ってて、妙なことに気づいた。あれ?
俺の顔を見ていた沙織が、少し心配そうな表情をした。
「どうかなさったのですか、殿下?」
「俺の名前は光沢鉄郎だ」
返事をしながら、俺は自分の過去の記憶を思い返そうと必死になっていた。――なぜ、中学校の名前が思いだせない? その当時の担任は? クラスメートは? 俺が覚えているのは、高校にあがってからのことだけだ。というか、なぜ、そもそも、そのことに疑問を持たなかったのか?
「あの、殿下?」
沙織の声は、聞き覚えのある、懐かしいものだった。いや、どういうことだ。沙織は吸血鬼で、しかも初対面だ。懐かしいどころか、悲鳴をあげて逃げだすのが本当だろう。――そもそも、なぜおれは沙織を恐れないのだ?
「ひょっとして、殿下、わたくしのことを思いだしてくださったのですか?」
「黙れ」
「あ、もうしわけありません」
「謝らなくていい。ただ、いま、頭がグルグルして、整理するのに必死なんだ」
俺は頭を押さえた。俺は男子寮に通っている。中学まではそうじゃなかったはずだ。一緒に住んでいた親は――親は誰だ?
『前の実験体は我らに対抗し、人間の世界で生きた。今回はうまく行くといいが』
知らない奴の言葉がよぎった。実験とはなんだ? なぜ、この俺を実験に使う。俺が神祖の血をひくものだからか? なんだこの会話は?
「――待てよ。だんだん、思いだしてきたぞ」
俺は頭から手を離し、顔をあげた。沙織が真剣な顔つきで俺を見据えている。
かつて、見た顔だった。
「そうだ。二年前だ。俺は実際に十五歳で、おまえと一緒にいたんだ」
俺は沙織を見ながらつぶやいた。
「あのときの俺は、確かに吸血鬼だった」
俺の独り言に、沙織が嬉しそうにした。笑顔の口元から牙がのぞく。この娘の悪い癖だった。
「またでてるぞ。人間と一緒にいる間は気をつけろ」
「あ、はい。失礼しました」
沙織が慌てて口元を押さえた。まあ、見ている人間もいないから、いいとしよう。俺は視線を横に逸らせた。もう完全な夜である。浮足立つような、この高揚感。いままで、なぜ俺はこれを忘れていたのだろうか。
「それで、俺はおまえと一緒にいたんだ。でも、どうも気に入らないことがあってな。確か、どいつもこいつも俺のことを風間家の跡継ぎって目で見て、俺自身のことはどうでもいいって感じだから、何か手柄を立ててやろうと思ったんだ。それで、ひとりで魔族討伐に行ったんだ」
沙織のほうにむきなおりながら、俺はそこまで言った。
――俺が覚えているのはそこまでだった。
「それで、気がついたら、俺は人間として高校生活を送っていたんだ」
「やはり、思いだしてくださったのですね」
俺を見ながら、沙織が涙ぐんだ。気持ちはわかる。婚前交渉――と言うほどでもないが、互いに血を吸ったりした仲だ。