32 贅沢
山の傾斜は半ば辺りからほぼ垂直になった。魔力を通しているので力が足りないということはないが、滑ってしまうとどうなるか分からない。自然凹凸に掛ける手足の先に緊張が走る。
この崖を上るという作業、力に余裕があっても集中を切らす訳にはいかず殊の外辛い。絶え間ない用心の末、何とか頂上に辿り着いた三人はちょっと気が抜けてしまい、暫く立ち上がれなかった。今なら義経の鵯越かナポレオンのアルプス越えであれば間違いなく後者の偉業をより称え、箱根は山登りの方が大変と言い切るだろう。
「ん、そろそろいいか。行くぞ」
真っ先に立ち直ったのはシロッコだった。彼の指差す方向には元居たところと同じく高い外壁が立ちはだかっている。
塞の出で立ちが一緒だったのでつい毎度恒例となっている衛兵からの小言を覚悟して門に向かったのだがここではそんな事は一切なかった。所変われば人も変わるものだ。一行は咎められることもなくスムーズに進み、階位が上の兵舎に到着する。
ここでも門番の兵士の応対は極めて丁寧。取次も滞りなく行われた。建物の中からは立派な装いの軍人がわざわざ顔を出し、諸々の情報を渡してくれる。お陰で予想したよりも随分楽に魔物の居場所と合流する隊員の名前がわかった。感謝、感激、雨あられである。
「魔物はあの嫌な村の近くにいると。また彼処に行くとか怠すぎる。にしても街に向かわないといけないのか。軍人の癖に街の屋敷にいるって何処で金を稼いでるんだか」
出口へ歩きながら今さっき聞いた話を反芻する。礼一達はこれよりもう一名の隊員と落ち合うために街に向かうのだが、当該の人物は街の一等地にある屋敷に仮住まいをしているそうだ。いつも懐の寒そうなシロッコやウルグを見ているからか、贅沢という言葉と軍人が結びつかず若干混乱する。一体何者なのかをシロッコに尋ねたいところではあったが、まずは再び断崖絶壁の攻略に取り掛からねばならずそんな余裕はなかった。
このようにしてスタートした下山はちょっと言葉にできないぐらい過酷だった。今では礼一も上りの際に抱いた感想を百八十度転換している。取り敢えず三回程向こうの世界の祖母の顔が見えたとだけ言っておこう。
「は〝あー。世界が輝いてる」
「しゃいにんぐー」
気まずそうに街を歩くシロッコの後ろを頭のネジを山に落とした礼一と洋が付いていく。通り過ぎる人々も何を勘違いしたのか口々にシロッコに励ましの言葉をかけていく。不思議である。
「ん、そろそろ正気に戻ってくれ。もう着くぞ。ん、これは駄目だな。舌を噛むから口を閉じておいてくれ。いくぞ。ん、ん」
頰をぶっ叩かれて頭の芯がジーンと痺れる。目の前で星が瞬くこと暫し、徐々に脳内が冴え渡る。
「はっ、もうですか。そら早く入りましょうよ」
「ん、色々言いたいことがあるがまぁいい。行くか」
シロッコはじろりと此方を見た後、屋敷の門の前に立つ。
「ん〝ん〝、おーい、軍から来た者だ。開けてくれ」
彼は扉を叩いたり大声を上げたりして人を呼ぶが、内側から反応はなくシーンとしている。背後の通りは喧しい人々で一杯なのにここだけはまるで別世界のよう。
「困ったな。誰もいない。ん、飛び越えるか」
不穏な呟きが聞こえたと思うや否やシロッコはヒョヒョイと跳躍で以って門扉を超える。不法侵入という概念は毛頭ないらしい。
「どうする?」
「しょうがない」
礼一と洋も後に続く。崖を登っていたお陰ですんなり乗り越えられたのは必然か、偶然か。
「ああ、意外と」
「ん、」
門の内側には屋敷というには少しばかり小さな建物がある。立派なのは門構えだけか。
「じゃお先にどうぞ」
「ん、先頭は譲ろう」
「無理」
勝手に入り込んだことで怒られるのは嫌なので三人はお互いに先頭を押し付け合う。
「ん、わかった」
案の定真っ先に折れたのはシロッコで、恙無く切り込み隊長に就任した。これでやっとこさ屋敷に入れる。
「うわっ、趣味悪っ」
建物の中は成金が好みそうな金ぴかな装飾で溢れており、目がちかちかする。畑の鳥よけなら効果抜群だ。
「眩しい」
洋も目を覆う。天井で輝く魔道具の灯りが其処ら中に反射しているのだ。
もうこの時点でまた癖の強い、捻くれた人物が待っていることは確定。速やかに身体が拒絶反応を起こし、礼一を頭痛が襲う。
「シロッコさん、僕光り物アレルギーなんでちょっと帰らしてもらっていいですか」
「ん、あれるぎー?何だそれは?この期に及んで帰れる訳がないだろう」
うだうだ喚いているとシロッコに首根っこを掴まれ引き摺られる。
「あ〝っ」
喉ぼとけにチョークスリーパーを食らった形で死にかけた。このおっさん力加減が出来ないのかよ。礼一は自由の利かない状態でシロッコをねめつける。
「ん、ここみたいだな。開けるぞ」
そうこうしているうちに一行は屋敷最奥の部屋へと辿り着いた。ゴテゴテとした飾り付けのドアを開けばこれまたわびもさびも風流の欠片もない内装が広がっている。何でもかんでも金で飾ればいいってもんじゃないだろ。下品だ。礼一達は皆飽き飽きした様子で目を背ける。
「よう誰だ。俺んちに勝手には入ってきやがったのは」
全員がやる気なく入室を躊躇っていると耳鳴りのするキンキンした声が足元から響く。見れば全身に黄金の鎧を着装した少女が偉そうにふんぞり返っている。髪の毛まで太陽のように輝く金髪で何だかもう見た目からして喧しい。
「ん?お嬢ちゃん、こんにちは。俺たちはこの屋敷の主人は探しているんだが何か知っているかな。知っていたらお兄さんに教えてほしい」
「あん?お嬢ちゃんじゃねぇよ。それにここの主人は俺だっつーの。どりゃぁ」
よく分からないが猫なで声で話しかけたお兄さんならぬおじさんは少女に殴り飛ばされる。見事に腹を撃ち抜かれたみたいでピクリとも動かない。死んじまったのかな。南無阿弥陀仏。
「あ、俺たちはそんなこと考えてませんでしたよ」
「ああ。あのおっさんは大馬鹿者だ」
同朋の無残な最期を目の当たりにした礼一は白々しく嘘を吐き、ここぞとばかりに洋も同調する。
さぁどう転ぶ。礼一達はじりじり距離を取りながらパツキン少女の様子を伺う。
「だよなぁ。あの野郎ちっともわかってねぇからついつい〆ちまった」
二人が見守る中、少女はがばっと顔を上げてカッカと哄笑する。危なかった。礼一達は冷や汗を拭い、外見に騙されてはならぬと彼女を見つめ直す。身の丈は礼一の胸にも届かず、体格もお世辞にも良いとは言えない華奢でほっそりしたものだ。あんまりに恵まれない体付きのせいか着用している鎧や靴がいやに大きく感じられる。
「あーあ。つまらん奴を殴っちまった。なぁお前たち金を持ってねぇか。俺は金が大好きなんだよ」
少女は部屋の端にあるベッドに飛び込みながら大きな声を上げる。だが注文内容がいきなり金を寄越せとは図々しくって吃驚だ。礼一も洋も手をパーに開き、何も持ってないことをアピールする。本当に何も持っていないし、仮に持っていたとしても理不尽に強請られて差し出すなんて御免である。いざとなったらまずはシロッコの懐を漁るのが先決だ。
「ちぇっ。つまんねぇ」
少女はベッドの上で丸まりながら舌打ちをする。そんでもって此方を尻を向けて鼾をかきだした。なんて奴だ。
「猫だな」
と洋。確かにちっこい形で眠りこけている姿は猫そのものだ。でかい靴を履いているあたりリアル『長靴をはいた猫』である。尤もここまでの流れから彼女が誰かに忠誠を尽くすなんてこれっぽちも思いはしないが。寧ろ眠れる獅子と表現する方が適当だろう。
「待つか」
前で寝ている少女と後ろで伸びているおっさんに挟まれ、礼一達二人は顔を見合わす。前門の虎後門の狼なんて危機的局面ではないがこれはこれで困った状況である。
待つこと半刻、倒れていた双方は時を同じくして目を覚ます。
「ん、嫌な夢を見た」
「不愉快な夢を見ちまった」
二人は共に快眠とはいかなかったらしく不機嫌そうに起きた上がった。そうして辺りを見回して互いの存在を確認しあったところであからさまに苦い顔になる。どうもこの二人、生理的に折り合いが悪いようである。
「シロッコさん、説明を」
「ん?ああ、そうだった」
とはいえコミュニケーションを取ってもらわねば困る。礼一は少女に事情を伝えるようシロッコを促す。
すると頭の半分を夢の世界に突っ込んでいたシロッコの顔がようやくしゃっきりしたものになる。彼は多少をぎこちなくはあるものの自分達が軍の同じ部隊であること、今回の任務を手伝って欲しいこと等を少女に教えていく。
「わかった。兎に角一緒に行って魔物を殺して襲って来る奴も倒せばいいんだろ。お安い御用。しっかしまずは準備をしなきゃいけねぇ。必要なのは服に飯に......。ああ怠くなってきた」
「ん、寝転んでないで早く支度をしてくれ。こっちも暇ではない」
「おい、おっさん。そんな口利いてっとまたぶっ飛ばすぞ」
話は出来ても相性が良くなることはないようだ。ベッドに寝そべって動き出さない少女をシロッコが急かし、文句を言われている。
「あの、この人で本当に大丈夫なんですか?」
「ん、情報が確かなら高速で動き回って戦う女とはこいつのことらしい。こんなに性格が破綻していて外見がやけに幼いとは知らなかったが」
心配になった礼一がこっそり確認すれば、シロッコは厭々頷く。彼女を連れて行くのは既に決定済みの事案らしい。しかしここまで仲の悪い二人が連れ立って旅をするというのも先行きが思いやられる。
案の定というか、それから四人が屋敷を出るまでにシロッコと少女は一揉め、二揉め...etc。数え切れない言葉の応酬を繰り広げたのだった。
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