2-1 「覚悟の対峙」
◆
This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 2
『It runs on ground to go to the heaven』
The first story
'Confrontation of preparedness'
◆
人は強力な力を欲すると同時に、とても畏れる。
自分の考えに及ばないもの。
そぐわないもの。
そんなものを特に畏れる。
◆
「なあ、俺達はきっと裁かれるぞ……。」
黒煙にまみれた天を見上げながら、リジャンは言った。
「裁かれる……って…何にだ?」
呆けた顔をして、訊くバーグ。
「さあな。
俺にもわからん。」
「はあ?」
腰を折り曲げ、間抜けな声で問いかける彼に対し、リジャンは厚い唇を歪めた。
小便のように臭い、どろどろした汗で服を重くして、体中は泥だらけ。
血と脂肪にまみれた それぞれの武器を手に、目の前を動くものは小さな蟻であろうと必ず殺す。
そういう毎日を繰り返していたら、もう思考もままならないのは当然だった。
…戦場にいる者は皆、そんな人間。
そして、そんな人間達が敵でもあり、味方でもあった。
大陸史上最大級の戦争、『アルドの叛乱』の終焉。
その時代、誰もがまともな考えなんて持ち合わせていなかったろう。
そのような状況下の中で『わずかな疑問』を持てたリジャンという人間は貴重な存在だったのかもしれない。
「だが……神か…何か。
この世に何か強い影響を与えることが出来るものが存在するというのなら…この所業を
黙って見過ごすものかよ。」
視線をゆっくりと地に下ろす彼。
全てが焼け落ち、焦土と化した一帯。
戦争を終わらせた…空を支配した飛翔艦という名の暴君は、あらゆる生物も緑も建築物も全て灰にした。
「人間は……お互いを殺し合い過ぎた。」
樹液が焦げた臭気でまともな息も出来ない中で。
彼は呟いた。
◆
「なあ、俺達はきっと裁かれるぞ……。」
◆
◆ ◆ ◆
エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
・
第二章
天へ往くため地を駆けて
・
第一話 『覚悟の対峙』
◆ ◆ ◆
1
◆ ◆
◆
◆
昔もこんな風に、戦場を駆け抜けていた。
緑一色になる、流れる視界。
頭部に当たる、大粒の水滴。
突然のスコール。
踏み込んだ、泥と化した地面が深く沈む。
◆
茂みの中。
見上げれば、空の真ん中へと集中して伸びた木々。
木漏れ日すら届かない鬱蒼とした青の雰囲気は、人の感覚を全く寄せ付けない。
―――変わるはずもない、目の前の光景に思わず頭を垂らす。
一体、何分たったろうか。
否、それは数時間だったかもしれないし、あるいはまだ数秒かもしれなかった。
感覚は薄れ。
疲労感が一気に押し寄せる。
再び目線を前へ戻すと。
友の機体の残骸は、まだ地中に潜ったまま立っていた。
思考はそこで無理矢理、止まって。
時間だけがむなしく過ぎ去っていった……。
◆
「―――よぅはあ!!」
突然、たとえようの無い歓喜の大声が響く。
鳥でも獣の声でもない。
かろうじて人の言葉と認識できる声。
手近な岩に腰掛けて身を休ませていた戒は、反射的にその声の方へと顔を向けた。
身を汚した泥を洗い流すには丁度いいと、半分投げやりの気持ちで雨をそのまま浴びていた彼。
体温は奪われ、息は自然と白くなる。
「ずいぶんと悪運が強えじゃねえか!
お前等も!!」
大きな葉の隙間から見え隠れする長身。
足取り軽い人影は近付くにつれ、バーグになった。
「見てくれよ!
墜落したってのに、俺もかすり傷だぜ!!」
袖を捲り上げて、擦れて赤く腫れあがった自分の太い上腕を見せて笑う彼。
「いや……おまえらの方が…ひどいな。
…よく生きてたもんだ。」
苦笑しながら、地にほぼ垂直に突き刺さった戦闘騎の背を軽く叩く。
「…リジャンはどうした?」
笑顔のまま、泳いだ戒の視線の先を追う。
そこには少し距離を置いて、短い草が群生した茂みで小さく膝を抱える世羅。
向かい側に座る彼女は、バーグの脇、戦闘騎の下部をずっと凝視していた。
勿論、バーグ自身もずっと前から分かっていた。
それでも決して見ないのは、認めたくないため。
眼球だけ動かして確認する、地中に半分埋まった戦闘機の操縦席部分。
胸の高鳴り。
胃袋から喉への隆起。
―――きっと、やはり。
彼はまだ『そこ』にいるのだ。
目線を戻す。
「……最期に何か言ったか……あいつ。」
バーグは胸ポケットから、震える指で煙草を出した。
「……ああ。
あのオッサン……死ぬ間際まで、俺様達を慰めやがった…」
バーグが事情を察したことを理解すると、戒は顔を上げて答える。
その言葉にバーグは口に微笑を浮かべ、煙草を口にくわえた。
「…俺には……何か言ってたか?」
「……何も。」
「そうか。」
短く切られた言葉。
一転して目線を伏せるバーグ。
「?」
戒は怪訝そうにその様子を眺めた。
「………戦場じゃ当たり前のことだ。」
バーグは、そんな彼を気にすることも無く独り言を呟き、携帯用のマッチを擦る。
「…あいつは人が良すぎた。
いつ死んでもおかしくねえって、前々から思っていた…。
おどろくものかよ。」
水滴だらけの顔で、戒は漠然と同じような顔をしたバーグの様子をうかがった。
湿ったマッチに火が灯ることは無く、何度も擦り直している。
そんな彼の様子はじれったくもあり、哀れにも見えた。
「悲しんでも、なんにも始まりゃしねえな。」
やがてバーグは頭の水滴を振り払い、煙草をあきらめた。
スコールは足元に大きな水溜りをもたらしていた。
雨音と蛙の鳴き声。
同時に、濡れた草葉をいくつも潰す音。
遠くの木々の隙間から現れる、一筋の切れ目がある緑色の光沢を持つ球体。
その脇から生えた細い足を器用に使って転がりながら、一匹、また一匹と後方の茂みから湧き出て来る。
(―――歯虫かよ……!)
その様子を眺めながら、バーグが深く息をつく。
生きた肉を好む凶獣。
力こそ弱いが、大群であること自体が脅威の厄介なもの。
もはや、この森が人の住める場所でないことは明らかだった。
これ以上この場に留まれば、命が危うい。
「行くぞ。
人外の地で、食料も水も…ロクな装備も無えんだ。
奴等のエサになる前に、せめて人の居るところまで抜ける。」
言うなり、足早に進むバーグ。
「…そんなこと…てめえに言われなくたって………おい!」
戒は脇を通り過ぎる、そんな彼をすぐに呼び止めた。
「なんだ、クソガキ。」
「少しくらい待て!
世羅の準備が……」
戒が力を込めて、彼女の方へ首を向ける。
バーグは冷めた目つきでそれを追ったが、世羅は残骸の前から全く動く気配を見せなかった。
「連れていくんだったら お前が相手しろ。
いつまでもぐずぐずやってる奴なんて…俺は知らん。」
「くっ……」
世羅へ駆け寄り、手を強く引く戒。
だが彼女は何も反応せず、その腰は重く地面から離れない。
思わず彼は、更に力を入れて引いた。
「世羅!!」
そして大声で叫ぶと、細い腕が真っ直ぐ伸び、腰が上がる。
半ば強引に手を引き、乱暴に密林を突き進む。
既にだいぶ離れている先頭のバーグに必死に追いつくため、思わず小走りになった。
軽い体重のはずの世羅の腕は、今は何故か重い。
「…ここで死ぬのが嫌だったら、必死について来い。
俺も自分のことだけで精一杯だ。」
距離を置いて放たれるバーグの言葉も重かった。
「わかったぜ……そういうことかよ。
この野郎……!!」
二人の方へ振り向くこともしないで前進する彼に対して、戒が歯を剥く。
「きっと、あの野郎……。
リジャンが自分に何も言い残さなかったことを嫉妬してやがるんだ。」
世羅の手を引きながら、前方をさっさと進むバーグの姿を睨む。
だが、彼は重要なことにすぐに気が付いた。
「……おい、ヒゲ!
剣を一本かせ!!」
一旦、世羅から手を離し、自分の全身をまさぐりながら戒は叫んだ。
「だめだ。」
今頃丸腰であることに気付いたのか。
そう言わんばかりの冷めた顔つきでバーグが答えた。
「もう剣は二本しかねえんだ。
空賊の飛翔艦に突撃した時とは違う。
……素人に任せられる剣はもう無い。」
「……てめえ……!!
素手で、この森を歩けってのか!!」
「たとえ武器があっても、素人のお前が満足に戦えるのか?」
戒に向けられるバーグの指。
その問いに、彼は何も答えられなかった。
「お前は戦おうなんて考えるな。
素人が剣を握っても、もう気休めになる状況じゃない。
これからの戦闘は、俺が全て引き受ける。
この方法が全員生き残る確率が一番高い。
……理解しろ。」
「てめえが生き残りてえだけだろ!
万が一の時……俺様達を見捨てても大丈夫なように!!」
「……!!」
その言葉に、バーグも思わず足を止めた。
「…てめ…ッ…!!」
いつもの調子で応戦しようとするバーグだったが、急に口をわずかに動かした直後、噤む。
気配を感じ、素早く両脇に目配せすると、やはりそこでは草むらが動いていた。
濡れた草を掻き分けて、先程とは別の歯虫達が寄って来る。
外殻は緑と黄の光沢。
人間の赤ん坊が這っているくらい大きい。
バーグは歩調を早めた。
「それよりも……、ちゃんと連れて来い。」
そして一瞬、沈んだ世羅の姿を見て、すぐに無愛想に前を向く。
戒には、急ぐバーグの背が嫌に遠く感じた。
「おまえも疲れてるだろう。
世羅にも自分で歩かせろ。」
「……うるせえ……!!」
バーグの物言いに、憤慨を続ける戒は息を切らせながら、強引にバーグの脇に追いつく。
「クソガキ。
てめえは、今までに仲間や知り合いの死体を見たことがあるか?」
「……あるさ。」
戒が深くついた白い息が、中空でさらに大きく広がった。
「なるほどな…。
どおりで、立ち直りも早いわけだ。」
「何が言いてえんだ。」
戒の言葉に、バーグは立ち止まって世羅を見る。
「世羅。
お前、親しい人を亡くすのは……初めてだな?」
「………。」
世羅は何も答えずに、下を向いたまま。
だが、その態度だけで充分だった。
「その程度の『覚悟』で賊の飛翔艦に乗り込んだのか?
しかも敵を殺しても、仲間が死ぬのはイヤだってか?
……世界はそんなに甘くねえぞ。
死は誰にだって……平等に訪れる。」
「…やめろ、この野郎……!!」
再び喧嘩腰になる戒。
それをいなすように、バーグは前へ向き直ると再び歩き出した。
「ガキ共。
俺は、てめえらの1000倍はそれを経験してるんだ。」
無機質な言葉とともに、歩きながら剣を抜く。
いつの間にか正面から迫っていた虫の大群に、戒が言葉を失った。
「見てみろ。
人間、一歩危険に足を踏み入れれば、死なんてすぐそばにある。
それを認められないというのなら……初めから戦うな。」
両脇、背後。
球体の上半分が開き、びっしりと口内に生えた小さな牙を見せる。
それを細かく素早く噛み合わせ、醸し出す威嚇の音―――。
虫達の、硬い、反響する音に囲まれる中。
世羅が戒の腕を振り解く。
真っ赤に腫れた目。
結んだ口。
「………戦う…」
そんな彼女が小さく呟いた。
両手を虫達へ向け、手の平を開く。
「《源・衝》………!」
唱えた刹那、世羅の身体はぬかるんだ地に崩れ落ちた。
届かない、戒の伸ばした手。
膝を折り、座り込んだまま痛みに震える腕を自分で抱きしめる彼女。
鈍痛が身体全体を支配していた。
遠くで、バーグが怒号と共に、虫達に突撃するのが見える。
戒が寄り添ってくれるのも見える。
だが……。
普段 源法術を唱える時に現れる、空気中の粒子……『源』(フェルー)は全く見えなかった。
◆ ◆
外から見た、絵に描いたような豪邸。
その外観どおりの優雅な邸内。
世に広く知られる、サイア商会。
そのゴーベ支社の一室に、二人は軍服姿で居た。
小奇麗で狭い応接室で手持ち無沙汰になり、そわそわと落ち着かない素振りを見せているのは、艦長のペッポ。
そして、心持ちは傍らのフィンデルとて全く同じだったが、そんな彼の様子を見ていると、
自分まで情けない心境で臨むわけにはいかない。
コツ、と乾いた音が響く。
何の音か、疑問に感じつつ振り向くと、その男は居た。
昨晩訪問した二人の相手をし、今日は玄関から二人を案内してくれたメイド姿の魔導人形。
それを脇に連れ、サイア商会 会長『リ・オン=サイア』は姿を見せたのだった。
20代後半だろうか。
思ったよりも若い風貌と、女性的な顔立ちに驚く二人。
灰色の頭髪は丁寧に伸ばされ、前髪には針金のような細い装飾具が巻き付いている。
そして、緑のなめし皮の服に身を包み、その長い袖の先には金のボタンが三つ。
「さて……」
二人を迂回し、テーブルを挟んだ椅子に着座すると、リ・オンは二人を真っ直ぐに見詰めてから
両の手にした手袋を合わせ、ぎゅ、と音を鳴らした。
「お待たせいたしました。
用件を聞きましょう。」
既に、歴戦の商談を思わせる鋭い視線。
その彼が微笑むと、白い顔の右目下のほくろが印象的に見える。
―――資産家の協力を求めること。
それは仕事の都合上で『彼』が、偶然ゴーベに居るというのを不時着した現場付近の地元民から
聞いての、フィンデルの発想だった。
だが、彼女自身が思いついたことながら、いざ本人を目の前にすると会話を交わす以前に
既に圧力に押し潰されそうになってしまう。
「…私は中王都市軍、フィンデル=ハーディ中尉です。」
「同じく、ぺ…ぺぺ…ペッポ大尉……だ。」
意を決して、切り出す二人。
「…本日はリ・オン=サイア氏に、あるお願いをしに参りました。」
フィンデルは、お願いと言うにはあまりにも厚かましいことを十二分に噛みしめながら、口を開いた。
「それは……こちらで飛翔艦の武装を我々に分けていただきたいということです。」
「それは突然ですな。
しかも飛翔艦の要り様とは。
…具体的な説明をいただきましょうか。」
言葉とは裏腹に動ぜず、冷静な物腰を全く崩さないリ・オン。
「戦闘騎を数機。
そして、飛翔艦用の弾薬。
……出来れば、飛翔艦の装甲、及び機関部の修復も…」
「違う。」
そこで、リ・オンは短い言葉で制した。
「先立つものがあるか、ということですよ。」
「……それを兼ねてのご相談です。」
相手のはっきりした物言いに、フィンデルの声が萎む。
「成程。
資金は無い……と。」
リ・オンは見透かしていたかのように笑い、ゆっくりと机の上で手を組んで彼女の瞳を見詰めた。
「我々は、鉄鋼等の輸送の途中で……今、本国へ帰還する途中なのです。
予定が崩れたうえ、トラブルがありまして…。
現状のままでの航行は非常に困難であり……」
彼の凍てつくような視線に、若干 仰け反りながらフィンデルは続ける。
「補給艦には、輸送する物資を買うための、最低限の金以外は積まない規則になってます。
……航行ギリギリの範囲の資金しか持たされない、そういうことです。
なので、予定外の状況には…」
「傲慢な。
それは自国の艦が攻撃されないとの自負か。」
「!!」
彼の静かな早口に、フィンデルは言葉を失った。
「判るよ。
あれは、攻撃を受けた傷だ。
……そう深くはないがね。」
指先で額を触わりながら、独り言のように呟くリ・オン。
思った以上に洞察が鋭く。
もはや隠すことや誤魔化すことは、逆の効果をもたらすに違いない。
「この付近の空域で…炎団セルゲドニに襲撃されました。
もしかしたら、山を越える前に再び襲撃を受けるかもしれません。
その為の『備え』をいただきたいのです。」
決断したフィンデルは、慌てるペッポを尻目に、せきを切ったように本音の言葉を発する。
「ここは中立地帯なので…軍艦を直す設備も無く、金も無いので装備も買えない。
なるほど、八方ふさがりだ。」
独り言で頷き、含みのある笑いを浮かべるリ・オン。
「しかし、これは中王都市軍が負けを認め、民間の一介の商人に頭を下げに来た……ということ。
これは中々愉快ですな。」
屈辱的とも取れる言葉に、ペッポは歯軋りした。
「…わかりました。」
だが、直後。
はっきりと発した彼のその一言に、フィンデルとペッポは驚きで目を見開いた。
湧き上がる期待。
「では、こちらの秘書に、すぐにそちらの積荷を確認させましょう。」
そう言い、扉付近に直立不動で構える魔導人形に目配せするリ・オン。
「積荷の……確認?」
喜びも束の間、二人は困惑する。
「ええ。
それらの価値を調べてから、それと『交換』で 見合った装備を配給させていただきます。」
「バカな!!」
ペッポはすかさず叫んだ。
「本国へ輸送する品物を奪うだって!?
それじゃあ、空賊と何ら変わらないじゃないか!!」
「人聞きの悪い。」
涼しい顔で返すリ・オン。
「これは『取り引き』でしょう?
ならば、代価は当然です。」
両手を合わせ、姿勢を前傾の姿勢をとるリ・オン。
重圧が少し増した。
「私は商人でね。
断じて慈善家ではない。
こちらも…生活がかかっているのですよ。」
「輸送品を持たずに帰還すれば、どのような理由でも、軍法会議で極刑に処されます!!」
フィンデルが叫ぶ。
その言葉で、逆にペッポが震えた。
「……知らんよ。」
そこで、リ・オンの目つきが厳しく変わる。
「履き違えてもらっては困るな。」
それまでの紳士的な言葉は一瞬にして潜み。
「商人にとって、商品は『命』だ。
それを何の引き換えも無しによこせという、それが今の君達だ。
軍という権力を傘にして、一介の商人を脅迫しようとする。
そちらの方がもっと賊的な行為だ、違うかね?」
「…代金ならば、我々が中王都市に到着のした後、速やかにお支払いできます!!
貴方ほどの資産家なら、この程度の出資…問題など無いのではありませんか?」
「それは…信頼があればこその話だ。
初対面の君等に、私がそこまでする『義理』は無い。」
筋の通るフィンデルの言葉にも、リ・オンは不敵な笑いを浮かべて一蹴する。
それはまるで、言葉の応酬を楽しむかのよう。
必死に食い下がろうしつつも、彼女にはそれが若干ひっかかった。
「……たとえば聞こう。
君達、軍人にとっての『命』とは何だ?」
不意の質問。
気をとられていたフィンデルはすぐに言葉を返せない。
「え……と…。」
さらにペッポが先に一言発したので、彼女は余計にタイミングを逃してしまった。
「もちろん、国と民さ。」
あからさまに言葉を選んだ答えに、即座に首を横に振るリ・オン。
フィンデルも思わず、肩を落とした。
「綺麗ごとなんぞ聞きたくも無い…これは簡単なことだぞ…それは…」
「軍事力です。」
そんな彼を真っ直ぐ見詰めて、フィンデルは答えた。
「そう!
そうだな!」
その答えに、リ・オンは満足そうな顔で叫んだ。
「君は、そこの坊やよりも全然キレるようだ!
ならば分かるだろう!!
その命……赤の他人に貸せと言われて、貸せるかね!?」
瞬時の興奮。
白い顔を紅潮させて、少年のように身を乗り出してフィンデルに近付いて訊く。
「…非常に難しいと思います。
しかし、時と場合によっては……」
「ああ……その日和見は いけない。」
途端、リ・オンは残念そうに呟いて顔を背けた。
それまでの激情が、夜の波のように静かに引いていく。
その視線の奥。
窓を通して、そこには雄大な岩山と青い空を背景に、のどかな昼の草原が広がっていた。
「時も場合も、どんな賢人でさえ読み間違えることがある。
だからこそ自分の『命』と取引き出来るのは……相手との『同等の見返り』のみなのだ。」
「……。」
「そこに感情を入れてはならない。
そのようなものを入れる余地を作れば、すぐに足元をすくわれる。
これが世の中だ。」
彼の早口に、フィンデルは一層 黙りこんだ。
「まあ……『義理』を通すことは、その唯一の例外ではあるが…」
濁すリ・オン。
「…とにかく、商人たる私にとっての『命』とは『商品』。
繰り返すが―――君達は、その『命』をただで差し出せと平気な顔をして言っているのだよ。」
暫しの間。
「理解したかね?」
反論が無いことを確認した後、彼は人を小馬鹿にしたように再び肩をすくめた。
彼の言葉による畳み掛けに、既にフィンデルは何も言えなくなっていた。
だが、後退するばかりの彼女に対し、意外にもペッポがリ・オンに向かって一歩踏み出す。
「……今まで隠していたけどな、僕は中王都市軍の副司令官の息子だぞ。」
「?」
急に語気を強めたペッポの言葉に、リ・オンは眉をひそめた。
「僕が中王都市へ帰れば、いくらだって金を払える。
我が家の資産から個人的に金を出したっていい。
…だから、早く商品を売れよ。」
「わからん奴だな、君も。
『命』の後払いなど、認めない。
今の話……聞いていたのかね。」
「……おまえ!!」
ペッポがリ・オンに詰め寄る。
その行為で、フィンデルの顔が蒼ざめた。
「いけません、艦長!!」
「中王都市軍に逆らったらどうなると思ってるんだ!
おまえみたいな商人風情、簡単に潰せるんだぞ!!
パパの力なら―――」
そこでペッポの言葉は止まった。
静かに、流れるような動きで彼の口を止めたのはリ・オンの『手』。
奇妙に細く変形し、彼の口内に入った『手』だった。
ペッポが何かを言おうとするが、口の中から大きく一杯に広がった顎は一寸とて動かない。
直後、恐ろしい力で持ち上がった彼の軽い身は反転し、弧を描いて机上に背から叩きつけられる。
「『誰が』……『誰を』潰すって?」
軋む机。
ペッポの口の中に手を突っ込んだまま、彼の上から言葉を落とすリ・オン。
「私が一代で築いたサイア商会は、決して権力には屈さぬ。」
口内の膨張は増し、段々と息が苦しくなる。
「…小僧。
もう一度、この私に脅迫めいた口を利いてみろ。
神の息子だろうが、誰の息子だろうが……地獄に叩き堕とすぞ。」
「……うぐ……ぐ……ぐぅ……。」
あまりに急な、そして非情なその行為に、ペッポは口内に彼の手を入れたまま涙を流して
声にならない声で助けを懇願する。
そして、彼が恐怖のあまり失禁していたのを確認すると、リ・オンは手袋をしぼませて彼の口から引き抜いた。
「……いい手袋だろう?
『億』の金がかかっている。」
リ・オンが手袋をフィンデルにかざす。
「錬金術で生成した特殊繊維で編み込んだ、護身用の手袋だ。」
その手袋で机上の鉄の文鎮を軽々と放り、中空で握りつぶす。
いびつな形になった文鎮は机に即時に叩きつけられ、威嚇的な大音を室内に轟かせた。
「大陸中を巡る自由商人というのは大変危険でね。
私は安全の為なら金に糸目はつけん。」
机に重なったまま、腰を抜かし、床にだらしなく膝を落とすペッポ。
それを蔑んだ瞳で見下したまま、リ・オンは再び椅子に腰掛けた。
「エンゼルエンデルハイム。
…新しいズボンをお持ちしろ。
そして、丁重に屋敷の出口までお二人をお送りしてやれ。」
そして椅子を回転させて背を向き、腕を高く上げて指を鳴らす。
「せいぜい、良き旅を。」
そのままの姿勢で、発せられる言葉。
フィンデルは立ち尽くしたまま、彼の背を見詰めていた。
外の景色を眺めながら、足を組むリ・オン。
―――金に糸目をつけない。
先ほどの言動とは裏腹な。
フィンデルの目に付いたのは、彼の左足首から生えた汚い棒きれ。
それは彼女の頭に、嫌にこびりついた。
▼▼
▼
次へ
◆ ◆
2
◆ ◆
「……というわけで、交渉決裂だ。
くそっ……いまいましい…。
たかが一介の商人の分際で……!!」
ペッポはブリッジで一通りの状況を報告してから、両の拳を悔しさで震わせた。
一同はそれぞれの椅子に座り黙って聴いていたが、ほとんどの集中は、彼の軍服にそぐわない
ズボンに注がれていた。
腿の部分が妙に膨らんでいて、細身のペッポに全く似合わない。
オレンジとグリーンの格子模様の生地も、どこか間抜けな印象さえ与える。
「……くそ、もういい!」
ペッポはやがてそう言い残すと、ふてくされて扉を開けた。
「艦長、どちらへ?」
彼の傍らで、唯一 立ったまま話を聞いていたフィンデルが訊く。
「今日は疲れた。 もう寝る!」
「……これからの予定はいかがしましょう?」
「う〜〜〜〜……」
前傾姿勢のまま、ペッポは猫のように唸り。
「僕にわかるもんか!!」
ブリッジの扉を勢いよく閉めて出て行った。
「……なんだ、あいつ。
それより…あのズボンはどうしたんだ?」
眉間にしわを寄せて、口をとがらせるリード。
「まあ……色々あって…」
フィンデルは誤魔化すように苦笑して答える。
一介の商人に、自分達の艦長が死にも等しい屈辱を味あわされたなどと誰が言えよう。
「……副長。
動力室の片付け、終わらせておいたっす。」
機を見計らって、タモンが言った。
「……嫌な仕事を押し付けて ごめんなさいね…。」
重い口調で言うフィンデル。
タモンは首を左右に振って応える。
「いえ。
あと簡単っすけど、全員の埋葬も…」
「……ありがとう。」
眼前にそびえるゴーベ山脈に、不時着をしたのは朝一番。
そして思い出す、機関室の惨状。
まず動力の確認に向かうと、そこで働く小人達は皆、心臓を一刺しで殺されていた。
それは無感情で能率的な殺し方で、明らかに『慣れ』が感じられた。
さらに、肝心の源炉への工作被害は軽微ではあったが、ルベランセにそれを修理できる専門家が
居ないことが痛かった。
「ヂチャードの野郎!!」
リードは一旦冷めかけていた怒りを再び爆発させ、机を強く叩く。
朝から何度も繰り返す、彼の行為を横目で見るフィンデル。
「あいつが……スパイだったなんてよ!!」
勿論、それの確証はない。
艦内異常の発生直後の、彼の失踪。
そして同じタイミングに機関室で目撃された、彼の変装と思われる見知らぬ男。
…そして一連の工作。
それらを総合しての一つの結論に過ぎない。
戒達が機関室前で見た男がヂチャードだとするのなら、機関室で凶行に及んだのも
恐らく彼と見て間違いない。
複数の工作員が、長い期間この狭い艦内で潜んでいられることは非常に考えにくいからである。
だが彼が元々どこの組織に所属し、何が目的なのか。
それは全く不明だった。
彼が空賊のスパイだったとは、どうしても思えなかった。
確かにヂチャードはこの任務の直前に配属された新参者だが、それにしても一回の襲撃作戦にしては
前準備が過ぎる。
どんなにずさんな体制だとしても、偽造の経歴で潜入できるほど中王都市軍の管理は甘くない。
―――考えられるのは他国の機関か、軍の深い部分に関係出来る組織だろう。
「メイ……おまえ、本当に何もされなかったろうな?」
横の席でキャンディーを頬張るメイに、リードは何度も訊いた。
「…うん、何もされなかったの。」
膝で、背を丸めて呑気に寝息を立てている梅の背を撫でながら、彼女もまた呑気に答えて頷いた。
「ケーキと紅茶食べてたら、眠くなっちゃったの。
……ヂチャードはもう戻ってこないの?」
「だぁぁぁぁ…から、裏切られたんだよ、バカ!!」
まだ事態を飲み込んでいないのだろう、そんなメイに様子に、リードがわめく。
その様子に驚いて目覚めた梅は、メイの膝から飛び起き、床を走ってそそくさとブリッジから出て行った。
彼女の飲んだ紅茶の中に、睡眠薬を盛られたことは明白。
ルベランセの統括念通士たるメイを失うことが、戦略上大きな意味を担っていることを考えれば、
有力な作戦だったが、フィンデルにとってはそれも解せなかった。
想像もしたくないが。
単純にルベランセの戦力を削るなら、彼女を殺した方が圧倒的に早い。
それどころか、その気になれば、彼がブリッジ全員の寝首を一斉にかくことも可能だったはずである。
解せない……そんな部分が多くあった。
フィンデルは何気なく、メイの顔を見る。
精神的に幼い彼女には勿論、このことはブリッジの誰にだって相談は出来そうになかった。
皆、自分の心中を整理するので精一杯であり、嫌な出来事からは顔を背けたい。
ことの重大さを抱えるのは、責任ある地位の自分だけで充分なのだ。
あいかわらずキョトンとした目で返すメイの肩を抱き、フィンデルは優しく微笑んだ。
ヂチャードの行為は、凶行でありながら、何か理性を感じさせる。
リードにしてみれば面白くないかもしれないが。
それこそおかしな感想なのだが。
フィンデルはいまだに、ヂチャードからは怨恨や敵意を感じていない。
そんな甘い自分に、また嫌気がさした。
「…雲行きが怪しそうっすねぇ…」
そんな中、タモンが呟いた。
「補給も整備もままならなかったら、これからどうすれば…」
「大丈夫よ。」
フィンデルの一言に、タモンは心配顔を向ける。
「……私が…なんとかするから…元気出して行きましょ。」
彼女は無理に笑って言った。
「今夜また、サイア商会に掛け合ってみる。
それに、ちょうど…待つ時間が欲しかったもの……。」
フィンデルは大きな窓に寄り、空の夕闇を見詰めた。
彼女は、仲間の帰還を信じていた。
◆ ◆
「《源…」
術の発動を促す神語を口にする間も、どこか違和を感じる世羅。
周囲の『源』の抽出が依然として無い。
だがそれでも構わずに、付近の大木に狙いを定める。
「《衝》……!!」
叫ぶと同時。
脱力と激痛で身体が落ち込み、うずくまる。
そんな世羅の肩に、戒は触れた。
今にも泣きそうな表情で、彼女はムキになって同じことを何度も繰り返す。
「もうやめろ、世羅。」
転がった虫の死骸を避けるように大岩の上で腰掛け、剣を肩に乗せて煙草を吹かしながら
バーグが一言声をかける。
それを皮切りに、世羅が地に尻をついて頭を垂らした。
「確か…凶獣除けの結界には、高濃度の源を使っていた。
凶獣は源を嫌い、源が無いところにしか棲まない。」
戒はバーグへ近付いて、静かな声で言った。
「源法術ってのは詳しくねえが……つまり、ここには源がねえってことか。」
結界を張るのは、教会の仕事だった。
修道士である戒の説明に納得するバーグ。
「…術が使えない……。
世羅の戦力が無くなるのは…痛えな。」
「…てめえ……さっきから世羅が足手まといだと言いたげな態度ばかりとりやがって!!」
「なんで、そう歪めて解釈しやがる。」
―――土が蹴られる音。
戒がその方向へ首を勢いよく曲げると、世羅は既に走り出していた。
「ヒゲ!
てめえの声がでかいから!!」
「馬鹿言え。
でかいのはお前の声だ。」
言い争いもそこそこに、戒がすぐに追いかける。
凶獣との戦いで疲れきっていたバーグは、ゆっくりとした歩みでそれに続いた。
だが、疲労は世羅が一番なのだろう。
ふらついた彼女の足に、戒はすぐに追いつく。
「ごめん…ごめんね……。
ボクが…ボクがこんなことをしなければ…!」
開口一番、顔を背けたまま涙混じりに言う世羅。
「やめろ。」
すぐ後ろで、戒が頭を振る。
「だって…戒は中王都市へ 絶対に行かなきゃならなかったんだ!
夢を…叶えるために……!!」
「……おまえの判断は…間違ってねえよ……。」
困難な状況下で、自分ですら忘れていたことを世羅に突きつけられ、戒は戸惑った。
「……ボクのこと恨んでるよね……二人とも。」
「おまえ!!
ヒゲはともかく……俺様が…そんな小さい男だと思ってるのか!?」
無理に笑いながら叫ぶ。
(俺が……あの時、何故世羅を追ったかって!?)
しかし、そこで表情を止める彼。
(何故……だ…?)
自然と世羅の肩からは手が離れ、一歩後退する。
(何故、俺は……!?)
(思い出せない……。)
(別に……あいつを守る必要なんて無いのに……。)
なぜか、何かの義務のようなものを感じていた。
(あの時 飛び出さなければ、俺は今頃 安全なところに居て……。)
(中王都市に行くのだって…楽に……)
(おい……俺は一体、何考えてる?
この程度の逆境くらいで……弱気になって……)
戒は足を止めて、全身を強張らせた。
(世羅は俺の目的の『鍵』だ……。
神呪ってものが何なのか、あいつの身体が秘密を握ってるんだ……。
あいつを守っても……損はねえはずだ……。)
(後悔とか……考えるな!!)
そんな葛藤のうち、再び離れていく世羅は目の前の木々の中に消えてゆく。
今、追わなければ、本当に見失うかもしれない。
「―――なあ、戒。」
気が付くと、背後には考え顔で歩いて来るバーグがいた。
こんな事態にもかかわらず、彼は言葉をゆっくりと発する。
「人はよ……自分の能力以上のものをしようとすると失敗するんじゃねえか?」
「…急に…何を言ってやがる?」
「いくら、この世が危険にあふれているなんて言ってもよ、普通に生活していりゃあ、
そうそう死ぬことなんてねえだろう。」
周囲を見回して言う。
「だから…人が自分の力量を超えたことをやっちまった時…。
うまくいかなかったり、死んだりするんだ。
何か…不思議な力に裁かれるようによ…。」
「ヒゲ、てめえ!!」
バーグに詰め寄る戒。
「てめえまで…こうなったのはリジャンや…世羅が、悪かったと言いてえのか!?」
「そうは言ってねえ。 だがよ…」
「あの時、あいつらが飛び出さなかったら…堕ちていたのはルベランセだったかもしれねえだろうが!
どのみち、俺様達も出るしかなかったんだ…。
その方が…きっとマシだったはずだ。」
「マシだと?
仲間が一人死んでるんだ。 この状況をマシだと言うのか?
俺は…もっと良い手があったんじゃねえのか、そう思っただけだ…」
「結果論で過去を後悔するんじゃねえよ!!」
戒の絶叫に、思わず上下の顎を噛みしめるバーグ。
「…無理な話だ。
お前は…人生を全く後悔しないとでも言うのか?」
そうして小さく口を動かすバーグの冷めた表情に、戒はどこか彼から倦怠めいたものを感じた。
「ああ、後悔なんてしねえ。
俺様は……俺様の通る道を絶対の自信で走り続ける。」
バーグから離れ、つま先の向きを変える。
「はじめっから、左右どちらを向いて寝るのかを決めて眠る奴がいるか!?
……この世に生まれようとして生まれてくる奴がいるのかッ!?」
前を駆ける戒。
彼の言葉にバーグは、つい歩を止めた。
「先のことなんて…誰にもわからねえよ…!!」
狭まる木々の枝を両手で乱暴に掻き分け、世羅への道を作る彼。
跳ねた一つの枝が頬を捉え、小さな痛みが走った。
神学校を出てからというもの。
広い世界を体験した。
この世では、自分の分からないことの方が遥かに多い。
そんなことは すぐに理解できた。
(だから……)
いつもその場しのぎの前向きな考えを強要して。
それでも常にぐらついて。
―――それでも矢継ぎばやに繰り出される広大な世界からの問いを、自分の狭い世界の中から答えるしかない。
(走り続けるしかねえだろうが!!)
腿が悲鳴を上げても。
足首が折れそうになっても。
構わずに森の中を疾走した。
やがて森の中でも部分的に開けた所に抜け出ると、戒は一度足を止める。
その先には木々ではなく、植物の長く太い蔓が縦横無尽に覆い広がっていたのだ。
それは互いに編み込み、作りだしたトンネル。
その天井には、先に遭遇した巨大な虫達が逆さまになってびっしりと集まっていた。
それらは寄り添い合い、乾いた音を立てながら、こちらを襲うでもなくただ不気味に密集している。
戒は地面に小さく潰れた足跡らしきものが中へ向かっているのを発見すると、すぐに一歩を踏み出した。
同時に、足元の枯葉や枯れ枝の堆積からは、温かな空気の立ち昇りを感じる。
それは甘い香り。
天井の虫達は、それに誘われているのが解った。
陽の光がわずかに木漏れ出たトンネル。
その光で自分の身体に細かな陰影を作りつつ、戒は慎重に中を進んだ。
時々、頭上の様子をうかがう。
獲物を目の前にしても、なぜか虫達は動こうとしなかった。
こうなると、視界に全くその姿が見えない世羅のことも心配になってくる。
「おい……っ!!」
乾いた音と声。
ようやく追いついたバーグが、背後から叫びかけている。
戒が振り返った瞬間。
盛り上がる、その足元。
「―――あぶねえ!!」
手を差し伸ばすバーグの姿。
だが、それもむなしく、戒は一瞬にして飛び上がった土と枯れ葉に飲み込まれた。
地中から飛び出たのは、筒状をした巨大な植物。
戒を飲み込んだその口の蓋の部分が閉まるのを確認するが早いか、バーグは剣を抜いた。
「くっ……!!」
そして植物の下部にうっすらとした二人分の影を確かめると、腹の中心に狙いをさだめ、
迷うことなく横に薙ぐ。
断たれた箇所から汁液を振りまきながら、地に落ちる植物の下部の溜まり。
バーグは思い切り刃を振るい、分厚い皮を切断し、さらにその勢いで、襲い掛かってくる
蔓を振り払って刻んだ。
「…戒! 世羅!!」
バーグは空いた手で落ちた溜まりから二人を引き出す。
「う……ご…ほ……!」
粘着する液体にまみれ、地に転がる二人。
「……逃げろ!!」
「……く……!」
バーグの言うとおりに、戒が態勢を整えて世羅を起こそうとする。
だが、彼よりも飲み込まれてから時間が経っていたせいか、彼女は気を失ったまま目覚めない。
そこで、彼等が弱るのを待ってたかのように、ぶら下がっていた虫達が一匹ずつ飛び立った。
甲殻から薄い羽を出し、空気を裂く音を立て、その全てが中空でホバリングしたまま三人を囲む。
この半日、あまりにも体力を消耗し過ぎた。
戒と世羅の二人は、もう一歩も動けなかった。
バーグが剣を振るい、一匹の虫を潰す。
返す刃で、もう一匹。
だが、続けざまに早いスピードで襲い掛かってくる大群には、すでに限界の刃は届かなかった。
その時、蔓の天井が突然裂け。
重量のある物体が降り注いだ。
たちこめる獣臭。
舞い上がった木の葉の中を、光る瞳。
その者は、前垂れの長い東洋の着物をまとい。
白き長槍を背に差す者。
―――顔は黒い豹。
「……危険な『巣』だ。
これは、壊さねば。」
その豹は短く言葉を放ち、虫達の前に立ちふさがる。
横顔の奥の目が、三人を一瞬だけ見た。
紺色の着物が翻り。
手にした白い槍が垂直に、土に勢いよく突き刺さる。
そしてすぐに先の地中から再び現れた槍の先端が遠くの一匹の虫を貫くと、槍は中心から何又にも分かれて伸び、
周囲の他の虫達にも襲い掛かる。
前方の敵の全てを弾いた後、次の目標を三人の背後に忍び寄る虫達にすぐに合わせる男。
態勢低く屈み、地面にコンパスの如く弧を素早く描き、竜巻のような槍さばきで全てをなぎ払う。
その蛇のようにうねる細い槍は、不思議と三人を正確にかわしていった―――
◆
黒光りした豹頭。
大きく開いた着物の胸元は、普通の人間の肌。
そんな見慣れない彼の外見に、バーグと世羅は思わず見入ってしまっていた。
「戒=セバンシュルドではないか。
どうした。」
不意に自分の名を呼ばれた戒。
彼はそれまで、気が抜けたままただ呆然としていた。
「どうした、と聞いている。
もう別地へと、着いているころかと思っていたぞ。」
「あ……ああ。」
事態が飲み込めないのか、うわのそらで答える戒。
「…不笑人……だと?」
バーグが思わず大剣を握る手を上げようとするが、その重みで切っ先を地面に落としまった。
「まさか……戒、おまえ…知り合いなのか?」
獣の頭をした男に平然と話しかけられる戒。
その奇妙な光景に対し、バーグは訊く。
「……そうか…。
ここは……ヒエラー森林帯……。
猪族の…村の近くか……。」
だが彼の質問には答えず、目の前の獣人を視界に入れて周囲を見回しながら呟く戒。
「全然…気付かなかったぜ…しかし…なんて…偶然だ…。」
その再会は喜ばしいことだったが。
その豹頭の言葉は、この地から装甲馬車で自治港へ帰り、中王都市を目指していた自分が
後戻りしてしまったことを意味していた。
「びっくりしたぞ。
何か煙が出ていたので、様子を見に来たら、そこにフ族の乗り物が堕ちていた。
そして凶獣の巣に、戒、お前がいるではないか。」
「『そこ』……だと……!?」
彼が指差した方向に見える残骸。
たまらず、戒はその場にへたり込んだ。
さらにあろうことか。
半日歩きどおし、深い森の中を巡り巡った挙句の果てに。
三人は元の場所へと戻って来てしまっていたのだ。
◆ ◆
「どう、直りそう?」
機関室のドアに背をもたれながら、フィンデルは声をかけた。
「専門外ですよぅ、副長……。」
ミーサは源炉に向かい、中腰で作業をしたまま頼りない返事を返す。
ルベランセの心臓―――すなわち源炉。
フィンデルはそれを、単なる飛翔艦の一部品とばかり思っていて、それまで全く気に留めておらず。
一旦不具合が生じれば、これほどまでに手間がかかる代物だとは思ってもいなかった。
「これって……やっぱり貴重なものなのかしら?
たとえば…交換はきかないの?」
そして素朴な疑問を口にする。
「……さあ?
私が造ったわけじゃないんで……わかりません。」
昼夜を通した作業で疲弊しきった首を傾げて答えるミーサ。
「でも…やるだけやってみます。
働いていた方が、余計な心配を考えなくていいし。」
両手に工具を持ち、彼女は腕を広げて笑った。
「そうね。」
一歩ずつ寄って、微笑むフィンデル。
そこで冷たい源炉に触れながら、一つの疑問にぶつかる。
あの時 強奪された輸送騎。
それでヂチャードが脱出したのは想像に易かった。
同時に源炉と戦闘騎への工作も行い、ルベランセの戦闘能力をダウンさせる。
加えてメイに睡眠薬を用い、指揮系統へのダメージも与えたのだ。
全てが入念な計算。
―――だが、一番重要な情報。
ルベランセを奪取しても、艦内には貴重な品は一切無いということ。
彼が賊の一味だったのなら、それを仲間に知らせる機会が航行中にいくらでもあったはずである。
一つ貴重品があるとすれば世羅が持ち込んだ依頼品の刀だが、刀の一振りなどそれこそ盗むだけで済む。
フィンデルは、物言わぬ源炉を見詰めた。
空賊……炎団セルゲドニ。
明らかに、彼らは飛翔艦を無傷で手に入れようとしていた。
もしかして自分は、彼等が『賊』であるということにこだわりすぎて、見落としている部分が
あるのではないだろうか。
賊の襲撃は単なる手段であり、その裏に巨大な『謀』があるとしたら。
そして、ヂチャードはそれに関係があるとするならば。
…その標的になったルベランセにも、きっと何か秘密があるに違いなかった。
「ところで、こんな夜更けにどこへ行くんですか?」
表情を強張らせるフィンデルに、ミーサは言った。
「え?」
フィンデルはそこで思考を止めて答える。
「なんで…出かけるって分かるの?」
「だって……こんなに遅いのに、ファンデーション落としてないじゃないですか。
それって…まだ寝ないってことですよね?」
ミーサの言葉に、フィンデルは照れる。
「やっぱ、女の子ね。
ふふ…ブリッジの人達ね、そういうこと、誰も気付かないのよ。
参っちゃうわ。」
言いながら、長い髪を指ですく。
「大丈夫…心配しないで。
ちょっとした用事で出かけるだけだから。
もし、誰かに聞かれたら……そう伝えておいて。」
フィンデルはそう言い残し、機関室を後にする。
少しリラックス出来たこと。
彼女はそれをミーサに感謝した。
◆ ◆
目の前に置かれた異族の食物。
客人用だが、人間社会から見れば大層粗末な家屋で三人は身体を休めていた。
不笑人は主に、普通の人間の暮らしから大きく離れた、奥深い自然の中で暮らしている。
それは凶獣が生息する所であろうが、お構いなしのバイタリティだった。
辺境に住む彼等の主食は、勿論 凶獣や虫類。
空腹でありながらも、戒は眼前の異形の料理の数々に思わず顔を歪める。
見れば、横に座ったバーグも手が全く伸びていない。
世羅の方は旺盛な食欲で食べるかと思いきや、依然 元気の無いまま俯いているだけだった。
「つまり……クソガキは、数日前までこの場所で仕事をしてたってことか。」
バーグは胡坐をかいた膝に手を置きながら言う。
「ああ、ここの族長の命を助けてやった。」
少し自慢げに返す戒。
「だが、ひとつ話を合わせろ。」
「あン?」
だが、真顔で自分を見詰める彼に、バーグは座ったまま体を少し近付けた。
尻に敷いた、藁が音を立てる。
「俺様は、この村では『名医』ってことになっている。」
「はあ?」
「不笑人の連中に、天命人の能力なんて理解できるか!?」
「……なるほどな。」
バーグは顎に指を付けて頷いた。
「それは分かるが……ずいぶんな商売じゃねえか。
修道士さんよ。」
「やかましい。」
戒がにらむ。
「やり方はどうあれ、とにかくここでは、俺様の顔が効く。
なにせ族長の命の恩人だからな。
そこらへん、感謝しろよ。
これは おまえらも、俺様に命を救われたも同然だからな。」
「恩着せがましい…そんな態度が男を下げるんだよ。」
バーグが苦笑する。
「しかし、一応は…歓迎されているようだが……。
…俺は不笑人ってのは、どーも信用できなくてな。
あいつらは皆、野蛮だし…」
手にした薄汚れたカップ内の、水の汚れ具合を確かめながら彼は呟いた。
「フ族、それは誤解だ。」
簾を開け、家屋に入ってくる豹頭の男。
「我々は野蛮ではない。
それに、フ族ほどずるがしこくないし、大陸を我が物顔で暮らしてない。」
「いいや。不笑人は野蛮の代名詞だね。
戦地では、お前たちに食われた仲間が何人いたことか。」
すぐに立ち上がったバーグが、豹の顔とにらみ合って応戦した。
「おまえ……肉は食べないのか。」
「…これだから不笑人ってのはよ。」
ストレートすぎる言葉に、憮然として自分の頭をこするバーグ。
「……フ族…?」
両手でカップを持って、世羅が小さな声で訊いた。
「こいつらは、そうやって俺達を『弱い者』として差別してやがるんだ。」
すぐさま、バーグが答えた。
「それも誤解だ。
…『普通』だから、『フ族』だ。」
無表情のまま返す黒豹の頭。
「……冗談を言える不笑人がいるとはな。」
複雑な表情で、バーグは歯を見せる。
「いや……そもそも…大陸語を喋る蛮族っても珍しいか。」
直後、彼は訂正した。
「申し遅れた。
自分の名は、ザナナ。
各地で仲間達の、用心棒をしてる。」
そこで礼儀正しく、頭を下げる豹頭の男。
「もともと腕っぷしが強い不笑人に、そんなもん必要ねえだろう。」
「自分達も、お前たちと同じ人間。
とても弱いもの。
ましてや、危険なところに住んでいるのだから。」
「…へいへい。」
バーグはあさっての方を向いて返事をする。
彼自身、戦時中に不笑人を相手にして幾多もの戦闘の経験をした。
彼等は人間に対して友好でも敵対もしていない。
それゆえ、交渉も相手の『腹具合』ときている。
風習も思考も、無数にあるそれぞれの部族によって異なり、複雑で理解もしがたい。
それこそ『普通』の人間にとっては、もっとも付き合いにくい相手であった。
「………。」
そんな中、ザナナは黙って両の手のひらで自分の即頭部を挟む。
「!?」
彼の行動に注視していた三人は次の瞬間、言葉を失った。
ザナナはそのまま、自分の被る豹の皮を脱いだのだ。
耳、鼻唇の凹凸は無い。
髪の毛も何の毛も無い。
皮が薄く白い、そんな異形の顔面。
そして顔全体から眉間に集中する、浮き出た真っ青な血管。
その両脇に付いた、瞼の無い小さくて丸っこい眼球が真っ直ぐ三人を見詰めていた。
「フ族よ……信用しろ。」
口の上の筋肉は退化して動かず、物を噛むために使う下顎しか動かない。
それは決して笑うことの無い、表情の無い種族。
まさしく不笑人だった。
「……被れ。」
バーグは思わず口にした。
彼等の容姿には同一性があり、皆 似た顔をして、その家族でさえ見分けがつかないという。
そして人里離れた場所で暮らす各族には、それぞれ崇拝する『獣』があり。
彼等は、子が生まれたと同時にその崇拝する獣を一匹殺す。
子はその獣の皮を被らされ、獣と一体となる。
そんな獣人が、他人の前で『自分の皮』を脱ぐなんてことはありえなかった。
「信用しろ。
戒、ザナナの友達。
戒の友達は、ザナナの友達も同じ。」
「……ああ、わかったよ。」
流石のバーグも気圧されて自然と応えると、ザナナはようやく、獣の皮を被りなおした。
そんな彼等のやりとりに、戒は思わず笑みをこぼす。
彼はザナナの気骨を気に入っていたが、それよりも、生まれた時から何かしらの運命のようなものを
背負わされた彼等……不笑人に、どこか共感が持てた。
そういった意味では、この村で過ごした数日、決して居心地が悪くなかったのを思い出す。
戒には時に疑問に感じられた。
大聖典にも記される、不笑人。
彼等は神を信仰しなかった罪として、笑うことを禁止された存在。
凶獣も含め、普通の人間と違う『もの』には大抵、そんな逸話がある。
まるで、『普通の人間』と呼ばれる種族が さも一番偉そうな生き物であるかのような。
故に、蛮族と呼ばれ、虐げられた者達が引き起こしたというアルドの叛乱とは、世に広まった
クレイン教に……一握りの人間の傲慢に対する叛旗だったのだ、と彼は思っている。
聖書の教えは、やはり自分達の世界を基準にして善し悪しを考えているのだ。
個人ならまだしも。
全ての人間に同じ考えを要求するのは、あまりにも暴力的に思えた。
同じ人間でありながら、姿や風習が違うというだけで、差別や迫害を受け、長い戦争で
傷付いた、蛮族と呼ばれる者達。
『彼等は自分達と違う』という理由だけで、人間扱いすらされない。
他人から特別な目で見られる気持ち。
戒は天命人として、それが大いに理解できたのだ。
思いに耽る様子のそんな彼を一目見て、ザナナが口を開く。
「戒。
その節は世話になった。
ザナナ、フ族見直したの、実はおまえのおかげ。」
「……まあな。」
当然のように、胸を張る戒。
「クソガキが尊敬されてやがる。
こいつらの価値観、やっぱおかしいぜ。」
バーグは全員に聞こえるよう、わざと大声で世羅に耳打ちした。
「ところで、ここは一体大陸のどこらへんなんだ。
猪族の村だって?
お前は豹族だろ。
それに…誰一人、他の村人が現れないのもおかしいじゃないか。」
ザナナの指示で、村外で待たせられた後この家へ入ると、すでにもてなしの準備は整っていた。
そして猪族の村と聞いて、バーグと世羅の二人は、単純に猪の頭の皮を被った沢山の人間達を
想像していのだ。
「理由あって、村人、今、それぞれの家から出られない。
これ、風習。」
ザナナは簡潔に答えた。
「……俺達は、ゴーベ山脈まで行きたいんだがな。」
細かいことは気に留めず、バーグが続けて訊く。
ザナナは彼の言葉に頷き、疲れきった表情の戒と世羅を交互に見る。
「ザナナ、その道は知らない。
ここから近いのは、港町だけ。」
「…レバーナのことか?
まるきり逆方向じゃねえか。」
バーグは小さく呟いた。
戒と世羅も、もはや落胆の色を隠せない。
「……その山に、何がある?」
そんな空気の中、ザナナが漠然と尋ねた。
「きっとルベランセという……飛翔艦が着いている。
少しくらいは、俺達が帰るのを待っているはずだ。」
「ひしょうかん……?
前に戒が言ってた、空飛ぶ乗り物のことか?」
そこで、ザナナの声の調子が上がる。
「ちゃんと間に合って、乗れたのか。
良かったな、戒。」
そして彼の悪気無い言葉に、戒は片手で頭を抱えた。
「乗れても落とされちゃ、意味が無えんだよ……。」
「なんだ、乗るだけじゃダメなのか。」
「もう、いいぜ。」
うんざりとした顔つきで、カップの水を飲み干す彼。
「……おまえは、食べないのか。」
そこで、バーグのまったく手をつけられていない料理を見ながら、ザナナが目ざとく言った。
「いや……」
バーグが、手を料理の上で行き来させながら口ごもる。
殻を取った、歯虫の姿煮。
泥鬼の輪切りを焼いたもの。
得体の知れない、危険な色したスープ。
彼は最終的に、無難な果実酒の入ったカップを手に取り、胃袋の中へと一気に流し込んで応えた。
それを見届け、ザナナは満足そうに戒に視線を戻す。
「…戒、今から少しつきあえ。」
「…ああ。」
不意に促され、戒は立ち上がった。
だが、バーグは彼等の方を見ようともせず無言で酒をあおっている。
思い出される、密林の中での彼の行動と言動。
戒は、世羅を残して席を立つことを不意に不安に感じた。
「世羅。」
上から声をかけると、小さく座った世羅は戒を仰ぎ見た。
「俺様は……少し出かけてくる。」
「……うん。」
両手で持ったカップに口を触れたまま、静かに頷く世羅。
「ヒゲの様子がさっきから妙だ。
注意しろ。」
戒の言い残した一言に、彼女は目を丸くした。
◆
すっかり陽が落ちた村内。
明かりとなるのは月の光のみ。
目が慣れるまで足元すらおぼつかないが、それでも地上で過ごす夜は、雲の上よりは
断然落ち着けた。
しかし。
今宵はあまりにも静か過ぎた。
「……本当に誰も外へ出てねえな。
前は夜でも賑やかだっただろう?」
再び、村に来て受けた最初の疑問。
それをザナナにぶつける戒。
「今、喪に服してる。」
「……なんだ、誰か死んだのか?」
戒は両手を頭の後ろで組みながら、他人事のように訊いた。
「いいから……ついて来い。」
獣の皮の奥。
静かな瞳で ザナナは言った。
◆
村の離れは、月明かりすら一切届かない高い木々に囲まれていた。
記憶の片隅にある、大きな草葺きの家だった。
懐かしさの余韻に浸る前に、ザナナによってその中へと誘われる。
煙い、香の匂い。
そして果物の甘い香り。
入り混じる空気。
目につく、赤や黒。
さらなる黄色。
原色の、まじない道具のような大布。
それが被せられているのは、床に横たわる土気色した巨大な体だった。
「これは…」
戒はその者を目の当たりしたまま、呟く。
「族長、昨晩、死んだ。」
そんな彼に対し、ザナナは重い口を開いた。
「……なんだと…?」
顔をわずかに、ゆっくりと彼に向ける戒。
「…おまえ…何言ってんだ?
治ったじゃねえか、傷は…あの時、俺様が治したじゃねえか。」
「確かに、戒のおかげで、いったんは回復した。
一時は、色々としゃべることも、できた。」
腕組みをして、淡々と述べるザナナ。
「だが、毒と熱、すでに族長の中、蝕んでた。
もう……生きながらえる体力、無かった。
そして、昨日…」
「…手遅れだったってことかよ。」
急に視界がぐらついた。
思わず、よろめいた足。
後退して、自然と族長の大きな死体から遠ざかる。
「…へっ……」
柱に寄りかかり、一発。
拳を強く打ちつける。
「こんなッ……能力があったってな…!
誰も救うことなんて出来ねえんだ……!!」
二発目で、家屋全体が揺れた。
中央の柱に拳を押し込んだまま、固まる戒。
手の甲の皮が裂け、血が流れる。
ザナナは、静かに彼の腕を取った。
「戒は、悪くない。
おまえは…」
「一瞬助けただけじゃ……何の意味もねえだろうが…」
「それ、違う。」
ザナナの握力がさらに強くなる。
「おまえのおかげで、族長、最期に皆と話せた。
次の族長を決めること。
今まで生きてて楽しかったことへの感謝。
……いっぱい、いっぱい話した。
それ、とても大事。」
「……わからねえよ。」
戒は歯を噛みしめた。
ザナナの言葉でまた思い出す、リジャンの姿。
「すまない。
ザナナ、言葉ヘタ。」
「………ちがう。
そういう意味じゃねえ。」
見当違いの謝りに、逆に苦虫を噛み潰す表情を浮かべる戒。
そしてザナナは手を離して、何も無い床を見詰めた。
「フ族の考え、とても短絡的。」
「…………。」
静かな口調だった。
彼は背に差した白い槍を抜く。
「森でも、見ただろう。
……実は、これは死んだ者の、骨。」
そして、それを前に突き出す。
「祖父の背骨だ。」
戒は黙って、それに見入った。
「我等の魂がこもる骨、生前に愛した者、まもる。
だから、死ぬのなんて何でもない。
むしろ、それは望むところ。
死ねば、いつまでも、好きな者のそばに居て、助けられる。」
だが認めたくない気持ちで、語りを続けるザナナから体を逸らし、戒は家を出るために踵を返した。
「族長も同じ。
明日には、その骨、皆に分けられ、それは皆を守り、皆に愛される。
そこで悲しむ者、我等にはいない。
いつでも一緒、いつまでも一緒だから。」
構わず続けるザナナ。
「手遅れ、違うぞ、戒。」
族長の家から出た戒を追いながら、彼は付け加えた。
「村の者のお前に感謝する気持ち、それだからこそ。」
その言葉に戒はようやく足を止める。
それは、もてなしの料理を見れば判った。
だが戒には、ザナナに答える言葉は何も浮かんでこなかった。
「まずは泉で、汗と泥を流せ。」
「……泉?」
小さく、呟く戒。
「村の中に、湯の出る泉ある。
おまえ、きっと疲れてる。
心と体、そこで癒せ。
それから色々考えろ、何も、遅くはない。」
戒は彼の言葉に促されるまま、短い草むらの道を戻った。
影響を与えられれば、全てそれに傾いてしまいそうな、そんなふらついた心と足取りだった。
◆ ◆
「リ・オンさん!
お願いします!!」
「貴方の融資が無ければ、私の工場は明日の昼にでも倒産してしまう……!!」
「ほんの少し……200万Yほど借していただければ……我々は救われるのです!!」
相手の言いたいことを全て喋らせてから、一段落待つ。
「恥も外聞も無く懇願して……情けないとは思わんのか。」
その後、リ・オンは口を開いた。
「何の苦労もせず、何かを得ようなど、ありえん話だ。」
邸内の廊下。
粗末な服を着た二人組を同時に眺めながら、彼は言った。
「諸君等を助ける義理など無い。
くたばってしまえ。」
吐き捨てるように。
心の奥底から侮蔑するようにリ・オンは続けた。
「くそ……強い者に、弱い者の気持ちがわかるかよ!!」
その行為に一瞬にして怒り、二人の男は声にならない声で散々わめいた後、大きな足音を立てて
廊下を早足で抜けていく。
「―――失礼。
これは、とんだところを。」
一連のやりとりを、距離を置いて傍観していたフィンデルにリ・オンは笑いかけた。
「すみません、またお邪魔して…」
圧されていた彼女がようやく声を洩らすと、リ・オンは首を振った。
「今の連中は……気にしないでくれたまえ。
いつものことだ。」
そう言われると、自然に肩を落とすフィンデル。
今のやりとりを見るだけでも、これからする交渉は難航しそうだった。
「昼間は失礼した。」
だが、予想に反して頭を下げるリ・オン。
「子供の可愛い暴力に対し、殺意で返してしまったこと。
大人げなかったと反省しているよ。」
言葉とは逆に、彼はやはり怖い目をしていた。
フィンデルは、そんな彼の様子に戦慄を感じざるをえない。
「しかし、君が改めて来たということは……根本的な問題を解っていないと見える。」
「?」
「君達、中央都市の軍隊に無償で兵器を提供したとあっては、サイア商会は大陸全土の
国家と商人に一斉に睨まれることになるのだよ。」
彼の言葉は、至極まともな言い分だった。
「……それだけの見返りが…私には無い。」
「しかし…代金の問題ならば、後から払うことが出来れば…」
「後払いなど…信じない。」
昼間と同様の応酬が行われかける。
「私が信じられるのは金のみだ。
それと……『義理』くらいか。」
自嘲するように笑うリ・オン。
「しかし君は頭がいいが、真面目すぎるな。
金稼ぎなど…少し考えれば、方法なんて簡単に見付かる。」
彼の言葉に、フィンデルが一瞬まばたきを見せる。
「この山の街は、なかなか大きい交易場でね。
なんだったら、良い娼館でも紹介するが?」
「……身体を売れと…言うのですか?」
だが突然の言葉に、彼女はすぐに思わず声を荒げた。
「背に腹は変えられまい?
君の艦にいる女性達が三日ほど必死に働けば結構な金になる。
安い戦闘騎の一つなら、買えるくらいにな。」
「……貴方は!!」
全身を駆け巡る激情。
「何なら……私が君を買おうか?
軍人の女性とは幾度となく肌を合わせたが、士官クラスとはまだ無い。
楽しませてもらえれば、それなりに―――」
振り上がるフィンデルの平手。
だが、真上に来たところで動きを止める。
「ふ……まだ、自分を抑えるか。
面白い。」
その様子を冷めた目つきで眺めながら、リ・オンは余裕の表情で片手を机にして頬杖をついた。
「見損ないました……大陸きっての名商人も…鬼畜に過ぎないのですね…。」
上気した顔の表面の温度が鎮まるのを待って、彼女は言った。
「どう捉えてもらっても結構。
信用をして…バカを見るよりはずっといい。」
背を向けるリ・オン。
「平静を装って…可愛らしいものだ。
君の『争い嫌い』には何か おかしささえ感じるよ。」
心を見透かす視線。
「久方ぶりに愉快だ。
そう、君のように理知的な人間の態度と心を崩すのが最近では唯一の喜びだな。
そうだ、退屈しのぎになった代金でも支払おうか。」
リ・オンは札束を懐から出して、床に放る。
「拾いたまえ。
そしてそれで、ウチの武器を買うかね?」
勝ち誇った言葉。
拾ってしまえば、フィンデルの完全な敗北だろう。
だが、仲間のためを思えば。
彼女の神経は、指先を無意識に動かした。
悔しさと羞恥心で、顔が下を向く。
そこで、不意に背後で気配を感じた。
「―――父上。」
凛とした若い声。
「……そのくらいになさいませ。」
濃いクリーム色の皮ツナギを着た、細身の青年が廊下の奥から姿を見せる。
灰色の髪。
黒目がちな瞳は、対面のリ・オンに鋭い視線を向けていた。
「そしてお客人も…やめなさい。
それを取っても、父が貴女に商品を売ることはない。
父は……心底、意地が悪いのだ。」
さらなる青年の言葉で、素早くリ・オンの顔を見るフィンデル。
彼は悔しそうな目つきで、口元を細かく動かしていた。
「余計なことを……若造が口を挟むことではない。
ひっこんでいろ、ジン。」
ジンと呼ばれた若者は瞳を閉じ、肩をすくめた。
「息子さん……ですか?」
「愚息だ。
戦闘騎に乗ることしか覚えようとせん。」
フィンデルの問いに、リ・オンは思わず苦々しい表情で答えていた。
「飛翔艦ハーベルグラン、到着いたしました。
積荷、人員、全て無事です。」
「あたりまえだ。」
ねぎらいの言葉も無く、青年の脇を通り抜けるリ・オン。
青年の方も全く動じず、それが当然とばかりに、淡々と引き上げる。
その間、フィンデルは廊下に立ち尽くしながら、そんな親子の妙を慎重に眺めていた。
▼▼
▼
次へ
◆ ◆
3
◆ ◆
「炎団の失敗につきましては…秘密の保持のため、聖騎士に殲滅させました。」
「……して、ルベランセはどうか。」
「動きは間違いなく捕捉しております。
奴等は現在、ゴーベ山脈の麓に。
被害も甚大につき、すぐに動くことは難しいと思われます。」
「……そちらの追討は…どうしたものか。」
「炎団にも面子がありましょう。
きっと、このままでは終わらせないはず。
我々は深追いせず、後は彼等に任せるのが妥当かと。」
「ふ、む……。」
黒騎士の返答に対し、ガイメイヤは目をつぶり、再び考えに耽った。
「そなたに全て任せよう、ディボレアル。
迅速に聖騎士に追撃させた件も……見事な判断だ。」
中王騎士団 白華所属の飛翔艦ロンセ・カロウド。
そのブリッジで、黒騎士の急な呼び出しに大団長ザイク=ガイメイヤは応えていた。
先の作戦が失敗したこと。
その報告に、作戦の立案者の彼は大層驚いていた。
「いささか、さしでがましいとは思いましたが…」
傍らで、ディボレアルが囁く。
黒い甲冑が鈍い光を見せた。
「気を遣ってくれんでも良い。
歳には勝てん。」
安眠を妨害され、幾分、眠気の残る顔で答えるガイメイヤ。
「分かるだろう?
私の身体は……もう立っているだけで精一杯だ。」
冗談を交えた言葉。
だが言うとおり、彼の疲労は間違いなかった。
長旅で老体に無理がたたっているのだろう。
つい先ほどまで眠っていた彼は、黄金の鎧を纏っている時と比べ、段違いに小さく見える
豪華な厚手のローブに着替えていた。
いかに虚勢を張ろうとも、年齢の誤魔化は効かない。
ディボレアルはそう感じていた。
「…マクスはどうしている。」
「先ほど、帰還いたしました。
今は…休息をとらせております。
このロンセ・カロウドは、これからどういたしましょう?」
「…進路は予定通り、このまま中王都市へ向けよ。」
「御意。」
短く返事をする、黒騎士。
「定例会議が迫ってきておる。
補給艦が一隻帰ってこない軍隊の顔と、その言い訳はさぞかし見ものであろうな…。」
腰を深く椅子に沈ませ、ガイメイヤは深い息と共に言った。
◆ ◆ ◆
いつも同じだった。
闇の中で銀の鎖につながれ、身動きのとれないまま仰向けに寝かされて。
背の高い目に見下ろされる。
いつの頃からだったろうか。
無意味ということを悟り、抵抗しなくなったのは。
その影はいつものように、自分の顔の上に握った拳を据えた。
下あごを強い力で引かれ、開けられた口に注がれる目一杯の銀の粉。
拳から無尽蔵に落とされる粉はやがて、喉の底で一杯になり、あふれ出す。
どんなに苦しくても。
その行為を止めてくれないことを、マクスは知っている。
まるで全身が内から外まで、全てが別のものに変わってしまうような感覚。
そして、マクスは意識を失う瞬間、いつも同じことを思う。
―――ひとおもいに殺される夢の方がまだ幾分もましだ、と。
◆ ◆ ◆
大きな咳の音。
ヂチャードがすぐに向き直ると、ベッドで悶えるマクスの姿があった。
身体を何度も大きくはねさせ、その度にベッドが軋んだ。
「おい…!!」
ヂチャードが血相を変えてマクスに駆け寄る。
彼は上半身を起こし、口元を手で押さえ、目を大きく見開き、しばらく虚空を眺めていた。
「……大丈夫…か?」
背中を軽く支えるヂチャード。
だが、マクスはそれをすぐに片手で引き離した。
「……!!」
その手の冷たさに、ヂチャードは驚く。
そしてマクスは、顔を逸らして再び大きく咳こんだ。
おさえた手の指の間から吹き出る、銀の粒子。
ヂチャードは、マクスのそれを隠すような素振りに気が付くと、彼も背を向けた。
「出撃する時は…一声かけろ。」
背後のマクスの様子が一段落したところで、ヂチャードは改めて声をかける。
「………。」
だが黙したままの彼。
たまらずにヂチャードが振り向くと、そこには半身を起こすも、うな垂れたままのマクスが居た。
少しクセのある銀髪の隙間から、濁った瞳が覗く。
「…まあ……のんびり寝ていた俺にも…責任はあるが。」
思わずヂチャードは目を泳がし、マクスもそこでようやく、彼に対面して口を開いた。
「……ここは…?」
「ロンセ・カロウドに臨時で作った医務室だ。
…ちゃんと自分で帰還しておいて、憶えてないのか?」
「……必死…だった…な。」
マクスはそう言い、苦笑した。
口元を拭い、震える手の平を見詰める。
「ルベランセの戦闘騎を堕としたところまでは……かろうじて…記憶はある。」
「お前が半分気を失って、戻ってきた時は仰天したぜ…。
俺もミシュレイの奴も……。」
ヂチャードは静かに笑った。
「黒華に、救護班はいないんだ。
重いお前をここまで運んで介抱するのは骨だったぜ。」
そこでマクスが、自分の姿に気付く。
銀の大鎧は肩と腰の外装を外され、若干軽微になっていた。
「それは全部脱がすな、ってミシュレイの奴が言いやがったんだ。
俺は楽にしてやりたいと思っていたんだが…」
「……それでいい。
私は…聖騎士なのだから。」
マクスは目を閉じ、静かに腕を組んだ。
「しかし…お前を追い詰めるほどの相手が居たとはな。」
「……相当の武人だった。」
短く言い切ると、マクスは再び横になる。
しばらく何もない天井を見ていたあと、彼はゆっくりと瞳を閉じた。
それを見届け、ヂチャードは静かに退室した。
◆
部屋の前の廊下でヂチャードを待ち構えていたのは、ミシュレイだった。
「……どういうことだ…マクスの身体は一体……?」
一気に彼に詰め寄るヂチャード。
「天命の輪を使った為の一時的な疲労でしょう。
命に別状はありませんよ。」
少年は平然と言った。
「これが戦場で、戦いの真っ最中でしたら確実に死んでますけどね。
まあ…きっちりと帰還してから倒れる、そんな精神力の強さが彼の聖騎士たる所以なんでしょうが。」
無邪気に返し続けるミシュレイの胸倉を、ヂチャードは逆手に掴んだ。
「疲労だけじゃない。
……なんか…変な物を吐いてる。」
「天命の輪は高位になればなるほど、使用した時の代償は大きいものですよ。」
その剣幕から、目を逸らさずに返す少年。
「……彼のこと…あまり知らないんですね?」
「何だと?」
「貴方はマクスに、それくらいしか信頼されてないんですねぇ。」
哄笑が廊下に響く。
「ただ仕官学校からの付き合いがあるだけで、彼の全てを理解もしていないのに。
おめでたいなぁ…。
それで友達みたいな顔をして。」
ヂチャードは鼻で笑うミシュレイを、軽く突き飛ばした。
「……おまえに…あいつの何がわかる。」
そして腕を大きく広げ、振る。
「天命第二位『銀の聖域』―――」
だが、ミシュレイは顔から位置のずれた眼鏡を直しながら言った。
「一定領域、全ての無機物を『銀』に変換する強力な天命の輪…。
僕達のような低位の天命の輪とは比べらものにならない恐ろしい能力ですよね。」
少年の口から紡ぎ出される、ヂチャードの知らない語句。
「クレイン教皇はじめ、諸国が巻き込まれた聖都観艦式での動乱……。
それは叛乱軍の残党の起こした事件…そして、幾つも消えた敵の飛翔艦……。」
彼は、面前の少年がいともたやすく羅列していく言葉をただ押し黙って聞いていた。
「一体、誰が敵を全滅させたんでしょうね?
いくら敵とはいえ、その艦には何人乗ってたんですか?
普通は出来ませんよねえ。
やはり……自分は天命人…他人とは違う、と割り切らないと。」
「やめろッ!!」
話が核心に及ぶと、いつの間にかヂチャードは叫んでいた。
友の天命の輪の名さえ、今の今まで聞いたことが無かった。
それどころか、友が自分の前で能力を使ったことすら無い。
だが、自分が彼の友人であるという確信。
それは揺らぐことは無い。
二人は信頼し合ってる。
それは間違いないはずだ。
だが、聖都での動乱以来。
後に彼が聖騎士となってから、その認識に少しの『染み』が広がりつつあることは自分自身、理解していた。
その染みが大きくならないように。
ただ祈ることしか出来ない自分がいたのだ。
「知らないでしょう?
存在自体が秘密の黒華の他に、騎士団には更に隠密の情報局が存在していることを。
その彼らが記した、表に出せない記録…そういうのが存在してるんですよ。」
次第に遠ざかっていく少年の姿。
「彼も本当は他人を見下しているんです。
天命人は特別な存在だ、と。
他の凡人など、どうなってもいい、と。」
続けるミシュレイから、ヂチャードは自ら逃げ離れていた。
「敵に『情け』をかけた貴方はきっと、彼の友達にはなれませんよ。」
決定的な一言を付け加え、笑う少年。
「同じ天命人だから 喜怒哀楽を分かち合えるとか、そんな甘いことは考えない方がいいです。
天命人は、生涯孤独……。
天命人同士だからって、お互いの気持ちを共有することなんてきっと出来はしない。」
優麗な飛翔艦内の、白く明るいはずの廊下が暗転した。
「そう、貴方は弱いから、臆病だから……仲間が欲しいだけなんだ―――」
◆ ◆
少年は一人になってから、そこでかすかな笑い声を耳に感じた。
廊下の柱の影。
それと同化した黒い鎧。
「盗み聞きですか?」
「大したことも話していまい。」
柱の際から一歩前へ出て、黒騎士は言った。
「まあ……そうですね。」
ミシュレイも笑う。
「…聖騎士の様子は?」
「今のところ疲労困憊といったところです。
まあ、命に別状はありません。」
「ならば良い。」
それを聞き、すぐ場を離れようとする黒騎士。
「……やだなあ。
もしかして、貴方まで心配なんですか?」
ミシュレイは微笑みながら、黒い背に声をかけると、その足はすぐに止まった。
「当然であろう。
奴は騎士団の重要な『駒』なのだから。」
「僕のマクスを…くれぐれも『捨て駒』にはしないで下さいね。」
満面の笑みの少年の言葉。
黒騎士は何も答えない。
「―――しかし、ディボレアルさん。」
さらに悪戯っぽい笑いを含み、ミシュレイは切り出す。
「今回の大団長の作戦。
一見完璧な作戦ですが、結果的に失敗している。
軍師としての詰めが、少し足りなかったんじゃあないですか?」
「………。」
暫しの沈黙。
「傲慢な者は、己が不足であることを理解させねばならない。」
負の感情と共に、首を少年に向けるディボレアル。
「…適当に失敗してもらわねば、新参者の私が困る。」
あとは仮面の奥の瞳が物語っていた。
「ふふ……どうも貴方とは絶対に友達にはなれそうにありませんよ。」
戦慄を肌に感じながら、ミシュレイは呟いた。
「これより中王都市へ帰還する。
その間、奴の機体の再整備と報告書を作成するように。
下らない話をする以前に、自分の仕事を終わらせろ。」
「了解。
新参者は新参者なりに、……ですね?」
互いに、反対方向へ進む二人。
―――その夜、それからその廊下を歩く者は誰も居なかった。
▼▼
▼
次へ
◆ ◆
4
◆ ◆
横になって見える屋内の光景。
いつの間にか寝てしまっていた。
世羅はそんな態勢のまま、首だけを起こす。
鼻腔をくすぐる、耳のすぐ下からの藁の匂い。
自分の身体に被せられているのは、薄い編み物。
自然の匂いをゆっくりと感じることが出来たのは、久方ぶりの気がした。
この一日、五感の失せるような緊張の中を動いていたのだ。
再び、首から頭全体、そして柔らかい頬が床に沈む。
体中が汗と土でべたついて気持ち悪かったが、動く気力は無かった。
そんな薄い闇の中で―――聴覚が物音を拾う。
目だけ動かして、その方向を見る世羅。
暗がりの中でうごめいているのは、バーグの大きな背中。
不機嫌そうな独り言を呟きながら、彼は舌打ち混じりに食べ物と酒類を物色していた。
バーグに気を許すなという、戒の言葉。
それを思い出し、言い知れぬ不安を覚える。
世羅は藁の編み物で半分顔を隠すと、縮こまりながらそれを傍観した。
やがて、周りをキョロキョロと見回した後、態勢を低くして家屋を出るバーグ。
世羅は軋む身体で飛び起き、音を立てぬよう彼の後を追った。
◆
小道の中、バーグの足取りは早く、距離は瞬く間に差がついてしまった。
それ故、世羅は音に気を付けて適度に走って追う。
が、数分も経たぬうちに、その足を思わず止めた。
息をするのすら忘れ、ただ見る彼女。
それは、蔓草の柵を飛び越えるバーグの姿だった。
彼は誰にも何も告げず、村から出て行ってしまったのだ。
◆ ◆
無心で彼の後をしばらく追った。
時折、木々の間に身を隠し、距離が開きすぎるとまた追いかける。
その連続の中、世羅には絶対に認めたくない事実があった。
……それは、彼が剣を背にしていたこと。
(きっと……バーグは…)
津波のように押し寄せてくる不安は現実に。
(ボクたちが お荷物になったんだ……。)
考えるほど、頬の筋肉が痙攣する。
リジャンを亡くしたことで、果てていた涙が再び溢れ、零れ落ちた。
「………ッ!!」
地面から突き出した木の根が、世羅の足首を取る。
彼女は受け身もとれず、土の上を転がりこんだ。
もう面倒になって、そこで土に顔を付けたまま放心する。
地面を這う小さな虫。
思わず、手元の草を握った。
その時。
密林の少し先から伝わるわずかな振動が、頬を伝って感じた。
わずかに首を持ち上げて見上げる。
―――遠くに戦闘騎の残骸が見えた。
不意に、リジャンに笑われた気がした。
「……ん!!」
両手で踏ん張り、土から体を起こす世羅。
その振動の向こうへ。
自然と足が動いた。
そこは、自分達の戦闘騎の墜落した場所。
目を背けたくなる残骸は、変わらず地に突き刺さっているままだった。
身を隠すのに適した巨木の脇に辿り着くと、世羅は心臓の音が聴こえるくらい、自分の膝と
胸を付けてしゃがみこんだ。
そして研ぎ澄ました視線が一瞬、残骸の脇で剣を振るうバーグの影を捉えた。
◆
それは剣舞のようにも見えた。
バーグの剣は月光の下で、幾つもの煌いた残像を残していく。
戦闘騎の壊れた羽根は綺麗に落とされていき。
焦げた装甲が次々と削られる。
しぶくバーグの汗。
それと共に、金属の破片が飛んだ。
彼が造らんとしているもの。
それが『墓』だということに世羅が気付くのに、そう時間はかからなかった。
やがて、手を止めたバーグは民芸品だろうか、三日月型をした筒を取り出す。
暗がりで良くは見えなかったが、それは植物で編んだもの。
どうやら、先ほど物色していた中にあった物らしい。
彼の一挙一動を見逃しまいと、世羅はまばたきもせずに居た。
筒を手にしたバーグは、中の液体を残骸に向けて振りまく。
それは世羅の位置まで、うっすらとアルコールの匂いを運んだ。
彼女の記憶に残るリジャンは、いつもその匂いだった。
やがて剣を地面に軽く突き刺し、胡坐をかいてどっかりと強く座るバーグ。
続けて筒の残りを少し口に含み、彼は低く唸った。
同じ感覚を味わっていた世羅にはすぐに判った。
彼は泣いている。
◆
どれくらいの時間が経ったろうか。
巨木を背に、バーグと一緒に泣いて、時を数えるのさえ忘れていた。
残骸の前に酒と食べ物を並べていたバーグは、自分ではそれらに一切手をつけていなかった。
そして幾分落ち着いてから、彼は口を開き始めた。
「…遅くなった……悪かったな…リジャン…。」
少し、涙の残る声。
バーグは頭を振り回し、気付けの酒を再びあおる。
「…悪運の強さじゃ……俺に分があったな。
まあ……これからは…ゆっくり休めよ…。」
真っ赤に染めた顔で、戦闘騎を叩く彼。
「…しかしなあ…昔…、あの時…飛翔艦乗りになってお前がやりたかったこと。
それは何だったんだ?
俺はいまだに解らねえよ……。
まさか、お前一人が頑張れば、この世に争いが無くなるなんて夢みてたんじゃ…ねえよなぁ?」
酒は男を無理矢理、饒舌に変え。
「いつまでも…ガキじゃあるまいし……。
随分、夢見た人生送りやがって…」
動きを大袈裟に変えた。
「でもなあ……ガキはガキなりに、素晴らしい部分がある。」
そして、大きく口を開けて、喋り、おどける。
「あの二人は、どんなに苦しくても誰のせいにもしない。
運命のせいとか…神様のせいにだって…しねえんだ。」
両手を一杯に広げ。
潤み、澄んだ瞳。
「あいつらには…強い意志のようなものを感じる。
世羅は真っ直ぐ、懸命に生きて…いい子だ。
戒は憎たらしい野郎だが…絶対の自信で己の道を走る……だと。」
今度は、まるで自分の子供を誉めるかのような。
そんな輝いた瞳で彼は続けた。
「俺もバカだからよ。
そんなバカな奴等を見ていると考えちまうんだ。
俺もそうありたい、協力したいってよ。」
次々と変わる、忙しい顔。
それは元気に満ちあふれた表情から始まり……
「だが、俺は若者に感化される年齢か?
もう歳を食いすぎちまったよ。」
今度は一転して、難しい顔。
「そりゃあ、若い時はがむしゃらだったさ。
戦友を一人でも多く守るってな…。 やっきになってよ…。」
ときに、全てを包み込むような優しい顔をする。
「でも…今の俺は、家族以外を守ることをどこかで拒絶しているんだ。
それをしちまったら、家族を裏切るような気がして…。」
そして、寂しげな顔をしたのは、その時だった。
「だがな……お前や戒にはな…中王都市で娘が待ってるだなんてカッコつけて言ってたけどよ。
……妻が死んだ日。
ギルドからの仕事であいつの死に目に居合わせなかった俺に……とっくに娘は愛想を尽かせてるんだ。」
バーグが、首の細い鎖を握る。
「だからこそ…今さら家族とか言い訳にしたら…。
騎士団に入った娘は、俺を心底 軽蔑するだろう。
それをずっと考えて…ずうっと考えて……。
…さっき結論を出して、決めたんだ。
あの二人を守りたいという感情を……俺はもう絶対に抑えない。」
(………!!)
世羅が顔を上げる。
背にした、太い幹が揺れた。
ハッとして、バーグを見る。
彼は気付いていない。
「だってよ……一緒に生死をかけた戦友じゃねえかよ。
守るのは当たり前じゃねえかよ。
年甲斐もなくて……恥ずかしいけど……。
昔と同じように…」
バーグは大きな身体を折り曲げて、土に両の拳をつけた。
「俺は自分に正直に生きてえんだよ……!!
また後悔するかも……いや、何度でも後悔するかもしれねえが……」
それだけを言うと、バーグはふらりと立ち上がった。
「飲み過ぎちまったなぁ……へへ…。
今日で最後にしねえとなあ……」
緩む口元。
だが息を吸い込み、次に一気に強く吐くことで、酔いを吹き飛ばす。
「これから、何かが二人を裁こうというのなら…。
俺がその裁きを超えて……潰してやるんだからよ。」
剣の柄を強く握り、地から引き抜くバーグ。
「おまえが最期に俺に何も伝えなかったのは……あの時……おまえが賊の飛翔艦で語ってくれたこと……。
それが全てだったんだよな。」
片手でしっかりと握る大剣。
それは下段から上段へ。
「お前の遺言は……届いたんだ。」
空いた親指で己の胸を指すバーグ。
「決して強制しないのはお前らしいが、水臭いぜ…」
踏み込みの足を、土に押し込む。
「…安心しろ、リジャン。
お前の遺志を継ぐとか、恩着せがましいこと…言わねえ。
俺は俺なりにやらせてもらう。」
顎を引き、渾身の構えから繰り出す剣。
「……あばよ!
先に……あの世で待ってろ!!」
斬られた装甲が一枚。
鋭い回転で夜空を旅し、地に沈んだ操縦席に落ちて封をする。
「俺はまだしばらく……この世でがむしゃらだ……!!」
最後に、彼は大声で哭いた。
◆ ◆
骨まで達した、村長の足の深い切り傷。
患部は既に腐り始めていた。
針のような硬い全身の毛の間から、並々と油汗を垂らし悶える族長の顔を見れば。
家の中に居た、まじない師だか祈祷師だか分からない連中が『さじ』を投げたのも解った。
危険が伴うが…外科的に処方するならば、腐った箇所を削いで薬で治すのだろう。
だが戒にとってはなんてことはない。
普段どおり、簡単な治療だった。
自分の天命の輪を発動し、患部に触れるだけでいい。
子供の頃から不思議だったが。
原理は分からないが。
とにかくそれだけで、治る。
代償として、戒は族長の痛みを受け、思いのほかその痛みはひどく、二日ほど歩けなかった。
そのおかげで予定が崩れ、自治港へ戻る際、だいぶ慌ててしまったことを思い出す。
だが―――
失った生命力や、消耗した体力までは還らない。
それを今回、あらゆる死を通して嫌というくらい思い知らされた。
(これから……どうするか…)
あたたかい泉に肩まで浸かりながら、彼は深く息をついた。
色々なことが頭の中を駆け巡る。
飛翔艦ルベランセ。
港町のこと。
自分の旅の目的。
レティーン神学校。
もう思い出すことも無いだろうと思っていた、族長の死でさえ心にしこりを残す結果となった。
今、自分の浸かる泉。
その中の泡のように、浮かんでは消える記憶。
夜空の中。
一粒の星が流れると、戒は泉の中で思わず立ち上がって見上げた。
リジャン。
彼が最後に伝えたこと。
自分の犠牲になった者を愛する……。
そんなこと、出来るだろうか。
今の自分には、その言葉の意味すら解らない。
そして、世羅。
中王都市の大学へ行くことが困難な今。
彼女の身体について調べることこそが、自分の目的に近いのではないだろうか。
戒は湯を両手ですくうと、顔に浴びせ、洗いこんだ。
瞼の奥まで月の光は届かない。
そんな闇。
(いつから……世羅を守ろうって考えてるんだ…俺は。)
―――自分が本当に救いたいのは、世羅ではない。
それなのに何故 気になるのか。
身に憶えも無く、整理もつかない。
多分、ザナナの言うとおり疲れているのだろう。
今はゆっくりと、旅の疲れを癒すことが先決だと思った。
一度閉じた瞼は、疲労で開かない。
ただずっと、何か得体の知れない夢を見た記憶と感覚が、身体に残っていた。
それは直後には忘れてしまうのだが、不気味な傷を自分の内側に残しているような気がした。
目を閉じれば、闇の奥底から……伸びる小さな腕。
それはまた、自分の意志と心を掴もうというのか。
そんな思惑の中、戒は頭の頂点へ衝撃を受け、身体を深く沈めた。
突然、水中へと押しこまれた彼。
暴れながら小さな泡を掴み、しこたま水を飲んでしまう。
戒は慌てて泉の底へ足を突き、大きくむせかえりながら水上へ飛び上がった。
小さな獣でも乱入してきたのだろうか。
驚き、薄目で泉を眺め回す。
眼前には、汚れたままの服装でどこからか飛び込んできた世羅がいた。
「―――お、おい!!」
声をかける間もなく、彼女が汚れた上着から下着まで一気に脱ぎ捨てると、戒はすぐに反射的に背を向けた。
あまりに突然なことに理解不能。
だが、身体と服を乱暴に泉でゆすぐ彼女の様子は揺れる水面で、背を向けた戒にも容易に想像がつく。
世羅は体中を振って身体全体の汚れを落としながら泉の中を潜り、やがて戒の背中に辿り着いた。
「…ボクは…バカだ……」
そして、すぐに彼女は言った。
咄嗟に離れようとした戒が、その動作を止める。
「あの時、もう戦友だって……言ってたのに…」
「……?」
戒は落ち着きを取り戻し、自分の顔の水滴を拭った。
「…疑ってたんだ……。
きっと……それはボクの心が弱いから…」
「……一体、なんのことだ…世羅。」
少女が息を飲む。
つられて、戒も同じ行為をする。
「…あのね……。
バーグが……ボクたちを守ってくれるって…。」
「あいつが お前にそう言ったのか?」
「ううん。」
世羅は首を振った。
腰に回された彼女の腕に、より強い力が込められる。
「でも……守ってくれるって…」
「…わかった。
お前がそう言うのなら……信じてやるよ。」
「……うん。」
「だから……その…ひっつくなよ…」
ぬくもり。
彼女の身体のライン。
逃げようとする戒だったが、世羅は彼の腰に回した両手をより強く締めた。
やわらかい頬の感触が背中に伝わり、戒もようやく観念する。
黒い紋様の広がった、彼女の左腕。
戒は、その小さな手を静かに握った。
当初の目的―――中王都市の大学で学ぶのは不可能に近い。
ならば、いっそのこと世羅と旅するのも良いかもしれない。
そんな考えが頭を支配した。
「ねえ、戒……」
「…何だ?」
「石鹸持ってない?」
「あるわけねえだろ。
石鹸はおろか、荷物は全部ルベランセの中だ。」
「そうだね……。 そうだった…。
うっかりしてた……。
あは…。」
「やっぱり、お前はバカ…だ。」
腹の底から湧いた笑い声を、戒があげる。
「あははは…。」
世羅も彼の腰に回した手に強く力を込めながら、笑う。
「ふ……」
「はははははは!!」
二人の笑いが、森にこだました。
「…ねえ、必ずルベランセに戻ろうよ!
そして、あきらめずに目指そ……中王都市を。」
だが彼女の突然の言葉に、戒は口を開けたそのままで固まった。
「中王都市に行くんだよ!
戒!!
夢は……かなえなきゃ!!」
「…………!!」
目覚ましのような、強い世羅の言葉。
戒が目を白黒させる。
「ボク……絶対かなえるから……」
うな垂れた世羅の濡れた頭が、背中に当たる。
一瞬、気丈さが戻った彼女から今度は哀しみを。
そして―――熱い雫を感じた。
「………リジャン…」
彼女の言葉。
そして夜空の中、星がまた一つ流れた。
◆ ◆
ゴーベ山脈の夜の大草原は満点の星空だった。
それは、風の感触と草の匂い。
適度に体温を奪う気温。
そこでは自然の雄大さを、さらに身体で感じることが出来る。
状況が状況でなければ、良い休暇になったに違いない。
フィンデルには素直にそう思えた。
そんな美しい光景の中、目に付く巨大な飛翔艦が一隻。
草原に四本の鎖を打ち込み、バランスをとって停泊している。
大きさはルベランセの四倍はあろうか。
実用的でない。
フィンデルはそれを見てすぐに思ったが、大勢の人間によって外へ運び出される沢山の真新しい
戦闘騎を確認して納得した。
あれはルベランセと違い、本格的な輸送目的のみを目的とした飛翔艦なのだろう。
護衛が付くことを前提に、大陸中を行き来するサイア商会のものに違いない。
深夜を押し、大声を上げて積荷を降ろす男達。
そんな喧騒から離れ、草原の真ん中で孤独に戦闘騎を整備する者が居た。
―――それは、邸宅で見たリ・オンの息子。
「……先ほどは、父が大変 失礼な真似を。」
フィンデルが何気なく近寄ると、彼は戦闘騎に触れていたその手を止めて立ち上がった。
「……いえ…こちらこそ…。
我々は元々…無理なお願いをしているのですから……。」
「事情は、エンゼルエンデルハイムに聞きました。
まったく…父も頑固者だ。
中王都市に逆らえば、この空で堂々と商売など出来まい。」
「…はは……。」
フィンデルは疲れきった表情で笑った。
「…貴女は、父の足を見ましたか?」
「……あの傷は……どうされたのです?」
「あれは…父が根っからの商売人であるという証明です。」
「?」
「腐るほどの金を持ちながら、あの部分だけは良い義足にしようとしない。
何故だか、不思議でしょう?」
「…………はい。」
無言で頷くフィンデル。
「あれは『義理』の証明らしいのです。」
「…確か……あの方がその言葉を用いるのを何度か聞きましたが…。」
「父には、ある人物に唯一果たせなかった義理があるそうです。」
再び、己の戦闘騎に手を触れるジン。
「ただ、それが何なのかは……私にも良くは知りません。
そしてそれに関連して、ことあるごとに父は私に言われます。
何故、お前は『女』に生まれてこなかったのだ、と。」
「おんな?」
唐突な語句に、目を丸くするフィンデル。
「父が義理を果たせなかった人物…その方には息子さんがいましてね。
私が女に生まれれば、ぜひともその人の『嫁』にくれてやれただろう、というわけです。」
自分を指差しながら力無く笑うジン。
「……まさか。」
つられて、笑うフィンデル。
「もちろん冗談でしょう。
……半分はね。」
ジンはさらに笑みをこぼしたが、目はそうではなかった。
「でも、半分は本気だったのでしょう。
御覧のとおり、父は偏屈です。
必要が無ければ子供なんて作らない。」
彼はそこまで話し終えると、再び工具を手を取った。
「宜しければ、修理工の人員と戦闘騎の補給は私が都合いたしますが。
ウチの飛翔艦には、腕の良い工夫もいますし、処分を待つ戦闘騎もいくらでもあります。」
「……お気持ち、感謝いたします。」
フィンデルは頭を下げた。
「貴方から話を聞く前だったら……ご好意に甘えたかもしれません。」
「……。
と、おっしゃいますと?」
フィンデルが自分の話に乗らなかったのは、彼にとって意外なことだった。
既に明日へ向け、息子としての特権でルベランセへの物資の手配を頭に思い浮かべていたのである。
「リ・オンさんには…私の知らないことがまだあるみたいです。
その人の全てを理解しないで、結論を出すわけには参りません。」
そしてフィンデルのはっきりとした言葉に、ジンは目を大きく見開いた。
「……また、改めてうかがい直します。」
「明日、昼食でも用意してお待ちしておりますよ。
フィンデルさん。」
そんな彼女の真摯な態度に、彼は微笑んだ。
◆ ◆
「何やってんだよ…、お前ら。」
バーグが呆れ顔で、頭を強く掻きながら言った。
「まったく…後先考えずに行動するんじゃねえよ!」
泉の茂みより、薄着の戒が説教をしながら村の広場に現れる。
「えへへ……」
そして戒の修道着を上から羽織らせてもらい、ずぶ濡れの服を小脇に抱えながら。
彼の説教にも関わらず、笑って来る世羅。
そんな二人の姿は、かなりおかしく見えた。
「とりあえず、服、乾かせ。」
バーグの横のザナナ。
目下の焚き火に目配せしながら、彼は言った。
「何だ、世羅。
また裸じゃねえか。」
バーグは顔をしかめ、乾いた布を世羅に被せてから戒を見る。
「俺様は何もしてねえぞ。
世羅が…勝手に……」
「まあいい。
今、不笑人と話してたんだがな。」
腕組みをするバーグ。
世羅はその傍で屈み、火にあたる。
「やはり、定期馬車でここから自治港に向かうしか道が無いそうだ。」
「…結局……逆戻りかよ…。」
その言葉に、やはり落胆の色を隠せない戒。
「いや、違う。」
だが目を閉じたザナナが、静かに言った。
彼の顔を下から見上げる世羅。
「!?」
驚き、彼を凝視するバーグと戒。
「実は、ここから、おまえたちの目指す、ゴーベという山、行ける。」
「……おい…!
さっき俺に言ってた話と全然違うぞ。」
バーグが詰め寄る。
「ザナナ、気が変わった。」
両腕を組み、頭をわずかに傾けるザナナ。
「おいおい……。」
バーグが、困惑する。
「お前たちを初めて見たとき、ザナナが思ったこと。
それは、腐った肉のような顔をしていたということ。」
ザナナの言葉に、三人黙って耳を傾けた。
「まだ一人でも、そんな顔をしている者が居たら、その道、教えるつもりは無かった。」
彼の丸い瞳が、戒と世羅を交互に見る。
「三人、さっきまでと顔つき、まるで違う。」
片言ながらも、見極めた言葉。
「今は、とっても美味そうだ。」
豹の皮が縦に歪んだ。
三人は複雑な表情で、ザナナの冗談に笑う。
「今なら、この道、教えられる。」
やがて汚い地図を裾の中から取り出し、広げるザナナ。
「今、俺様達のいる位置はどこなんだ。」
戒は地図を覗きこみ、すかさず訊いた。
「ここだ。」
ザナナが指差す。
簡易な地図だったが、彼の指したそのわずか上に山が描かれている。
それは間違いなく、ゴーベ山脈であろう。
「距離は?」
「歩いて、半日。」
「……近いじゃねえか!」
戒は、ザナナが地図をなぞる指先を追いながら声を上げる。
だが、その指が赤い顔料で描かれた不気味な『森』の絵の上を通った時、声を失った。
「……なんかよ…ここは、危険な道なんじゃねえのか?」
そう言った戒の顔を、ザナナは不思議そに見詰める。
「よく、わかったな。
この道、とても危険。」
「だって…明らかになんか変なマークが……。
いや、それよりも早く隠さずに教えろ。」
声を荒げる戒。
「……一体、何がある?」
そんな彼の肩を抑えながら、バーグも興奮気味に訊く。
「とても恐ろしい凶獣。
皆は―――ここを『蠢く森』と呼んでいる。」
ザナナの低い声が夜の森に響いた。
「そこ、そのために、どんな生き物も近付かない。
とても、危険。 そんな場所。」
焚き火にくべた薪が音を立てて割れた。
「だから……何十年と、ここから山への道は、塞がれてるも同じ。
強制はしない。
選ぶのは、おまえらだ。
ひ弱なフ族、そこに行く勇気、あるか?」
「……行く。」
世羅の即答に、戒とバーグも無言で頷いた。
「ならば、ザナナ……案内する。」
「一緒に行ってくれるの?」
世羅が顔を輝かせて言い、ザナナは深く頷く。
「戒。
実は……族長に、死に至る傷 負わせたの、そいつ。」
「……!!」
戒とザナナが視線を交わす。
「族長は、この村で最強の戦士だった。
敵は、強いぞ。」
二人の全身は思わず奮え、強張った。
「実はザナナも、村人達の無念、晴らしたい。」
そして背にした槍をすらりと抜き、斜に構える彼。
「なんだ……。
お前、不笑人にとっては 死は無駄じゃないとか割り切ったフリしてよ……」
「誰だって、死ねば、悲しい。
割り切っても、悲しい。
それは、種族違っても、同じ。」
戒の言葉に、ザナナが答える。
「でも、森は危険。
いつも平静でなければ、自分が死ぬ。
だから、その為。
そしてザナナは……村人の代わりの、刃。
今回は、怒りの刃、になる。」
彼の決意の言葉に、一同は無言になった。
「すまん、ザナナ、言葉ヘタ。
うまく、説明、できない。」
「いや、わかる。」
バーグが別の方向を向きながら、言った。
「案内してくれる間、この村の守りはいいのか。」
戒が訊いた。
「次の族長、すでに決まっている。
皆も落ち着きを取り戻し、ザナナが居なくても、もう平気。
それに……族長の仇とるの、きっと村人の願い。
皆、喜んで送り出してくれる。」
ザナナは指の骨を鳴らし。
「出発は、明日の早朝。
覚悟しろ、フ族。」
そして低い声で言う。
だが。
そんな言葉にも、全く物怖じしない三人が目の前に居た。
顔を背けることなく、自分と同様に決意を固めた三人。
焚き火の炎が大きくなり、それぞれの顔を赤く照らすと。
一瞬、不笑人の獣の顔がありえない笑みを見せたような気がした。
▼▼
▼
第二章
第一話 『覚悟の対峙』
了
▼▼
▼