森の指揮官 1
翌日。
冒険者ギルドの酒場でジヒトは掃除をしていた。
今はまだ午前であり酒場には客が居ない。
冒険者ギルドの酒場は一応日の出から夜中まで営業してはいるが、朝から利用する者はほとんど居ないと言っていい。
居たとしてもその客は酒場で朝食をとるのが目的であろう。しかも、そんな客は金がない冒険者だ。普通なら自分が利用している宿屋の食堂で食事をする。
そこをわざわざ朝から冒険者ギルドに訪れて食事をするようなもの好きな者はほとんど居ない。
なので、今ジヒトは掃除をするしかない。
そんな暇な時間に元気のある声が冒険者ギルドの酒場に鳴り響く。
「ちわー! 肉屋っすよー!」
「……朝からうるさい」
朝の酒場に声を轟かせたのは町娘の格好をした肉屋の娘ことフーラである。
娘と言っても二十四歳のいい大人である。
そんないい大人が大声で挨拶するのは元気があっていいことだと思うジヒトだが、一方で落ち着きがないんじゃないかとも思うのであった。
「ジヒトさん! 元気がないっすね!」
「……朝だからな」
「いやいや、朝に元気がなかったらいつ元気になるんすか?」
「きっと今ではないいつかだ」
フーラは大きな声でジヒトに絡み出す。
別に昨夜は酒を飲んでいないにもかかわらずジヒトは頭痛を覚える。
今に始まったことではないがフーラはいつも元気で、ジヒトはそんなフーラを少し苦手としている。
そうとも知らずにフーラは続けてジヒトに話しかける。
「そんな調子じゃあ、どんどん老けっるすよ?」
「ほっとけ。それにどんどんは余計だ」
「いやいや、今もおじいちゃんみたいな落ち着きっぷりじゃないっすか」
確かにジヒトは落ち着いているがおじいちゃんは言いすぎだ。
フーラはにこにこと微笑みながら思ったことをすぐ口に出し、ジヒトの突いてほしくない箇所を突いてくる。何より悪意がないのが余計にたちが悪い。
ジヒトは掃除の手を止めこめかみを押さえる。
「俺は別に普通だ。お前の方こそもう少し落ち着いたらどうだ?」
「自分から元気を取ったら何も残らないっすよー」
「自分で言ってて悲しくないのか?」
「全くならないっすね」
ジヒトはフーラの答えに呆れる。
当のフーラは気にした様子もなく堂々と答える。
いい加減ここに来た目的の話をするべきかなと思ったフーラは話を切り替える。
「まあ、それはいいとして本題っす」
「やっとか……」
「ええ、やっとっす」
漸く本題に入ったと安心するジヒトにフーラはそんなに嫌なのかと思い少し苦笑いを浮かべる。因みにジヒトはフーラが少し苦手だが別に嫌ってはいない。
単に疲れるだけだ。
「いつもの注文の確認っす」
「なるほど」
「何か足りないものかなくなったものはあるっすか?」
そう言われてジヒトは頭の中で残りの肉類を確認する。
フーラはそんなジヒトの様子を見て、いつも実際に確認していないのによく正確に残りの肉の量がわかるなあと感心する。一度も足りなくなったことや酒場の肉を切らしたことがないのが余計にそう思わせる。
確認を終えたジヒトは注文をする。
「豚と鳥の肉がもうすぐ切れそうだな。両方ともいつもの量を頼む」
「了解っす。豚と鳥がいつもの量っすね。他にも何かいりますか?」
「ウサギがあればいいが、ないだろう?」
ジヒトの注文を頭の中で確認していたフーラは急な質問に少し驚く。
フーラからしてみれば店の在庫を実際に確認していないにもかかわらず、ジヒトに言い当てられたのが不思議なのだ。
「……大当たりっすけど、なんでわかったんっすか?」
「それはゲントのやつが狩りの依頼を受けていたからだ。それに、ゲントは失敗している。となると品切れな上に補充もしていないことになる。なら、まだ肉屋にウサギはないことになる。もちろん、他に当てがあるならウサギはあるんだろうが、別に予想が外れても良かったからな。むしろ外れた方がウサギが手に入って良かったな」
「さすがはジヒトさんっすね。朝から頭がキレッキレっすね!」
ジヒトの予想にフーラは感心して元気よくこれでもかと持て囃す。
ジヒトとしては大した予想ではないと思うが、褒められて嫌な気分になることはない。それにおっさんはこういう時くらいしか褒められないしなと思うジヒトであった。
一通り満足したジヒトはフーラに落ち着くように言い話を続ける。
「まあ、知っていれば誰でも気がつくことだ」
「そうかもしれないっすけど、今気づいて言い当てるのは、しようと思ってもなかなかできないことっすよ?」
「そんなことはない。今日のゲントの依頼失敗は印象的だったからな」
どういうことかわからないフーラはジヒトに不思議そうな顔をする。
ジヒトはやはり気がついてなかったなと思いフーラにゲントの失敗の理由を説明する。
ゲントはフーラが行なっていた鳥肉の解体で血の匂いが体についた。しかし、ゲントはそれに気づかず森にウサギを狩りに行った。そうなると、当然ウサギは血の匂いを警戒してゲントから逃げる。なので、ゲントは狩りの依頼を失敗したのだとジヒトは説明した。
その話を聞いたフーラは半分呆れつつも少し申し訳なく思う。
「もう少し気を遣ってあげたらよかったっすかね?」
「そっちも仕事をしていたんだからしょうがない」
「そうっすかね?」
「ああ」
ジヒトの言い分を聞きフーラはそれもそうかと思い考えを改める。
「でも、確かに自分で気づくべきことっすね。三級まで上り詰めたんっすから」
「まあな」
「自分なんて四級で精一杯だったんっすから。現役冒険者さんにはしっかりしてほしいところっす」
フーラは今でこそ肉屋に勤めているが、ジヒトと同様に元冒険者である。
フーラは冒険者の自由な印象に惹かれて冒険者になったわけだが、実際に冒険者になってみると冒険者生活は思っていたよりも過酷なものであり想像のそれとは違っていた。
フーラが選んだ職業はレンジャーであった。レンジャーは自然に対する深い知識や技術が必要である。しかし、フーラは知識はあったが技術がなかなか身につかなかった。要は不器用だったのだ。なので、フーラは冒険者として大成することはなかった。
幸い大きな傷や死にかけることはなかったが、そんな目にあうまで冒険者を続けたいと思わなかったフーラは冒険者を引退した。そして今は実家の肉屋で働いているというわけだ。
そんなフーラはゲントに自分の分まで頑張ってほしいと思う。
「まあ、自分も気づかなかったんで、あんまり人のことをとやかく言えないっすけどねー」
「だから、あんまり言いふらしたりしてやるなよ?」
「もちろんっすよ! 別に言いふらして誰かが得するような話でもないっすからね」
フーラは元冒険者なので依頼の失敗の噂が如何に恐ろしいかを理解している。
それにこの失敗はゲントの不注意ではあるが、それを聞いて喜ぶ者はゲントを陥れたい者くらいだろう。そんな噂を広めようとは思わないし、そこまで落ちぶれてはいないとフーラは思っている。
それに人のことを言えない理由が他にもある。
「それに自分も狩りに失敗してるっすからね」
「どういうことだ?」
フーラが元冒険者でレンジャーだったことを知っているジヒトはフーラの言葉に違和感を抱き説明を求める。
フーラは大成こそしなかったが狩りくらいはできる。それに不器用ではあったが自然への知識はあるのでそんな簡単に失敗はしない。それこそゲントよりは上手くやれる。
「依頼を出す前に自分で狩りに行ったんっすよ。これでも元冒険者っすからね。けど、全然駄目でした」
「それで冒険者ギルドに依頼を出したってことか?」
「そうっす。現役の方がいいのかなと思ったんっすけどね」
「しかし、結果は駄目だったと」
「はい。ついてないっす……」
自分も失敗したのでゲントのことをとやかく言えないと苦笑いを浮かべるフーラだが、ジヒトは未だに納得がいかない。
そこでジヒトはフーラに質問する。
「お前が狩りに行った時はもちろんゲントのような失敗はしてないよな?」
「ええ、その日は狩りしかしてないっすから血の匂いはしてなかった筈っす」
「じゃあ、何か森で気になったことはあったか?」
狩りのことを思い出しながらフーラは唸る。
ジヒトはフーラの邪魔にならないように静かに待つ。
そういえばとフーラは言いジヒトの質問に答える。
「動物の気配があんまりなかったような……」
「気配がなかった?」
「はい。獣道を観察しても糞すら見かけなかったっす。足跡も見かけても日が経っていたような気がするっすね」
「……」
フーラの話を聞いたジヒトは何か思い至ったのか黙り込む。
フーラは急に黙り込んだジヒトに声をかけるが、少し長居しすぎたし返事がないので一応注文を口にして確認する。しかし、ジヒトは聞いてなさそうだなと思うと酒場から出て行くのであった。
今作で初ブクマ頂きました!
ありがとうございます!




