ジャージ
完全な青春ものを目指して書いたつもりですが…ボーイズラブ要素がほんの少しだけ含まれているような気がしています…
気のせいかもしれないのでタグはつけていませんが…可能性があるなら無理!という方はお引き返し下さい。
この学校は全校生徒が同じジャージを着る。だから、学年の垣根を越えて貸し借りができる。他クラスもそうだが、他学年にも仲のいい人を作っておくととても便利だ。
しかし、注意すべき点がある。それは、ジャージには名前の刺繍がされていないことだ。だからこそ貸し借りしやすいのだが、その分盗難被害にもあいやすい。こういったことは大抵故意によるものだが、思いがけず返せなくなる場合もある。
「先輩、先輩!先輩!!ジャージ貸してください!!」
大声で叫びながら廊下を走る男子生徒がいた。
「は?お前またかよ…ってか忘れすぎだろ…」
声を掛けられた先輩…橘先輩は振り返る。男子生徒に呆れた様子だ。そんな橘先輩などお構い無しに、男子生徒は続けて言う。
「早くしないと遅れちゃうじゃないですか!!あの鬼の授業ですよ!?可愛い後輩が鬼にいじめられてもいいって言うんですか!?」
「自分から可愛いなんて言うやつは本当に可愛いやつじゃねえんだよ。いっぺん鬼にシメられてこい」
鬼というのは、この学校の体育教師だ。いつも大声で誰かを叱っているためについたあだ名だ。
「嫌ですよそんなの!鬼に捕まりたくないからこうしてお願いに来てるのに!!先輩の冷徹人間!!」
まるで橘先輩が悪いかのように言い放つ男子生徒。最後の言葉を聞いた橘先輩は、笑みを浮かべ静かに言った。
「お前なんかに二度と貸さねぇ」
「ああああ!!すいませんでした!!先輩は冷徹人間じゃなくて、優しい優しい素敵な先輩です!!俺なんかにいつもジャージ貸してくれていつも感謝してます!!」
慌てたように手のひらを返す男子生徒。その言葉を聞いて橘先輩の顔は凄味を増す。
「そんなんでご機嫌取りのつもりか?」
「えっと、えーっと…あ!お昼!お昼奢ります!なんでも!!」
「仕方ねぇな…勝手に持ってって使え。俺もこれから移動なんだよ」
男子生徒は良いことを思い付いたように言い、橘先輩は笑い混じりに返す。すると男子生徒は走ってジャージを取りに行く。そうして翌日には『ありがとうございました!』と、洗濯されたジャージが返ってくる。いつの間にかジャージからは汗の臭いと、男子生徒が使っている柔軟剤の香りがするようになっていた。
卒業式の日が迫ってきた頃、三年生の橘先輩は就職休みに入ろうとしていた。
「先輩!ジャージ、ありがとうございました!!」
満面の笑みを浮かべながら男子生徒は言う。橘先輩は呆れながらも笑ってこう返す。
「俺のジャージなのに、いつの間にかお前のジャージ見たくなってるよな」
「あはは、そうですね!俺のジャージと同じ匂いしますしね!」
「普通はそんなになるほど頻繁に借りねぇよ」
橘先輩は楽しそうに男子生徒と話す。そしてこう言った。
「俺はもう授業ないし、そのジャージ、お前が持ってていいぞ」
その言葉に、男子生徒はとても驚いた。
「そ、そんなこと言ってー!俺が借りパクするとか思わないんですか?もう返さないかもしれないですよ!?」
「それはねぇよ」
橘先輩は静かに、でも確かに言った。男子生徒はさらに驚いてすぐに返すことが出来なかった。橘先輩はすぐにいつもの調子に戻し、こう続けた。
「ちゃんと卒業式に返せよ?出来なかったら毎日でも催促のメールしてやる!」
「さすがにそれは拷問ですよ!そんなことかれるならちゃんと返します!」
橘先輩につられるようにいつもの調子で返す。そのあとにまた少し他愛もない話をしてから二人は別れた。男子生徒の手には、返すはずだった橘先輩のジャージがあった。
そうして迎えた卒業式の日。男子生徒の手には、自身のジャージと同じ匂いのする、橘先輩のジャージがあった。式は滞りなく順調に進んでいたが、違和感が男子生徒にはあった。その違和感に気づいたのは、卒業証書授与式のときだった。橘先輩は壇上に上がらず、名前が呼ばれただけだった。
式が終わり、男子生徒は橘先輩と仲の良い、速水先輩を探す。
「どうして先輩はいないんですか!?」
息を切らしながらようやく見つけた速水先輩に詰め寄る。速水先輩は心底驚いた様子で言った。
「え、お前、橘から聞いてねぇの…?あいつ、県外に受かったせいで卒業式出られなかったんだよ」
「県外って…卒業式に出られないって、いつから分かってたんですか…?」
「確か…三週間前くらいから…だったと思うけど…」
「三週間前…?」
三週間前といえば、橘先輩が男子生徒にジャージを貸した最後の日だった。そう考えついた時、不意に男子生徒の携帯が鳴る。橘先輩からメールが届いたことを知らせる音だった。
橘先輩はメールで謝ってばかりだった。卒業式に出られるかどうか、はっきりとは分かっていなかったみたいだけど、ほぼ出られないだろうことはわかっていたらしい。県外に行く自分のことを忘れないで欲しかったなど、いろんなことが書いてあった。最後に、橘先輩が今まで絶対に行ってくれなかった言葉を書いていた。“お前は可愛い後輩だよ”と。
メールを読んだ男子生徒は、普段のうるささを微塵も感じさせないくらい、静かに涙を流した。
それから数年、男子生徒は社会人になっている。この日はある人と、卒業した学校で待ち合わせをしていた。卒業式の日から毎日のようにメールのやり取りを続け、今日会うことになっていた。後ろから足音が聞こえ、男子生徒だった人は振り返る。
「先輩!ジャージ、ありがとうございました!!」