木工屋の妻
「こんにちは、パン下さい。」
「はーい、いらっしゃい。さえこさん今日は冷えるねぇ。」
「そうそう、もう自転車こいでて寒いのなんの。」
「本当ねぇ。すっかりそんな季節だよねぇ。」
パン屋の主人は、片手がない。奥さんと共に店を切り盛りしている。
「また造ったの?」
「そうそう、今度のイベント用にね。小屋を改造したんだ。」
パン屋の良蔵さんが答えた。
良蔵さんは奥さんと二人で店を切り盛りしている。
二人には子供が二人いる。
生活は困難だが、マルシェで成型を立てているようだ。
彼は右手が不十分にもかかわらずマルシェに出店するための小屋などを一人でせっせとつくっているのである。
「よくやるねぇ、良蔵さんも。感心するよ。」
「ありがとう。」
良蔵は、色黒の素敵な笑顔でそう答えた。
「寒いから作業に気を付けてねぇ。じゃ、また来ます。」
いつもは長居をするのだが、今日はなんとなくそう答えて店を出た。
よく行くパン屋は、私たちの希望の星である。
なぜなら、私たちは凸凹夫婦だからだ。私は躁鬱病。旦那は重度鬱。
それでもなんとかかんとか生きている。
「ああ、お腹空いたなぁ。」
早くパンを食べたい私は、自転車のペダルを踏む力を強くした。
「ただいまぁ。」
夫は二階に居るようだ。ネットでもしているのだろう。
すたすたと階段を上がると案の定ご執心だった。
「パン買ってきたよ。」
寒さで唇の色が変色した私は、夫に話しかけた。
10月から12月末そして年始にかけて、私は寝込んでいた。
完全なる植物人間化をしていたのである。症状として、いわゆる過眠、ようは寝すぎである。
ご飯とトイレ以外は、寝たっきりだった。
その間夫は、自分の体調がすぐれないにもかかわらず、家事をこなしてくれていた。
1月の半ば頃、私はふっと浮上した。今までの鬱が嘘のように。そうすると今度は、旦那の鬱が悪化した。
そろそろご飯時か、私は立ち上がって台所に向かった。
トントントントン。静かな空間に包丁の音だけが響き渡っている。
久々、料理を作る私は料理の楽しさを噛みしめていた。あれだけきらいだった料理なのに。
私は、決して料理が上手な方ではない。むしろ、料理のセンスは全くない。
だからダシつゆをフル活用している。
コトコトという鍋を見ながら私は料理の楽しさに浸っていた。と、同時に
「私は夫を信じている。彼は強い人間だと。」
そんなことをぼんやりと考えていた。
なぜなら、彼の人生は、まるでドラマのように波乱万丈だからだ。
よく今まで自殺をしてこなかったと首をかしげるほどだ。
彼を哀れに思う反面、ネタの宝庫だなぁと思う。
しかしながら彼の人生の話は私の心の内に留めている。
なぜかわからないが、不思議なのだが私は終始、彼を客観的にみている。
悪く行っちゃあ、他人事のようにとらえているのかもしれない。
家族なのだけれども、この感情は不思議でならない。
月日がそうさせたのか、どうなのか。気づけば、夫のことを客観的にとらえていた。
おそらく、諦めの境地に至ったのかもしれない。
そんな私たちが住む家の前には、バス通りが通っていて、民家のほかに周辺にぽつぽつとお店が並ぶ。
住んでいる人の多くは比較的老人で、のどかな田舎町である。
しかしながら、セレクトショップ、カフェ、雑貨屋がある隠れた所なのだ。
おしゃべりなセレクトショップの店長、色っぽいカフェのオーナー、不器用そうな雑貨屋の店長。個性豊かなメンツが揃っている。彼らがいるので生活に飽きはこない。
そういう我が家は、木工屋である。
夫は前の会社を脱サラして木工屋を始めた。それが、2年前の春のことであった。
軌道に乗るも何も、まだまだこれからどうしていこうかと思考錯誤の矢先、夫の鬱が悪化した。
最初は、腹立たしくもあった。お先真っ暗だなぁと私は混乱した。
しかし、月日が経つごとにその感情も消えていった。
時間は偉大だ。そうつくづく思う。
日常の小さな幸せ探しを今は楽しんでいる。
みんなそれぞれ属している世界があって、それぞれに生きている。
この世の中は、様々な生き方であふれている。
こう生きねばならないという形はないのだ。私はそう思う。
その人が苦労も含めて幸せかどうかは、他人にはわからないことだ。
日常の中に、小さな幸せを。そう思うのである。
「さてと、行動するか。」
妻はひっしだった。
夫の作品を一つでもお店に置いて欲しい。その願いが行動を突き動かしていた。
「この木のミニカーを置いてくれませんか?」
内心はらはら、そしてドキドキしながら頼んだ。
「いいよ。」
あっさりと、あっけなく答えが返ってきた。
妻はほっとした。とてもほっとしたのだった。
思いのほか店主はすぐにミニカーを展示してくれた。
店主がミニカーを置いてお客に声をかけた。
「こちらの方のご主人が木工をされてるんですよ。よかったら。」
そう店主がいってくれた。
「へぇー!」
お客が興味をしめした。
そして、すぐさま子供に手渡した。
妻は意外だった。
子供が手にもって離さないのだ。
うれしさとおどろきで妻の胸がいっぱいになった。