1-6 「愛すべき犠牲より」
◆
This story is a thing written by RYUU
Air・Fantagista
Chapter 1
『 From the sacrifice which should be loved 』
The sixth story
'From the sacrifice which should be loved'
◆
「既に作戦の変更を余儀なくされている。」
出撃前。
黒騎士は腕を組みながら、早い口調で言った。
深夜の静寂に包まれた廊下は、二人以外は誰も居ない。
「炎団が…敗れたと言われるか?」
部屋のドアを閉めると、マクスは答えた。
「なかなか察しがよろしいな。
まだ、敗れたとまではいかないが……寸前だろう。」
自分を見下ろす黒騎士が腰にさした剣。
それに埋め込まれた念通球がわずかに振動している。
「…にわかには信じられぬ。
この作戦に『穴』は無かった。 あの圧倒的な戦力の差で…」
「『穴』があったとするならば、それは奴等に関しての情報が少な過ぎたことだ。」
黒騎士が言葉でマクスの言葉を遮る。
「貴殿も大団長も、飛翔艦そのものをルベランセの戦力と捉えてはいなかったか?
確かに『あれ』は、一昔前の古い飛翔艦…そして補給部隊に過ぎん。
だが、そのことに気をとられるあまり、『個』の能力を調べることを怠った。
これが敗因であると思われるが、どうか。」
「そして、侮った…と?」
マクスは語気を強めて言った。
「……元々、貴殿は戦略家ではない。
ただ命ぜられたままに動いた者に この作戦の責任は無い。」
返される、笑いを帯びた言葉。
(大団長を愚弄するのか……?)
その先に内包された意味を、何となしに理解するマクス。
「……現在の状況は?」
「賊の艦に直接乗り込んだルベランセの者達は…これを破る。
そしてその艦を使って、先へと進んだ自艦と合流すべく進むだろう。
このまま行けば…いくら巧妙に隠してあるとはいえ、賊共から手がかりを見つけ…」
「裏で糸を引いていた者へと辿り着く可能性がある……と?」
マクスは黒騎士を見詰めた。
いやに詳しく説明的で、未来の予測ともいえる大胆な展開を堂々と口にする。
だが、その表情の無い仮面からは何も読み取れない。
「先ほどは、状況など全く分からないような素振りをしていた割には……今は はっきりと言うものだ。」
「貴殿には、まったく敵わぬな。」
黒騎士は顎を引いた。
「私は念通術におぼえがある。
そして探知にかけての腕は……それこそ、飛翔艦の念通士共の比ではない。」
「……そのようだ。」
無表情で返すマクス。
「この状況を救ってくれるな? 聖騎士殿。」
「私でなくてはいけないか。 親王隊の者よ。」
わずかに沈黙の時が流れた。
「憶えていたか。」
それまでの黒騎士からの距離を置いた声の調子は無くなり、高圧的な声が姿を現わす。
「聖都での観艦式に見たと言ったろう。
あの時のこと、忘れようはずもない。」
「そうだな。
あの時の貴殿の武勲が、聖騎士になるきっかけを作ったともいえる。」
「私だけの力で聖都を救えたと?」
「違うか?」
マクスは見えない視線に、真っ向から臨んだ。
「私はいまだに思っている。
『あの時』……本当に聖都を救ったのは、私ではない。
それは中王都市の飛翔艦隊すべてであり……。
さらに、忘れてならないのは、それを常に指揮していた親王隊隊長。
そしてその傍らに居た…黒い騎士。」
黒騎士は己の仮面の下の部分を指でつまみ、位置を直した。
「いかにも。
私は親王隊……軍師ディボレアル=マシーアンス。
だが……それほど大した働きはしていない。 それは貴殿の妄想だな。」
その言葉に、マクスは思わず詰め寄った。
「何故、表舞台に立とうとしない。
そのおかげで、私は代わりに道化とさせられた。」
「聖騎士の名誉を道化というか!!」
黒騎士は初めて大声で笑った。
「だが、貴殿がそのように言うのならば話は早い。
今後も道化を演じ続ければ良いだけだ。
フフ……大陸全土の平和を願う中王騎士団を救うことは聖騎士の務めぞ。」
そして背を向ける。
「そしてせいぜい……オルゼリア家の名に恥じぬように戦うがよい。」
仮面の奥は笑っているのだろうか。
奮える気持ちを抑えながら、マクスは堪えた。
「貴殿が……ここにいる理由の説明は無いのだな…。
軍隊に粛清された親王隊の残党が、一体何を企んでいる?」
「………。」
「……復讐か?」
「どう思ってもらっても構わぬよ。」
黒い姿がゆっくりと横を向く。
頭部を包む仮面の隙間から襲い掛かる威圧感。
暗い廊下の闇が更に増す。
マクスは突如痺れ始めた右手を抑えた。
荒くなる自分の息。
本能が感ずる拒絶感。
「貴殿が生きてさえいれば……それはいずれ分かる。」
いやに鼻にかかった声。
そして足音と共に 廊下の奥へと消えていく黒い鎧。
マクスはなす術もなく、ただそれを傍観していた。
……その時、聖騎士はまだ気付いていなかった。
黒騎士も自分の左手を、彼と同様に抑えていたことに。
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エア・ファンタジスタ
Air・Fantagista
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第一章
愛すべき犠牲より
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第六話 『愛すべき犠牲より』
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まどろみの中、目をゆっくりと開く。
肌に触れている あたたかい毛布。
「よぉ……。」
長い剣を肩にかけたまま、目の前のバーグが口を開いた。
そして世羅は、彼の膝を枕にして寝ていた自分に気付く。
悪いと思って、慌てて離れようとするがバーグは優しい眼差しでそれを制した。
「…まだ寝てていいぜ。
疲れたろ。子供にしちゃあ、よく働いたからな。」
「……ん…。」
力を抜いて、大きな膝に首を再びもたれかけ、見上げる鋼鉄の天井。
ブリッジは、うっすらと記憶にある、突入時と全くそのまま。
敵の団員達もただ黙ったまま、飛翔艦を動かす任務に付いている。
ブリッジ全体を見渡せる室内の一番奥で、世羅とバーグの二人は陣取って固まっていた。
その少し先で戒とリジャンは、団員達を監視するかのように立つ。
睨みを利かせ、リジャンの方はいつでも撃てるよう、その手に銃を構えていた。
そこでバーグの様子の変化に気付いた戒が、視線を送る。
「お姫様のお目覚めだ。
どうだ、俺と変わるか? クソガキ?」
「……ブチ殺すぞ、ヒゲ。」
世羅を膝に寝かせたままからかうバーグに、戒は疲れた表情で答えた。
「……どこに向かってるの?」
まだ虚ろな顔で世羅が訊く。
「…ゴーベ山脈へ。」
リジャンが低い声で言った。
「そこは…?」
「ルベランセの向かっている場所だ。」
「じゃあ!!」
世羅は急に飛び跳ねるようにして起き、自分にまとわり付いた毛布を投げ払った。
その歓喜の大声に、耳を押さえながら、苦笑する傍らのバーグ。
「ああ、これから合流する。この艦でな。」
「これって確か…」
リジャンに駆け寄り、見上げる世羅。
「ああ、敵さんのだ。
だが頭を押さえた。
そして、団員の全てに投降するよう、ここから命令してある。」
窓の外の甲板を指す。
そこは吸盤によって飛翔艦の外装に吸着した、赤い敵機で びっしりと埋まっていた。
「今は……俺達の艦だ。」
リジャンは目を細め、そこでようやく大きな笑顔を見せたのだった。
◆
「そこに着いたら、我々はどうなる?」
リジャン達の会話を聞いていた団員の一人が言った。
「中王都市の軍隊に歯向かったんだ。
勿論、山を越えて中王都市の軍警察に逮捕してもらう。
不利な裁判は覚悟してもらおう。」
「……。」
「まあ、全員 極刑は免れねえな。」
「………!」
リジャンとバーグの言葉に、絶望の色を浮かべるブリッジの団員達。
「…だが、そうなると、あんたらはここで最後の抵抗を必死にするかもしれん。
そこで交換条件だ。
このまま俺達をおとなしく目的地まで運んでくれ。
そしてその場で武装を解除し、解散してくれればそれ以上は関わらない。
軍に突き出すのも見逃そう。
ただ……最低一人は主犯として中央都市までご同行願うことになるがな。」
両手を開き、肩をすくめるリジャン。
「……恩に着る。
その役目は…私がしよう。」
団員の中の一人が言った。
「わかった。
じゃあ、引き続き、飛翔艦の運転を頼む。
だが妙な真似をしたら…ためらい抜きで撃たせてもらう。そのつもりでいてくれ。」
銃口を向けるリジャン。
その団員はすぐに頷いた。
見事な交渉だった。
数で不利があるだけに、下手に締め上げるよりも、より効果のある条件の提示して安全を確保する。
ブリッジの団員の全てが安堵から肩の力を抜き、殺伐とした雰囲気も若干和やかになった。
「一時はどうなるかと思ったが……」
それを敏感に感じ取った戒は、腰を床に落ち着ける。
「これで一安心だぜ。
だけど追っ手の心配は……無いんだろうな?」
そして顔の汗を拭いながら言った。
「さっき言ったように、ここの連中が妙な素振りを見せたらすぐさま撃つさ。
今のところ、こちらの状況はどこにも報告されていないはずだ。」
リジャンは手近な椅子を選んで、それに座ると答えた。
「だが、気になるんだがよ……。」
続けてバーグが口を開く。
「いくら大陸最大の空賊団だからって、中王都市に喧嘩を売るか?」
「ありえないだろうな…普通なら。」
即答するリジャン。
「だが…完全な勝利が約束されているのなら話は別だ。
相手を完膚なきまでに叩きのめし、誰の仕業か分からないほど完璧に作戦を成功させる。
それが可能ならば……やるさ。
しかもこれ以上無い、おいしい話だ。」
「それが可能になる保証がどこにあるってんだ?」
「情報が掌握されている場合、だ。」
「……!!」
ずるり、とバーグの肩に掛かった剣が落ちる。
「ルベランセの航空ルート、戦力、全てが一切分かっていれば、どのようにも出来る。」
「それっておい……!」
リジャンが淡々と続ける話に、たまらず声を発する戒。
「それはきっと、ルベランセ内部からの機密の漏洩……。
まあ、ここらへんは中王都市で改めて調べるしかあるまい。
証拠になるモノがこの艦にあれば良いんだがな…。」
難しいだろう。
リジャンは思った。
この用意周到な計画は、万が一失敗した時のことも視野に入れているはずである…。
「そして、気になるのはそれだけじゃない。
それほどまでに完璧な作戦なのに、奇妙な点が一つだけある。」
「あン?」
もううんざりといわんばかりの顔をして、バーグは一応聞く素振りを見せる。
「実はルベランセには、賊が欲しがるようなブツなんて積んじゃいない。
今回中王都市へ輸送していたのは、鉄鋼や石炭・木炭などが主。
重い割には大した金にもならない、軍隊以外にとっちゃガラクタだ。
…そこまで情報が洩れていたにも関わらず、肝心な『積荷』の情報が洩れていないのはどういうことだ?」
戒とバーグは黙り込んだ。
「あるいは、積荷以外にルベランセには重要な『何か』があるのか。
……どうも、この襲撃の裏には…別の大きな思惑が絡んでいるような気がしてならねえ。
それが何なのかまでは…分からないがな。」
そこで会話が止まり、静まりかえるブリッジ。
そんな中、不謹慎にも、世羅の腹が大きく鳴った。
「……おまえな!!」
戒が思わず、歯を剥く。
「…だって……おなか…空いたんだもん…」
世羅は頬を膨らませて応戦する。
そんな二人の間に割って入ったのはバーグだった。
「まあ、無理もねえ。
かくいう俺も腹ペコでよ。……なんかメシでも探してくるわ。
腹が減っちゃ、ロクに頭も働かねえしイライラする。
それに…しばらくここを離れるわけにはいかなくなるしな。」
「頼む。」
リジャンの言葉に頷くと彼はすぐにブリッジの扉をくぐった。
極限に近い状況ほど、彼の背中はいつでも頼もしく見えた。
…だがその景色は、すぐにぼやけることになる。
「……おい、オッサン。
あんたも休んだ方がいいんじゃねえか?」
眉間を指でつまんで、顔をしかめるリジャンに対して、戒が言った。
「歳…だな。
兄ちゃん、嬢ちゃん、俺が休む間……くれぐれも寝ないでくれよ?」
「大丈夫。
ボク、さっき寝たから。」
世羅の笑顔に笑顔を返し、リジャンは椅子から離れると、そばに倒れこむように大きな身体を
ブリッジの冷たい床に横たわらせた。
そして、すぐに寝息をたて始めたのだった。
◆ ◆ ◆
「……リジャン! 生きてるか!?」
髪も無精髭も伸び放題。
服も返り血と泥でドス黒く汚れたまま。
そんな野獣のような姿のバーグが、静まりかえった周囲を見渡しながら無防備に叫んだ。
「おう……ここだ。」
ライフルを肩にかけ、汚い帽子を目深にかぶったリジャンが、潜んでいた草むらの中から立ち上がって歯を見せる。
「悪運の強え野郎だ!!」
「てめえもな!」
二人は駆け寄り、歓喜の拳を合わす。
その足元には、つい数時間前までは生きていて、ふざけあっていた味方の兵隊の死体が幾つも転がっていた―――。
16年前。
大陸南部、ヨルドカント熱帯雨林地方の戦況は 全くの膠着状態。
反乱軍も大陸十字軍も 劣悪な自然環境という戦場において、どちらも決め手にかけていた。
追い詰められた反乱軍のとったゲリラ戦法は 大いに十字軍を苦しめていたが、人員において既に圧倒し、
単なる掃討戦と化していた戦争において、官軍たる十字軍が本気でかかればそう長引く戦いではなかった。
しかし、戦争後期の十字軍陣営の中核を担う貴族、騎士、豪族などは既に無駄な損害は
被りたくなく、戦力を出し渋る。
おかげで前線に回されるのは、兵役の給料欲しさに飛びついた民間人・農民の素人。
無論、他の参戦者にはプロの傭兵も数多くいたが、そのような混合軍では余計に戦いにくいものだった。
「戦いが長引きゃ長引くほど稼げる…天国かと思ったがよぉ……。
俺ぁ、一刻も早くここから逃げ出したいぜ。」
バーグは水筒をくわえ、口内を水でゆすぐと、すぐに辺りへ吐き出した。
もう一生涯分の生命を絶ったろうか。
人の油と髪の毛にまみれた愛剣を無造作に捨てる。
「軍と契約してんだ。
敵前逃亡罪で死刑だぞ。」
リジャンが言った。
その言葉で、大の字に寝転ぶバーグ。
背に感じるのは、熱い、ひどい感触の泥。
「かーっ! ここは地獄かーーっ!!」
◆
その日は、特に暑さの厳しい夏の頃だった。
「何だいこりゃあ?」
頭を90度近く上へ。
天を仰ぎながら、リジャンは言った。
高い木々が並ぶ林の中。
その中に隠されるように配備された巨大な鉄の塊。
ラグビーボールに近い形状だが、脇と上下に翼が付いている、初めて見る『それ』は奇妙なモノだった。
「この戦争の『切り札』ですよ。
飛ぶ……そうです。」
「『飛ぶ』!?」
伝令兵の言葉に、素っ頓狂な声をあげるリジャン。
その鈍重な見た目からは思いもつかないその語句は、にわかには信じられない。
「冗談だろう? こんなに大きな鉄の塊だぞ。」
「私だって信じられませんよ。
発明家のやることは いつも良くわかりませんが……。
何でも、源ってのは万能の物質でしょう?
それを動力に利用しているそうで……。」
塗装も装飾も何も無い。
ネジもつなぎ目もそのままな 不細工な物体。
木々の間から洩れる熱い陽の光も、それに反射すればたちまち冷たく見えた。
「試作機は小さな国が開発したらしいのですが、その技術を各国が仕入れ、独自に研究したそうです。
これは源覇国の『レプレ・パトーレ』という名前で……」
リジャンにはもはや、それ以上その伝令兵の言葉は聞こえなかった。
その圧倒的な迫力に飲まれ、魅了された。
これから訪れる地獄など、その時は想像もしていなかった…。
◆
―――『レプレ・パトーレ』
大聖典にて、腐った地を浄化する炎を大陸全土に撒き散らしたといわれる『始まりの神使』の名。
その名を冠した飛翔艦も、それと同様に地をなぎ払い、血風を巻き起こした。
飛翔艦自体に装備された爆弾による爆撃はもちろん、配備された戦闘騎十数機による攻撃により、
密林は潜んでいた反乱軍と共に、ものの数分で全て灰になる。
被害は操縦士自身の操縦ミスにより墜落した戦闘騎一機のみ。
そして戦績は数年分に等しい勝利という結果に、大陸中が目を見張った。
以来、各国の飛翔艦技術は加速度を増し、数ヶ月後には、各戦場に忌まわしい強大な影が多数
天空を闊歩することとになる―――。
草一本、水一滴残らない、枯れた土地。
あれだけ進攻に苦しんだ沼も、数時間前に行われた絨毯爆撃により今では干上がり果てている。
リジャンは、そんな荒野でたたずんでいた。
「50年近く抵抗していた反乱軍の全てが さっき全面降伏したそうだ。
なんかよ…マトモに戦ってるのがバカらしいな。」
バーグが後ろから声をかける。
「ああ……人間のすることじゃあ……ない。」
掴んだ灰混じりの土が、リジャンの手の平で粉になって砕けた。
「戦争屋は…もうやめだ。
俺は故郷に戻る。
戻って……レビ…いや、カミさんと……今度生まれてくる子供と幸せになってみせるぜ…。」
照れくさそうに話すバーグ。
それを見て、リジャンは目を丸くした。
「レビーユと結婚するのか?
おまえら…最近、なんとなく怪しかったが…そういうわけか…この野郎。」
肩を強く叩いて、祝福する。
「よせよ……。」
まんざらでもない顔で返すバーグ。
「……リジャン…これから お前はどうすんだ?」
「俺は…」
言いかけたところで、身なりのみすぼらしい少年が遠くから近付いてくる。
その子が纏っているのは一枚の大きな布きれのみで、彼が反乱軍の民族であることが判った。
「―――!!」
身構え、剣の柄に手をかけるバーグ。
「やめろ。」
リジャンは、それを咄嗟に制した。
目の前の少年は笑顔だったのだ。
「何の用かな、ぼっちゃん?」
近付く少年の目線の高さまで腰を下げて、リジャンは優しく声をかけた。
吹き荒ぶ焦げ臭い風の中。
少年は笑顔のまま無言で頭のターバンを外すと、彼に差し出した。
◆ ◆ ◆
リジャンが目を大きく開く。
そして次に、思い切り瞑った。
そして再び瞼を開くと、はっきりとした視界の向こうに三人が映る。
「ん、お前もこっちで食えよ。」
バーグが目を覚ましたリジャンにいち早く気付き、声をかける。
リジャンは重い腰を上げて伸びをした。
どのくらい寝ていたのか見当もつかないが、三人が囲んでいるパン、チーズ、干し肉の食い散らかし具合から、
かなりの時間が経っていたのが判る。
「ここの非常食、ルベランセのメシより美味いぜ。」
戒が皮肉混じりに言った。
世羅はその傍らで、瓶に入った水を一心不乱に喉に流し込んでいる。
「そりゃ結構。
……ところでバーグ、艦内に異常は?」
「…それがだな……。」
眉間にしわを寄せるバーグ。
「俺達が立ち入らなかった場所で、自害している団員が数人いやがった。
おそらく…」
「何か知っている連中だな。
捕まって情報を洩らすより……自ら死を選ぶ、か。
ますますもって、キナ臭いな。」
「まったくだ……ほれ。」
ワインの瓶が無造作に放られる。
「なかなか上物じゃないか。」
リジャンはそれを片手で受け取ると、すぐに歯で栓を抜いた。
「乾いたパンと肉が、いいつまみだ。」
バーグが笑う。
それに合わせて、意味も解らずに世羅も笑顔を見せた。
そんな二人の様子に、バーグの頬も自然と緩む。
だが、その和やかな空気に反発するように、戒だけは片肘をついたまま仏頂面で虚空を向いていた。
「…なあ兄ちゃん。」
声をかけると、その青年は瞳だけを動かして反応する。
「兄ちゃんは何で、ここへ来たんだい?」
「あ?」
「あのままルベランセにいれば良かったんじゃないのか?
こっちが危険なのを知ってて何故……」
「そんなの…俺様の勝手だ。」
「…やめとけリジャン。
このガキ、恐ろしく頑固でワガママなんだ。 しかも素直じゃねえ。」
脇から口を挟むバーグ。
「こいつが心配でたまらなかったんだろう? なあ?」
世羅の頭を撫でながら、バーグが ほろ酔い気分で訊く。
「……そうなの?」
無邪気な顔で世羅も訊いた。
そんな二人に対し、拳とこめかみを振るわせる戒。
「さっきも……言ったろうが。」
抑揚の無い低い声。
「俺様の前で犠牲になるような真似はするなってな。」
「兄ちゃんも変わり者だなァ。
そのポリシーは一体どこからくるんだい?」
戒が顔をリジャンの正面に向ける。
「そんなこと、オッサンに話してどうなるんだ。」
「つれないね。 一緒に戦った仲じゃねえか。
俺はこう見えても、世界を旅する飛翔艦乗りだったんだ。
なにか……力になれるかもしれん。」
「……力になんて……なれるわけがねえ。」
戒は、興味津々の様子で自分を見詰める世羅とバーグの様子に気付くと、すぐに顔を反らした。
「ためしに話してみろよ。 こいつは最近まで、飛翔艦の艦長をしてたんだぜ?」
「……まあ、今じゃあ、しがない戦闘騎の操縦士だがな。」
ワインを片手に仰け反りながら笑う二人。
「どうして艦長をやめちゃったの?」
そんな彼等に世羅がたずねる。
「仲間に裏切られたんだよ。」
バーグが代わりに即答した。
「ある戦いでな…。
こいつは、つい自ら戦闘騎で出撃しちまったんだとよ。」
「戦闘には勝ったんだがな…いざ帰還しようとした時、自分の艦の姿が見えねえ。」
苦笑いするリジャン。
「こいつはな……人が良すぎるんだ。 昔から。」
バーグが言う。
「それは、かなりバカな話だが…」
そこで、戒は臆面も無く言い放った。
「……ヒゲ、お前程度の腕で、戦闘騎の操縦士をしているということの方が俺様にはもっとバカげた話だ。」
「何だと!」
そんな戒の言いように一瞬にして切れ、つかみかかろうとするバーグをリジャンが笑顔でなだめる。
「こいつは、剣の腕は確かなんだが…」
横目で、パンくずを口から吹き出しながら語る。
「気が短いために、ことあるごとにギルドと喧嘩しやがる。
そして、つい半年前、中王都市のギルドで暴れた挙句、協会から永久追放を食らっちまったのさ。
まったく…俺がバカなら、こいつはバカの上に『超』が付く。」
「…んだと、このデブ。」
バーグが据わった目つきで言い放った。
「お、悪口か。
昔からお前はそうだ。 理屈で敵わないとそういう汚い言葉で…」
下から見上げるように睨み付けて対抗するリジャン。
「仲がいいんだ…二人とも。」
そんな彼らのやりとりを眺めながら、世羅が呟いた。
バーグとリジャンは動きを止め、照れくさそうに彼女の方を同時に見る。
「ボクもこれから先…仲良くできる友達できればいいな…。」
「おいおい!」
微笑みながら勝手に喋る世羅に、思わずバーグが叫ぶ。
「俺達は友達だなんて青臭いもんじゃねえぞ!」
「そうだな…お友達よりも、もっと泥臭え。
……まあ戦友ってとこか。」
リジャンは目を閉じてワインの最後の一滴を口に運んだ。
「……『アルドの反乱』を知ってるか?」
そして、二人の若者に問う。
「…どこかで…聞いたことあるけど…」
ぶんぶんと頭を左右に振る世羅。
「馬鹿にするなよ、受験生を。」
代わりに、戒が口を開く。
「…50年も続いた有名な戦争だろ。 歴史の教科書に載ってるぜ。」
その言葉に、リジャンとバーグは複雑な表情を浮かべた。
「その戦争の後期だ……俺達が一緒に戦ったのは。」
「ああ、あの時の仲間の絆が一番強かった。」
懐かしむように二人は言った。
「あれは本当に酷い戦いだったな。
もう、あれから20年くらい経つか。」
「20年!」
世羅が叫ぶ。
「ボクの歳よりも、ぜんぜん多いよ。
それでもずっと仲良し……。それが戦友なの?」
リジャンとバーグは、少女の真っ直ぐな言葉に、同時に頭を掻いた。
「…そういうの羨ましいな…。」
「……どこがだ? 20年も仲がいいなんて暑苦しいにもほどがあるぜ。」
戒が言う。
「一人で旅をしてみてわかったんだ…。
みんなでいる方が……うんと楽しい。」
世羅が上目づかいで、戒に言った。
「ボクも…そういう仲間がたくさん出来たらいいな…」
「何言ってやがる。」
バーグが笑う。
「俺達ぁ、もう戦友じゃないか。」
リジャンはくわえた煙草に勢いよく火を点けた。
◆
「歴史の教科書だってよ。
もうあれは過去の出来事ことなんだろうかなあ?。」
「俺にはつい最近のように思い出せるがな。」
バーグは目の前に置いたランタンの火に顔を近付けながら言った。
リジャンは固い表情で、細く交差して巻いた頭のターバンの位置を直す。
「……リジャン…おまえ…。
もう十年以上も同じモン、巻き方もわからねえまま巻いて。」
「ん…?……ああ。
俺があの時、得た勲章はこれだけさ。
俺が戦地を離れる間際に現地の子供がくれた……これは民族衣装かな……。」
胡坐をかき、天井を見上げる。
「あの子は笑って俺に渡しやがったんだ。
ただ戦いが終わったこと、もう血が流れないことを喜んでいた……。
自分が『負けた側』ってことも理解出来ず…これから訪れる圧制も知らず。
……そんな哀れな子供だ。」
思い浮かべる、子供の笑顔。
それは どこか寂しく見える。
「悲劇は…もう御免だ。
子供には明るい未来だけがあればいい。」
「そうは言うけどよ…リジャン。
あの頃の戦友は皆…そうやって気負って死に急ぐ。
皆、なんかわけのわからねえ使命感で世界を変えようとしやがる。」
いつになく真剣なバーグの言葉に、リジャンは黙って耳をかたむけた。
「その考えは……本当に正解なのか?
俺達はあの時、充分尽くした。
そろそろ自分の余生を考えてもいいだろう?」
「……いいのさ。
俺には家族も…何も無い。」
「……何も無いなんて……言うな。」
バーグは睡魔に抵抗しながら呟いた。
「……すまん。」
リジャンが静かに答える。
酔ったバーグは既に眠っていた。
▼▼
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次へ
◆ ◆
2
◆ ◆
静まるブリッジ。
ワインの空瓶を枕に 大いびきをかくバーグ。
それから距離を置き、戒の傍らで一言も発さずに寝息をたてる世羅。
「…ようやく寝やがったぜ。
『戦友』だと? ……まったく、あんな言葉くらいで興奮しやがって…。」
戒が渋い表情でリジャンに近付く。
「悪いな。
見た目より嬢ちゃんは疲れているんだ。
休んでもらわんとな。」
「……それは分かるが、なんで俺様が子守みたいな真似をしなくちゃならねえんだ。」
「嬢ちゃんは、兄ちゃんといるのが一番安心できるようだからなあ。」
「………。」
無表情のまま、リジャンの横にどっかりと座りこむ戒。
「腹は…まだ痛むか?」
「もう慣れた。 どんな痛みにもな。」
「……悪いな。」
「生き残るには、あんたの知識と戦力が必要だと思ったからやったんだ。
あんたが謝る必要なんてねえ。」
二人は静かな口調で話した。
「痛みを移し変えることで、傷が治る……。
考えようによっちゃ、恐ろしい能力だ。 自分自身にとって…な。」
「?」
「傷は大した事なくても、痛みのショックで死ぬ奴もいる。
戦場では、そんな奴がごまんといた。
治してもらった俺が言うのもなんだがな、その力を使う時は気をつけた方がいい。」
「……わかってる。俺様はそんな馬鹿じゃない。」
「しかし、兄ちゃんが一人いれば、仲間の安全は高まる。
どこへ行っても重宝されるだろう。
…しかし天命人ってのは皆、そんな凄い能力を持っているのかい?」
「さあな。
この世に天命の輪は800しかないんだ。 他の天命人になんて会ったことねえよ。」
その言葉で、リジャンは戒の横顔を注視した。
「天命の輪について、詳しいんだな。」
「俺様の婆が占い師をやってる。
今は会う機会も無えが、小さい頃は色々と自分のことを教えてもらった。」
苦々しい顔つきで、戒は続けた。
「天命の輪を持つ者が死んだ時、それと同じ天命の輪を持つ者が何処かで生まれる。
天命の輪は永遠に巡り、その継承した者に同じ「さだめ」を与えるんだと。」
(決して、それからは逃げられぬよ……。)
祖母は いつも不気味な笑いを浮かべて言った。
「俺様のさだめは……『常に自らを犠牲にし、犠牲も多く生み出す』。
その天命の輪の名を『犠牲の月獣』という。」
(難儀だねぇ……坊や。
これからは強い心をお持ち。)
遠い、幼い頃の記憶だというのに忘れることは無かった。
「ふざけるなってことだ。」
その脳離にこびりついた、しわがれた言葉を振り払うように言う。
「俺様は、こんな輪っかに振り回されて生きるのは御免だ。」
戒の右手中指に浮かんだ青白い輪。
それに合わせて、彼の瞳も鋭く光る。
「俺様の人生は、俺様のものだ。
生き方は俺様が決める。」
「…なるほど。
だからあの時、俺と世羅に対して怒ったんだな。」
リジャンは深く息をつきながら言った。
「自分のせいで、誰かが傷付くのは嫌か。」
「そういうんじゃねえ。
何かに捉われる……昔からそういうのが気にいらねえだけだ。」
「…だがな、気にすればするほど、その『迷信』とやらに振り回されちまうぞ。」
「………。」
「何をしようにも、何が起ころうとも、自分の天命の輪の仕業じゃねえかと思いこんじまう。
そうじゃねえのか?」
図星に、難しい表情を浮かべて黙り込む戒。
そんな彼に、リジャンは足を崩して微笑みかけた。
「そもそも…この世には何で、天命の輪なんてものが在るんだろうな?」
「……そんなこと知るか。」
「そうだな。
場所に拘ってしまえば、この世で一人の人間が知ることなんて限られている。」
戒は自分の肩に、大きくて温かな手の平を感じた。
「…今、お前さんに本当に必要なことは、旅をすることかもしれんぞ。
人が一人で得ることが出来る知識も経験も…たかがしれてるんだ。
旅をすればそれがよくわかる。」
その言葉で、戒がリジャンへと顔を向けることはなかった。
「俺様は……中王都市でやることを決めてるんだ…。」
「まあ、いいさ。
結論を急がずとも 兄ちゃんは若い。
…でも一緒にいるうちは、お前も力になってやれよ。 なあバーグ?」
「……?」
床にだらしなく転がっているバーグを見る戒。
「おい…まさか起きてんじゃ…」
そこで、バーグはわざとらしく寝返りをうった。
「ヒゲ、てめえ、起きてるだろ!?」
「……おきてねえよ…」
寝言のように、もごもごと呟く彼。
「起きてんじゃねえか!!」
「…………。」
背を向けたまま、動かなくなるバーグ。
「まあまあ、兄ちゃんも、もう寝な。
休める時に休まねえと…身がもたねえ。」
「…ち……。」
釈然としない様子で 戒はリジャンの傍から離れると、バーグを避けてより遠くで横になる。
眠りに落ちるまで。
冷たい床からは、エンジンの大きな振動がいつまでも感じられた。
◆ ◆
「出撃?
マクスが、か?」
ミシュレイの薄い胸倉に掴みかかり、猛烈な剣幕で訊くヂチャード。
「何故……その時に 俺を起こさなかった!?」
「起こそうとしたのに起きなかったのは貴方でしょう?
大いびきで、ぐっすりでしたよ?」
少年に冷静に反論され、彼は赤面して手を離した。
「当初の予定とは…大分違うぞ……。」
「セルゲドニの飛翔艦が敗れることはまだしも、まさか奪われるとは…僕だって予想しませんでしたよ。
騎士団がこの件に一枚噛んでいることが軍に洩れるのはまずい。
だから、マクスに殲滅を命じた。
そういうわけですよ。」
平然と語るミシュレイ。
「騎士団に…マクスに、これ以上罪を背負わせるわけか……。」
「……罪?」
少年がヂチャードを小馬鹿にしたような目つきで見る。
「喜んで背負ったらどうです?
中王騎士団は国の為…そして民の為に在る。
小を捨てて大を取る。
これが国政というもの。違いますか?」
「…間違いじゃあない。」
ヂチャードは語気を強めて答えた。
「…だが正しくも、ない。」
そして目線を伏せ、首を左右に大きく振る。
「何故、マクスなんだ?
あいつは…あいつの機体は奴等に面識がある。 万が一……」
「聖騎士さまがそんなミスを犯すはず無いじゃないですか。
全滅させますよ、間違いなく。
それこそネズミ一匹残さず、ね。」
若い哄笑。
(私は利用されているのかもしれん―――)
その無邪気な笑い声が室内に響く中、ヂチャードはマクスの危惧を理解した。
◆ ◆
「よお、探検の収穫はあったか?」
「ああ。」
満面の笑顔でブリッジに戻ったリジャンが、箱を二つ胸ポケットから出しながら、見張り役を交代していた
バーグに答えた。
「お前が好きそうな刃物は無かったが…」
それを開けると、中から拳銃の弾が出てくる。
「助かったぜ。 高いからな火薬は。」
「ご苦労なこった……。
これならタダなのによ。 努力と精進を怠らなけりゃあな。」
剣を煌かせるバーグ。
そんな中、窓の外で空の景色が白み始める。
空賊の飛翔艦で一夜を過ごすようなことになるとは夢にも思わなかったが、極限の状態に慣れている二人は、
すぐにその状況を自分の庭で遊ぶかのように楽しんでいた。
近付くルベランセとの距離。
空で生きる者の勘で、この奇妙な空の旅が終わりに近付いているのが判ると、不思議と感傷的になる。
「…それと、ここの団員を使って、俺が乗ってきた戦闘騎を格納庫へ移動させた。
突っ込んだお前の戦闘騎も一緒に、弾薬の補充も兼ねてメンテナンスさせている。」
「……賊を使って? 良くそんな危険な真似が出来るな…。」
「なに、人間同士だ。
今回は何もお互いが憎くて戦ったわけじゃない。
信用してやれば信用してくれるさ。」
「ホント、お前は人がいいんだからよ…。」
バーグは肩をすくめた。
リジャンは弾を銃に込め、真剣な眼差しでそんな彼を見る。
「バーグ。
……俺はあの若者達の助けになりたい。」
「……もう何も言わねえよ。 勝手にしな。」
半分呆れ顔で、しかし妙に納得した表情でバーグは言った。
「中王都市までは、俺も手伝ってやる。」
「中王都市……以降はどうだ?」
「どういうことだ?」
大口を開けて訊くバーグに、ただ笑顔で返すリジャン。
それだけで、彼が何を言わんとしているのかバーグは理解する。
「……おせっかい過ぎるぜ。 お前はよ。」
「性分だ。
仕方あるまい……?」
それまで黙々と作業していた団員達がざわついた。
咄嗟に、銃の激鉄を起こすリジャン
「どうした?」
さらにブリッジの面々に対し、銃口を向けて構える。
「妙な真似……するなよ。」
バーグも剣の切っ先を向けて言う。
団員達は首を 素早く左右に振った。
「違う。
何か……一瞬感じたんだが……。」
その中の一人が、念通球を片手に不思議そうに呟く。
「なんだと!?」
リジャンは窓際へ走り、突風で震える分厚いガラスに顔を押し付ける。
一時期晴れ渡っていた夜空は一転。
飛翔艦は後部から中ほどまで、いつのまにか霧のように薄い雲に覆われていた。
「天候が……これじゃ探知なんて……!!」
「おい! リジャン!!」
バーグも背後から叫び、奥の空を指差す。
続いて口笛のような高音と共に、斜めに飛んでくる数本の棒状の物体。
「………!」
それが焼夷弾であることが判っていながら、リジャンにはもはや何も行動できなかった。
衝撃の波。
ブリッジが大きく傾き、甲板で投降中の戦闘騎達が爆風で散る。
「頂部装甲、および左翼に被弾!!」
続く、一人の団員の叫び。
「……!?」
さらに耳鳴りのような、深遠からの銃撃音をリジャンの耳は捉えた。
「どこか……攻撃されているぞ!!」
その瞬間、視界の真下から垂直へ昇る機影。
「まさか―――!?」
がくん、と高度が下がる。
「艦底において……動力部損傷…!!」
さらなる団員の一言に、ブリッジ全体に動揺が走る。
「探知は何をやってたんだ!?」
「それが……急に現れたみたいで…」
団員を叱りとばすバーグを、リジャンが抑える。
「雲が多い時は索敵が困難だ……。
…敵さん、天候が悪くなるのを待っていたみたいだぜ…。」
早くも自分が恐れていたことが起きたことに唇を噛む。
「一体、どこの戦闘騎だ!?」
団員達は一様にうろたえている。
それは、炎団が失敗した時の一つの『保険』を意味していた。
そして、一瞬の稲妻のような激しい攻撃。
それが戦闘騎によるものであることが、わずかに聞こえる風切り音で分かる。
(全てを処分しに来やがった……たった一機で!)
リジャンが銃を下ろす。
炎を巻き込んだ風はブリッジの視界を遮り、皆を萎縮させ。
初撃で破壊された戦闘騎の破片は、恐怖を煽った。
「…総員、待避だ。
この艦は持たない。」
リジャンが歯を食いしばって、抑揚の無い声で呟いた。
「おまえ…そんな簡単に…」
状況を認めたくないバーグが半笑いで言う。
「俺らが突入した際に無茶したからな。
艦体のバランスがすこぶる悪い。 このままじゃ不時着出来ん。」
リジャンの的確な言葉に、ついにバーグは飛び上がった。
「ど、ど、どど、どうすんだ!?」
「とりあえず落ち着け。
いったん浮力のついた飛翔艦は そんなにすぐには墜落しない。
数分もてば脱出くらいはできる。
とにかく…子供達を連れて行ってくれ。」
騒がしい周りの状況に違和感を感じつつも、疲労から目覚めることが出来ないでいる戒と世羅を親指で差す。
「わ…わかった…!」
バーグは頷くと、素早く二人の足を片方ずつ持って走ろうとする。
「慌てるな!
そのまま行けば、二人ともコブだらけになるぞ!!」
リジャンのその言葉に彼は再び頷き、今度は世羅を肩に上げ、戒の腕を抱えた。
「我々はどうすればいい!?」
団員が叫ぶ。
「伝えろ。 全員逃げろ、と。
このままじゃ犬死にする。
…外の戦闘騎も全部だ。」
リジャンの命令に、団員は狼狽した。
「……いいのか!?」
「こんな事態だ。 とにかく逃げろ!」
「わかった……!!」
声通管を手に取る団員。
「総員に告ぐ。
ただちに待避…」
彼は繰り返した。
「ただちに待避、総員脱出せよ!!」
▼▼
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次へ
◆ ◆
3
◆ ◆
「襲撃されたって…!?
…一体どうなってやがる!!」
崩れかかった廊下を全力で疾走しながら、戒が怒りの口調で他の三人に言った。
勿論、前を走る彼等に答える暇は無い。
「俺様には、おとなしく眠る暇も与えてくれねえのかよ!!」
安眠を邪魔されて不機嫌なのか、わめき続ける彼にリジャンだけが少し振り向いた。
「……兄ちゃん、愚痴は帰ってからゆっくり聞いてやる。
今は脱出のことを考えてくれ。 でないと本当に死ぬぞ。」
冗談を交えないその瞳に、すぐに戒は無言になる。
「今度は逆!」
世羅が言った。
「ああ、その通りだ! 入るのにあれだけ苦労したのに……今度は出るのに苦労しなきゃならんとはな!!」
バーグが崩れた壁を大きくジャンプしてかわす。
「……道順は…合ってんのかよ!?」
「ああ! この先の格納庫だ!!」
戒の問いに再びリジャンが答え、走る廊下奥の急カーブを四人は一丸となって曲がった。
そして抜け出たのは天井の高い、ひらけた区画。
そこに彼らの戦闘騎は在った。
発進口は全開で外気を吸い込んでおり、その他の炎団の戦闘騎は全て脱出を終えたようであった。
リジャンは真っ先に機体に駆け寄ると計器などを簡単にチェックした後、すぐに操縦席に乗り込む。
世羅もその後ろに続いて座った。
バーグは自分の機体に入る前に、いつものように剣を座るシートの脇に置く。
「どうした兄ちゃん!?」
エンジンを吹かしながら叫ぶリジャン。
バーグと世羅も、その声の行き先を注目する。
戒は格納庫の入り口で、首を垂らしたまま止まっていたのだ。
モーター、エンジンの音。
空気の振動で微量に揺れる区画内。
ルベランセで既に知った感覚なのに、何故か今は印象が違って思える。
(何だ? 何も意識してねえのに……。)
右手の熱さに驚いて見ると、中指に天命の輪が浮かんでいた。
そこで彼の周りの光景は色を失い。
足元の床は柔らかく盛り上がり、命が躍動するような蠢く物体が伸びだした。
その物体の表面は常に流動しており、周囲が色を失っているのにも関わらず、唯一 七色に輝いている。
戒は自分の奥に染みた邂逅の憶えに、全身の動きを止めた。
「…守れ……戒=セバンシュルド……」
頭に直接響く声と共に、柔らかい『それ』は床から伸びたまま 自分の目の高さまで上がり、大きな腕の形を作る。
さらに自分の眼前に近付いて来る。
だが―――
「……だめ……もう…関わらないで…。
……繋がりだした天命の輪に…巻き込まれて…しまう……」
響く声にかぶさるように聴こえる もう一つの優しげな声。
その声に合わせて、戒の顔に近付いた腕は飛散。
突如、中から生身の子供の小さな手がその中から現れる。
「―――!!」
あまりの恐怖。
咄嗟に両手を前へ突き出す必死の戒。
だが、そこにあるのは虚空のみだった。
「……何やってんだ、クソガキ!
置いてくぞ!!」
バーグの叫びが聞こえる。
飛翔艦が崩壊の序曲を奏で始める中、戒は呑気に立ち尽くしたままの自分に気付いた。
先と何も変わらない艦内の光景。
敏感で、妙に浮わついた感覚を引きずりながら、うつろな目でバーグとその機体を眺める。
「……どうした?」
リジャンと世羅が、彼の様子に注目する。
その視線に戒も気付き、二人を見た。
世羅の不安げな視線が自分に突き刺さるのがよくわかる。
「……世羅…。」
「……戒?」
戒はバーグの機体から踵を返すと、リジャンの機体に近付き、世羅に寄った。
「……俺は…世羅を…守らねえと…。」
そして戒は片手で頭を押さえ込んだまま、自分でも思いも寄らぬ言葉を口にした。
「?」
急な、脈絡も無い彼の言葉に、リジャンと世羅は怪訝な顔をする。
(いや……世羅は…『手がかり』なだけだ。
俺の…やるべきことの唯一の…な。
ただ…それだけだ。
……それだけなんだ…。)
そこで戒は混乱した思考にいったん区切りをつけると、世羅の後ろに乗り込む。
そしてすぐに、窮屈になった操縦席の中からバーグの方を向いた。
「俺様はこっちに乗せてもらう。
そっちに乗ったら、命がいくつあっても足りやしねえからな!!」
世羅の背を押し込み、狭い操縦席を詰めながら自分勝手に言う彼。
「な、なんだと……!」
操縦席へと登りつつ怒鳴り返すが、足を滑らせて一瞬ずり落ちるバーグ。
「……違いねえや。」
それを見たリジャンは苦笑しながらゴーグルをかけた。
◆ ◆
髪が一本一本、夜の湿った空気を感じていた。
赤い戦闘騎群に照準を次々と合わせ、引き金を引く。
発射される弾に吸い寄せられるよう、次々と命中する敵機。
回避も攻撃も機械的に。
感情を乗せずとも、戦える。
自分に空戦の才能があると思うほど自惚れは無い。
だが、自分が放つ一弾一弾がこうもあっさりと人の命を奪う事実は、時に恐ろしく思える。
素早く流れる目下で、黒煙を上げる賊の飛翔艦。
ルベランセ自身、そして その格納庫には戦力と呼べるものは見当たらなかった。
それで二つの飛翔艦を破った方法など見当もつかないが、もはや彼等を侮ることなど愚の骨頂だろう。
マクスは自分が被る、兜を締め直した。
後頭部が流れるような長い曲線のフォルムの銀の兜は、特注品中の特注品。
―――クレイン教団史上、初の戦闘騎乗りの聖騎士。
乱空において聖都および教団を救ったものへの報酬。
それは、名誉・名声と純銀の鎧一式だった。
そして失ったものは……自由。
一筋の風が兜の目に当たる穴から入り込み、頬を撫で、首へと通り抜けた。
瞳を閉じ、全身の鎧から感じる拘束感で奮い立たせる想い。
(この罪はいずれ御前で払おう。 神よ…今は我に力を。)
マクスが胸で十字を切ると同時に、下の飛翔艦から飛び出す二機の戦闘騎。
視界の先で地平線から紅い光が射し始める。
……夜が明け始めていた。
◆ ◆
空へ飛び出した途端、そこには広がっていたのは悪夢。
自分達を苦しめた『炎の矢』と称される炎団の戦闘騎達。
その全てが火を吹いて堕ちていく光景。
白みがかかっているはずの空は、その煙で真っ黒に染まっていた。
「あいつら……逃げろと言ったのに……!」
リジャンが首にきつく締めたタイで口元を覆う。
直後、目の前の天空を二つに割るように垂直に駆け上る機体。
「…一矢報いたいのもわかるがな……。
あれに近付くのは…きっと雷に触れるようなもんだぜ……!!」
鼓膜をつんざく、空気を斬る音。
高速で回転しながら上空の雲に突き入る銀の影。
「……あれって…」
「……確か……あいつは…」
後部座席で呟く二人。
「信じたくないがな……俺にも見覚えがある!」
リジャンも顔を歪ませた。
次第に強くなる風。
軽い、霧のような雲が、堕ち始める飛翔艦の周りと自分達を完全に包みこむ。
「―――聖騎士!!」
世羅と戒は同時に叫んだ。
「……誰か…今あれに乗っている奴の顔を見たか!?」
「ううん!早すぎて……!!」
リジャンの問いに、世羅が答える。
「すると、断言するのは まだ早いが……騎士団がこの件に絡んでいるってことか……。
厄介な事になってきやがったな!」
「…ど、どうする!?」
すぐ横を並列して飛行するバーグが訊いた。
「お前が敵う相手じゃない。
俺が奴をひきつける……その間、隙を見て何とか逃げろ。」
「何とかって…言ったってよぉ!!」
バーグの機体が揺れ始める。
「泣きごと言うんじゃねえ!!」
「!!」
弱気な彼を集中させる為、リジャンが檄を飛ばす。
「空も地上の戦場と同じだ!!
指の先まで意識を集中し、目を動かし、そして耳をかたむけろ!
……空を恐れるな!!」
「……ああ。…わかった。」
強い言葉で我に返るバーグ。
そんな彼の様子を確認したリジャンは、操縦席で深い体勢になると乾いた唇を舌でなめずった。
周囲は瞬く間に、薄雲で視界を奪われている。
今、敵機はその中に潜んだ。
だが、見えなくとも、『音』までは消せはしない。
こちらは自分とバーグ。
そして、相手は一機しかいないのだ。
―――乱戦でない、この静かな状況。
戦闘騎の飛行を耳で判断出来るため、奇襲は不可能。
今、味方と自機のエンジン音しか聞こえないということは、敵も近くにはいないはずである。
(どうする…? 今のうちにバーグだけ逃がすか……?)
リジャンは、飛ぶだけでやっとの様子のバーグの機体と 現在の空の状況を交互に見る。
その時、バーグの機体の脇の白い雲に灰色の影。
彼の戦闘騎の影が映りこんだのだろうか。
そんな様子をリジャンが注意深く見守る中、バーグはそれに全く気付くことなく真正面だけを向いていた。
雲は わずかに盛り上がり、光る先端が覗く。
「バー……!!」
異常に気付き、リジャンが叫びかけたところで完全に飛散する雲。
バーグの機体の脇腹を突くように現れた銀の戦闘騎。
(そんなバカな…。 無音だと……!?)
反射的に操縦桿を倒すリジャン。
バーグの機体に自機で体当たりをかける。
「ぐぅっ!?」
その突然の衝撃に、バーグは悶絶した。
銀の戦闘騎から放たれた銃弾はリジャンの戦闘騎をかすめ、狙った『バーグ本人』からも逸れる。
だが、それによりバーグの戦闘騎はバランスを崩し、もともと不安定だった飛行は更に角度を悪化させた。
「バーグ!」
その光景に、世羅と戒が思わず息を飲み込む。
「体勢を立て直せ!!
不時着の仕方、一番初めに教えただろう!!」
届くか届かないか。
リジャンはありったけの大声で、堕ちゆくバーグに叫んだ。
それに応えるように、地面に対して垂直に近かった彼の機体が、平行へと変わる。
「……よし。あれなら助かる。」
機体の損傷自体は甚大ではない。
同時に火も上がっていないことも確認したリジャンは安堵する。
しかし、上空を反転する銀の戦闘騎。
それは冷徹にも、再びバーグに狙いをつけているのが判る。
「―――させるかよ!!」
一直線に下降し、友にとどめを刺そうとする憎き敵に、リジャンはすかさず機銃を放ちながら横から突撃する。
銀の戦闘騎はそこで軌道を変え、再び脇の濃い雲の中へと潜り込む。
「野郎……!!」
リジャンは、相手が先にあれだけ派手に風を切っていたのが伏線であることを悟る。
どのようなカラクリがあるのかは解らないが、向こうの動力は音が発生しないのだ。
『敵戦闘騎が全くの無音で雲の中から現れる。』
一方的に音を出し続けるのは自分達の機体だけ。
…周囲を雲に覆われた この状況下では圧倒的に不利だった。
「その戦法、嫌いだぜ。 コソコソとよ……!!」
誘い出すため、敵が消えた雲に向かって機銃を乱射する。
しかし、相手の動きはまるでない。
潜んで狩りをするが如く、全くの隙も気配も見せない相手の戦い方に戦慄を覚える。
その間に、バーグの戦闘騎は眼下の密林に消えた。
爆発は無い。
しっかりとそれを見届けてから、リジャンは覚悟した。
「さぁて……どう戦う!?」
今度は自分の機体を雲めがけて加速させるリジャン。
そこで下方の雲から飛び出す機影。
「……そこか!!」
下から放たれる銃弾。
すかさず、トンボ返りでリジャンはそれをかわす。
そして二機はそのままお互いの機体の腹を見せ合いながら、数秒並行して空を翔た。
そんな状況でも、銀の戦闘騎は雲の際のポジションを上手に守る。
「……こっちは入らせてくれないってか!!」
上下の歯を強く咬み合わせて、悔しさのあまり、叫び声を吐くリジャン。
回頭、Uターン。
何とか態勢を入れかえようとすると、相手は必ず動きの出始めに狙いをつけて銃撃を開始してくる。
「なんて腕だ……!
この俺が……まるきりペースを掴めないなんてよ!!」
冷たい汗が背中を伝った。
今戦っている相手は腕も確かである。
『戦法』を使うのは、単なる『用心』であり。
それが余計に相手の冷静さを物語り、リジャンをより強く緊張させた。
「戦闘騎の性能も腕も…向こうが上……。
どうすれば…!」
「おい、オッサン!!」
そんな時、後ろから戒が大声を上げた。
「てめーは、大事な命を二つも背負ってんだぞ!!」
そして、彼は世羅の首に腕を絡めた。
「なんとかしろ!!」
後ろを見ると、冷えた空気で顔を紅潮させながらも、絶望していない二人の姿。
「……はは!!」
リジャンは笑った。
無茶を言う。
だが、その言葉で先までの弱気は吹き飛んだ。
(こうなったら…意地でも雲を利用してやろうじゃねえか……。)
相手の機体の動きを注目しながら全天を見回す。
(確か…さっきまで俺らがいた所は…)
戦闘の時間と進んだ距離の計算。
ほとんど視界のきかない恐ろしい天空で、驚くほど自分の頭は冷静に働いた。
「こうなったら、読まれない攻撃で裏をかく。
いいか? 俺の作戦に乗ってくれ。 二人の協力が必要だ。」
「……うん、わかった!」
元気よく答える世羅。
戒も無言で頷いた。
◆
軽い脳震盪が続くような、いつ気を失ってもおかしくない きわどい操縦だった。
自分よりも遥かに劣る機体で、自分と互角に戦う相手。
中王都市の軍隊にこれほどの操縦士がいたものかと心から敬服する。
そして、ときおり相手の機体から見える、修道着の男とリボンの少女。
…ルベランセで出会った、前途ある若者達。
言い訳にもならないが、それが機銃のトリガーに触れた指の反応をわずかに鈍らせる。
聖騎士マクス=オルゼリアは、自分の被った銀の兜をこれほど窮屈に感じたことは無かった。
何度も繰り返し、敵機を追うように空を駆け抜ける。
鳥も、空気も。
近づけないような限界の速度の中。
相手は急にスピードを落とし、視界からも消えた。
「いっけぇぇぇ!《源・衝》!!」
そして次の瞬間、少女の声とまばゆい光を背に感じるマクス。
(!?)
遅れる機体の操縦。
間一髪、自分へと向かって放たれた大きな光球をかわす。
「やはりな……空中で源法術ってのは、滅多に経験が無かろうよ!!」
聞こえる、その反応のわずかな差を見逃さなかった相手の歓喜の叫び。
続けて、脇の雲からの銃撃。
(いつの間に!?)
照準を逸らすため、マクスはそのまま上昇する。
それに対し、真っ直ぐに雲を突き抜けて追う、加速のついたリジャンの機体。
そして、二機が交差する瞬間。
戒に抱かれ、戦闘騎から半身を乗り出した世羅が唱えた。
「《氷・生》。」
広い空間に放たれた、軌道の予測が出来ない氷柱がマクスを追いかける。
(―――でかい!!)
雲を裂き、千切りながら、尖った氷は自分の真下の視界を全て覆うように突っ込んでくる。
すぐに追いつかれる。
事態を見越したマクスは反転をかけた。
それこそ大きさは自分の機体くらいある、縦横無尽に広がる氷の槍。
その中の数本が一直線に自分に向かう。
(……だが!!)
冷静に機関銃で一本一本砕く。
その中で砕ききれない一本が伸びる。
なんてことはない。
あとは最低限の動きでかわすだけだ。
心に少し余裕が生まれた、その刹那。
それに『気をとられ』、気付かなかったのか。
それとも、『その空域』まで誘い込まれたのか。
マクスは背後の雲から熱い空気を感じた時、ようやく自分の立場に気付いた。
遠くの視界に流れるリジャンの笑い顔。
瞬間、理解する。
二つとも、眼前の敵の思惑通りだったこと。
迫り来るのは。
よりにもよって、自分が堕とした―――炎団の飛翔艦―――。
火を噴き、破片を散らばせながら、雲を突き抜けてきた怪物は、その圧倒的な質量で自分を押し潰そうとする。
前方に氷の槍。
後方に堕ちる飛翔艦。
―――回避不能。
彼が、銀の右の手甲を外す。
露になった、手首から肘に不気味に広がる紋様。
銀色の、細かい長方形が連なった紋様。
瞬時に操縦席を大きく開け放ち、操縦桿を左手で握り、その右手で腰の剣を抜く。
氷が着弾する瞬間、渾身の力で操縦桿を引き、機体を垂直の姿勢で固定した。
重力と推進が相殺し合い、一瞬、機体は落下も上昇もせず、その場、天空で回転する。
「……こぉぉぉぉぉ!!」
回る夜空。
絶叫と共にペダルを踏みこみ、源炉を唸らせる。
目一杯腕を伸ばして構えた彼の刃は。
水に入る如く、飛翔艦の鋼鉄の外壁に、柔らかく吸い込まれていった。
◆
白い濃厚な蒸気に包まれる三人。
遅れて到着した爆風にあおられ、機体はその空域から勢いよく飛び出した。
かろうじて後方に見えるのは、広がって舞い散る雲。
氷と鉄の欠片。
何も聞こえない時間が数秒。
やがてリジャンは、疲労感でうつむきながらも機体を操作し、青く広がった空のカンバスに、両翼で白い雲を引いた。
「くっくっく…ははっ、ザマーみやがれ!!」
そして、興奮を抑えながらゴーグルを上げる。
「うまく……いったか…!」
冷や汗を全身にかきながら、戒が呟く。
その胸で世羅が動いた。
「……リジャンの…おかげだね…。」
顔に当たる、上空のひんやりとした独特の空気が心地良い。
そこで、余韻も程々に下降を始める機体。
「いや。 俺一人じゃ、あの銀ピカを堕とすのは無理だったぜ。
……ありがとよ、二人とも。」
半分振り向きながら、微笑を浮かべるリジャン。
「特に嬢ちゃんは大したもんだ…。
その度胸と腕がありゃあ、いつかきっと立派な飛翔艦乗りになれる。」
「ほ、本当!?」
「ああ、俺が保証するよ。」
その言葉に、世羅は嬉しそうに大きく頷いた。
「さて…と、バーグのやつを回収しねえとな。
どの辺りにいやがるか…。」
薄暗い密林を眼下に、旋回する。
「大丈夫かな?」
「殺したって、死ぬもんかよ。 あのタフなヒゲ野郎が。」
「……そうだな…」
世羅と戒の会話に答えようとした その時。
背にした陽の光が、一瞬弱まった。
振り返るリジャン。
世羅と戒は全く気付いていない。
真っ直ぐ昇り、続けて自分に向かって急降下してくる影。
そして放たれる無数の小さな鉄の塊。
咄嗟、操縦桿を目一杯傾けて回避。
耳の傍をかすめた飛礫が自分の右肩に突き抜ける。
―――激痛。
間髪をいれず、上から降る風切り音。
世羅と戒は、リジャンの身から勢いよく噴き出した血で、初めて異変に気付いた。
それは―――笑顔すら消す間も無い瞬間の出来事だった。
落下する銀の影。
左右に揺れながら、避けにくい弾道を加えた射撃。
さらに確実に戦闘騎の急所を狙い撃つ。
自分を追い詰めた者への、一切の容赦の無い攻め。
空を駆る者からの気迫と殺意に、リジャンの視界が窄む。
本能が逃げろと言う。
しかし、その思いを砕くかのように、一つの銃弾が胸を貫いた。
「……ぁあぁぁぁ…ッ!!」
血にまみれた飛沫と全ての気合を喉から吐き出し、前屈みになりながら渾身の力で機体を傾けるリジャン。
だが、すでに彼の思った通りの回避の運動は出来なかった。
突然の豪雨に遭遇したみたいに、鉄弾を浴びること。
そんなことは、戦時中も経験したためしが無かった。
(何だ…?)
力強く握っているはずの操縦桿が全く動かない。
(…………。
ははっ……右手が…無えや……。)
ゆっくりと確認する、血に溢れた自分の操縦席。
自分の身体に感じる、精神と身体の離別感。
五感すら、もう信用できないのか。
残った左手が震える。
機体の部品が風に抵抗出来ず、吹き飛ばされ始め、右翼の半分がガタつく。
タンクに開いた穴から燃料が大量に噴き、リジャンの血液と共に世羅の顔や衣服に数滴付着した。
「……リジャン!!」
ただただ、叫ぶ世羅。
「…大丈夫……嬢ちゃん…。
…なんとか…切り抜けてみせるからな…。」
「おいオッサン!
……何がどうなってる…!?」
戒は動転する瞳で忙しく周囲を見ながらも、状況を飲み込めないでいる。
右翼が、暴走した速度に飲み込まれて吹き飛んだ。
◆
無心の眼差しで、相手の機体に照準を定めるマクス。
だが、満身創痍の敵機はやがて左右に揺らぎ、回転を始める。
その時点で彼は、機関銃の引き金から指をゆっくりと離した。
「……せめて最期は…母なる大地に弔ってもらうのが良いか…。」
一度の敬礼。
―――先ほどまで堕ちていた飛翔艦だったもの。
それがその全てを銀の粉と変えて、風に舞っていく。
そして光を無限に反射する空を背景に、聖騎士は音も無く、この空域から姿を消した。
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◆ ◆
4
◆ ◆
「ぐ……オッサン! どうなってやがる……!?」
落下と激しい回転によって発生した、全身を襲う重力に悶えながら叫ぶ戒。
「とにかく、この運転はやめ…」
「戒……それ以上言わないで。」
そんな彼を、静かになだめる世羅。
前の操縦席の惨状を知らないため、覚悟を決められない戒には悪いが、説明する時間も無い。
回転する視界の中心に認められる密林の深緑。
このまま真っ直ぐに。
それへ向かって堕ちていくのが嫌に遅く感じられた。
「嬢ちゃん…」
唇を震わせながらリジャンが口を開く。
「リジャン…喋らなくて…いいよ。」
「敵は……?」
「?」
意味も解らず。
回転する機体の中で空を見上げる。
「もう……いないみたい。」
「そうか…。
そうか……さすが…聖騎士……。
騎士道をわきまえている…。
死人に鞭は…打たないってか……。」
感覚の無い左手と両足。
もはや歯で操縦桿を引くしかなかった。
それまでの激しい運動は微妙な振動に変わり、半壊した機体が木々の頭ギリギリで態勢を立て直す。
「…!…リジャン……これを狙って…?」
「…………。」
「リジャン?」
返事の返らない大きな背中を揺らす。
「なんとか…だませたが……。
…悪いな…二人とも……ここまで…だ…。」
エンジンが一度大きく隆起し、火と黒煙を大きく噴き上げる。
残った左翼が大木に引っかかり、機体は逆さまのまま密林に飲み込まれた。
◆ ◆ ◆
「まただ。
今度はザイルの野郎だよ。」
木のテーブルに片肘を付いたまま、もう一方の手で封の破れた封筒を肩より上げて見せびらかす。
「あれまあ。
この町で誰からも慕われる剣士さんも『それ』が来ると いつも飲んだくれだねえ。」
外の大通りから酒場を覗く中年の婦人から声をかけられる。
「ああ! そうだよ!!
傭兵が戦場へ行く前に自分で書いて残す、自分の…戦死報告書。 ……遺言だ…。
こんなのもらって……嬉しい奴いるか!!」
おどけながら彼女に応えると、視点の定まらない表情で先から幾度となく呟いている台詞を
独りで再び語りだす。
「…場所はマクエール内戦区だと。
バカが……。 大陸でも随一の危険地帯だぞ…。」
アルコールの強い酒をラッパ飲みするが、悲しみは薄れなかった。
「どいつもこいつも……死に急ぎやがって…。」
酒瓶の底をテーブルに強く叩きつけても、もはや店内の誰ももはや相手にしない。
孤独感が徐々に自分を支配する。
「人間なんてよぉ……何でもかんでも出来るわけじゃねえだろぉ?
たった一つのよぉ…家族を守るだけで精一杯…それが人間だろぉ?」
うつむき、だれた声を絞り出す。
「『アルドの反乱』を駆け抜けた奴ぁ、みんな何かを背負おうとしやがる。
大きな殺し合いは、別に俺らの責任じゃあねえんだ…それなのによ……。
あれ以来、何かこの世に償いをしたがる。
未来に対して何か残そうとしやがる…。
そのために簡単に無理しやがって……バカヤロ。」
腕の力を強くかけたテーブルが軋んだ。
「……畜生。
あの頃一緒に戦った仲間で残ったのは…これで…」
ふと窓の外へ脇目をふる。
黄色い土の通りを、砂塵を巻き上げて、とぼとぼ歩く影。
「……?」
見慣れた姿。
ボロボロの軍服姿でゆっくりと歩く。
リジャンがそこに居た。
片面のガラスが砕けたゴーグル。
すすけた顔。
「…おい―――」
わけもわからず驚き、声をかける瞬間。
「バーグさん。」
後ろから呼びかけられ、肩に触れられる。
すぐに振り向くと、真っ黒な服に身を包んだ郵便屋から、一通の封筒を渡された。
「『リジャン=デベント様』からお預かりです。」
バーグはハッとして、窓の外を再び覗いた。
……そこには誰も居なかった。
◆ ◆
鉄が軋む音。
まず感じたのは、頚椎の痛み。
全身も重い。
大木の巨大な蔓に機体ごとぶら下がっている自分。
うな垂れた恰好のままで、バーグは自分が墜落したことを押し寄せる記憶と共に知る。
歪んだ操縦席の中。
バーグは痛む手の平を握り、力が入ることを確かめると、すぐに自分から地面へと転げ落ちた。
すぐに耳に聴こえる、得体の知れないもの鳴き声。
地面全体を覆う苔。
見慣れない巨大な木々と植物群。
見渡す限り、周りは濃い緑で出来ている。
バーグは、ここが人が住める土地でないことを悟った。
恐怖と、それでも生きていた奇跡に震えながら。
…だが、言い知れぬ予感で彼は走り出していた。
空に立ち昇る 黒い煙へと向かって。
◆ ◆
戦闘騎の狭い操縦席のことを―――
よく棺桶と称する者がいたが―――
『完全に撃墜された場合は棺桶にもならない。』
流血と硝煙。
所々が砕け、溶解して。
もう自分の大きな身体を包むスペースなんて無いほどに縮んで小さくなった操縦席。
そんな光景を不思議と冷静に、客観的に望む。
白くぼやけた部分が広がった視界。
小さな影が何かを必死に、こちらへ訴えかけていた。
「……ン!
……ジャン!!」
音の無い世界に 徐々に聞こえてくる言葉。
かなり大声らしいが、遠い。
「―――リジャン!!」
やがて少女の声で はっきりと呼ばれた自分の名。
わずかに覚醒する意識があった。
◆
操縦席から真っ二つに折れ曲がった戦闘騎に挟まれたまま、リジャンは首だけをわずかに持ち上げた。
墜落の衝撃で外へ放り出され、水分を含んだ湿地に落ちている戒。
自分の傍の世羅も彼と一緒だったのだろう。
二人共、泥だらけだが、かすり傷程度で済んでいる。
……それが一番の安堵だった。
「……オッサン!?」
世羅から遅れること十数秒。
立ち上がるが早いか、戒もリジャンに駆け寄り、彼の肩に触れた。
「今……治して…」
「よすんだ……。
お前の能力は…身体を復元できるものではないだろう…?」
「!」
図星に硬直する戒。
「体の…右半分が弾の直撃を食らって吹っ飛んだ…。
腰から先も…ぜんぶ機体に挟まれてる。
…ざまあねえな。
ここで『終わり』なんてよ…。」
リジャンの額から流れた血が、砕けたゴーグルのガラスを伝う。
「おい…なんだよ…これ。」
そんな彼の惨状を徐々に掴み始めた戒が、両手で自分の頭を強く押さえつけ、背を曲げて唇を噛んだ。
「…随分と不公平じゃねえか!
オッサンばかり…こんなに弾浴びて……機体にも身体を潰されて…!!」
リジャンに噛み付いた大きな鉄クズに手をかけ、無理矢理引き剥がそうとする。
だが、逃がれられない運命のように。
土に深くめり込んだ機体は、びくともしない。
「いい…さだめ…かもな。
お前達が無事だということが…。」
悟ったような表情とその言葉を聴いた瞬間、世羅の背筋が凍りついた。
「……いやだ!
やだよ! リジャン!!」
大きくて綺麗な瞳から溢れる大粒の涙。
「なんだい…らしくねえ……。 …嬢ちゃん…どうして泣く?」
「だって……悔しいから!
…ボク達……戦友になったばかりなのに…!!
終わりだなんて…終わりだなんて……!!」
「…なあ……世羅…。」
リジャンは、彼女を初めて名前で呼んだ。
「この世には色々な奴がいてな…。
他人を利用する奴、信頼する奴、騙す奴。 色々いる…。」
血にまみれても、安らいだ顔だった。
「でも…他人を信じること……これが俺の生き方で……。
出会った時間が短かろうが…関係ない…。
それをずっと貫けたこと…全く後悔はないし……正解だったと思えてる…。
何故なら…」
世羅と戒の顔を、目のみ動かして交互に見る。
「最期にお前たちという、『未来』に巡り会えたから……。」
二人の子供の頭を触れるため、手を差し伸べたかった。
だが、それはもはや叶わない。
「心残りは……なぁにもしてやれなかったことだ…。
約束したのにな…。
飛翔艦のこと…たくさん教えてやるって……言ったのになあ…。」
世羅が首を強く左右に振りながら、リジャンの首に抱きつき、声にならない声を上げる。
「蒼く澄んだ大空のように誇り高く。
己を育んだ大海と大地への感謝を忘れずに。
まばゆい陽の光に全身を照らされても恥ずかしくないように生きろ。」
「……?」
「…いま…教えられるのは…飛翔艦乗りの…心構えだけ…だ…。 すまん……。」
麻痺した全身からは何も感じなかった。
しかし、それが余計に恐ろしく、既に自分に時間が残されていないことを悟らせる。
「そして…戒……。
お前は…怒るかもしれないが…。
俺はなあ…犠牲の心ってのは嫌いじゃねえ…。
そしてお前のために…犠牲になった奴がどれだけいたかはわからねえけど…」
「……。」
足元もままならないまま、ゆっくりと近付いてくる戒。
「犠牲にしたって…いいじゃねえか。」
「……オッサン…だけど、俺は!!」
「聞け! 戒……。」
戒がその声で背を伸ばし、リジャンの顔をまともに見る。
「自分を責めるな……。
それよりも……望んでお前の犠牲になっていった奴を少しでも愛してやってくれ……。
その瞬間から…そいつらの心は報われる。
犠牲じゃなくて……もっと価値のあるものになる…。」
「……!!」
戒は強く、瞼を閉じ合わせた。
「…二人共……笑ってくれないか……?
最期に…心に焼き付けておきたい…。」
泣くことを止めることが出来るはずもなかった。
だが、応えようと必死に作る笑顔。
零れ続ける涙もいじらしく。
そして、そんな少女の顔の上に重なるのは、過去の幻影。
―――自分にその国の民族衣装をくれた少年の笑顔。
「…そうか……あの時の笑顔は……戦いの終わりを喜ぶとか…そういうんじゃなくて…」
長い間、疑問にしてたこと。
雲のように白く広がっていく視界の中で、彼は一つの答えを見つけた。
「ただ…純粋に……俺を讃えてくれていたのかもな…………」
それまで小刻みに動いていた、リジャンの眼球が止まった。
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◆
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第六話 『愛すべき犠牲より』
了
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It progresses to epilogue……
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第一章
エピローグ
◆
「注文の戦闘騎と弾薬の…帝都小団へ対する納品の件ですが。
……リ・オン様?」
黙々と蓄音機の修理をしながら報告を聞くスーツの男に、メイド姿の女性が聞き返す。
「期日どおりに。」
館の一室。
男は作業を止めずに、ただ呟いた。
「承知いたしました。
そして…先ほど不時着した軍艦の代表が面会を求めておりますが。」
「今日の午後にでも会おうか。
エンゼルエンデルハイム、それまで休め。
おまえも一週間も休まずに働きずめだ。」
「はい。」
無表情で丁寧に礼をする魔導人形を横目に、傍らの薄いカーテンを開ける彼。
「さて……。
金の卵か。 災いの種か。」
外に望む 高き山脈。
そこへ斜めに着陸した一隻の飛翔艦。
艦体の腹は山肌を擦り、お互いを削っている。
中王都市軍のマーキングが施された飛翔艦。
剥がれた装甲の下は血のように赤い。
「祈るかね。」
大きな百合の花のような蓄音機は、やがてヴァイオリンの音色を奏で始める。
男は満足そうに唇端に微笑を歪ませた。
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第一章
了
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Thank you for having you read.
to be continued…