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1-5 「無謀な作戦・後編」



This story is a thing written by RYUU


Air・Fantagista


Chapter 1

『 From the sacrifice which should be loved 』


The fifth story

'Reckless strategy・latter part'




 安定した気圧の中で、ゆっくりとその動きを止めるエンジン。



「豪勢だ。」


 一足先に床に降りたマクスへと声をかけ、格納庫の天井の高さを見上げながらヂチャードは輸送騎から降りる。



「『白華はくか』の『ロンセ・カロウド』を使わせてもらえるとはな。」



 鋼鉄の床と壁が、甲高い声を反響させる。


 黒い皮服に身を包んだ騎士達の手によって すぐさま閉められる発進口ハッチの扉。


 さらに静まる気圧の中。

 二人はその扉が閉まっていくのを一瞥、そして歩み寄り、固く握手した。



「…ところで、肝を冷やしたぜ。

 ルベランセのブリッジで顔を合わせた時……何故、俺の顔を見て笑った?」


「……本気で言っているのか?」


 マクスが呆れ顔で自分の腰に手を添えた。



「『素顔』だったからだ。」


 そして、一人で前を歩き出す。


 早足で後に続くヂチャード。



「横着癖は直せ。

 しかも偽名すら使わないスパイが何処にいる?」


「ここ。」


 図星に、ヂチャードは苦笑しながら言う。



「いいじゃないか、どうせウチの部隊は表向きには存在しない。

 万が一、本作戦がバレて軍が騎士団を疑っても籍が無いんじゃどうにもならんさ。」


「私は、そういうことを言っているのではない。」


「ああ…悪いね。心配させて。

 しかし、それよりも……」



 二人が格納庫の扉に近付くと、傍の一人の騎士が扉を無言で開ける。


 その先の廊下には赤い絨毯が敷かれ、見渡す限りに伸びていた。



「しかしこの艦、よく使わせてくれたな。」


「散々ボヤいたさ。

 どこの部隊でも、自分のところの艦を『黒の隊』に貸すのは嫌なものだ。」



 寡黙で不気味さを漂わす、周りの騎士達。

 鉄鎧は誰一人として纏わず、目立つことを避けるよう。



「こりゃ嫌われたものだ。

 ……それに、『黒華こくか』だろ。

 馴染めないのか? 新しい名称に。」


 ヂチャードは肩をすくめた。



「外ならともかく、騎士団の中では使わないとまずいぞ。

 新しい理念の下、生まれ変わる組織…名称の変更は その先鋒をつかさどるのだからな。」


「フッ…もっともらしいことを言う。

 どこの演説家の受け売りだ?」


 ヂチャードの口調に、鼻で笑う。



「不義を行いながらも、『華』とは恐れ入るよ。」


 そう言って聖騎士は唇を閉じ、それからは一言も発さずに前を進んだ。



 栄華…の華か。

 握る拳が鳴った。



「長いものには巻かれろ、マクス。」


 無骨な鉄の壁の廊下と優美な絨毯のコントラスト。

 ヂチャードは慣れない空間を前進しながら、気迫を帯びた聖騎士の背を見詰めた。



「しかし、この艦に猫は居ないのか?」


「……猫だと?」


「今回の旅で分かったよ。 軍艦での殺伐とした生活も猫が一匹でも居ると心が和む。

 今度、試してみるといい。」


「……ああ。」


 真顔で話すヂチャードに、思わず頷くマクス。


 途端、彼の張り詰めた気配は幾分緩んだ。



「マクス様、並びにヂチャード様…」


 その最中さなか、大広間の扉にさしかかるところで一人の騎士に呼び止められる。



「…中で黄金の騎士様がお待ちです。」


 そして不意に聞く、中王騎士団 最高実力者の通り名に、二人は思わず顔を見合わせたのだった。





◆ ◆ ◆



エア・ファンタジスタ

Air・Fantagista




第一章

愛すべき犠牲より



第五話 『無謀な作戦・後編』



◆ ◆ ◆



◆ ◆



 耳元を切り裂いていく突風が強すぎて。

 機械の音も震動も、何も気にならない。


 目の前には ただの闇が広がり、手を伸ばせば届く頭上ところに雲がある。


 鉄の羽を持つ、空駆ける騎馬。


 己が望んだことなれど、流れる夜の景色と乗り心地に暫し放心してしまう。



「お嬢ちゃん…戦闘騎に乗るのは初めてだな?」


「……うん。」


 リジャンの問いで、世羅は我を取り戻す。



「怖えだろ?」


 彼は操縦桿を小指側から握り直した。



「こっ…怖くないよ!!」


「なら、足の震えを止めてくれねえか?

 後ろでそれをやられると、こそばゆくてたまらねえや。」


 二人の座席が底で繋がった戦闘騎。

 針のように尖った神経が、エンジンの振動以外も鋭く気付かせる。



「……ごめん。」


 世羅は 笑う両の膝を抱きしめた。


 戦闘騎の装甲の隙間から洩れる夜風が冷たく、心と身体を突き抜ける。



 ……一向に止まる気配がしない。



「…わかるぜ。

 飛翔艦と違って、戦闘騎は安定感がねえからな。」


「………。」


「怖くなくなるには、どうしたらいいか教えてやろうか?」


「……うん。」



 肉厚の手の平がうつむいた頭に触れた。



「俺を…信じな。」


 顔を上げると、大きな笑顔あった。


 ゴーグル越しの温かい眼差し。



「…とはいえ…ほとんど初対面じゃ無理か……?」



 背中の向こう、止まった震え。



「……信じるよ。 ボクら…仲間だもの。」


 世羅は、その手を小さな両手で しっかり握り締めて言った。



「へぇ…出会ったばかりなのに……信じる、か。」


 リジャンが笑う。



「…嬢ちゃんは、俺に似てるな。」


「?」


「外見じゃない。

 まあいいさ。お喋りは生きて帰ってからに―――しようか!!」



 前方に近付く5つの点。


 敵艦と同じ、赤地に黒い炎のマーキングを施した戦闘騎。



 リジャンは慎重に、操縦桿の上部に付いた機関銃の引きトリガーに親指を添えた。



 炎団、戦闘騎部隊。

 通称『炎の矢』。


 彼は経験で知っている。

 奴等はその名の如く、炎のようにさかる戦闘意欲を持ち、矢のように鋭く素早い。


 乾いた唇を舌で潤ませる。


 双方が近付くにつれ、上がる速度。

 一気に詰まる距離。


 唸りを上げるエンジン。

 振動が激しくなる視界。



 緊張の臨界点―――



 互い、すれ違う寸前、機関銃の速射、爆裂音。


 世羅の目の前で火花が散る。


 タイミングを得られなかった集団の中の一機。

 リジャンの放った連弾が機体の表面を縦に舐め、最後にその操縦士の眉間に命中する。



 すかさず弧を描くリジャンの機体。

 それを追う他の四機。



 反転、切り替えし、再度数秒の射撃。


 火を噴く二機。


 またたく間に堕ちていく三つの戦闘騎を下に臨みながら、世羅は絶句した。



「挨拶にしちゃ……やりすぎかね。

 奴等…目の色変えてやがる。」



 防寒のタイをなびかせて笑う。

 そんな目の前の男の横顔は、力強かった。



◆ ◆



「おい、クソガキ……。

 いつまでここにいるつもりだ?」


 手を全く休ませることなく、見向きもしないでバーグは言った。



「……俺様の勝手だ。」


 格納庫の味気ない床に座り込んだまま、戒は返す。



「……ああ…勝手だ。」


 バーグは眉間にしわを寄せ、細かい部品を口にくわえた。


 その後の沈黙が、格納庫の気温を深々と下げていく気がする。



「……おい、ヒゲ。

 あいつら……自信満々で出撃したが…本当に大丈夫なんだろうな?

 こっちに戻る算段とか……最悪、中央都市に帰る手段とか、ちゃんと考えてるんだろうな?」


 戒はいかにも興味無さそうな素振りで訊いてみた。


 しかし、彼からはさも意外そうな視線が返ってくる。



「自信? バカ言え。

 生きて帰る算段なんてあるものか。 奴等は半分死ぬ気さ。」


「……!?」


 妙にあっさりとしたバーグの答えに狼狽する戒。



「戦闘騎に積んだ燃料は少ない。

 敵を運良く足止め出来たとしても、どんどん反対方向へ進むこの艦に戻れるとは思えねえ。」


「おまえ……!

 そんな大事なことを、何で最初に言わねえんだ!?」


 部品が床に落ち、跳ねる。


 戒に強烈な力で掴み上げられ、大柄なバーグも思わず爪先で立つ。



「……覚悟を決めた奴を引き止めるのは野暮だ。」


 頬に当たった、戒の拳が震えているのが判った。



「そして…たとえ教えたとしても お前は奴等を止められたか?

 代わりの方法を思いつくことが出来たか?」


「………!」


 その言葉に、無言で腕を下ろす戒。


 それを、バーグは哀しい瞳で見詰め、整備のために再びしゃがみ込む。



「…まあ、そう罪悪を感じるなよ。

 …奴等が出撃する前にお前が言った言葉……俺も同意見だ。」


 ポケットから煙草を取り出し、気分転換のため火をつける。



「俺にはな、中王都市に娘がいる。

 たった一人の、かけがえのない家族だ。

 そいつのためにも…まだ死ねねえ身よ。」


 だが、バーグはその煙草をほとんど吸わないうち、床に置いた。



「今でも、このイカレエンジンが調子を取り戻さないで欲しいと心底願ってる。」


 目を細め、工具でエンジンの角度を変えながら呟く。



「じゃあ……あんたは何故、その手を止めない?」



 戒が訊く。



「……さあな、わかんねえ。」


 バーグは顔をしかめ、立ち上がる。



「俺は馬鹿だからよ…いくら頭で考えても答えなんて出ねえ。

 だから、まず行動する。

 それで失敗することや、後悔することなんざ沢山あるけどよぉ。

 『この生き方』は曲げられねえんだ。

 『俺』は……曲げられねえんだ。」


 工具を戦闘騎の右翼に乗せ、首にかけた鎖を軍服の上から握り締める。



「そういう『俺』を……『あいつ』は死ぬまで愛してくれたのだから。」



 煙草を踏みつけて。

 螺旋の階段を見上げるバーグ。


 そこには、作業服に着替え、両手一杯に工具を携えるミーサが立っていた。



「…何よ!……その顔。

 素直に…下っ端のあんたの言葉に従うと思ったの?

 別に……作業着と道具…取りに行ってただけなんだから。」


 息を切らせ、ふくれっ面で言う。



「ここの配線……頼むわ。」


 彼は照れくさそうに応えた。



◆ ◆



 大広間。

 室内の奥に立ち並ぶ彫像。

 廊下の物よりも更に豪華な絨毯。

 壁と柱の彫り物。



 そんな室内の一角に護衛の黒華の騎士が四、五名。

 その中に、一際目立って『彼』は居た。



「実に大儀であった。」


直立不動の背格好は振り向き、まずねぎらいの言葉をかける。


 装飾と宝石の散りばめられた、豪華な黄金の大鎧。


 頭髪白く、顔面には無数の青い筋の刺青。

 それは年波を刻むしわ 全てをなぞっていた。


 彼は襟に繋がったマントをひるがえし、腰に下げた剣の柄を片手で押さえ、しっかりとした足取りで歩み寄る。



 伸ばされる手に、マクスとヂチャードは反射的に膝を床に付き、自分達の手をかぶせた。


 大陸十字軍を勝利に導いた最大の功労者達の一人。


 歴史に名を刻む者の、大きな手甲ガントレットの堅い感触に、二人は辟易する。



「楽にせよ。」


 短く言うと、黄金の騎士は踵を返し、再び距離を置いた。


 薄い残り香。



「大団長……ザイク=ガイメイヤ様……。

 自らおいでとは……」


 着ている軍服の胸元を直しながら、ヂチャードは震える声で言った。



「いつもそうだ―――」


 彼の言葉に対し、ガイメイヤは 実に柔らかな動きで右手を肩の高さにまで挙げる。



「老人がたまに動くと、驚かれる。」


 だが、その冗談に二人が笑うことはなかった。



「…現状把握はその場にいなければ全てを知り得ることは出来ん。

 命令ひとつ下すのも、その場にいればより早く正確に判断することが出来よう。

 それに……老人とて仕事をさせてもらいたいものなのだ。」


「その心、仕えるものとして痛みいります。」


 マクスとヂチャードは同時に言った。



「その割には…色々聞きたいことがあるような顔だ。」


 二人の顔を交互に眺めながら、四角張った精悍なあごを動かして喋る。



「……さがれ。」


 黄金の騎士の一言で、周囲の者達が一斉に部屋を後にする。



 だが、その中でただ一人だけ残る者がいた。


 マクスが重圧におののく。


 そして改めて気付く。


 気配を絶ち、影のように大団長ガイメイヤの脇に立つ者。


 黒い仮面、

 黒の鎧。

 黒いマント。


 大団長と対照的に、一切の装飾も文様も入っていない、黒づくめ。


 ―――漆黒の騎士。


 その装いが過去の記憶の扉を、無理矢理こじ開けようとする。



「あの男…?」


 マクスが小さく呟く。


「どうした?」


 彼の異変に気付いたヂチャードが訊く。



「いや…何でもない…。」


「……?

 …しかし、あの得物…どうなってるんだ?」


 ヂチャードは好奇の顔をして、さらに小声で訊いた。


 鞘にも入れられずに抜き身の、漆黒の騎士の腰に掛けられている黒剣。

 五個の念通球が縦に並んで刃に埋め込まれている。



「知るか。

 おまえの方が専門だろう。」


 マクスは苛ついた口調で言った。


 たとえようのない嫌な感じを受けつつも、前方の二人へと一歩近付く。



「今作戦の予定は…彼が立てたのですか?」


「何故……そう思う?」


 ガイメイヤは、低い声でマクスに聞き返した。



「一度、聖都観艦式でお見受けした記憶が。」


 その言葉にも、漆黒の騎士は微動だにしない。



「確かに、このディボレアルは優秀な軍師であるが……今作戦を立てたのは私だ。」


「……そうですか。」


 そこで、マクスに代わって、ヂチャードが一歩前に出る。



「失礼、デチャード=エニー、一介の騎士として僭越ですが一言意見を申し上げます。」


「……何か。」


「何故、危険を冒してまでマクス…聖騎士殿を このような作戦に駆り出したのか…

どうしても合点がいきません。」


 突然のヂチャードの物言いに、傍らのマクスの表情が曇る。



「作戦の始まりを知らせる合図、そして私の護衛など……諸所の工作を行うのは勿論、

血や罪を背負うのは『黒華』で充分。

 この男はもっと『高み』にいます。 このような作戦に…」



「ヂチャード。

 貴殿が言わんとしていることは解る。」


 マクスが彼のその口を止める前に、黄金の騎士の口が動いた。



「血や罪を背負う…か。

 だが、それも全て中王都市の民のため。

 破壊や闘争を 血や罪とたとえるのなら、騎士団の全ては既にまみれている。

 何もせず、のうのうと暮らしている『軍』の分までな。」


「それでも……空賊の手を借りるなど 正気の沙汰とは思えませんが。」


 表情を殺して続けるヂチャード。



「正気の沙汰?

 そのくらい意表を突かねば策略とは呼べぬ。」


 そこで、初めて声を発する漆黒の騎士。



 頭部全てを覆う平坦な仮面の奥から発せられた、その獣のような低く唸るような声に

ヂチャードは思わず言葉を失った。



「空賊を『利用』するのは、我々の仕業であることを悟られぬため。

 無論、奴等との交渉時には、我々の身分は隠している。」



「……あのルベランセには一体何があるというのですか?

 そうまでして、あれを手中に収めたい理由をお教え下さい。

 実際に中を見たところ、積荷も艦自体も特に秀でたものはありません。」


 マクスは言った。



「貴殿にはそう見えるか。」


 漆黒の騎士は抑揚の無い声でわらう。


 仁王立ちのマクスは、それを真っ直ぐ凝視した。


 黒い仮面は静かに、それを受け止める。



「いずれ話そう。

 ……そして解ろう。

 その理由も、何もかもな。」


 二人をなだめるように、ゆっくりと語りかける黄金の騎士。



「新しい理念の下、騎士団も変わらねばならぬ…。

 諸君らも色々と思うところはあるだろうが……今は ただ力を貸してもらいたい。」


「…もったいないお言葉です。」


 ヂチャードがマクスの肩に触れながら言った。

 その指には強い力が込められている。



「…で、これからの行動ですが…。」


 ヂチャードが言いかけたところで、漆黒の騎士は不意にガイメイヤに近付いた。



「……ディボレアル、どうした。」


 ガイメイヤの方から、耳を近付ける。


「…風が……変わる…か。」


 そして他の者には聞こえない、その仮面の奥からの言葉に頷いた。



「……この艦に部屋が用意してある。

 両名ともゆっくりと休養し、待機するがよい。」


「かしこまりました。」


 そして発せられた黄金の騎士の言葉に、ヂチャードが即座に答えた。



(待機…だと?)


 だが、マクスは納得のいかない面持ちで前の二人に臨んだ。



「空賊が……いかがしましたか?」


「この距離だ。

 奴等の様子など……誰にも分からぬよ。」



 黒騎士は淡々と答えた。



 そこで大広間の扉が開く。


 見ると、小さく開いた扉の隙間から近付く少年。



 10を満たすか満たさないか、そんな年端も行かない子供だった。


 眼鏡をかけ、大きめの白衣を着た姿でいる。



「何者でしょう?

 見たところ…騎士とは思えませんが…」


 ヂチャードが率直な疑問を口にする。



「彼はミシュード=ハカレイ。

 レンセン共和国 国立錬金学校で神童と呼ばれていた少年だ。」


 そして黄金の騎士に促され、ぶかぶかの両袖を合わせながら会釈。



「…我々の『協力者』だ。」


 少年を目の前に一様にいぶかしい表情を浮かべる二人に対し、黄金の騎士は付け加える。



「彼等を部屋を案内するように。」



 眼鏡の奥で目を細め、少年は礼をした。







◆ ◆



◆ ◆



 下から昇り続ける黒煙。


 鼓膜が痺れていた。


 周囲に敵の姿はもう無い。



 だが息つく間もなく、第二波が遠くに訪れる。

 世羅はただ後部座席にいるだけで、疲労を感じていた。


 自分が乗った戦闘騎はぐんぐんと速度を上げ、敵の上方を駆ける。

 打ち込まれる機関銃の弾をかわし、描いた緩やかなカーブ。


 敵もそれを追い、列に。


 そこでリジャンの機体は不意に上昇し、雲の中へ突っ込む。


 生まれて初めて吸い込む雲。

 濃密な蒸気を吸い込み、むせる世羅。


 振り向けば、白いもやの中に映える赤。


 自分達の後に続いてくる。



「嬢ちゃん! 振り落とされるなよ!!」


 注意が聞こえるのも半分に、内臓が浮く感覚。


 急降下。

 そして、戦闘騎の頭を軸にそのまま縦回転。


 雲からの脱出。



 天地が逆になった視点から、敵機達が自分を追い、不意に雲から抜け出てしまうのが見えた。



 寸前まで雲に視界を遮られていた敵。

 先手を取る為に既に照準の目測を付け、その瞬間を狙ったリジャンの弾を避ける手段は無い。


 再び味わう、眩しく騒がしい機関銃の連射。

 世羅はベルトを力一杯握り締め、思わず瞳を閉じる。


 恐怖に負けまいと、すぐ薄目を開けると、そこには前回と同じように堕ちゆく敵達。



 クラウドターン。

 雲を利用し、お互いの反応の落差を活かしたその高等技術に、それを遠くで見ていた

敵の一機が慌てて向きを変える。



 それはルベランセの方向だった。



「見かけ倒しか、この野郎!

 相変わらず趣味の悪い服が泣いてるぜ!!」


 追撃が面倒なリジャンは、進路をそのままに。

 彼等の飛翔艦・戦闘騎と同じカラーリングを施された、団員の赤いゴム製の全身タイツを指して大声で笑った。



 それを聞き、一旦は前を行った操縦士が顔を憤怒の表情で、反転。

 背後から猛烈な勢いで迫って来る。



「おっとっと……! 恐いねぇーー!!」



 リジャンは まんまと挑発に成功した相手戦闘騎の後ろからの銃弾を器用に避けつつ、

さらに迎え撃つため操縦桿を握り直す。


 だが、前方の雲の中から突如として下降してくる別の敵機。



(―――なんだと!?

 ……やべえ…!!)



 急に前後両方を挟まれ、余裕を無くすリジャン。


 だがその時、あさっての方向から、背後の敵への銃弾。



「!!」



 その様子を良く確かめないうちに、リジャンはすかさず前方の敵を撃ち堕とす。


 そして改めて、彼は弾道の『元』の方向を見た。



 既に戦闘不能な相手へ、いまだに止まない銃撃。


 不細工な攻撃―――。


 それはルベランセの進む方角から来る。



「くそっ!! なんで、俺様はここにいるんだ!!」

「自分で決めたんだろうが! 腹を決めやがれ!!」



 騒がしく喚き散らしながら、窮屈そうに戦闘騎に乗り込んだ『二人』が近付いて来る。


 リジャンは息を深くついて、自機の速度を緩めた。



「……だ…!」


 急に頭を外へ出す世羅。

 髪が風圧で泳ぎ、顔にまとわり付く。



「…来てくれたんだ!!!」


 それを必死に直し、叫び直す。



やがて並列した二つの戦闘騎。

 世羅とリジャンの笑顔を目の当たりにし、思わず頬が緩む戒だったが、すぐに表情を暗く落とす。



「おい……てめえら。」


 静かだが、普段以上の彼の迫力に気圧けおされる二人。



「俺様の前で、『犠牲』になるような真似は二度とするな。

 ……それだけを言いに来た。」


 そして、戒は人差し指を向けた。



 その前の座席で笑うバーグ。

 笑みを返すリジャン。



「うん……ごめん!」


 笑顔で素直に謝る世羅。



 そこで再会の余韻から切り替え、リジャンは厳しい目つきでバーグを見た。



「行くぜ、バーグ。

 教本と俺の練習を思い出せ。」


「チッ…偉そうに。

 だが……やるしかねえな!」



 目の前へ再び迫り来る、赤い戦闘騎群。


 二つの戦闘機は迎え撃つために、夜空で左右に分かれて展開した。



◆ ◆



「バーグ機も無事、出撃した。」


 自分の席で、報告するリード。


「追っ手は…今のところ無い。

 上手く引きつけてくれたようだ…。」


「速度を計算すると…このまま逃げ切れるっす。」


 タモンもそれに続く。


 二人の表情と声は先ほどに比べ、比較的明るくなっていた。



「……源炉は?」


 だが一方のフィンデルは、鈍く問う。



「全く変わらない。

 …この出力で安定している。 真っ直ぐの航行する分には問題ない。」


「………そう…」


 それきり、フィンデルの返答が無くなったブリッジ。



「フィンデル!?」


 席から跳ね起きるリード。


 だが、すぐに、再び腰を落ち着ける。


 彼女は艦長席で寝息を立てていた。



「俺以上に……参ってるのは…お前の方じゃねえか…。」


 呟きながら、舵をとるタモンを見る。


 タモンは頷き、ルベランセは夜空を迷わずに進んでいった……。



◆ ◆



「ふう、さすが大陸十字軍に参加した人間は気概が違うな。

 戦意…いまだ衰えずかよ。

 ……70は軽く過ぎてるんだろ、あの大団長じいさん。」


 三人で進む、ロンセ・カロウド艦内廊下。


 いまだ先の大広間での重圧に浸りながら、ヂチャードが言う。



「引退など、死ぬまでするまいな。」


 マクスは苦笑しながら言った。


 それを少年は、下からころころとした笑顔で見上げる。



「なんだ、どうかしたのか?」


 ヂチャードが、マクスの代わりに訊いた。



「聖騎士さま、あまり強そうに見えませんねぇ?

 今までに、たくさんの人を殺したようにはとても。」


 無邪気に言葉を発する少年の様子に、二人は面食らう。



「あ、すみません。

 いきなり失礼でしたね。

 まずは自己紹介をしなくちゃ。」


 少年はうっすらと線が浮かんでいる耳の付け根に触れた。



「名前は先程、大団長が言ったとおりです。

 そして僕の天命の輪は……第六位だいろくのくらい『在るべき鋳造』です。

 思い通りの物を作ることに長けてます。」



 押し黙って聞く二人。


 天命人エア・ファンタジスタが初対面の相手に、自分のことを詳しく語ることは少ない。

 …特に天命の輪の能力に至っては、たとえ天命人同士とて触れないのが礼儀でもある。


 少年の態度も含め、他の天命人に出会うこと自体が珍しいこともあってか、

二人はしばらく呆気にとられていた。



「それは勿論、理論的に間違っていないければ出来ませんが。」


 少年は構わず続けた。



「この度、聖騎士さまの専用の戦闘騎を設計、制作を担当したのは僕なんです。」


「そうか…。

 あれは、とてもいい機体だ。

 かたじけない、ハカレイ殿。」


「貴方に合わせるため、素材は全て純銀。

 お礼なら、二つ返事でその費用を捻出させたあの大団長に言ってください。」


 その言葉に、マクスは複雑な顔をした。



「それに固いですよ、聖騎士さま。

 学校では皆、僕のことを名前と苗字を合わせて『ミシュレイ』と呼んでました。

 だから、それで。

 ……それに、貴方の方が年上で先輩だし、僕のことは呼び捨てで呼んで下さい。」



 楽天的な笑顔。



「―――わかった、ミシュレイ。

 私のこともマクスでいい。」


「分かりました、マクス。」



 終始変わらず、仏頂面で喋り続ける聖騎士を眺め、口を結んで笑う。



 ―――すでに目的の部屋へ着いていた。



 狭いが、内装は大広間同様とても凝っている。


 そんな室内に入ると、ヂチャードは先んじて柔らかいソファに座りこんだ。



「……ふう。」


 そして作戦の疲れからか、深く座り込み、天井を仰ぐ。


 続き、マクスもその脇に腰を下ろす。


 だが、ミシュレイはすぐに後ろのカーテンへの裏へと姿を消した。



「……なんだ?」


 すぐに訊くヂチャード。



「お茶の一杯でもれますよ。」


「ほう……気が利くやつだな。

 ついでにコレも処分しておいてくれよ。」


 続いて、彼は窮屈な軍服を脱ぎ、足を組んだ。



「誰かに洗わせて届けますよ。

 また軍隊へ潜入の任務があるかもしれないでしょう?

 ホントに便利ですよね、天命第六位『千の顔を持つふくろう』―――」


「―――おまえ!!

 …なぜ俺の天命の輪を…」


 狼狽して立ち上がる。


「予習です。」


 だが、ミシュレイは食えない笑顔でカーテンから顔だけを出す。



「……ここで淹れるのか?」


 そして すぐさま戻ってきた彼に、今度はマクスが訊いた。


 ミシュレイはポットと水差し、それと紅茶の葉の入った筒を まとめて大皿に乗せ、そのまま

目の前のテーブルに置いたのだ。


 そして手慣れた様子で、水差しから空のポットへと水を注ぎ、茶葉を指の腹で擦りながら

その中へ振りかける。



「《炎・生》(ホヲラ・キー)。」


 さらに源法術を唱え、発生した指先の小さな火をポットの中の水へと付けた。


 水は瞬く間に泡を上げて沸騰し、蒸気を昇らせ、部屋の中の空気は一瞬にして紅茶の匂いに包まれる。


 それは、身体から疲労を一気に飛ばしてしまうような、心地よい芳香だった。



「見事なものだ。」


「火の調節と物質の生成は、錬金学の基本ですから。」


 マクスの誉め言葉に、ミシュレイは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。



 カップに注がれ、出された紅茶も素晴らしい出来である。

 色は高価な琥珀のように透き通っており、飲んだ後、確実に甘い匂いを鼻腔に残し。


 さして食通でない二人も、この紅茶が素材の良さを、最大まで引き出しているのが良くわかった。



 久方ぶりの温もりに、思わず時間さえ忘れそうになる。



「ひとつ質問いいですか?」


 二人が一息つけたところを見計らって、ミシュレイは切り出した。



「いくら天命人エア・ファンタジスタだからって、生身の人間がたった一人で飛翔艦を堕とすなんて

本当に出来るんですか?」


「…無礼だぞ。」


 だが、その言葉に、ヂチャードが割って入る。

 その剣幕に目を丸くする少年。



「その…なんだ、天命人なんて関係あるか。

 人間、根性があれば何でも出来る。」


 咳払いをして、子供を叱るような態度。



「……理論的でない解答はやめて下さい。

 それに、僕はマクスさまに聞いているんです。」


 ヂチャードの本性を見抜いたのか、ミシュレイは軽く笑顔を交えながら言った。


 だが、マクスは視線を落としたまま、無言を通す。



「噂どおり、本当に脱がないんですねえ、鎧。」


 少年は痺れを切らしたように言った。



「もういい、お前の役目は終わった。

 帰っていいぞ。」


 少年の歯に物着せぬ物の言い方にうんざりしながら、ヂチャードは言う。



「冗談でしょう?

 お茶菓子、持ってきますよ。」


 溜め息を一度つき、部屋を軽い足取りで後にするミシュレイ。

 室内には紅茶の匂いだけが残された。



「何なんだ…あの生意気なガキは……。」


 表情を歪ませるヂチャード。


 マクスも難しい顔をする。



「ガキの言うことだ。

 あんまり気にするな。」


「いや……そのことではない。」


 親指を下唇にあてがう。



「ずっと考えていたのだがな…あの黒騎士…」


「ん、大団長の横にいた奴か?」


 ヂチャードの言葉にマクスは頷いた。



「間違いない。

 奴は……親王隊しんのうたいの軍師だ。」


「……何を言っている?

 親王隊の者は全て軍警察によって、全て…処刑されたはずだぞ!」


「……『叛乱の恐れあり』、確か それが名目だったな。

 そして その時、騎士団は親王隊をかばい、それを止めようとしていた。

 故に、騎士団は今ないがしろにされている。」


 頷くヂチャード。


 だが、マクスは続いて首を横に振った。



「しかし、それは別段、今に始まったことではないな…。

 若き王が病に伏せた頃から、すでに現政権と軍隊の増長は始まっていた。

 親王隊の処刑自体も、奴等の共謀ということは間違いあるまい。」


「ああ。

 そして あの事件から、騎士団内では日に日に現政権への不満が高まっている。

 騎士団が現政権を覆して国の全権を得ようとしている、そんな物騒な噂さえある。

 …勿論、こんな作戦が無ければ、俺も『騎士団の叛意』なんて根も葉もない話と信じていただろうがね。」


「……なあ、ヂチャード。

 騎士道とは何だ?」


マクスは瞳を閉じ、静かに訊いた。



「…騎士道……ねえ。」


「騎士道とは、主君への忠誠から始まる。

 本質を損なう思想の意義など……皆無に等しい。」


「……まあ、な。」


 ヂチャードが疲れた顔で 紅茶から天井へ立ち昇る煙を見上げた。



「騎士団の叛意……。

 そして、今回の作戦…。」


 マクスがテーブル上で指を組む。



「もしも、現政権を覆す口実になる切り札を、既に騎士団が手に入れているとしたら…」


 視線を低く、泳がせる。



「現政権と結託している軍隊。

 それらと騎士団がことを構えるのは…むしろ好都合。

 『それ』を周知の事実としたい思惑もあるのではないか。」


 カップの中の紅茶が揺れ、わずかに波紋を残す。



「すると…私は利用されているのかもしれん。」


「マクス……。」


「なに、杞憂だ。」


 再びカップを手に取り、マクスは紅茶をすする。

 その温度は、先程よりもずっと冷めていた。



◆ ◆



 汗ばむ手袋の中。


 疲労により操縦桿の握りも甘くなる。


 狭く暑苦しい操縦席の中で。

 ……リジャンは考える。



 周囲の敵を何度も退けた結果、ルベランセとの距離は離れ、一つの課題をクリアしたことになった。


 だが問題は……これからであった。


 距離をおいて遠く臨む、巨大な炎団の飛翔艦。

 それはまだ余力を残しているだろう。


 一方、自分の機体の燃料は……もう三分の一も無い。



 何度退けようが、わいて出て来る敵の数も予想以上に減らず、進退を考える時に差し掛かっている。



「…ジリ貧だぜ。

 何かいい方法を考えねえと。

 このまま戦い続けるのも…いまさら逃げるにも……難しい。」


「ここまで来たら…戦おうよ!」


 何も考えずに、後ろから言う世羅。



「嬢ちゃん……。簡単に言うけどよ…」


 鼻にしわを寄せるリジャン。



(こうなったら白兵戦か……。)


 片手だけを戦闘騎の外に出し、冷ます。



(あいつも同じことを考えるだろうな。

 ……きっと。)


 大きくて堅い敵艦を、改めて確認。



「あと、せめて敵さんに侵入する方法があればな。」


 苦笑し、何気なく世羅に言う。



「……なら、飛翔艦ギリギリに飛んで!!」


「おい! 何する気だ!?」


 急に背後から強い力で首を抱きつかれ、驚きの声を上げるリジャン。



「信じて!」

「………!!」


 脇目に映る、少女の真っ直ぐな瞳。



「……よし! いいぜ!!」


 無茶な加速。

 これからはいくら燃料を浪費しようが関係無い。


 リジャンは最後の賭けを始める覚悟を決めた。



 悲鳴をあげるエンジン。

 軋む腕の骨。



 重力の負荷による、身体がバラバラになりそうな感覚。

 耐えながら、二人はただ空を駆けた。


 相手が飛翔艦に近付くとは予想もしていなかった敵機達は、案の定 何の反応も出来ず、

各防衛線は次々と抜かれていく。



 やがて目の前に広がってくる敵飛翔艦。

 それは遠くで見るよりも一層に大きく、至近距離から眺めるそれは、あたかも真っ赤な地平線のように見えた。



 外表を沿うように飛ぶと、戦闘騎の両翼は冷たい外気に反応して長い白筋を夜空に浮かべた。



 それは、死角。

 リジャン達は敵飛翔艦の真上をとることに成功する。



「―――で、どうするんだっ!?」


 本当の意味で後へは退けなくなったリジャンがヤケクソ気味に声を張り上げた。



「これを逆さまにして!!」


「さかさまぁ!?」


「出来ない?」


「出来ない……わけねえだろ!!」


 歯を食いしばり、足を踏ん張り、操縦桿を一気に横に傾けるリジャン。

 機体が天地を間逆にした瞬間、背後で不穏な動きを感じる。



「天に達する山の如き。

 源の理を頂くアルド=セイングウェイの名において命ず。」


「じょ……!」


 振り返ると、そこには飛翔艦へ腕を目一杯伸ばした世羅がいた。



「嬢ちゃん!? それはいけねえ!!

 腕を持っていかれ…」


 そこでリジャンは言葉を失い、周囲の異変を見回す。


 彼女の詠唱と共に 周囲に現れる光の粒子。


 大気に満ちたフェルーの具現化。

 そのあまりに神秘的な光景に何もかも忘れる。



「時で形を変えるもの。

 其れは神の鉄槌―――」


 やがて戦闘騎全体を覆うほどの膨大な源は、全て世羅の小さな手の平に集められる。

 そして機体を、少女自身を照らす。


 闇に不釣合うその眩しさに、リジャンはゴーグル越しに思わず目を細めた。



「《源・フェルー・ド》!!」


 機体のサイズよりふた周りは大きく膨らんだ光球。


 少女の手から離れ、飛翔艦に付いた瞬間炸裂し、装甲が一瞬へこむ。


 大砲どころではない。

 近くに稲妻が落ちたほどの衝撃。


 目を大きく開けて気付けば、既に溶け、焦げた赤い装甲が散り。


 獣の死体の胸から飛び出した肋骨のように。

 大小幾つもの鉄の柱が、飛翔艦の頭頂に開いた大きな穴の中から生えていた。



「こいつぁ、たまげた!!

 一体、何をした!?」


「……それは……」


 答える世羅の顔は疲労で濁っていた。

 察したリジャンは、休むよう彼女の頭を優しく撫でる。



「まあいい! これで…侵入……出来る!!」


 飛び出ている邪魔な装甲と鉄の柱を 更に機関銃で破壊。


「鬼が出るか…蛇が出るか……。

 ―――勝負だ!!」


 リジャンは吠えながら、眼下に広がる飛翔艦の大穴へと消えていった。





 隊列を組む戦闘騎との対峙。


 その中から一機が飛び出し、正面から射撃してくる。



「フン。そんな弾……」


 操縦桿を洒落しゃれた手つきで引くバーグ。


 だが、同時に雨粒が傘に当たったような音。

 戒が身を乗り出して戦闘騎の装甲を見ると、焦げた小さな穴が沢山あいていた。



「おい、ヒゲ!?

 あ…当たってる……当たってるぞ!!」


「……あ?

 上手く避けた『つもり』だったんだがな……。

 流石に…教本と練習どおりにはいかねえ。

 まだイマイチ、身体と機体との間にギャップがあるみてえだ。」


 その言葉に一瞬表情を凍りつかせ、口元だけ小さく動かす戒。



「つかぬことを聞くが…。

 おまえは……戦闘騎に乗って、どれくらい経つ?」


「………ざっと一ヶ月だ。」


「ざっと、って……たっ…たた……たった一ヶ月だと!?」


 素で答えるバーグに対し、後ろで立ち上がろうとする戒。

 だが、肩にかけられた安全ベルトでそれは遮られてしまう。



「ド…ド素人じゃねえか!!」


「うるせえ! 俺は剣士なんだよ!!

 食っていく為に仕方なく 戦闘騎に乗ってんだ!!」


「ハメやがったな、この野郎!!」


「ぐ…やめろ! 堕ちてえのかクソガキ!!」


 バーグの脊髄を背後から両手で締め上げ、縦に揺らす。

 その反動により、彼の額は操縦桿を押し下げ、機体は急降下した。


 だがそのおかげで、再び放たれた敵の銃弾は外れ、二人の顔面をかすめる。


 仰げば、頭上に無数の敵が旋回していた。



 ポジションも最悪。

 すでに周囲を完全に囲まれ、狙い撃たれているのが判る。


 思わず、戒は後部座席で頭を抱えた。


 そこへ、頼んでもいないのに急加速。



「いくぞ、おらぁ!

 こうなったら、このまま敵艦に殴りこみだ!

 その方が、このまま空中にいるより少しは生き残る確率も高え!!」


「……畜生――――!!」



 戦闘騎はみるみるうち乱暴に速度を増し、その反動で前のバーグの席にしがみつく戒。


 白い息と共に吐く絶叫がこだました。






◆ ◆



◆ ◆



 仰天して逃げ出す炎団側の整備兵達。


 まさか発進口ハッチへ向かって機関銃を乱射しながら突っ込んでくる戦闘騎など。

 そんな光景など誰もが夢にも思っていない。


 騒然とする格納庫、その半開きの扉を「まぐれ」で縦向きで通り抜け。

 腹を擦り、火花を散らしながら、無理矢理に着艦するバーグの機体。


 無論すぐには止められず、不安定な動きに加えて機銃の乱射も止まらない。

 出撃準備をしていた炎団の操縦士達も泡を食ってコクピットから逃げ出し、かろうじて蜂の巣を免れる。



「……よし。

 ここなら…もう戦闘騎に攻撃される心配がねえな。」


 薄暗い操縦席の中で、バーグが静かに気取って呟く。



「ふざけんな!」


 叫び、余韻に浸るバーグの後頭部を蹴り上げる戒。



「何度、死ぬかと思わせやがる!!」


「うるせえ、さっさと出ろ!」


 バーグは先んじて操縦席から飛び降りると、流れる動きで彼等を見上げて固まっていた

周囲の敵操縦士達を拳で打ち伏せる。


 それを一段落させ、狭い操縦席のどこに隠していたのか。

 バーグは大剣を五本、束で取り出した。



「かしてやる! しっかり働けよ。」


 そして、戒にその中の一本を軽く投げ渡して言った。



「…俺様に白兵戦をやれってのか!?」


「お前は何をしに来た?

 遊びに来たのか?

 それともまさか、坊主だから人殺しは出来ねえとか、泣きごと言うつもりじゃねえよな?」


 剣を受け取ったものの、状況が把握出来ていない戒に、顔を近づけて威圧する。



「……上等じゃねえか…。

 やってやるよ。」


 剣の重みに手を震わせ、刃を膝よりも下げながら戒は言った。


 バーグはにらみつけながら、彼のひたいに自分の額を突き合わせる。



「いいツラだ。

 …でも心配するな、それは護身用だ。」


 一転、大きな笑顔をつくる。



「クソガキ、てめーは自分の身を守ることだけ考えな。

 戦いは俺がやってやる。」


 そして肩に軽々と大剣を乗せて前を行く。



「ただ、『覚悟』が聞きたかった。

 『そこ』で決まるぜ。 戦場で生きるか死ぬかは、な。」


 バーグは、近くのランタンを素早く斬り落とした。





 ランタンの火を息で消し、壁から外して床に置く。



「?」


 世羅は不思議そうに、そのリジャンの行動を眺めていた。



「なに、奇襲の定石さ。」


 乱暴な侵入のため、崩れた壁。

 瓦礫の散らばった廊下を伝いながら、その行為を続けるリジャン。


 光を失い、手元・足元は見えにくくなったが、闇の中から覗く別の場所は逆に見やすくなってくる。


 世羅は思わず感嘆の声を洩らした。



 天井にはその少女が開けた大きな穴。

 視界にかろうじて残る、今まで世話になった戦闘騎。


 敵艦の内部は、侵入時に幸運にも一帯が壁ごと破壊され、出来あがった広い空間は着陸するには充分だった。



「―――!!」


 しかし、侵入と呼ぶには あまりにも大雑把で派手。

 早速、正面の廊下に映りこむ敵影。


 途端にボウガンの矢が撃ちこまれて来る。

 二人は急いで廊下の角に身を潜めた。



「《フェルー…」


 屈みながら唱える世羅。



「待った、嬢ちゃん!!」


 そんな彼女の口を慌てて遮るリジャン。



「その術、威力はどれくらい抑えられる?」


「……?」


「爆発力が高い術は、なるべく避けてくれ。

 外からに比べ、飛翔艦は内部からの衝撃に弱いんだ。

 迂闊に攻撃してこいつが堕ちてしまったら元も子もない。

 無謀な作戦だがな、俺はちゃんと生きて帰るつもりなんだぜ?」


「うん……。

 じゃ……!!」


 両手を左右に開く。



「《氷・チス・キー》!!」



 少女の周囲に青い粒子が生まれ、床、左右の壁、天井に広がる。


 そして突如現れる小さな氷。


 それはうねり動きながら段々巨大になっていき。

 各四つの氷柱が、廊下全体に螺旋を描きつつ、敵集団へ向かっていく。



「!?」


 やがて刃物のように平たく変化した青い氷は、集団に直撃し、動きを止めると同時に彼等の手足を切断していく。


 リジャンは感嘆の口笛を吹き、腰から抜いた銃を構えた。


 身動きが取れなくなった相手へ、すかさず放たれる銃弾。

 それぞれの眉間を的確に貫いていく。



「…大丈夫か?」


「ん?」


 声をかけた矢先、あどけなく返される世羅の顔。



「いや…何でもない。」


 賊とはいえ……人間を倒すことに抵抗が無いのは、面倒でなくいい。

 だが、子供が他人と平然と戦うことに、リジャンは憤りを感じざるを得なかった。



(何も変わっちゃいねえんだな……。)


 幾多もの仲間が命を散らした大きな動乱が終結してから、十余年。

 世界はいまだ乱れている。



「…しかし、随分とやるもんだな。 嬢ちゃん。」



 そして氷が床と壁に張った廊下を進む。

 体重を思い切り載せても、ヒビひとつ入らない強固な氷。



(あまりにも、出来すぎなくらいにだ……。)


 昔、部隊を組んでいた仲間にも、この少女くらいの腕前の者が一人でもいただろうか。


 壁にかかっていたランタンを氷から剥がしながら思う。



「なあ、突入する時……あの術の詠唱でまさかと思ったんだがな…嬢ちゃんはもしかして……」


 言いかけたところで、脇腹をかすめ、背後の壁に突き刺さるボウガンの矢。


 廊下の先で角から半身で、もう自分達を狙っている団員。

 さらに別の足音も次々と聞こえて来る。



「おしゃべりは……まだ後だってか…。」


 矢のかすめた部分を手でさする。


 リジャンは、ぬめった感触をその指で確かめると、そのまま服の上から患部を片手で押さえつけた。



「嬢ちゃんがいくら凄腕だって、術を使い続けるのには限界がある……。」


 世羅を連れて再び廊下の角に態勢低く身を隠し、銃の中の残弾を確認する彼。



「…何とか……バーグ達と合流したいところだな…。」


 暗がりの中、リジャンの腹部は血で滲み始めていた。



◆ ◆



「大胆ですな。」


 足音のない、絨毯の廊下を歩む。



「聖騎士をはかりごとにつかうとは。」


「オルゼリア家は中王都市きっての名門。

 何が正しくて、何がそうでないのか、判らぬ男ではない。」


 足を止めず、前を真っ直ぐ見詰めたまま、黒騎士に答える大団長ガイメイヤ。



「我々の行為は民のためである。

 この正義を常に掲げる限り、奴は従うであろう。」


 大きな肩の鎧で風を切る。



「貴殿の心配どおり、少々扱いにくい男でもあるが。」


 笑うと、顔の刺青が歪んだ。

 黒騎士はその言葉に、短く頷く。



「……それよりも…各地生成場での源炉暴走…。

 その情報は間違いでなかろうな。」


「『完全源炉』のみ……でありますが。」


「そうか。

 そうでなければ、この作戦…ここまでの危険を背負う価値が無い。

 同国に仕える部隊同士が争うのだからな。」


 長い廊下の壁を横目で見る。

 白い壁にひとつの染みを見つけ、ガイメイヤは足を止めた。



「しかし…魔導技術を覆すほどの術を何者かがかけた、か。

 にわかに信じられぬ……。」


 壁の染みに触れる黄金の騎士。


「それは まるで世に聞く『神言しんごん』ではないか。

 唱えたのは神…もしくは神の使いか?

 まるで絵空事だな。」


「………。」


「とにかく…この事実を知る者は まだ少ない。

 これからの時代、『完全源炉』を何基所有するかで大陸上の勢力は大きく左右されるだろう。」


「それだけのために、犠牲を……?」


 仮面の奥から、篭った笑い。



「犠牲? 今更、何をためらう?

 人間とは、大きかれ小さかれ、多かれ少なかれ、何かのいしずえの上に立つものだ。

 むしろこれは運命と言っても良い。

 それを受け容れられぬ心の弱い者など…生きる資格など無い。」


 言いながら、壁の染みを指で削る。



「貴殿も学ぶのだな。」


「……御意。」


 黒騎士はガイメイヤに正対した。



「我々は…摂政のゼン、その下僕の軍隊共を許しませぬ。

 奴等には極刑以上の地獄を。

 そのためならば、この拾われた命、どうか閣下の崇高な思想のために存分と使役下さいませ。

 そしてその思いは…療養なされている我が隊長も同様であること…ご承知あれ。」


「分かっている、それは心強いことだ。

 だが……今はその時期ではない。」


「雌伏の時…解っております。」



 それを聞くと、ガイメイヤは壁から指を離し、再び歩き始めた。



「ロンセ・カロウドはこのまま中王都市へ帰還せよ。

 後の指揮は、貴殿に任せた。」


 廊下が終わりに差し掛かり、奥に衛兵の立つ大きな扉。



「よいか。

 中王都市には元々…戦闘組織は二つと要らぬのだ。」


 扉が開かれると、そこは全天が大きなガラス張りの寝室。



「そしてもしも…現政権が これ以上、我等の意にそぐわぬのなら…」


 雲を遥か下に臨む星空の風景。



「王室政府とて要らぬ。」



 天のそびえる大きな月が 黄金の鎧を強く照らした。



◆ ◆



「《氷・チス・キー》!!」



 世羅が術を繰り返す。


 廊下に張った氷の上に更に広がる氷の柱。


 さらに傷を受ける者。

 そのまま、生き埋めになる者。


 だが、艦内に集結し始めた敵の数は一向に減る気配が無い。



 リジャンも落ちた照明の闇に隠れ、たまに身を乗り出して射撃。

 この繰り返し……いわゆる膠着状態に陥ってから30分は経とうとしていた。



 脇腹を抑えた手を少し離して、血で濡れた手を確かめるリジャン。


 世羅はそこでようやく彼の異常に気付いた。


「…リジャン?」


「……おう…。」


 並々ならぬ量の血で手の平を赤く染めて、虚ろな目で返すリジャン。



「な…何で…何も言わないんだ!?

 こんなひどい怪我してるのに!!」


 耳元、しかし遠くで聞こえる叫び。



「言っても…どうにもならんさ。」


 座り込み、顎を上げる。



「嬢ちゃん悪いな…巻き込んでよ…。

 何か やり残したことはねえか?」


「……ないよ。

 夢はもう果たした。」


「果たした?」


 悟ったような表情の少女に訊く。



「飛翔艦乗りになること。」


「へえ……。」


 立ち上がるリジャン。



「じゃあ、まだまだ死ねねえな。」


「え?」


「真の飛翔艦乗りってのは、自由で何物にもとらわれない奴のことさ。

 ただ飛翔艦に乗る程度じゃ、ダメだ。」


「……そうなの?」


「ああ、だから生きろ!

 生きて自分だけの飛翔艦を手に入れるんだ!!」


「…どうやったらいい!?」


「生きて帰ったら……俺が教えてやる!!

 ……一から十まで教えてやるよ!!」


「うん!!」



 力を振り絞って立ち上がり、近くの扉を開ける。

 そこは何も無い小さな空室。



「でも……その前に怪我を治してもらわないと…。」


 傍のガラクタを枕に、リジャンを床に寝かせる。



「嬢ちゃん…何処へ行くつもりだ?」


 そして再び扉の外へ出ようする世羅に、リジャンは声をかけた。



「大丈夫、外から扉を凍らせたら、すぐ戒を連れて戻ってくるよ!」


「…やめとけ…外へ出るんだったら、もう俺には構うな…」


「戒なら怪我を治せるんだ!!」


 世羅の大声にリジャンは片目を大きく開けた。


 視界に入る、室内の小窓。



「……どうしても…俺を見捨てられないっていうんなら…とことん無謀な作戦に…付き合ってくれるかい?」


「?」


 リジャンは傷付いた半身だけ起こし、窓の外を確認する。



 現在の位置は艦体脇の上部。

 砲座も機関部も、ブリッジも近くには無い。



「ここなら…思う存分壊しても平気だ。」


 リジャンは壁にもたれるようにして、そこに手をあてがった。



「……?

 そっか……!!」


 世羅も壁に両手を付ける。



 溜める渾身の力。


 そして、少女は唱えた。



「《源・フェルー・ド》!!」





「―――何だ!?」


 突如として艦内に轟く爆音に、バーグが剣を持つ手を止めた。



「……世羅だ。」


 戒が呟く。



「今の音の方に いるのか!?」


「ああ…。 きっと間違いない。」


 戒は敵の死体が重なった、廊下を振り向きつつ答えた。


 轟音は、他の二人の位置を伝えるべく、何発も断続的に聞こえてくる。



「なら、ここからは一直線で行けるな!!」



 バーグが前方の壁を剣で乱暴に叩き壊す。


 返り血にまみれたバーグの後ろ姿は頼もしかったが、恐しくもあった。



(こいつ……口だけじゃなく…強え……。)


 侵入してからというもの、バーグに指先すら触れられる賊は一人としていなかった。


 ゆく手を塞ぐ者、逃げ惑う者、全て逃さず斬り伏され。

 それらは今、臓腑をぶちまけた哀れな姿で廊下を転がっている。


 握った剣の切っ先を引きずりながら、戒は生き残る光明を見い出し始めていた。



◆ ◆ ◆



 大陸全土を巻き込んだ反乱が完全に終結した日。


 一方的な殺戮ともいわれた『戦争の後片付け』を済ませた、血と汗と土で汚れきった傭兵達が戦場を後にする。



「俺は…飛翔艦乗りになるぜ。」


 引き上げる際に、リジャンは言った。



「何だ、急に。」


 もう既に勝利の美酒を飲むことしか頭にないバーグが返す。



「大きい力を得るというのは危険かもしれん。

 だが、世を平和にするには時にそれも必要だと思う。

 子供達が未来を生きる世界のため、自分が汚れ役になるってのも悪くは無い。」


「また、難しく考えやがって。」


 真新しい白い布を頭に巻き、未来への思いに瞳を輝かすそんな戦友。

 バーグは頭を掻き、砂を飛ばしながら答えた。



「死なねえ程度に勝手にしやがれ。

 国に帰ったら、俺は妻と子供と…よろしくやる。」


 そして彼は拳を突き出した。

 バーグもそれに拳を合わし、振り返る。


 その時の夕焼けが、多くの友の墓に長い影をつくっていた……。



◆ ◆ ◆



 頭に細く巻いたターバンがまぶたの上に落ちる。


 気付くと、扉の前には肩で息をしている世羅。

 幾重いくえにもかけられた、氷の柱を扉を固めている。


 自分の意識が飛んでいる間の少女の努力。

 それは想像に難くない。



 しかし、無常にも扉の外からは炎団が強く叩く音。

 氷は少しずつ砕け始めていた。



「嬢ちゃん……もしも扉が破られたら、なんとか敵の集団をすり抜けろ。

 そして…バーグ達が追いつくまで…音を出し続けながら逃げるんだ。」


「リジャンも…一緒にね。」


「俺はダメだ…もう走れない。」


「そんなのヤダよ!!」


「嫌でもやるんだ……。」



 近付き、駄々をこねる少女の姿は愛らしかった。



「嬢ちゃんだけでも…生きなくては…だめだ…」


「リジャン!!」


 安らかに目を閉じるリジャンに対し、世羅が必死に呼びかける。


 閉じた目。

 一切の闇。



 集中した聴覚が捉える、かすかに聞こえる重い足音。


 旋回する剣の刃音。

 複数の断末魔の声。



「……どうやら……嬢ちゃんは幸運の天使だ。」


 うっすら目を開けて笑みをこぼす。



 凍りついた扉に一線が斜めに入る。


 続いて、もう一線。


 バツの字に斬られた扉を蹴破り、侵入してくる見慣れた大男。

 さらに黒い修道着の若者が駆け寄ってくる。



「戒!!

 …リジャンが…怪我を!!」


 戒は世羅に頷いて応えると、すぐさまリジャンの脇にしゃがみこんだ。



「………ぅ!!」


 そして、ふところに一気に入れられる手の感触に、リジャンは激しく顔を歪ませる。



「リジャン!!

 馬鹿野郎が! しくじりやがって!!」


 高い所から叱咤する、大きくて低い声。



「老いたよ、バーグ…。」


 リジャンは青く変色した唇を震わせた。



「ゲリラ共が密林の中を潜み、こちらの寝首を虎視眈々と狙っている…。

 そんな視線を、そんな殺気を……昔はもっと敏感に感じとれたもんだ。

 だが、今は…」


「…それ以上喋るな!!」


 バーグが刃のこぼれた大剣を捨て、歯ぎしりする。



「…これは……!」


 そしてリジャンの軍服を開き、傷を改めて確認する戒。

 直後、顔には失望の色が浮かぶ。



「…全っ然、かすり傷だ。」



その言葉の後、室内を暫しの沈黙が支配した。



「出血が多いのは切れた皮が引っ張られて開いたからだな。

 太り過ぎだぜ、オッサン。」


 患部に触れ、リジャンの肩を叩く戒。


 一瞬にして嘘のように引いた痛みに驚き、リジャンは自分の腹をさすりながら、

自身が暫く呆気に取られている様だった。



「……がはは。

 帰ったらダイエットしねえとな…。」


「冗談かましてんじゃねえよ!

 マジかと思ったぞ!!」


「そうだ、ひどいよ!!」


 涙目で訴えるバーグと世羅。



「わるい、わるい。」


 そんな彼等に対し、リジャンは大口を開けて誤魔化す。



「……へえ、天命の輪か…。」


 そして光る輪の浮き出た、戒の指先を軽くつまむ。



「……。」


 彼は黙ったまま、それを振りほどき、立ち上がった。



「……ただ、治すのか?」


「……。」


「傷を治すかわりに、同じ痛みを自分に移すの。

 そうだよね、戒?」


 何も答えない戒に代わって、世羅が答える。

 それに対し、戒は舌打ちする。



「そうか……自分を『犠牲』にしてまで…か。

 すまんな、迷惑かけて。」


「別に。

 痛みだって半日 我慢すれば治る。」


「……すまん。」



 戒は、リジャンが頭を下げるのを避けるようにして壁にもたれかかった。


 そして、指の輪は光を鈍く放つと、消えた。







◆ ◆




◆ ◆



「それより、みんな揃ったことだしよ。

 先へ進もうぜ。」


 休憩もそこそこに、バーグが意気揚々と言い放った。



「…うん!

 ………!!」


 それに合わせ 勢い良く扉に走る世羅。

 だが途中で、その両膝は崩れ落ちる。


 咄嗟に大剣を捨て、彼女の脇の下に手を入れてその身体を支える戒。

 そして何も言わず、そのまま背負う。



「おい……!!

 こっちも怪我してんのか?」


 戒に負ぶわれて、すぐに寝息を立て始めた世羅を眺めながら、バーグは慌てて訊いた。



「いや……術の使いすぎで精神が参っちまったんだろう…。

 俺が不甲斐ないおかげさ…。」


 苦々しい顔で言うリジャン。



「このまま背負ってくれるのか、兄ちゃん?」


「……ああ。」


 当然のように答える戒。



「わかった、行こうぜ。

 時間をかけるだけ俺達の不利だしな。」


 バーグは戒に預けていた剣を拾い上げると、床の瓦礫と氷を踏みしめる。



「…リジャン、ここはオヤジ達の心意気と生き様をいっちょ見せてやるか。」


「おいおい…遊びじゃないぜ。」


「わかってるって。」


 おどけるバーグが気を取り直した直後。



《………れ………は…》


 声にならない声が聞こえた。



「わかったって言ったろ。 まだ何か言いたいことでもあるのか?

 しかも変な声出しやがって……」


「今のは俺じゃない。」


 振り向いたバーグに、リジャンが答える。


 静まった室内に響き渡る雑音。



「…これは……」


 唇に人差し指を当て、二人に黙るよう命じてから室内を眺め回すリジャン。


 雑音は壁に掛けられた、声通機からだった。



《俺は…炎団セルゲドニ10番艦 艦長、マルケット=ロベール。》


「!?」


 今度は、はっきりと聞こえた言葉に身構える。



《俺の指示どおり進め。

 ブリッジまで案内してやる。》


「……こんな見えすいた罠にかかると思ってるのか!?」


 バーグが怒号を上げた。



「まて、バーグ。」


 リジャンは、戒、そしてその背で泥のように眠る世羅を見た。



「心配するな!

 まだ俺だけは元気だ、何人だって斬れる!!」


 そう言ったバーグの持つ剣。

 残りはあと二本。



「俺様だってやれるぜ、ヒゲ!」


 戒が両手の指を鳴らした。



「クソガキもああ言ってるんだ。

 向こうの言うことなんざ、無視して進もうぜ!!」


 意気を上げるバーグに、リジャンがそっと近付く。



「嬢ちゃんの様子は、見て分かるな?

 だが…実は兄ちゃんも……本当は立てる状態じゃねえんだ。」


「あン?」


 彼の言葉に、最初は呆けた顔で ただ耳を傾けていたバーグだったが、みるみるうちに血相を変える。



「まさか……おまえ……!!」


「ああ。 あの時、俺の傷は内臓に達するギリギリだったよ。

 腹を切る痛みに…お前はあそこまで耐えられるか?」


「…クソガキめ……」


 良く目を凝らせば。

 戒は脂汗を顔に浮かべ、たまに手足を震わせている。


 平然と世羅を背負い、気丈に振舞う彼の姿にバーグは心の底から驚嘆した。



「わかった…。

 ここはリジャンの勘に任せる。

 もしも罠だったのなら……その時は俺が命を張ろう。」


「心強いぜ。

 戦友ともよ。」


 拳を合わせる二人。



「案内してもらおうか、空賊の大将!!」


 そして同時に。

 彼等は壁に掛けられた声通管に向かって威勢よく叫んだのだった。



◆ ◆



「状況が変わった。」


 黒騎士が部屋に入るなり、くぐもった声で言った。



「格納庫まで来てもらおうか、聖騎士殿。」


 ソファで大いびきをかいて眠りに落ちているヂチャードを一目見て、マクスは静かに立ち上がった。



◆ ◆



「初陣にして……とんでもねえ、ババを引いちまったな。」


 艦長の座席で、その男は呟いた。



 扉は開かれ、ブリッジに侵入する焦げ臭い匂い。


 侵入者の数、たったの四名。



 前方で弓なりに並んで座り、自分達を威圧するようなブリッジの念通士達の雰囲気。

 その中でバーグは、すぐさま剣を構えた。



「待て。

 見ての通り、ここは精密な機械が集まっている。

 ヘタな攻撃はお互い死を招くぞ。 

 それではつまらんだろう…」


 若干高く位置する椅子に座ったまま対面する男は、バーグと同程度、あるいはそれ以上に見えるほど

体格に優れている。



「いまさら話し合いで決着つけられると思っているのか?

 追い詰められてる奴に、そんなこと選ぶ権利があるわけねえだろ!」


「追い詰められた? 違うな。

 こちらが貴様達をここへ呼んだ理由は、それが勝利への近道だからだ。」


 戒の言葉を平然と返す男。



「は…ハッタリを言うんじゃねえ!」


「落ち着け、兄ちゃん。」


 リジャンは、敵の瞳の鋭い光を見る。

 それは戦いを享楽する危険な眼差し。



「今日は散々な日だ。

 炎団にようやく加入出来てからの最初の仕事なのによ。

 たったの四人にこのザマとはな。」


 立ち上がる男。


 背丈も、バーグより若干大きい。



「俺としては、たとえこのまま物量でして勝っても、組織に立つ顔がねえ。

 このへんで終わりにしたいというのが本音だ。

 俺達は、元は名もねえ空賊。

 炎団に入っても、部下と飛翔艦はそのまま持ってきた。

 出来ればこれ以上、失いたくねえし壊されたくねえ。」


「勝手なこと言いやがって…今更そんなワガママ、通るとでも思ってんのか!!」


 戒が吼える。



「わからん小僧だな。

 こっちの真意を……察してもらいたいものだ。」


 その男は眉をひそめた。



「……いいだろう。

 傷付くのが沢山なのは、お互い様だ。

 お前が言いたいのは……『決闘』だろう?

 このバーグが負けたら、俺ら他の三人の命もやる。

 だが勝ったら、この艦は俺達のものだ。 それでいい。」



 素早く答えるリジャン。


 それを聞いて笑う男。



「おい…馬鹿言え!

 何で勝手に俺様の命まで賭け…」


「…どけや、クソガキ。」


 バーグが圧倒的な殺気で戒を睨み付けながら、前へ数歩出る。


 その迫力に、戒はそれ以上口を動かせなかった。



「ここは俺の見せ場ってことだろ? ―――なあ。」


 バーグが頭を掻き、未使用の一本を捨て、使い慣れた腰の剣を抜く。


 リジャンがその様子に、歯を見せた。



「物分りが良くて助かったよ。

 これから、俺達はもっと組織の上へと上がらねばならねえ。

 こんなところで…つまづくわけには…いかんのさ。」


 男も座席脇に立てた剣を取り、鞘から抜く。

 そしてマントを脱ぎ、椅子の背もたれにかけると、刃の切っ先をバーグに向けて両手で構えた。



「貴様…相手が悪かったな。」


 続けて 男は言った。


 沈む空気。

 殺意が飛び交う。



「俺は飛翔艦に乗るようになっても、毎日千回の素振りをかかしたことがない。」


「……そうかい。」


バーグが右手で軽く剣の柄を握り、左手で無精髭を触る。


 背には三人の仲間。


 故意に力を抜く首、肩、腰。


 その中で唯一、足だけを前へ勢いよく抜き出す。



「―――!?」


 男はバーグの体を見失った。



 一瞬の踏み込みで。

 ふところに飛び込まれている。



(…馬鹿な…呑まれた……!?)



 人影が剣を握った手を伸ばし、自分の首を狙うのがわかる。

 その剣先を目で追いつつも、何故か体が反応できない。



 指先の一本でさえ、動かなかった。


 ……続けて、何かが身体を通った感触がした。





 握った剣を相手のうなじに通り越したまま動きを止めるバーグ。



「敗因は……場数の違いじゃあねえぜ。」



 そして一発、床を強く足踏み。


 男の首があらぬ方向へゆっくりと傾き、ごとり、と嫌な音がブリッジに響いた。



「俺は毎日万回の素振りを欠かしたことがねえんだ。」


 剣を振り、血を飛ばす。


 男の身体が完全に倒れた瞬間、ブリッジ内の団員達は瞬く間に戦闘の意欲を失った。



「バーグ!」


 後からリジャンに肩を叩かれ得意顔。


 だが、振り向いて見た彼の顔に賞賛の表情は無かった。



「おまえなあ…戦闘騎に乗り始めてからも熱心に剣の稽古をしていたのは気付いていたが…そんなにしてたのか。」


「あ。 …いや、その……!」


 思わず口ごもるバーグ。



「まあ、いいさ。

 結果的に、それが俺達を…」


 両手を挙げ、降伏の意を示し、一斉に立ち上がるブリッジの団員達。



「そして、ルベランセを守ったんだからな。」


 リジャンの勝利の言葉に、バーグは両の拳を握り喜びに悶え、戒はようやく腰を床に下ろす。


 世羅はその背で 安堵の表情のまま眠り続けていた。



◆ ◆



「随分、急な話ですね!」


 搭載した源炉に火が点いた銀の戦闘騎に駆け寄り、ミシュレイが興奮気味に言った。



「お茶も満足にとれないくらい忙しい聖騎士さま。

 出撃前にぜひとも聞きたいことがあるんですけどね!」


 少年の顔を見ずに、操縦席で手甲を握り直すマクス。



「今回も沢山、人を殺すんでしょう?

 何故、平然とそんなことが出来るんですか?」


 マクスの横顔は、平然と計器を確かめている。



「やはり天命人エア・ファンタジスタだからですか?

 ……ですよね?」


 ミシュレイは戦闘騎に寄りかかりながら、黒華の騎士達によって開けられる発進口を眺めた。



「貴方も本当は見下しているんでしょう?

 自分は特別な存在だ、と。

 他の凡夫など、どうなってもいい、と。」


外の闇を眼鏡と瞳に映しながら、うっすらと笑いを浮かべる。



「僕が『ここ』にいるのは、ここが学校よりも僕に高い評価を下したからです。

 そしてここなら、資材・資金など、研究の素材が際限なく手に入る。

 時間の制限も無いし、錬金学を究めるには都合の良い事この上ない。

 でも僕が天命人でなかったら、そんなこともなかったでしょう。

 このことからも我々は、選ばれた人間だと思いませんか!?」


「……逆に聞こう。」


 そこで初めてマクスは少年の瞳を真っ直ぐに見詰めた。



「…あの紅茶は…他人に美味しく飲んでもらいたいと心の底から思い、何度も努力せねば出せる味では無い。

 私はそう感じたが。」


 彼の予想だにしない返答に、ミシュレイの思考は暫し止まった。


 発進口の突風で、そばの整備士の持つ部品がひとつ飛ぶ。



「……なんですか、それ?

 言っていることの意味が良く解りませんね。

 もっと具体的に…」


 少年の声が震える。



「もしも天命人が特別な存在というのなら、君がその上に胡坐あぐらをかき、努力を怠っていても

今の君の立場が存在し得えたということになる。」


 マクスは首を振った。



「天命人も人だ。

 天命の輪は決して人の本質まで変えるものではない。

 君が評価されるのは、君の努力の結果だ。

 もしも、君が天命人に生まれなかったとしても……」



「ふ…!…はははは!

 綺麗ごとだ!!」


 唐突なミシュレイの笑いが、そのマクスの言葉をかき消す。



「貴方はとても興味深い…!

 僕は貴方のことが好きになりましたよ…!!

 一体どうやったら、そんな下らない考えに行き着くんですか?」


 さらに胸を大きく膨らませ、苦しそうに息を吐き出しながら興奮する少年。



「…天命第二位を持ち……生まれながらにして騎士の名門。

 僕なんかよりも全然、エリートの貴方が!?」


 上半身を操縦席の中にまで乗り上げ、聖騎士の顔に無理矢理近付く。



「任務内容……。

 標的・炎団セルゲドニ10番艦。

 さらにその全ての戦闘騎、人員の殲滅……。」


 そんなうろたえた少年を見限るように 銀の兜をかぶり、機械的に呟く聖騎士。


 その様子に、ミシュレイは一転、平静を取り戻す。

 そして床に足を付けて降りると、彼は発進口の騎士に向かって合図を送った。



 一際大きくなる、ブースターの蒼い炎。


 正面を向き、顎を引く聖騎士。



「マクス=オルゼリア……出る。」



 推進力に変換された、フェルーの粒子を残し、銀の戦闘騎は少年の視界からものの数秒で消え去った。



▼▼


第五話 『無謀な作戦・後編』


▼▼


to be continued…




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