1 受難
「疲れたー」
額から玉のように流れ落ちる汗を拭いながら礼一は叫ぶ。何たって日がな毎日肉体労働で身体を酷使せにゃならんのだ。隣では洋がもうすっかりばてたと言わんばかりに日陰の中に倒れている。
「へばるのが早いよ」
疲労困憊な彼らに浴びせられたのは、労りの言葉ではなくぶっきらぼうな声であった。渡る世間は鬼ばかり。
現在礼一と洋がいるのは教国の端の端にある港街である。街は中心を流れる川によって大きく二分されており、片方が多くの商館が立ち並ぶ繁華街、もう片方が教国から爪弾きにされる獣人や訳あり人の吹き溜まりとなっている。大変不幸なことに礼一と洋がいるのは後者であり、彼らの稼ぎの当ては肉体労働か犯罪ぐらいしかない。その結果当初想定したような差別に苦しめられることはないものの代わりに肉体を虐めぬく羽目となっている。まぁこの界隈では仕事があるだけ幸せなようだが。
港に着いた段階で船長以外の船員はお役御免ということで船から降りた。これ以上進めば獣人など到底受け入れて貰えない場所に行き着くのはわかっていたためである。聞けばフダの国から教国にやって来る船の殆どはここで船員を入れ替えるのが通例となっているらしく、船長もここで再度人を集めた後にまた別の港に向かうという。
パントレ達は行く先がある程度決まっているということで繁華街にある商館へと向かっていった。一方の礼一達と言えば金も縁もなく途方に暮れるかと思いきや、船を降りたところで船長と話していた老人から何やら紹介状らしきものを貰うことが出来た。老人は随分な歳で背が高く、小洒落た格好をしており漏れ聞く話でそこそこ立場のある人と知れた。いずれにせよ船長の知り合いならばある程度信用出来るだろうと彼の言う通りに道を進み、辿り着いたのが今二人が倒れているこの貧民街の外れにある一軒家の前であった。
「ほら。早く起きなよ。まだ仕事が残ってんだろ」
疲れている二人を容赦なく蹴飛ばしてくるこの女は家の主、名前はわからない。本人には店主と呼べと厳命されているが、どこぞの酒に溺れて死んだ猫じゃあるまいし名前ぐらい教えてもらいたい。彼女は件の老人の知り合いだそうで紹介状を見て散々文句を並べた末に礼一と洋を引き取ってくれた。
それから今日に至るまでの数日間同じ屋根の下にいるが、彼女自身について礼一達が掴んだ情報は殆どないし、彼女も一向にそのあたりのことを話してくれない。体格を見るに女性であることは間違いないのだが、常に頭部にマスクのようなものを被っているため顔は杳として知れない。唯一わかっているのは性格が既にお分かりの通り酷いということだけだ。
仕事についても毎晩客と称する人間が何やら荷物を担いで訪れるが、その度に彼女は客を引き連れてさっさと地下室に引っ込んでしまうため何をやっているのかはまるで不明である。
ここに来てからというもの礼一と洋がやらされているのは洗濯、掃除、炊事等の雑用に加えて中身のわからない大量の荷物の運び込みであり、そこから彼女の仕事を推察することは難しい。荷物が人間大の大きさをしていたり、矢鱈と重かったり、洗濯に出される服や布が血だらけだったりと怪しさはテンコ盛りだが、先達ての船旅で下手に踏み込むことの危険性を学んだ二人は特別詮索しないよう堪えている。
何より今の二人にはそれ以上に重大な問題がある。店主が二人に貸し与えた部屋は一部屋なのである。つまりここ何日も二人一部屋の生活が続いている。年頃の健全な紳士にとってこの環境こそが何より不健全極まりないものであった。
とまれ二人の傍には大量の荷物が積み上げられている。この荷物は毎日昼頃に荷車に山と積まれてやって来る。曳いている男も大概イかれた筋肉の持ち主で過積載にも程がある物量を物ともせずに運んでくる。
「そらさっさと中に運んだ運んだ」
頭上の鬼が二人を催促する。いくら礼一達か魔力の扱いを覚え、多少身体を酷使してもへっちゃらになったからと言って、こう毎日ボロ雑巾になるまで使われては敵わない。
「自分でやれ」
日陰からヨロヨロと身を起こした洋がいい加減ウンザリとばかりに悪態を吐く。何しろこの女と言ったら地下室で客と怪しげな逢瀬を重ねる以外全くこれっぽっちの仕事も自分でやろうとしないのだ。つい先程の昼飯時に至っては遂に自ら飯を口に運ぶことすら放棄する始末である。勿論彼女の両の手の代わりをしたのは礼一達だ。これには流石の礼一も声を大にして巫山戯んなと叫んだ。心の中で。
「ほう。何だか分からないが文句を言われたみたいだね。そんな口を聞いて良いのか?私は好きであんたらの面倒なんか見てはいないよ。嫌ならどこへなりと行けば良いさ」
洋の悪態を聞きつけた女店主はまるで二人を嘲笑うかのようにダイナマイトプロモーションを揺らして言い放つ。その言葉を聞くと礼一も洋も口を噤む他ない。
何しろ数日前にこの家の前に辿り着いた際、二人は手に持った紹介状以外の一切合切を擦られ盗まれ失っていたのである。ホアン船長が餞別に渡してくれた剣や金、魔道具の全てが人混みに紛れて消えてしまっていた。
つまり今の二人がこの貧民街を生きて渡るのは至難の業、この家から叩き出されたが最後待っているのは飢えと寒さと死しかない。
「ここに残るつもりなら仕事しな」
そう言い残して店主は家の中に戻っていく。残された二人は動かない身体に魔力を通し黙々と作業を続けるのであった。
「おい。いい加減この生活には飽き飽きしたぞ。何か抜け出す良い方法とか無いのかよ」
その日の夜、貸し与えられた狭い部屋の筵の上で礼一は喚く。もう我慢の限界だ。姫ぷも度が過ぎれば只の奴隷である。
「うるさい。今考えてる」
暗闇の向こうから洋がイライラした様子で返事を返す。ここまで露骨に感情を見せるのは彼にしては珍しいことだが無理もあるまい。そもそも洋が体力面で優れた光景なんて仲の良い礼一ですら見たことがないのだ。連日の重労働は礼一以上に辛いだろう。
「ここから逃げ出しても生きていけないし、かと言ってこれ以上留まり続けるのは無理だし」
礼一はどうしたもんかと頭を捻る。とその時彼の頭に一筋の光明が差す。
「そうだ金を持ち逃げすればいい。そうしたら暫く生きていけるだろう」
これぞ名案とばかりに壁の方にいる洋に向かって喋りかけると物凄く呆れた溜息が聞こえる。心外だ。
「どうせ捕まるし、金は擦られる」
確かに。反論の余地もなかった。
「じゃあどうすれば良いんだよ。俺にはもうわからん」
正論で自分の案を叩き潰されてやけっぱちになり、礼一は思考を放棄して暗闇を睨む。
すると今度は洋が口を開く。
「一つ。あの性悪腹黒極道悪辣陰険人類の敵のクソ女の弱味を握る」
めっちゃ文句言うじゃん。まぁでも提案は尤もだ。この状況を打開するには多少の危険を冒してでも彼女の正体を探らなければ。時刻も丁度夜である。彼女の仕事とやらを暴くにはぴったりだ。
「行くか」
二人は立ち上がり忍び足で部屋の外へと移動する。
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