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有象無象の戯言

作者: 肇

幼い頃に見た景色は、

どんなものでも美しかった。

だが無垢な心は、身体なしでは生きれない。

 ある冬の日、空は灰の雲に覆われ、道行く人々はその雲に押さえつけられるように首を縮めて歩いている。

 狭い道を抜け大通りに出ると男は足を止めた。黒い外套(がいとう)の、両手を突っ込んでいるポケットの一つから煙草とライターを取り出すと、慣れた手つきで一本を取り出してライターで火をつける。かじかんだ指先に小さな火の熱がじんわりと伝っていく。一つ煙を吐くと、またもとのように両手をポケットに突っ込んで歩き出した。

灰色の街を歩く人々はどれも道端の石ころの様だ。仕事で忙しく過ごす日々は、男から心を奪っていった。休みをもらった所で特にする事もなく、ただ街を散歩していても殺風景な景色が過ぎていくだけだ。

 しばらく歩いて、歩道橋の上を見たときに一人の女性がいた。色白のとても美しい女性だった。その女性はじっと何かを見つめている。男は気になって、少し足を速めて歩道橋へ向かった。階段を上がって、再び女性を見たときに、男はあることに気が付いた。

 おそらくこの女性は死んでいる。

 理由はわからないがそんな気がした。女の空色のワンピースが冬風に揺れている。

 男は引き返そうとするが、女の口元がわずかに動いたのが見えてちらりと女を見やった。視線をじっと歩道橋の外に向けたまま、ぱくぱくと口を動かして何かを喋っているようだが、何を言っているかはわからなかった。男は怖くなって、(きびす)を返した。

 帰り道、フィルターのギリギリまで吸った煙草の吸殻を、持っていた携帯灰皿に捨ててすぐに次の煙草に手を伸ばす。何故だろうか。女の横顔が妙に頭から離れない。男は頭から離れない女の横顔を忘れようと煙草をくゆらせる。そして、いつものように外套のポケットに手を突っ込んで歩きだした。

あの女は何を見ていたのだろうか。季節外れな空色のワンピースを着て、女はいつの景色を見ていたのだろう。そんな疑問が頭の中を渦巻いていた。

家に帰って、黒い外套をハンガーにかける。

身軽な服装に着替えてベッドに横になると、テレビをつけた。そこでは、先日起きた自分には縁もゆかりも無い所の事件を報じていた。定期的にメディアを騒がせる事件やスクープ。ある人にとってはとても重要な事柄であり、またある人にとっては重要なネタなのだろう。だが、少なくともこの男にはどうでもいい事ばかりであった。流れてくる雑音を背に、男は襲いくる睡魔にその身を(ゆだ)ねていった。



幼い頃……確か小学校の低学年くらいだろうか。

玄関のドアを開くと、そこには綺麗な景色があった。

無機質なコンクリートばかりの風景ですら、太陽の陽を暖かく反射して、輝いている。冬の青空はどこまでも広い。透き通った空気に、白い息がとけて消えていく。

門を出て、いつもの公園へ走って向かった。乾いた風が頬を撫でる。木々が揺れて、枯葉が舞う。

よくある冬の景色は、どこまでも澄んでいて美しかった。



男はベッドの上で目を覚ました。

三時間ほど寝ていたらしい。すっかり日は落ちて夜になっていた。

気がつくと一気に腹が減ってくる。そういえば昼から何も食べていない。男は如何にも一人暮らしというような小さな冷蔵庫を開けると、一つため息をついた。

 玄関に掛けてある黒い外套を羽織って外に出る。突き刺すような冷たい風が頬に当たる。白い息がすぐに闇に溶けて消えていく。煙草を一本咥えて火をつけると、近くのコンビニに向かった。

しばらく歩いて歩道橋に差し掛かる。階段を昇ったところで女の事を思い出した。男は苦い顔をして、橋の真ん中にいる女を見た。

先と変わらず歩道橋の外を眺めながら何かをつぶやいている。気にせずに通り過ぎれば良いだろうと思い、足を進める。しかし男はこの女に見入ってしまった。

 ぼうっと青白く浮かび上がる女の身体(からだ)。空色のワンピースから伸びる陶器の様に艶やかな四肢。目の前に在る異常な光景が酷く恐ろしく……美しい。

 ジジジッと煙草の灰が落ちる。

ふと我に返ると、男の身体は既に凍り付いたように動けなくなっていた。

ゆっくり、ゆっくり、女がこちらを向いてくる。今まではっきりと見ることができなかった女の顔が男の瞳に映る。改めて、男は女の美しさに息を飲んだ。

「アナタは私に無いモノを持ってるの。」

女は白いヒールを鳴らしながらこちらに近づいて来る。

「ワタシはもう二度とあの景色を見れない。」

女は男の前で止まる。男の咥えていた煙草が地面に落ちた。男はなんとか口を動かして女に問いかける。

「どんな景色なんだ?貴方がそこまでして見たい

「ワタシに足りないモノは命、アナタに足りないのは心。確かに、命の無いワタシは死んでいるけれども、心の無いアナタも死んでるのと同然だとは思わない?」

「―――何故、私の心が無いと?」

女はクスクスと嗤う。

「わかっているくせに。」

男は女に問い返すことが出来なかった。

「ああ……。」

男は思う。幼い頃に思い描いた自分になんてなれてはいない。それどころか幼い自分に憧れてすらいた。どんな些細なことでさえ、どんなに普通のことでさえ、面白くて魅力的で美しい。そんな自分はもう居ない。己が見えない、それ故に不安で仕方がない。いつの日か、幼い頃の情景ですら忘れてしまうのだろうか。そう思うと日々を過ごすのが怖くて仕方がない……。

女は男をただ眺めていた。そして、待ちかねたかのように口を開く。

「だからワタシはアナタが欲しいの。心の無い、アナタの身体が欲しいの。」

男は女を見つめた。

白い肌、陶器のように滑らかな四肢、瞳はどこまでも深く闇を映していた。この女になら、自分の身体をくれてやってもいいのではないのか……そんな事を考えてしまう。しかし、男はあることに気がついてしまった。この感情は―――。


女は微笑んでいた。

やっと、身体を手に入れられると。そう思っていた。血の(かよ)い、命の温もりのある身体。ずっと、ずっとこの時を夢見ていた。これで自由になれる。身体を失ったあの日から、ここに縛られていた魂はやっと肉体を得て解き放たれる。

スッと、白く細い両腕を伸ばして男の首に手を添える。力を加え、男の魂を絞り出すように締めていく。

「アナタがホしいの。ワタシはアナタを―――。」

「残念だが無理だよ。私の身体を奪うのは。」

女は予想だにしない男の声に驚いた。

「貴方はこの場所にずっと捕らわれていたのだろう?」

締められていく指が止まる。

「貴方はここから抜け出したかった。」

女はただ男を見ている。

「どんな死に方で、どんな悔いを遺したのかなんて私にはわからない。この場所で何があったかなんて知らない。」

男は、右の手を彼女の頬に伸ばす。

「私は貴方を放って置けない様だ。」

「……?」

「私が貴方を奪ってしまおう。」

男は女の腕を掴み、外した。そして強引に彼女の唇を奪った。

「―――ッ!??」

抱き寄せた冷たい身体は、ゆっくりと男の熱を奪っていく。

唇を離すと、彼女は男を見て言う。

「馬鹿ね、アナタ。」

すると今度は彼女が男を抱き寄せる。

彼女は微笑んで、そっと男の首筋にキスをした。

その途端彼女の姿は薄くなり、夜の闇にとけていった。

冬の夜空は、たくさんの星を抱えて美しく広がっている……。


翌朝、男はソファの上で目を覚ました。

ゆっくりと起き上がって、会社へ行く準備を始めた。髪を整え、スーツを着て、黒い外套を羽織り、いつもより早めに家を出た。

ドアを開けて外に出ると、冷たい風が通り抜ける。朝日が霜を照らし、きらきらと美しく反射している。

朝早くからやっている小さなスーパーで花束を買うと、男は冬の朝の景色を眺めながら、歩道橋へ向かった。

男は誰もいない歩道橋の真ん中で、そっと花束を手向けた。

そして、いつもの様にタバコを取り出し、火をつけた。一つ煙を吐いて、男はその場を去っていった。


(ワタシはずっとココにいる。)


男は急に足を止めた。辺りを見回すが誰もいない。

気のせいだろうと思い、男はまた歩きだした。

冷たい風が吹き付ける。だが、男は寒くなかった。

胸の内から熱が広がって、身体全体を暖めている。


ワタシはずっとココにいる―――。

はじめまして、「はじめうじ」と申します。

初めて短編小説というものを書かせて頂きました。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

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