3 秘密
突然の光と音に二人は両目を覆って尻餅をつく。
「おやおや鼠を飼った覚えはないのだが」
地下室の明かりを背に仁王立ちした店主は冷たい声で言い放つ。
「これだから頭の足りない奴は困るんだ。自分が何に首を突っ込んだか知りもしない」
彼女は苛立たし気にそう呟くとスルリと手を伸ばして礼一と洋の喉を掴む。
「あんたらに残された道は二つだ。一つはここで口がきけなくなること、もう一つはこちら側に来ることだ。詳しい説明はしてやんないよ。不用意に立ち入ったのはあんたらの責任だ。前者なら一回、後者なら二回瞬きをしな」
口をきけなくなるというのが、喉を潰されることか殺されることのどちらかはわからなかった。しかしどちらにせよ痛い思いをするのは御免なので二人は慌てて瞼を二度動かす。
「フンッ、わかったよ。こっちに来て眼ん玉ひん剥いてよく見てな」
首から冷たい手の感触が離れたことがわかりホッとした二人は言われるがままによろよろと室内へ入る。
「悪いね。立会人が二人いるが問題ないね?」
「んん、構わない」
椅子の上の男は店主の問いにそう答えると気の毒そうに二人の方を見た。
「すまん。始めてくれ」
誰にともなく謝ってから彼は店主に声をかける。
「さてと薬は効いたかね」
店主は彼の額に片手を添え何かを確認するかのように目を閉じて顔を顰める。
「よし、大丈夫だ」
暫くして得心がいったのか彼女は手を離し、懐から小瓶を取り出す。見れば小瓶の中で緑色の煙がまるで生き物のように蠢いている。
「今からこの瓶の口を開ける。鼻からでも口からでも良いから残さず吸い込みな」
店主がそう言って男の顔の前でポンッとコルクを引く抜くと、煙が緩々と立ち昇る。男はそれを逃すまいと金魚のように口をパクパクさせる。ここだけの話、いい歳こいたおっさんが全身雁字搦めで必死に呼吸するというカオスな絵面に礼一は少しばかり笑ってしまった。すぐさま鼻を啜り、咳払いをして誤魔化したのでバレはしなかったが。
「んん゛、んん゛、これで良いのか」
咳き込みながら男がそう問うと店主は鼻で笑う。
「こっからが正念場さ。尤もどうせ痛みで気を失うだろうから次に会うのは目が覚めた時だ。ではな」
彼女はそう言うと颯と踵を返し、ボケっと作業を眺めていた礼一達の方に向かってくる。
「よーく見ときな」
何かされるのかと二人は体を強張らせるが、彼女はその脇をすり抜けざまに一言そう告げて部屋から出て行ってしまう。
ギシ、ギシ
呆気に取られて部屋の入口を見ていた二人だったが、背後から妙な音が聞こえ振り返る。
「おいおいマジかよ」
先刻までそこで普通に話していた男が白目を剥き、口から泡を吹いて悶え苦しんでいる。どうやらもう意識はないようで下の方から出るものが出てしまっている。うわあ。こうなることを知っていたら絶対に立ち会いなんて許可しなかったろうな。
「あれ。死ぬぞ」
本人を目の前に不謹慎にも洋がぼやく。
「縁起でもないからやめろって。にしてもこの後どうなるんだろうな」
こんな状況に自分達を取り残した店主を盛大に恨みながら礼一と洋は顔を見合わせる 男は暫くするとすっかり力が抜けてピクリとも動かなくなってしまった。近づいて確認すると、もう苦しげな様子もなく穏やかな表情で寝息を立てている。
「まったく気楽なもんだぜ。うぇっ、酷い臭いだ」
先程の身悶えの途中で垂れ流されたブツがカタストロフィを引き起こしていた。礼一と洋は慌てて後ろに下がる。誰かが言っていた“深淵を覗く時深淵もまたあなたを覗いている”と。つまりこんなことに関わっていればいずれ自分達も糞尿まみれになること必至だ。
「戦略的撤退」
流石は洋、ものがわかっている。こんなおっさん見捨てたところで誰に後ろ指を指されることもあるまい。では早速退散をば。
「何処に行くつもりだ。掃除が先だよ」
一番出会いたくない人物の声が背後から聞こえ二人は凍り付く。ロボットの如き動きで振り向くと、店主がボロ布と魔道具を持って立っている。まさかとは思うがあの汚いのを拭けとか言わないよな。
「早くそこのお客さんを清めて差し上げろ」
言いやがった。本気で勘弁して貰いたい。なんで健康体のおっさんの下の世話をしなきゃいけないんだよ。全力で拒否してやる。漢には負けられない戦いというものがあるのだ。
勇んで文句を言おうとした礼一だが、結局店主に一睨みされただけで気勢を殺がれて汚物処理班となる。
二人がかりで男の縄を解き、身包みを剥いだ後、素っ裸の彼を水で流しまくる。床に付けられた僅かな勾配が、糞尿混じりの汚水を部屋中心部の排水溝へと運んでいく。
大体においてぞんざい極まりない作業であったが、店主もそれ以上の丁寧さを要求しなかったので全裸の男にボロ布を被せて洗浄作業は終了した。
思っていたよりは楽であった。ただ何か大切なものを失った気がした。
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