53 蟲毒
「無理だ」
遂に限界を迎えた礼一はこの世の終わりのような断末魔の声を上げる。シロッコの指示に従って進むこと数時間、一向に出口に辿りつかないばかりではなく、襲ってくる魔物の数は加速度的に上昇しているのだ。単体では礼一と洋レベルでも余裕で対処可能な≪陰人≫だが、多勢に無勢の面的制圧を食らってはしようもない。
「何か考えなくてはな。ん、このままだとジリ貧だ」
おっさんも流石に無理を察して考え込む。しかしもうここまで進んでしまった以上、引き返すという手はない。前進あるのみなのである。
「ん、魔物の標的をバラさないと道を探すのもままならない。誰か一人にここで足止めしてもらう必要がある。お願いできるか。今この状況を一人で耐え切ることができるのは君だけだ」
「えっ、何で俺なんですか。いや、確かにそりゃこの状況に持って来いの現象ですけど、こんなところ一人で放置されて無事に済むと思えないんですけど」
「ん、ほどほどに頑張ってくれればそれで大丈夫だ。どうにかして後ろから湧いてくる奴らを無理ない程度で足止めしてくれればそれだけで大助かりなんだ。頼む。出口を見つけたら必ず迎えに来る」
シロッコは急に礼一に大役を背負わせると、こちらの了承も取らずに洋を引き連れて穴の奥へ走って行ってしまった。
「嘘だろ。有り得ないだろ。畜生」
毒づく礼一の声が暗闇へと吸い込まれていく。
遠くで魔物が蠢いているのか、両耳がさわさわという微かな音を拾う。
「はあー、やるしかないのか。今更追いかけてみたところで迷ったらお陀仏だしな。ま、毒の煙を食らえばあの二人も大変なことになるから仕方ないか」
礼一は無気力に地べたに腰を下ろすと現象をできる限り抑えた状態で垂れ流し始める。これからどれだけ時間がかかるかわからないため魔力の消費は極力抑えたい。
「にしても遠く離れた世界の辺鄙な土地で蚊取り線香の真似事をさせられるとはな。うまい具合に効くといいけど、ダメだったら蚊よりよっぽど面倒な奴らを相手取らなきゃならないし」
手元にある小刀一本で大群に立ち向かうのはちょっと無謀なお話だ。いざとなったらどう撤退しようかと礼一は退路を確認する。
「絶対逃げにくいじゃないか。あんまり来ませんように。臨兵闘者皆陣列在前、臨兵闘者皆陣列在前」
せめてもの気休めに前と後ろに九字を切る。
サワッザワットトンッ
音は段々と大きくなってくる。そして、
「来たか」
途端に湧いて出た化け物が視界を埋め尽くし、泡を吹いて倒れこんだ。魔物は押し寄せる波のように幾度か襲ってきては死んでを繰り返し、あっという間に前方のトンネルが死骸で塞がる。
「これは予想外。楽だからいいけど」
礼一は塞がったトンネルが崩れないか心配しつつも襲撃が止んだことに安堵する。
「大丈夫だよな。ちょっと追加でやっとくか」
再度現象を手から出し、辺りを見回す。今から洋やシロッコを追いかけても間に合わないだろうし、下手に動き回って迷子になったらことである。
「ここで待ち続けるしかないか」
手持ち無沙汰とはこのことでやることがなくなったのに加えて、まともな明かりがないので暇つぶしもできない。シロッコが去り際に放り捨てた魔道具だけがどんよりと冴えない光を放っている。これでは足元を照らすのがせいぜいで視界不良もいいとこだ。
「仕方ない。他に喋り相手もいないしな。おーい、聞こえてるか」
退屈しきった礼一は魔石を握りしめて呼びかける。
「何?何か用でもあった?」
直ぐさま体内の石が答える。
「いや、何となく。それにしてもあんたのお仲間はこんな暗いところでよく生活できるな。何もわからないし、陰気だし、気が変になりそうだ」
「隠れるには丁度いいからね。敵が来てもサッーと逃げればいいし、選り好みをしなければ多少の食べ物は手に入るしね。仲間とくっ付いていればホワーと温かくて悪くないよ」
「そうか、悪いことを聞いたな。今丁度そのホワーと温かい仲をぶち壊したばかりだ」
変に心温まるエピソードを聞くと情が湧く。これは話したのは失敗だったかしらんと礼一は少しばかり後悔した。
「昔、昼夜逆転生活を送っていた時はこんな感覚だったな。今が何時かわからなくなって、直ぐに眠くなってくる。ふぁーあっ、いかんいかん。こんなところで眠っちゃダメだ」
ついつい眠気に襲われて大欠伸を放った礼一は飛び起きるなり、顔をブルブル左右に振る。
「君は疲れてるんだよ。昨日、今日というよりもここ数日動き通しじゃないか。僕たちの世界じゃあり得ないよ。そんなにセカセカ動き回らなくたって食べるのにも寝るのにも困らないはずだよ」
魔石には毎日あっちへこっちへと飛び回る生活が馬鹿っちく映るようだ。
「わかってるよ。俺だって生来は怠け者なんだから、騒がしく生きるのは好きじゃない。でも、人間っていうのは肝心の住む場所と食べるものが、よくわからない社会的立場ってものに握られちまってるんだ。死んだら無縁仏状態でこのよくわからない世界に放り出された俺と洋が、今じゃ苦い団子を食いながら、劣悪な環境で暮らしてなお、軍人なんていうよくわからない職に噛り付いているのがその証拠だ。やめたきゃいつでもやめられるのに何でか続けてしまってるんだから訳がわからない。嗚呼、腹が立つ」
人間というものの業に怒りをぶつけていると自然に頭が起きてくる。
「だけど、流石にこの旅が終わったらもうこんな仕事はやめだな。何が幸せだかわからなくなるような生活はしたくない。洋にも相談してみるか」
礼一は一人ポツリと引退宣言するのだった。
「・・・やく起きろ。起きてくれ」
ばかすか叩かれて目を開けると、汚い髭を真っ先に発見、厭な目覚めだ。
「出口は見つかった。ん、魔物はどうなった?」
「んんん、んっ」
礼一は顎で死骸が詰まったトンネルを示す。口が乾いていて上手く喋れない。
「そういうことか。随分派手にやったものだ。ん、おかげで助かった。それはそうとしてここから出られるぞ。出口が見つかったんだ」
さぁ行くぞとおっさんは礼一の肩を支えて起きるのを助け、そのまま手を引く。
「出口までは少しばかり距離はあるが、魔物を粗方倒した後だからそこまで時間はかからない」
「洋はどうしました?」
「彼には出口を見張ってもらっている。怪我もなくピンピンしているから安心してくれ」
シロッコはもう何も心配はいらないといった風で、警戒もせずにズンズン進む。
暗いのでそこまで見えないが偶に地面を踏んだ際に、足の下に気味の悪い感触を感じる。
恐らく魔物の死体だろう。あんな死骸の山の近くで寝ていたせいで最早そこまで気にならなくないが、何か腐ったような臭いが絶えず穴の中に漂っていた。
「ん、もうそこだ。おーい、連れてきたぞ。無事だ無事」
幾つも道を曲がった先に差している日の光が懐かしく嬉しく感じる。
「よう」
その照明の中へ洋がにょきッと登場し、片手を上げる。
「三人揃って外へ出られて良かったです。さっさとこんな陰気臭い場所から離れましょう。しばらくは狭い所も暗い所も御免です。青空の下で息ができないんじゃこっちの人生まで腐っちゃいますよ」
礼一は友とハイタッチして晴天の下へ飛び出すと、澄んだ空気を肺一杯に吸い込み、他の二人を急き立てるのだった。




