21 日和
「ん、そろそろ切り上げて兵舎に戻るか」
シロッコの掛け声で我に返る。この二週間中の訓練で、随分と環境に適応したようだ。周りに転がる魔物の死骸を見ながら礼一は妙な達成感に浸っていた。
「今日はこいつら放置でいいですよね。もう味とかわかってますし」
死骸を検分中のシロッコにそう言うと、彼は苦笑がちに首肯する。
十分に手足が動くようになった礼一達を待っていたのは塞後ろの山での実戦訓練であった。それも棒っきり渡されてのだ。後方でシロッコが監督してくれているので死にはしないが、凄まじく怖かった。当初の戦闘などびっくりしゃっくり敵に忍び寄ったせいで不意打ちにもならず、殴り合いの末の辛勝というみっともなさ。今じゃそんなことはなくなったがやっとこさ勝てていることに変わりはない。
そして訓練よりも更に辛いのが、倒した魔物を食うという拷問にも似た食事であった。この訓練の意味が山中で生き抜く心得にあることは百も承知だ。しかし魔物の肉の不味さといったら形容しがたい。ここいらに巣食うのはまんまゴブリンの姿をした《緑鬼》と呼ばれる魔物だが、臭い、兎に角臭い。
「というかこんなに倒しちゃって大丈夫なんですか?仕返しに押し寄せられても俺と洋じゃ対応できませんよ。シロッコさんだって今魔力使えないんだから多勢を一人で相手取るのは厳しいと思うんですけど」
「ここいらのは浅い層に住んでいる雑魚ばかりだから問題ない。ん、仮に大勢でやってきてもこれぐらいのやつなら魔力がなくても追い返せる」
倒せるとは言わないシロッコに多少の不安を覚えつつ塞に向かって移動を始める。
「それにしても最初にこの山を登った時は君達は酷い有様だったな」
シロッコが山を登りながらぼやく。目下登山中の斜面は急峻そのものだが、初日に登った向こう側は比較的なだらかであった。夜目も利かず慣れぬ山道だったのからかもしれないが、さぞ情けなかったのだろう。
「もう余裕ですけどね。シロッコさんには及ばないですけどそこそこ動けるようになりましたよ」
慣れた足付きで木の根を避け、礼一は応答する。まぁシロッコの後をしっかり追っているので、転ばないでいられている部分もあるのだが。
「今日はウルグさんいますかね?」
「ん、君達の狙いはどうせ彼の持ってくる獲物だろう。普通彼に近付くぐらいだったら大人しく苦玉を齧っておくがな」
少しばかり弾んだ声で問い掛ければ、前から不機嫌そうな返事が返ってくる。ウルグという最初に兵舎で見かけた男はほぼ毎晩何かしらの戦利品を手に帰ってくる。話しかけにいくと気前よく分けてくれるので礼一達からすると神様のような存在である。シロッコは訓練の意味がなくなると文句を言うが、流石に毎日《緑鬼》の肉と苦玉ばかりでは精神的に耐え切れない。
通称“苦玉”こと、軍の携帯保存食は一つ食べれば半日は腹が空かず栄養も十全に補給できるという優れものである。普段から食料庫内で拵えられており、兵士達の常備食とされている。礼一達もパシに貰って食べて以降、今日に至るまで度々お世話になっているが、すんごい不味さは相変わらずだ。栄養があるのはわかるし腹も膨れるが、出来れば口にしたくない代物である。これは礼一と洋以外の多くの兵士にとってもそうらしく、それ故か彼らは皆、山中で食料を調達し調理することに長けている。というのも食料庫の中には大量の苦玉しかないのだ。まともなご飯が食べたければ自力で工夫するより仕方ない。勿論礼一達二人にそんな有難い能力はない。よって毎日死ぬ思いで苦玉と《緑鬼》の肉を胃に収めていた。
「こんばんは。いい匂いですね」
半刻掛けて兵舎に帰り着いた礼一と洋は足音軽く中庭に焚かれた炎に駆け寄る。焚火の前には心底求めていた御大尽が座っている。
「おや、戻ってきたか。さっさと火によって食べるがいい」
「毎度ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせて貰います。頂きます」
「うむ」
そう。ウルグさんだ。第一印象こそえらく尊大で取っつきにくく感じた彼であったが、意外に親切な一面がある。差し出された肉串を頬張れば、溢れ出すのは山の滋味。脂身までもが甘く旨い。滴る肉汁が音を立てて爆ぜ、漂う匂いが食欲をそそる。分量はたんとあるので特別遠慮する必要もない。串に残った切れっ端を口に放り込み、お次の一本に手を伸ばす。とその前に、
「頂きます」
「うむ」
この人の場合、逐一礼儀を正さないと何をされるかわからぬ恐怖がある。平時は少しばかり気難しく、またそこそこ優しくもある青年だが、稀に怪しげな光をその目に湛えている。若干アル中の気があるので、酔って目が座っているとも取れるが断言できるほど為人もわかっていない。用心に越したことはない。あの洋でもウルグさんの前では借りてきた猫のように生意気な口一つ利かずしおらしくしているのだから何かあるのだろう。まぁ食欲に負けて接近しているあたり、二人揃って詰めが甘いのだが。忙しく顎を使いながら礼一はそんなことを考える。また折を見て経歴やらを尋ねてみようかな。強そうだしもう少し動けるようになったら簡単な稽古でもつけて貰えないかな。そんなちょっとした展望が頭の中を駆け巡る。
塞での生活にも幾分か馴染み、衣食住も足り、職にもありつけている。初日こそおっかないところに連れてこられたとハラハラしていたものだが、ここ最近の礼一と洋の二人にしては珍しく落ち着いた日々が流れているのであった。
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